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転生したら劉備の弟だった  作者: ほうこうおんち
第四章:董卓時代の劉亮
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高唐県の危機

 中国の歴史書には二通りの記述法がある。

 紀伝体と編年体である。

 紀伝体は、帝王に「紀」、家臣や周辺の人物に「伝」を立てて、その人物にスポットを当てて纏めたものである。

 特定の人物の事績を追いやすい一方で、全体的な流れは追いづらい。

 編年体は言わば年表である。

 全体の流れを追える一方で、特定の人物や事件についての印象が希薄になってしまう。


 劉亮の中の人は、自分が紀伝体的な物の覚え方をしていた事に気づく。

 彼は「張純の乱の終結」「劉備が県尉の職を捨てて公孫瓚の下に逃亡」「霊帝の死」が全部同年だという意識が無かった。

 言われてみれば同じ年だと気付くのだが、いざ当事者となってしまえば、多忙もあって思い出せなかったのだ。


 大軍の黄巾軍に襲われた劉備は、劉亮の記憶の中の「公孫瓚の元に逃げた」劉備とは違う決断をする。

「よし、迎え撃つぞ!」


 劉亮の前世の記憶にある劉備は、この時多勢に無勢と県城を捨てた。

 自分たちに当てはめてみれば、前世の劉備は田野の戦いで一族のほぼ全てを失っていて、ほとんど裸同然で高唐県尉になったのである。

 上手い事役職にありついてはみたが、手元に軍勢無く、隣に関羽・張飛・簡雍・傅士仁くらいしか居ない、警察にはまだ良いが軍の隊長としては心許ない状態だったのだ。

 だがこの世界では違う。

 自分を始め、劉展・劉徳然がそれぞれに兵を率いて生き残っているし、自分には烏桓の騎兵まで従っていた。

 逃げる必要なんかどこにもない。


「されど、この度の黄巾軍はかつての黄巾軍に非ず。

 上の悪政により食い詰めた者どもが、太平道を倣って黄巾を巻いたに過ぎない。

 何らかの信仰心に基づくものではない。

 先年まで張純の乱に加わっていた食い詰め者ども。

 退治するのは良いが、このままでは何度退治しても繰り返す事にならぬか?」

 ずっと客将的な立場の関羽が疑義を唱える。

 劉亮も言われるまで気づかなかった。

 というか、彼は張純の乱の最中はずっと、北方で公式には人質生活を送っていたから、民の様子とかは知らなかった。

 上に辛辣で下には慈悲深い関羽は、これから倒すべき相手を見て、上が変わらない限り何もならないと看破したのだった。


 関羽の意見を聞いて劉備は

「よし、じゃあ俺の配下にしよう!

 あいつらだって生活が出来たら、黄色い頭巾を巻く生活からおさらば出来る」

 劉備の器のデカさと、他方思いつきで話す悪い癖の両方が出ていた。

(確かに元黄巾軍を取り込むのは他の群雄もやっていた。

 曹操なんかもそれで青州兵っていう精鋭を抱えたわけだし)

 思わず過去形で感慨しているが、この世界では未来の話である。

 だが、この紀伝体的記憶がここでは功を奏した。

(そうか!

 曹操の真似をすれば良いんだ!)

 曹操の真似とは「屯田制」。

 数万の大軍ではあるが、それは家族も連れての人数。

 彼等は家族を食わせる為に人間イナゴとしてあちこち移動している。

 だから、定住地を与えて家族に安心した生活をさせられる見返りに、健康な壮丁を兵士として得られたら、劉備軍の勢力は各段に上昇する。

(また歴史が変わるなあ……)

 既に自分たちが生きている事で、劉備は彼の記憶とは違う行動をしている。

 何も策を出さずに敗れるがままに任せれば、結局劉備は公孫瓚の元に逃れて歴史は同じ流れに収束していくだろう。

 それを考慮しつつも、ブラック企業で培ってしまった生真面目な精神が顔を覗かせて語る。

「ただ抱え込んでも皆が飢えるだけです。

 ここは彼等に土地を与え、屯田させては如何でしょう」


 屯田という言葉に皆が首を傾げる。

 汚い字ながらも漢字で示すと、知識人の張飛が

「それは武帝がなされた軍屯の事か」

 と理解し、兵役に就きながら普段は農作業をして食糧を確保するものだと説明してくれた。

「軍屯は西域等の辺境の為の方策。

 しかしこれを漢土の中でするとは、言われてみないと思いつかない」

「まあこれだけ上に荒された漢土は、寧ろ西域や朔方(オルドス)よりも戦地のようなものだからな」

 張飛が感心し、関羽が皮肉を言う。

「しかし、軍屯をさせるにも何かと費用が必要じゃ。

 玄徳、そこはどうする?」

 劉徳然の疑問に劉備は

「お前の親父さんから借りる」

 とあっさり答えた為、徳然は頭を抱えていた。


「ですが、我々の言う事を聞きますかね?

 最早あの者どもは、城を襲って中の物を食い漁らねばどうにもなりますまい」

 もうそれ以外考えられなくなっていて、門を開いたと同時に襲って来るゾンビのようなものだと劉展が述べる。

 まあ一戦して強い所を見せないと、頼りない主君には誰も着いて来ない。

「そういう事なら、わしが行って来よう。

 民を救う為に強さを見せる事に躊躇いはない」

 関羽がそう言ったが、

「いや、関さんは俺と一緒に居てくれ。

 あんたの話には皆が耳を貸すだろう。

 民を思う心ってのは伝わるからなあ」

 と劉備が止めた。

「叔朗」

「はい」

「お前の烏桓兵を使ってくれ。

 馬を煽って怯えさせ、黄巾軍の周りを回らせてくれ。

 必要なら矢を射て構わん。

 やれるか?」

「無理」

 劉備の依頼を秒で断る劉亮。

 思わずガクっとする劉備だが、劉亮だって遊牧民じゃないんだから、そんな芸当は出来ない。

 だから

「うちの奥さん、軍というか部族の統率が出来るし、妻の従者というか執事が腕と頭が良いから、それに任せたい」

 と提案。

 野蛮な烏桓に全てを任せたら危ない……という声も漏れたが、劉備は

「分かった、叔朗に任せる」

 とあっさりしたもの。


 こうして正面攻撃を張飛が受け止める一方で、烏桓族の白凰姫と執事の楼煩が指揮する騎馬隊が相手を混乱させる作戦が決まった。

 なお楼煩というのは、異民族の将の通称みたいなものだ。

 無論、漢の高祖劉邦に仕えた異民族の将の名から取っている。

 楼煩族は既に壊滅しているが、その名前だけは使い回していた。

 なお、本名はカタカナ発音でも結構長くて聞き取れなかった。


 策は成功した。

 城壁から防御戦を指揮する張飛。

 頃合いを見て烏桓騎兵が黄巾軍の後方を襲う。

 ホウホウと異民族ならではの馬を煽る声を上げながら、集団の中に突っ込んでは退き、荷物に向かって鏑矢を射かけたり、敵対する者には馬で体当たりしたりと、黄巾軍をかき回した。

 すっかり気を削がれて逃げ腰になる黄巾軍の前に、劉備と関羽が姿を現す。

 そして関羽が城壁の上から大声で

「お前たちの辛さは承知している。

 もう矛を置け!

 さすれば、お前たちが安住出来る土地を与えると、劉将軍は仰せである!」

 そう叫んだ。


 その声が奥まで届くと、一瞬の静寂の後でざわめきが起こる。

 また関羽が叫ぶ。

「今、我等に降れば、農地を与え三年の間は税も取らん!

 お前たちは我等が守る。

 逆らうなら、このまま馬蹄にかける。

 如何に?」


 黄巾軍は関羽が言った通り、食い詰めた農民の成れの果てだった。

 特に誰かに統率されていなかったようで、各所バラバラに投降を申し出て来た。

 劉備は彼等に笑顔を向けながら受け入れる。

 よく見ると、劉備の遥か後ろの方では

「三年無税とか、嘘だろ……。

 我が家の財産、どれだけ食い潰す気だよ……」

 と劉徳然が頭を抱えていた。

(安心しろ、きっと劉備は張世平や蘇双といった豪商にもたかるつもりだから)


 張世平と蘇双は青州の馬商人である。

 豪商と言って良い。

 彼等にしたら、青州の治安が守れるなら、屯田兵の為の出費くらい安いものだろう。


 こうして張純の乱の後始末の一つ、乱に参加した後に黄巾軍となった者たちの処遇をしている所に、董卓が掌握した朝廷からの呼び出し命令が届いたのである。


「なんで私が?」

「……そんな風に思ってるのは、お前だけだぞ、叔朗」

 自己評価が低い劉亮に劉備がツッコミを入れる。

 劉亮が当たり前とか、やらないと寝覚めが悪いとかでやって来た事は、見る人が見れば中々の業績なのである。

 董卓に対してした引継ぎ資料の作成とか、行軍している軍を地図に書き起こして現在位置を計算する能力とか、異民族を懐柔して族長の娘を妻に迎える交渉力とか、その為の下準備を欠かさない事とか、論語で政治をする者や賄賂で地位を得る者には分からないが、実務能力について理解出来る者からしたら垂涎の実力なのである。

 劉亮の自己評価が低いのは、こういった事を面と向かって褒められていない事と、字の汚さや儒学に対する暗記能力の低さから、どちらかというと馬鹿にされる事が多かったからだ。

 褒められたのは、劉備が督郵を殴りつけたのを曲解した「あの兄弟は清流派に近い、反宦官派だ」という事であり、劉亮の実務能力はほんの一部しか評価をしていない。


 ついでのように、劉亮の兄である劉備には、正式に高唐県の県令の印綬が送られて来た。

 これで難民を屯田兵にする事を、県令の権限で堂々と出来るようになる。

 更に遅ればせながら、劉亮と劉徳然が洛陽に居た頃の袁紹サロンの仲間から、今回の政変の詳細が書かれた手紙が届き、事情を理解する。

 朝廷の命令と言いながら、実際は董卓の命令であったか。

 得心がいった。

 かつて洛陽で郎になった時、推挙者は董卓と曹操だと聞かされている。

 どうやら気に入られているようだ。

(なら仕方ないか。

 それにしても、張純の乱の終わりと、霊帝崩御及び董卓の台頭が同じ年だったとは……。

 気づいていたら、それなりに心の準備も出来ていたのになあ……)

 董卓から贈られた刀に自分の顔を映しながら、劉亮は己れの記憶の曖昧さを呪う。

 編年体で後漢末期の歴史を認識していなかった、紀伝体で事績をポイントで覚えていた弊害であろう。


 劉亮は妻及び彼に従う烏桓兵たちと洛陽に赴く事を決める。

 その際、劉備に釘を刺す事も忘れない。

「難民を引き受けたんだから、もう自暴自棄になって印綬を投げ捨てて辞職とかしないように!

 あと、兄者は細かい仕事は苦手なんだから、得意な人に任せましょう。

 元起の叔父上とかに頼めば、事務仕事得意な人を送って貰えると思いますから。

 あと、今は老母の為に幽州に居られる田豫殿を、礼を尽くして招いて下さい。

 こちらに来られずとも、幽州でそういった仕事をして貰えば良いでしょう。

 くれぐれも、責任を持った行動をして下さいね!」

「だーいじょうぶ!

 まーかせて!」

(その台詞を聞くと、不安しか無いわ!

 その台詞を口癖にしてる人、ろくな事しないから……)


 平時はポンコツな兄を残し、一抹の不安を持ちながら、もっと不安が積み重なる洛陽に劉亮は旅立って行った。

おまけ:

最初、白鵬さんいるから執事はドルジにするつもりでした。

しかしドルジ(モンゴル語で「最強」)はチベット仏教由来だそうで、多分後漢時代は使われていない単語。

なのでやめて、烏桓族も鮮卑族も名前は漢名で記述します。

(匈奴に至っては劉⚪︎とか漢名使ってますしね)

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― 新着の感想 ―
[一言] 鳥坂さん…こんなところで県令してたんですか?! …一体今頃何しているんでしょうね? もう定年退職しているでしょうから。
[一言] 公孫瓚との縁が薄くなるとあとで趙雲が加入しづらくなるかも
[良い点] >「だーいじょうぶ!  まーかせて!」 [一言] 鳥坂先輩か内海課長か どちらにしても下は 苦労しますね
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