後漢末のトリックスター
天下を救いたい自分たちは、この先どうすれば良いか?
その課題を共有させた事は、結果として劉備陣営の結束を強める事になった。
同じ意識を持つ同志となったのである。
……劉亮に対しては、ちょっと関羽からの当たりがきつくなってしまったが。
劉備は劉亮の中の人では計り知れない部分がある。
劉備はフラっと、関羽を連れて外出したと思ったら、公孫瓚の元を訪れていた。
「ちょっとそこまで」
が数日の留守となり、親族や家臣一同大騒ぎとなって捜索隊まで出した所に、何事も無かったように帰って来る。
「説明して貰いましょうか!」
と皆で問い詰めて初めて、公孫瓚と話をして来たと答えたのであった。
「で、どうでした?」
劉亮が皆を代表して劉備に問う。
「伯珪兄は何も考えていなかった。
いや、自分の支配地域の事しか考えていなかったっていうのが正しいか。
どちらかというと、朝廷とは異なる道を歩んでいるように見えたな」
劉備が語る。
――――――――――――――――――――
劉備が亡き盧植の事を共に惜しもうと言ってやって来た為、公孫瓚は迎え入れた。
袁紹との戦いを潰された不満はあるが、劉備が纏めた講和条件は上々ではないが不可ではなく、冀州に楔を打ち込めているだけでも上々である。
そうして盧植の為の服喪を共にし、公孫瓚の弟・公孫越の墓所を訪れて慰霊した後、本題に入った。
「伯珪兄は、天下の事をどう考えておられる?」
「玄徳、何を言っているのだ?」
「いや、なに、うちの弟が俺に『天下の民を助けたいって言っても、どうやってやるんだ?』って言って来てねえ。
俺は何も考えてなかったから、困ってしまってねえ。
で、伯珪兄の考えを聞きたかったんだよ」
「玄徳、気宇壮大なのは良いが、己の力量を弁えろ。
我々は我々の領土さえしっかり統治すれば良いのだ。
それ以上、何もする必要は無い」
「えーっと、では伯珪兄は天下の事がどうなっても構わないと?」
「そうだ。
お前は長安の朝廷に不満があるから、そんな事を言っているのかもしれない。
だが、長安だの洛陽だのの事は、我等幽州の者にとっては所詮他人の事。
雲の上の争いに首を突っ込んでも、何の益も無い。
幽州の事は幽州で勝手にする。
まあ、多少は朝廷との繋がりは有って良いが、それは我等の不利にならぬようにする為のもの。
過度な入れ込みは不幸を招こうぞ」
「いや、その通りですな。
流石は伯珪兄。
他州で流民が出ようが、我等は我等が出来る事をするのみ」
「そうだ。
幽州に来たら面倒を見てやろう。
だが他州にまで手を出しても、力が足りん」
「それにしては、豫州に弟殿を送ったようですが?」
「それは後悔している。
幽州の俺が、如何に後将軍(袁術)の頼みとはいえ弟を他州に出したのが間違いだった。
幽州に留めておけば、袁紹の部下と戦って命を落とす事も無かっただろうに……」
「それは……。
そうですね、今更言っても何の足しにもなりませんが、残念な事です」
「そうだ。
だから俺は幽州と、その周辺だけを望む。
これから朝廷にどんな化け物が出ようと、我々だけが生き残れるようにな」
そう言って酒を煽る公孫瓚。
劉備は再び問う。
「後将軍とはどのような方ですか?
伯珪兄と、南の陶徐州(陶謙)は後将軍と同盟の仲。
伯珪兄と俺との付き合いを見るに、俺も後将軍とは繋がっているようですが」
「知らん」
「は? 知らないと」
「書状のやり取りしかした事は無い。
会った事も無い。
一般的な事なら、お前も知っているだろ?」
「知ろうとは思わないのですか?」
「思わん」
「では、何故後将軍と親しくされておられる?」
「親しくなぞしておらん。
敵の敵は味方と言う。
袁紹と争う以上、袁紹を否定する後将軍と組んだまで。
劉虞との事もあり、後将軍とは協調しておる。
それまでの事だ」
「なるほど……」
劉備が言葉を飲むと、公孫瓚の方から釘を刺して来た。
「玄徳。
お前、余計な事を考えるんじゃないぞ。
我等幽州の者は、精々隣の冀州やお前の青州だけを考えていれば良いんだ。
天下なんか知った事か。
どうせろくでもない奴しか朝廷には居らん。
そいつが何をしようが、手を出せないようにしていれば良いんだ」
――――――――――――――――――――
「……という感じであった」
劉備が公孫瓚との会談を語り終える。
まあ、何と言うか、一理は有るな。
劉亮は関羽の方を見る。
「こういう内容で、関羽殿は怒り出さなかったのですか?」
関羽の回答は
「儂は小人には怒らぬ事にしておる。
天下の事を憂う大志無き者に、何を言って詮無き事」
というものであった。
(まあ、普段から劉備を見ていればそうなるだろうな)
劉備の器は、他人と比べた時にハッキリする。
劉備しか見ていないと、平時のポンコツだの、行動が行き当たりばったりだの、費用を考えて物を言ってくれだの、言いたい事が多々出て来るのだが、こうして他人と比べると「大器」なのを感じてしまう。
劉亮の中の人からしたら、公孫瓚の考えも間違っていない。
実力も無いのに大きな事を言う人より、地道に目の前の事を片付ける人の方が、余程信が置ける。
彼の前世では、大きな事を言って人を惹きつける者は、半数が詐欺師で、残りも大半は失敗していた。
成功する者も見ては来たが、彼的には人間として好きにはなれなかった。
その記憶と比べても、劉備は違うように思える。
贔屓目が入っているせいかもしれないが。
劉亮の心中での呟きとは別に、他の者は袁術について語り合っていた。
「結局、後将軍とはどんな人物なのだ?」
「頼って良いのか?
我等の北は公孫瓚殿、南は陶謙殿と後将軍の仲間。
敵対すれば両者から攻められるだろうが、かと言って手を組んで良いのかどうか」
「叔朗も、後将軍とは会った事が無いんだったな?」
「はい、叔父上。
私は洛陽には二度行きましたが、袁紹殿と仲が良かったせいか、袁術殿には避けられていました」
最初は身分が低い為か、袁術が河南尹の職で忙しかった為か、面会を断られた。
二度目は、避けられたというより完全に接点が無かったと言える。
避けられたというのは、これも「恐らくそうなのだろう」以上の事は言えない。
「うむ、人の話以上の事はお前も知らんのだな……」
「人の話では、尊大な男と聞きます」
「別の人の話では、随分と気前の良い男とも聞きました」
「若い時は義侠心が有ったとも聞く」
結局噂以上の事は分からない。
劉亮は前世の記憶から、袁術がどういう末路を辿るかは知っていた。
しかし、こっちの世界に来てから、出会った様々な人物の印象が変わっている。
それは歴史書では伝わらなかった部分なのか、一巡して似て非なる世界に来たせいかは分からない。
あの董卓ですら、直接見たら彼の知る「史実」とは色々と違っていた。
その史実も、再評価されたりして変化している。
何が本当なのか、経験してみないと分からない。
袁術もそうだ。
一体どういう人物なのだろうか、劉亮の中の人は今更ながら興味津々。
しかし、彼は袁紹派とされている。
多分公務で使者にでもならない限り、会う事はかなわないだろう。
袁術の人となりは結局分からないまま、幽州での会合は終わる。
青州に戻り、州牧としての仕事に戻る面々。
「父上から事のあらましは聞いた。
天下に興味を持たない公孫瓚とは手を切り、袁紹殿と手を組むのが良い!」
留守を任されていた劉徳然が、帰還早々にそんな事を言って来る。
明確な袁紹派のこの男が居たら、話し合いは結構混乱したかもしれない。
外して正解だったと思う劉亮だが、彼もまた世間からは袁紹派と見られている。
実際、彼の所に袁紹陣営から贈り物が来ていて、使者が
「州牧である兄君によろしくお願いいたします」
なんて言うように、調略の手を伸ばしていた。
袁紹が多数派工作をしている中、袁術も動いている。
送られて来た情報を見るに、袁術のやり方がどうにも気持ち悪い。
まず、袁術の傘下で暴れ回っていた孫堅が、この程死亡した。
劉亮が話をした事がある、荊州牧の劉表と戦って戦死したのだ。
劉表はこの事もあり、袁紹と手を結んでいる。
となると、袁術陣営は有力武将を失って弱体化する筈が、いつの間にか孫堅の勢力を吸収して、袁術本体は逆に強化されたのである。
そして徐州の陶謙を動かし、兗州の曹操を攻撃させる。
陶謙は曹操に敗れた。
これは陶謙が敗れただけで、袁術には傷がついていない。
そしてまた公孫瓚に袁紹を攻めるよう要請が入ったようだ。
今回、公孫瓚は劉備に対し
「貴殿は動かなくて良い」
とわざわざ言って来ている。
(もしかして、公孫瓚は我々の事を疑い出したのか?)
劉亮は何となくそう思った。
彼自身は公孫瓚が敵視する烏桓の婿であり、その事を知ったであろう時期から距離を置かれるようになった。
劉備は公孫瓚を慕っているが、それでも先日の訪問や和平斡旋を不快に思っているのかもしれない。
公孫瓚もまた猜疑心が強い人物である。
(まあ、向こうから関わらないで欲しいと言うならそれで良い。
劉備陣営は中立でいこう。
それにしても、袁と袁の対立は中々肩が凝る戦いが多いなあ)
劉亮の中の人は前世を思い出す。
とある国にて。
そこは部族対立のような直接的なものではないが、有力者が政治家やマフィアなんかを巻き込みながら、多数派工作を常に行っていた。
劉亮の前世こと、金刀卯二郎は両方の陣営から招かれ、彼の属する企業連合の利益が自分の所に来るよう、時には勧誘され、時には脅されたりした事があった。
笑いながら酒を勧めて来ても、目は全く笑っていない。
美味しい利益を見せて来ても、それは罠であり、迂闊に手にすれば対立陣営の協力は全く得られなくなるものだったりする。
中々胃が痛くなる状況に置かれた、思い出しても胸がムカつくような思い出である。
現在の袁紹と袁術の抗争は、今の所両者が直接戦ってはいない。
同族同士が戦うと、お互い声望を失う可能性がある。
だから代理抗争、領内の賊を煽動する、長安の朝廷を利用して相手の足を引っ張るような戦い方となっていた。
多数派工作もその一つである。
劉亮は自分たちが、公孫瓚・袁紹対立以上に面倒臭い、袁術・袁紹対立に片足突っ込み掛けている事を理解している為、どうにかそこから距離を置こうと考えていた。
だが、劉亮の思惑とは裏腹に、彼の陣営は袁袁対立に突入していく事になる。
原因は曹操と劉備にあった。
おまけ:
朝廷にろくでもない奴しか居らんと言いつつ、公孫瓚は長安の元董卓系朝廷寄りだったりします。
まあ劉虞と対立しているし、北平太守も董卓が任じたものだし、そうなってます。




