長安を出る
劉亮の前世の歴史の話である。
中国において「大躍進政策」というものがあった。
その中で指導者は
「産業の基盤は鉄であるから、鉄の生産量を増やす」
とぶち上げた。
しかし鉄鉱石は不足している。
製鉄所も新たに立ち上げられない。
しかし鉄生産量のノルマだけは発生している。
こうして素人の政府関係者が、建物に使われた建材や、時には線路を剥がして、原始的な炉を使って「鉄」を生産し、その作られた量を上に報告してノルマ達成とする事になる。
大量のくず鉄を作り、その度に数字上ではない、実質の国力を低下させながら。
董卓の新五銖銭鋳造はこれに似ている。
董卓は益州牧の劉焉からも愛想を尽かされていた。
銅産地で、官営の造幣局とも言える機関がある益州から銅が入らない以上、現在保有している銅を増やす以外に手が無い。
そこで貨幣鋳造には素人の董卓の部下たちが、官吏を無理矢理働かせて、洛陽や長安の銅製品等を鋳潰して銭を造り出す。
結果、粗悪な銭が大量に出回る。
銅銭の枚数的には目標は達成された。
しかし銅銭の信用は完全に崩壊し、経済は混乱する。
大商人が困る事に対し、董卓は痛痒を全く感じていない。
董卓は基本、大商人たちを信用していないし、霊帝の悪政に手を貸した者たちだから処刑して当然と思っている。
だが、部下たちに渡す俸給の価値が低下した事は痛い。
董卓は新五銖銭を使用するように命じるが、市場では既に物々交換が主流になり始めていた。
董卓は部下たちへの恩賞に、現物を使うようになる。
一方で自分の威厳を示す為の飾り立てに、金銀を集めるようになった。
「董太師がお呼びである。
参られよ」
劉亮は軟禁を解かれ、董卓が新たに築いた郿塢城塞に呼び出された。
ここに入ると、捕虜たちが舌を抜かれ、目を抉られ、大鍋で煮殺されている。
董卓たちは、その悲鳴を肴に酒を飲んでいた。
(相当に病んで来たなあ……)
劉亮はそう思いつつ歩を進める。
董卓の顔を見るに、相当に浮腫んでいた。
酒を飲み、美食を繰り返す一方で、最近は馬にも乗らなくなった。
太くなった指を向けながら
「騎都尉・劉亮、これへ寄れ」
と命じる。
そして
「儂はお前が言った事の半分も理解出来なかった。
だが、今は多少分かるようになった。
結局こんな風に、儂は金銀を宝として置いておる。
そこで、だ。
もう一回お前の理屈を聞かせろ」
とか言って来る。
劉亮は以前言った事を、更に簡単にして説明する。
董卓は
「やはり信用というのが、今一つ分からん。
儂の、董卓の名では十分では無いのか?」
と尋ねる。
(十分な訳無いだろ。
自分でも自分の信用が無いって知ってたから、名士や皇族を重視してその信用を使おうとして無かったか?)
と内心毒づくも、身の安全の為に口にしない。
「金属加工に優れた者なれば、粗悪な銭を勝手に作り、そこに太師の刻印を偽造すれば、それだけで公式な通貨になりましょう。
だから、野に居るような者では偽造困難な銭を造る必要があったのですが……」
(よく考えたら、俺の知る精工な通貨は、この時代どころか、前世ですら造れない国がほとんどだったよな)
と思い、言い淀んでしまう。
硬貨の側面にギザギザを掘るのはよくあるものだが、それを斜めに刻むとか、見る角度によって文字が浮かび出るような変態加工技術を持つ国なんてまず存在しない。
劉亮の内心はそうなのだが、董卓は言い淀んだ理由を伺い知る事は出来ず
「……が、何だ?
何を言いたい?」
と催促して来る。
劉亮はちょっと精神的に不安定な董卓を刺激しないように
「私はしばらく邸宅で怠けておりましたゆえ、太師の政治の本当の部分を見ておりません。
私が正しいとは、まだ言えないのです。
一度自分の目でしっかり見て来たいのですが」
と回答。
「ふん、お前はやっぱり変わった奴だ。
普通こういう事になれば、己の正しさを声高々に言うものであろう。
まあ良い。
しっかり見て来るが良い」
董卓はそう答えると、手を振って下がるよう指示した。
そして劉亮には聞こえない声で
「命拾いしたな」
と呟いていた。
劉亮は前回と違って体が衰えていない為、市場を歩き回ったりして民衆の様子を観察する。
兄の劉備程ではないが、劉亮もまた廷臣たちには不信感を持っていた。
自分好みで無いものは全面否定する。
是々非々で物を見る事が出来ない。
だから朝廷で話を聞いたら、董卓の悪口しか耳に入らないだろう。
そして市井で調べて分かった事は、
「暴政とか言われているのに、貧しい民からの搾取や徴発はされていない」
「困っているのは大金持ちだけ」
「貧民は元々、偽造を含む悪銭を使っていた。
霊帝時の徴税に対抗する為、自分たちで罪を承知で私鋳銭を作って数を誤魔化していた」
「銅銭の価値が無くなった事で、借金もまた消滅している。
董卓五銖銭は董卓が通用を命じているから、これで払われたら高利貸しは表立って文句を言えない」
どうやら民は、董卓に感謝こそしていないが、憎んでもいないようだ。
蔡邕という男が居る。
この男、董卓に面と向かって批判をするし、諫言数知れない。
しかし董卓はこの男の気骨を愛し、才能を愛して決して危害を加えていない。
他にも、一度殺そうとしても、周囲が説得してそこに理が有ると見れば踏み止まる。
(董卓の精神状態は良くない。
しかし、頭脳は劣化していない。
何をしたら良いか分からないと迷走するが、判断出来る部分では相変わらず明晰だ)
劉亮は董卓をそう分析した。
低い身分の出で、北方で遊牧民を相手にして来た董卓は、基本的に貧民の味方ではある。
あの祭祀を問題視して皆殺しにした村以外に、民に対しては暴政を敷いていない。
彼が残虐になるのは、反董卓連合軍及びその他反乱戦力の捕虜だったり、宮廷に仕える者たちに対してのみだ。
劉亮は再び董卓と面会する。
人払いを頼み、護衛の者に自分の刀を渡して無防備となる。
そして劉亮が見て来た市場の様子を話し、
「太師の五銖銭増加策は、困った事ばかりでは無かったのです。
民は自分たちを縛る銭の価値が無くなった事に、喜んでいたりもします」
と述べた。
つまらなそうに聞いていた董卓の傍に近寄り、声を潜めながら
「しかし、これは狙ってやった事ではありませんよね?
結果としてそうなっただけ。
それでも一度はこうする必要が有ったのかもしれません。
だから次にどうしたら良いか、それを探しておいでじゃないですか?」
と尋ねてみた。
董卓は顔を近づけた劉亮の横っ面をぶん殴ると
「正解だ。
他の廷臣に聞かれないよう人を遠ざけ、声を潜めたのも正しい。
ただお前の、儂を分かったかのような態度だけが気に食わん」
と返す。
その後、ニヤリと笑いながら
「それで、策は?」
と問う。
董卓は自分の政治が認められず方針を見失い、裏切りにより疑心暗鬼に陥り、それらの不安から贅沢・暴飲暴食・嗜虐趣味に走ってはいるが、それでも柔軟な部分は残っていた。
部下に策を出させ、有効と見たら実行させる。
それで実際、反董卓連合軍には痛手を与えていた。
例えば、連合軍の盟主・袁紹の拠点の背後に位置する公孫瓚や劉虞に官位や爵位を贈って味方にする。
例えば連合軍の内部に不和を招く流言を撒き、お互いに殺し合わせる。
こうした柔の手と、娘婿の牛輔と李傕・郭汜・張済による攻勢といった剛の手と組み合わせ、連合軍に対し優勢になっていた。
劉亮が問われた策は通貨政策である。
劉亮は
「金銀貨の鋳造」
と答えると董卓はすかさず
「足りん」
と返答。
「金銀は北方や西方との交易で手に入ります」
董卓もそれくらいは知っていた。
彼の故郷は涼州隴西郡で、羌族と交わって生活していたのだから。
「お前は知っているのか?
銀はともかく、金は柔らかいから銭には向いていないのだぞ」
金は柔らかく、傷つきやすい。
大事に扱う美術品なら兎も角、頻繁に使われる貨幣には向いていない。
だから北方では、重さで価値が決まる砂金という形で貨幣代わりになっていた。
贅沢品を見て来た董卓は、金のそういう性質を知っている。
それに対する劉亮の回答は
「銅と混ぜ合わせて鋳造すれば、貨幣として変形しにくいものになります」
というものであった。
金貨を通用させている国では、銀や銅との合金を作って、それで硬貨にするのは当たり前の事だ。
その点、歴史上金貨をほとんど作っていない中国は、やや理解が弱かったのかもしれない。
西洋では「錬金術」と言って金を作り出したかったのに対し、中国では「錬丹術」、仙薬を作る方に化学が進んだりしている。
董卓は金単体ではなく、少量でも銅を混ぜる事で価値が高まる事に気づいた。
「なるほど、そうであれば金も銭として十分な硬さになるかもしれんな。
だが、それには技術者が必要だな?」
「御意」
「それをどうする?」
「益州から連れて来ましょう。
銅供出にも劉焉は反抗しています。
銭鋳造の技術者と言っても、同様に出し渋りましょう。
ですから劉焉が警戒しない、別の名目で」
「分かった。
一旦下がれ」
こうしたやり取りの後、しばらく劉亮は呼び出しを受けなかった。
董卓なりに熟考したのだろう。
やがて方針を決めた董卓は劉亮を呼び出し
「劉焉に官位と爵位を贈る。
お前はその使者となれ。
そして銅銭に関わる者を、有無を言わさず連れて来い。
手段すら問わぬ」
と命じる。
手段を問わぬというのは、拉致してでも連れて来いという、事実上の命令だ。
劉亮は拝命すると、そのまま自宅に戻った。
「いざという時は、自分の才覚で長安を脱出しろ。
烏桓の大人の娘である貴女には、それを期待して大丈夫だと思っている」
自宅で劉亮は白凰姫に語りかける。
「それでは?」
姫も察したようだ。
「私は蜀に行く事になった。
だが私は長安を出たら、そのまま戻って来ない。
貴女は隙を見て北に走り、舅殿に保護されるが良い」
劉亮は董卓から離れるには今しか無いと考えた。
人間的には、まだ嫌いになっていない。
しかし、先の歴史を知っている劉亮は、董卓と仲良くしていれば暗殺計画に巻き込まれる、逆らう行動を取れば董卓によって殺される、という判断をしている。
彼は暗殺する側からも、暗殺される側からも距離を置きたい。
この先の暗闘は、劉亮が未来知識を使っても生き残るのが困難な程に酷くなる。
こんな所で死ぬ事だけは、何が何でも避けねば。
まだ董卓が死ぬ時期ではない、そう思って傍に仕えていたが、それもここまでだ。
(近くで見ると、意外に良い奴だったな。
それを知れて満足だ。
だけど、あんたはこの先更に精神状態が悪くなっていく。
ここらが潮時だ。
悪いけど、俺は生き残りたいんでね)
劉亮は勅使の形式を整えて長安を出る。
董卓が付けた監視役はいるが、これまで裏切らずにいた劉亮に対しては、やや監視の目も緩やかになっていた。
劉亮はとりあえずは本当に蜀を目指す。
そこで劉焉の保護を受ければ、監視役も董卓も手を出せないだろう。
劉亮は、董卓が前漢復活を目指して遷した都・長安を後にした。
もうここに戻る事は無いのだ。
おまけ:
何顒「荀爽殿が亡くなられるとは、残念な事だ。
ところで、貴殿が同志に加えたいと言っていた劉亮という男はどうだ?」
荀攸「逃げられましたよ。
彼も董卓には先が無いと思ったのか、蜀に行きました」
鄭泰「字も汚く、志の低い男とも聞く。
董卓に反発する気骨だけあっても、董卓を討つ気概は無かったのではないか?」
种輯「まあその男無しでも、事は進めなければなるまい」
荀攸(おやおや、随分と劉亮殿の評価は低いなあ。
先日までは味方に入れれば、烏桓騎兵も手に入れられるとか言っていたのに。
まあ、会ったのが私だけだから、評判だけで判断すればそうなりますか)
この連中の董卓暗殺計画は、間もなく露見する。




