張純の乱の終焉
劉亮が丘力居に告げた予言は的中する。
朝廷は劉虞を幽州牧に任命した。
州牧は刺史の別名であり、古くは大して違いはなかった。
しかし、今回の改称ではその権限に大きな違いを持つ。
刺史が基本的には郡太守に対する巡察官、乱が起きた時も行政指導しか出来ないのに対し、州牧は強制権を持つ。
刺史が太守や県令に出兵を要請する立場なら、州牧は動員をかけられる。
その州に関する限り、政治上の命令権を持つ。
もっとも、州牧と同様に郡太守も皇帝から任命される、同じ俸給の同格な存在である為、州牧の命令に理由をつけて従おうとしない太守も出るのだが。
劉虞が幽州牧になるまでの間、張純の乱の黒幕の一人、烏桓族の丘力居と戦っていた公孫瓚も、州牧に逆らう者であった。
烏桓に限らず、遊牧民は集団ごとに勝手に行動する。
全体方針として大人の丘力居が「漢土から略奪しても良い」としていて、劉備たちに対しては「身内になったから」と攻撃を控えるだけで、あとは勝手に略奪や人民の拉致をしながら幽州に居座っている。
公孫瓚はそういった集団の何個かを撃破し、長城の外に打って出て、援軍を送られずに包囲されてまた仲間を失うという経験をしていた。
この時に生き残った面々を騎馬隊長に任命し、隊長たちには白馬を与えた。
白馬に乗り、公孫瓚と「義によって結ばれている面々」これが所謂「白馬義従」である。
公孫瓚は「白馬将軍」として烏桓族や鮮卑族から恐れられるようになった。
そんな武名を高めていた公孫瓚からしたら、北方民族は自分の武力で叩き潰せるもの。
それなのに後から来た劉虞に、戦わない事で功績を持っていかれるのはたまったものではない。
劉虞の方針は
「漢は徳をもって北方民族に接する」
「漢を立ててくれるなら、彼等を対等な存在として扱う」
「国境の市場を再開し、交易によって共存共栄を図る」
「飢饉になった場合、漢は北方民族に食糧支援する」
「法と秩序さえ守れば、北方民族は長城の内側で生活して良い」
というものであった。
烏桓の丘力居や、以前漢土を荒していた鮮卑の檀石槐は
「漢なにするものぞ、我々だって対等の存在である」
という意識を持っていたが、一方で漢が豊かで強大な事も知っている。
「漢が普通に接してくれて、交易で生活が成り立つなら、それに従っても良い」
という計算もしていた。
漢が本気を出して戦った場合、かつての匈奴のように大打撃を受けて現在の地から逃げ出す羽目に陥るだろう。
烏桓・鮮卑の共通の祖である東胡族が敵わなかった匈奴は、漢に打ち破られた後に分裂し、現在は南匈奴が漢と交流しながら生きている。
烏桓・鮮卑は北匈奴を撃破したが、その後の北匈奴の行方は知れない。
どうも遥か西に逃走し、今ではフン族と言っているとかいないとか。
潮時だと考えた丘力居は、張純との同盟を破棄して劉虞に従う。
やはり公孫瓚は面白くない。
劉亮の中の人も詳しくは覚えていないが、彼の前世の歴史ではここで「丘力居が劉虞に送った降伏の使者を、公孫瓚が待ち伏せして捕らえ妨害した」のである。
だがこの時代ではそうならない。
公孫瓚が劉虞の宥和政策に従う理由が存在する。
同門の劉亮が形式上は烏桓の捕虜になっているのだ。
これが単なる捕虜なら、公孫瓚は同門だろうと無視して攻撃を主張しただろう。
だが劉亮は、烏桓の主力を北に引き上げさせて張純の乱の鎮圧を相当に楽にし、公孫瓚の主力となった騎馬隊の元となる馬を敵である烏桓から調達し、更に自らを人質にする事で拉致されていた幽州の民を解放させる功績を上げている。
更に劉亮の兄、劉備も青州で功績を挙げた。
劉備は公孫瓚を「伯珪兄」と慕っているから、このまま手下として扱いたい。
それには彼の弟を見捨てるのは愚策だろう。
劉虞の「烏桓に和議の使者を送る」という事に、色々計算した上で公孫瓚は反対しなかった。
「どうやら婿殿の言った通りになったな」
丘力居は使者訪問を受けて、劉亮にそう話しかけた。
「使者が言うには、君の解放も和議の条件に入っている。
儂としてはこのまま残って欲しいが、帰るんだろ?」
「はい、漢……というより兄の元に帰りたいのです」
「兄か……。
前に会ったあの得体の知れない男だろ?
あの耳と両手が長い異相の者。
どう見ても力を持たぬ小者、派手好きで軽薄な男だが、話してみると気前の良さと共に、馬鹿の底が見えなかった。
儂とて見極めが出来なかった」
「はい、その兄です」
「ふむ……。
まあ良い。
儂は劉虞殿が刺史、いや州牧だったか、になるまで引き留めると言った。
その約束を違えるわけにはいかん。
お前は儂の親族なのだからな」
「ありがとうございます」
「では行くが良い」
「はっ。
白凰姫にも支度をさせた後、義父殿に挨拶をしに参ります」
「……うん、娘も連れて行くんだよな?」
「そうですが、何か?」
「いや、漢人は便宜上我々と縁を結んでも、不要になれば捨てるかと思っていたんでな。
別にそういう事自体普通だから、気にはしないが」
遊牧民の社会で、女性は共有物という意識がある。
略奪婚も普通だし、勢力が強ければ複数の女性を侍らせる所謂「オルドの女性」を作るのだが、一旦弱まれば彼女たちは奪われていく。
気に入らなくなった女性を下げ渡す、酷い場合は奴隷の妻にする、なんて事もある。
まあこれは漢土でも見られる光景だが。
そんな古代中国とも遊牧民社会とも違う世界で育った劉亮の中の人は
「娶ったんだから、双方合意で別れるのでなければ、一緒に住むのが筋でしょ」
なんて言ってのけて、末娘がやっぱり可愛い丘力居を喜ばせる。
劉亮の前世では、長い間家庭を放置せざるを得ない状態で、それが妻や娘と自分の間に断崖絶壁とも言える溝を作ったのだ。
まあ前世における赴任先に彼女たちも一緒に来ていれば良かったが
「先進国でないなら絶対行かない」
と拒否された以上仕方がない。
白凰姫は遊牧民の出だから、移動する事に躊躇は無い。
草原や山岳と言った慣れ親しんだ世界から離れるが、行く先は当時の先進国・漢である。
来てくれと言われた白凰姫は大喜びで、劉亮を抱きしめた。
見事なまでのベアハッグとなり、劉亮は悲鳴すら上げられずに苦しむのだが、それを丘力居は愛おしそうに眺めている。
なお丘力居には多数の娘が居て、多くを政略結婚で様々な部族や里に送っているが、その中でも末っ子は一番可愛いようだ。
遊牧民の価値観で、図体が大きく骨格が立派な女性は素晴らしい。
良い女に育ったと思ったが、その婿も漢人にして置くのが勿体ない人物である。
こうして劉亮は漢服に着替え、丘力居がプレゼントした百騎程の壮丁と、数十人の男女の奴婢と共に兄の元に戻って行った。
劉亮解放と、丘力居が劉虞に帰順した事で張純の運命は決まった。
公孫瓚の妨害が無かった事で、若干早く事態が推移している。
張純と張挙は絶望し、烏桓ではなく鮮卑に亡命していった。
こうして中平五年(188年)の末には乱は終結した。
亡命した張純たちだが、冬場に長城を超えて北まで追撃をするとは公孫瓚すら言わず、放置となる。
劉虞に面会した劉亮は、丘力居の普段の生活や烏桓族の欲する物について報告し、その後に
「今回の私の成果は、全て孟益様、公孫瓚殿が交渉を許可して頂いた事にあります。
是非とも朝廷にはお二方の功績を奏上して、相応の恩賞が得られるようにして下さい。
また、烏桓族において公孫瓚殿は『白馬将軍』と言われ、恐れられています。
その武名も朝廷はお喜びになりましょう」
と頼み込んだ。
「分かった。
しかし、君は謙虚だな。
自分の功として誇っても良いだろうに。
やはり公孫瓚が同門だから気を遣っているのか?」
(むしろ、貴方の為に気を遣ってるんですがね。
貴方に功績を全て奪われると疑い、貴方と公孫瓚は対立関係になるんだから)
そう思いつつ、劉虞には「そのようなものです」と曖昧に返しておいた。
公孫瓚にも会い、烏桓が怯える「白馬将軍」の勇名について伝えると、彼は大喜びする。
出自の関係で公孫氏の中の立場が悪い公孫瓚だけに、内外に轟く勇名というものは嬉しい。
だから彼は、劉亮が連れて来た烏桓族の男女についても、特に咎めたりはしなかった。
まあ公孫瓚配下にも、降伏した烏桓族の兵が居たりするし、対烏桓強硬論と烏桓族個々への感情は別物なのかもしれない。
そして青州高唐県。
戦時任命だが、ここに劉備が警備隊長たる県尉の立場で駐屯していた。
劉備の元に戻った劉亮を、劉備はガシっと抱きしめ
「よく戻った!
旗の贈り物、とても有難かったぞ」
と口にする。
そして周囲がざわめく中、劉亮が勝手に妻とした白凰姫の方に歩み寄ると
「弟をよろしくお願い申す。
なにせ真面目なのが取り柄な弟だから、貴女もきっと大切にするでしょう。
どうか支えてやって欲しい」
と礼を尽くして話す。
その後に劉亮の方を向くと
「叔朗、よくこんな良い女を捕まえた。
真面目で奥手なお前にしたら、よくやったぞ!
なあ、皆の者!」
と叫ぶ。
劉展や劉徳然が
「でも、化け物じゃん」
「見た目がどうも……男と言っても……」
と小声で呟いていると
「見た目が何だって?
素晴らしい美人じゃないか!
叔朗の嫁を悪く言うんじゃないよ」
と、これまた大声で窘める。
本人はまだ若干の漢語しか理解出来ないが、奴婢でもあり通訳でもある者から劉備の発言を聞かされた白凰姫は、それはそれは嬉しそうな笑顔になっていた。
美醜以外の価値観が第一ではあっても、美人と言われたら大概喜ぶだろう。
(この辺、本当に大器だよなあ、劉備は)
劉亮の中の人は、今回も舌を巻く。
劉備が本心から異民族の大女を美人と思っているかは分からない。
だが、演技しているようには全く見えない。
劉展や劉徳然は
「玄徳兄もゲテモノ好みか?」
「玄徳の考えている事は分からん」
と首を傾げているし、本心は全く分からない。
それでも白凰姫を美人と褒め讃え、彼女たちの居場所を確立したのである。
改めて折角転生し、運命を変えて生き残ったのだから、推しの劉備を支えようと決意する劉亮だったが、その思い通りにならないのが運命であった。
むしろ彼には、劉備から引き離される運命が待ち構えている……。
張純は結局、鮮卑の地で部下の王政に裏切られて殺される。
これが中平六年(189年)三月の事。
この僅か一ヶ月後、霊帝崩御という大事件が起こるのであった。
劉亮の運命が色々と変わり始める。
おまけ:
とりあえず主人公生き残りました。
この人のこれまでで最大のミッションをクリアしました。
なので、本来なら抜け殻みたくなってもおかしくないですし、ここで「彼はこの先、歴史に干渉せず、死にそうな場面は未来知識で回避しつつ、蜀漢成立を見届けたのである」と最終回にしても良かったです。
が、とりあえず書きたいネタがあるので話を続けます。
人生最大のミッションクリアしちゃったので、この先劉亮さん迷走しちゃいますが、こういう事情なので生暖かく見守ってやって下さい。
そうでなくても、劉備その他に振り回される人生なので。
(生き残ったから、劉備の元を離れて世捨て人になれば話は早いのですが、それやったら曹操が、隠れ家に押し掛けて家に火を点け、無理矢理外に出してまで登用しに来ちゃいますから)
……つーか自分、基本的に状況に振り回される主人公、もしくは如何なる状況でもビッテン突破する蛮族系主人公書くのが好きだなぁ……。




