if 変わらなかった運命
北の地で劉亮は烏桓族たちの信用を勝ち取っていた。
彼の前世では「郷に入っては郷に従え」という諺があった。
それを遵守する人間だった劉亮は、北の地では胡服を着て、生肉を食らっている。
腰には例の、董卓から貰った羌族の刀。
やはり烏桓族からすれば、普通の漢人とは違っているのだ。
まあ劉亮の中の人からすれば
(その地に住む人間の生活スタイルに合わせれば良い。
布地の漢服よりも、この北の地では毛皮の方が合っている。
ビタミンも生肉で摂取するし、地元の人間の生活に合わせずに拘りを見せれば、かえって病気になる)
という功利的な考えがあっての事なのだが、まあ良い具合に誤解してくれているし、これはこれで良いだろう。
誰かが「鳳凰は凰が雌だ」という事を知った為、劉亮の妻の白鵬姫は白凰姫に改める事になる。
その巨体の白凰姫と劉亮は寝床を共にしている。
女を抱くというより、母親に抱っこされているような感じになっているが、まあちゃんと夫婦はしていた。
……時々抱っこが鯖折りになるから危険だったりするが。
その白凰姫の横で、劉亮は夢を見ていた。
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その夢は、自分も含む劉氏の多くが、田野の戦いに参加し、戦死した所から始まる。
劉亮はどこか高い所から、劉亮叔朗という人物の肉体が動かなくなっているのを見下ろしていた。
劉亮の骸から少し離れた所で、劉徳然が多数の矢でハリネズミのようになって倒れていた。
また少し離れた場所で、多数の刀傷を受けた劉展が仰向けで倒れている。
恐らく迫り来る敵に立ちはだかり、前にのみ傷を受けて死んだのだろう。
背中に傷は無いっぽいし、手にはまだ矛が握られていた。
そんな中、蠢く死体がある。
いや死体ではない、それは劉備であった。
劉備は死んだふりをしてやり過ごしていたのだ。
辺りに敵兵が居ない事を確認すると、甲冑を脱ぎ、農民に偽装してその場から逃げ出していく。
顔に土まで塗って、変装は抜かりない。
(市場に出入りして、庶民のフリをするのは得意だったからなぁ)
テレビでも観ているかのような視線で、劉備の後を追い掛けている劉亮。
やがて劉備は、農民の姿で青州張純軍の中に潜り込む。
そして何気ない行動を採りながら、彼等の次の行動を探り出した。
人の中に溶け込む事が得意な劉備ならではの技術だろう。
こうして敵軍の内情を知った劉備は、そのまま刺史の元に駆け込んだ。
情報を得た青州軍は、張純軍の行動を先読みして、これを撃破した。
この功績で劉備は高唐県の尉に任じられた。
この田野での敗戦は、劉備から故郷を奪ってしまう。
いつもの劉備なら、適当な時期に
「俺は地方の小役人のガラではない」
と辞職して故郷に戻っていた。
だが今回はそれをしない。
いや、出来ないのだ。
「昔、項羽が八千人の仲間と旗揚げしたが、敗れて誰一人故郷に戻れなくなった時、
『例え彼等の父母が許してくれたとしても、どの面下げて会えば良いのか』
と言って帰郷を拒否、その場で討ち死にしたと言う。
俺も全く同じ気分だ。
皆を死なせてしまった俺が、一族の者に顔を見せる事は、未来永劫出来ないだろう」
そう独り言をブツブツ言っている。
実際、後継ぎたる子弟を失った幽州劉氏は、老人ばかりとなって集団としての力を完全に無くしてしまった。
劉徳然を失った父の劉元起は、肉体は生きていても、精神が死んでしまっている。
脈絡も無くハラハラと涙を流したり、近くに居る子供に
「嗚呼、徳然や、此処に居たのか」
と言って連れ出そうとしたり、血を吐くまで酒を飲み続けたりと、異常行動が目立つ。
かつて劉備を盧植に弟子入りさせたり、洛陽留学を支援してくれた有力者の姿はもう無かった。
劉元起だけでなく、他の劉氏もそこまではいかずとも、豪族としては没落していく。
劉備の母親は、一族の中でただ一人、劉備だけが生き残った事を申し訳なく感じて、家屋から出て来なくなってしまった。
劉備は故郷からも一族からも切り離された。
自分から切り離したと言った方が良いかもしれない。
彼は幽州涿郡涿県には二度を足を向ける事なく、この後のキャリアを積み重ねていく。
自らを後漢の臨邑侯の末裔ではなく、前漢中山靖王の末裔と言い出したのも、迷惑を掛けた一族から自らを切り離した思いからだろうか。
そんな劉備の心の拠り所は、敗戦後に生存が確認された関羽と張飛である。
「こうなってしまった以上、貴殿を捨てて離れる事を潔しとは出来ぬ」
「諦めずに手柄に繋がる功績を立てたのは立派」
関羽と張飛が慰めているが、言われれば言われる程、惨めな気分になっていくようだ。
ずっとそれを見せずにいたものの、とある日ついに泣いてしまった。
「俺の失敗のせいで親戚を皆失ってしまった。
天下の為、民の為だ、身内の事なんて犠牲にして当然だろう。
俺もそれは分かっているから、表には出さないんだ。
だけど、俺自身としては悔しいんだ、寂しいんだ、辛いんだ。
俺は天下も救うけど、家族も守りたいんだ」
天からこの光景を見ている劉亮は、前世の記憶から
(どの口がそんな事を言っている?)
と思う。
あれは後年起こるであろう長坂の戦いの事。
劉備は趙雲が救い出した我が子を
「我が大事な家臣を危険に晒しおって。
お前の命で賄えると思ったか!」
と投げ捨てていた。
劉備は我が子であっても、家臣より下に扱っていなかったか?
(あれ? でもそれは「演義」だけの逸話だったかな?)
劉亮の中の人は、正史も読んでいるし、他の史料も読んでいたが、それでも「三国志演義」に色々毒されている事に改めて気づかされる。
それはさておき。
劉備が自身の不幸について愚痴を漏らしたのはこの時が最後、関羽と張飛だけであり、幼馴染で母方の親族の簡雍にすらしなかった。
関羽と張飛はこれにて特別な紐帯感のようなものを劉備に抱き、いつしか彼等は「兄」「弟」と呼び合う関係になる。
それ以降は彼等三人だけが方針について相談する間柄で、組織が大きくなり軍師を必要とするまで、この仲間内以外入り込めない関係性のまま歩み続ける。
時に、先が良く見える士人が陣営に加わる事もあるが、劉備は基本的に口ばかりの知識人嫌い、関羽は士大夫嫌いが態度に出まくる為、彼等は離れて行く。
諸葛亮という人材を手に入れるまで、劉備たちは知識人人脈と無縁な人生を辿る事になる。
そして身内を全て失った劉備は、以降は仲間を兎に角大事にする。
依存しているかのように、仲間を大切にする。
パフォーマンスかどうかは分からないが、仲間への信頼は、後に出来た家族に対するものより篤かった。
もしかしたら、自分のせいで後継ぎを全滅させてしまった親族への負い目で、自分だけ家族を大事に出来なかったのかもしれない。
だが家族よりも大事に扱われた者たちは、劉備に対して絶対の忠誠を誓うようになる。
それが身内を全て失った劉備の変化なのか、処世術なのか、外からは分からない……。
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時空を超えた視点での夢から覚めた劉亮は、隣で寝ている嫁を起こさないよう、寝床から抜け出して水を飲む。
夢で見た劉備は、故郷から自らを切り離した。
いたたまれない、顔向け出来ない気持ちは分かる。
しかし故郷や身内のバックアップが無い根無草となった劉備は、以降かなり軽い扱いをされるようになる。
宗族劉氏の一員であり、県令を出した豪族の子にも関わらず、名も無き傭兵隊長と同じ待遇だ。
むしろそこから這い上がるバイタリティに尊敬すべきものを感じるが、劉亮の中の人は
(もっと有利なスタート地点に立てたのではないか?)
と思ったりした。
周囲に一族が居らず、豪族としての部曲も無く、地縁も無い流れ者の劉氏は、単なる姓が「劉」なだけの庶民に過ぎない。
まして劉備は、盧植門下以外に士大夫層との縁も無い。
その盧植門下たちも、公孫瓚をはじめとして幽州や冀州で暮らしている。
身一つに近い状態で青州から徐州、豫州、荊州と転身し続けた劉備は、地縁・人脈・官職を有する他陣営より出遅れて当然だ。
これは張飛にも言える事で、家庭教師をつけられるくらいの家柄であったにも関わらず、劉備と共に放浪した後の彼は、士大夫たちから
「野人とは交際したくない」
なんて言われたりする。
野人は「野蛮で礼儀も知らない者」というよりは、在野の人という意味合いで、更に砕いた表現だと「土百姓、家柄無き者」という方の侮蔑である。
これは知識人や名士と呼ばれる人たちと交流したい張飛には悔しい事だったろう。
関羽はそういう連中が嫌いだからどうでも良いようだが。
……根無草となった劉備、野人扱いの張飛、知識人や名士を屁とも思わない関羽を、その才能だけでまともに評価したのは敵となる曹操なのが皮肉である。
(自分はこうして生き残った。
親族で豪族としての幽州劉氏も健在。
劉備が故郷を捨てる必要も無くなる。
親族を無くした劉備が、家族以上に大事にする仲間内だけの閉鎖的集団となって結束を強める一方、有為な人材が逃げ出す事も無くなるかもしれない。
新しい歴史が始まるのかもしれない)
そう思った劉亮だが、思い直して首を振る。
(俺は夢なんかを前提に何を考えてるんだ。
あれは俺の妄想だろうが。
劉備の心情なんて、劉備以外が分かるわけない。
違ってたらどうするんだ。
確かにある時期までの劉備陣営は排他的な感じはするが、士大夫級が逃げ出したのは、地位が一定していない主君の下では生活出来ないという不安からだろうし。
そして何より、俺にこれ以上歴史を変えるなんて、大それた事が出来るわけ無いだろ。
自分を過大評価し過ぎだ。
死ぬ運命を変えられた、それだけで上出来過ぎる。
それ以上は高望みだし、そんな知謀も無い。
生き残りたいから運命を変えたのはギリ許されても、自分好みの展開にしたいとかは、歴史に対する冒涜だ。
生き残ったから、この先も死なないよう行動するに留めよう。
俺はその程度の器なんだから)
転生前の劉亮は、五十歳手前のくたびれたサラリーマンだった。
若い時にはあったギラギラした野心は、もう削ぎ落とされ、能力の限界を知って仕舞い込んだりして、ゼロに近くなっていた。
枯れたオッさんが中の人である為、歴史改変は妄想だけに留めよう。
それはさておき、
「親族、何より実の弟の自分は生き残ったけど、
それはそれとして『桃園の誓い』はあって欲しい!
あの三人は義兄弟であるべき。
『生まれた場所は違えども、死ぬ時は同じ場所、同じ時間を望むものなり』
ってのがロマンだよな!」
と思う、やっぱり「三国志演義」に毒されている劉亮の中の人。
変えられた運命を喜び、後は慎ましく生きようと大それた事を思う劉亮に対し、歴史は「変えた責任」を取らせるかのように、未知の運命を歩ませる事になるのであった。
この小説自体「もしも劉備を支える親族がいたら」って話なので、
「もしも史実通りに推移したら」という話は翌日に持ち越す意味が無いと思い、同日アップにしました。
あと白鵬から白凰への改名ですが、ずっと横綱の名前使ってるとネタキャラから抜けられないからです。
名前の由来を明らかにし、どんな体型、顔なのか容易に想像出来るようになったので十分です。
……にしても、白凰姫出したら連載始めて以来最多のコメント数。
さては皆さん、⚪︎⚪︎専ですな?




