黄巾の乱の終結
董卓の元を離れた劉亮は、劉備の後を追う。
劉備は鄒靖の指揮下で戦っていた。
鄒靖は校尉である。
将軍の次の階級で、順に校尉、軍司馬、軍候、屯長となる。
言わば連隊長、大隊長、中隊長、小隊長というのと同じ指揮官序列であった。
「将校」というのは、将軍と校尉という序列から来ている。
連隊長級の校尉の鄒靖だが、どこかの将軍に属してはいない。
独立連隊のようなもので、遊撃部隊として転戦していた。
これは劉備にとっては幸いである。
彼の軍は、正規軍の指揮も任されて二千程になっているが、基本攻めに強く守りに弱い。
数十万の兵が動くこの黄巾の乱において、二千は少なくは無いが、大軍では決してない。
守って使うには少な過ぎ、遊撃に使うのが最適と言えた。
まして劉備の軍は馬が多い。
馬商人をスポンサーにしている為、騎馬の比率が高かった。
だからこそ、今どこに居るのか、劉亮には分からず困っていた。
そこで戦っていたと聞いても、到着した時には既に移動している。
先読みしなければならないが、劉亮は鄒靖に会った事が無い為、何を考えているのか読めない。
困り果てている劉亮に、声を掛ける者が有った。
「劉叔朗殿ですな」
「おお、田豫殿!
一体どうしてここに?」
「劉将軍が、そろそろ弟が追いついて来る頃だから、迎えに行ってくれ、と言われましてね。
私も豪傑というガラではないので、戦場に居なくてもまあ問題ありませんからな」
この場合の将軍は、単なる呼び方であって階級ではない。
酒店の店長を「大将」と呼ぶようなものだが、それよりは敬意が籠っている。
田豫は幽州漁陽郡の人である。
劉備の義兵に、最初から加わっていた。
涿郡涿県の人ではないから、同郷集団の中で割と浮いていたのだが、劉備と劉亮はこの人にも気を遣って、軍の重要な仕事を任せていた。
それは記録。
劉備は余り記録を重要視していなかったが、劉亮が思いっ切り頼み込んだ。
「私が出来れば良いのだが、私の字は私もたまに読めん!
張飛殿は字が上手いが、やる気が全く無い。
貴殿にしか頼めないのだ!」
(自分も読めない字って、どういう事だよ……)
田豫は劉亮の言ってる事が分からなかったが、暫く付き合ってみて理解出来た。
劉亮は
「弘法筆を選ばずとか言うが、俺は筆そのものを選ばない」
とか訳分からない事を言いつつ、不要な箸の先に墨を着けて文字を書いていた。
どうも毛筆で竹簡に字を書くと、ぐちゃぐちゃになるようだ。
紙に箸で作った硬筆で書くなら、癖字だがまだ読める。
座って書いてこれだから、戦場で走り書きしたら読めた形にならないのだ。
こうして書記をして貰った田豫から、これまでの鄒靖隊の移動経路を見せて貰う。
「という事は、次はここだな」
劉亮は、時系列で野営地を結んでベクトルにし、進行方向にあって黄巾賊の拠点である場所をピックアップし、予測を立てたのである。
劉亮は軍事的な知識は薄いが、こういう計算というか予測は得意であった。
アフリカとか中央アジアで、気まぐれな部族に振り回された経験が生きている。
……約束通りの時間に約束通りの場所まで来ない事なんて頻繁、こちらから迎えに行ったりしたのだから。
なお、これだけでも十分凄い能力ではある。
数学を義務教育で習っているから、移動可能距離の計算とか、コンパスを作って予想円の作成とか、統計を用いてどれくらいの頻度で休息を取るとか進路を変えるという予測が軽く出来る。
劉亮の中の人は、その凄さに気づいていない。
この時代でも一流の将軍とか軍師とかなら出来る事ではあるが、軍歴が全く無い劉亮がサクっと出来る事を周囲は驚愕の目で見ているのだが……。
この時代での特殊能力を披露しつつ、彼にとっては当たり前の事だから自慢もせずに先に向かう劉亮を
(変わった人だ)
と田豫は眺めていた。
関羽や張飛というのも、弱小地方豪族の部隊には不似合いな豪傑であるが、この劉亮という人も大概とんでもない人だと田豫は見ている。
劉備たちは推挙もされてないし、名声も無いから低く見られているが、ちょっと目端が利く者なら田豫と同じように、この集団の異常性に気づくだろう。
異能持ちだと、田豫の他に董卓等からも思われている劉亮だが、乗馬は上手くなかった。
まあ移動に使う程度はこなせるが、騎兵としては使えない。
……この時代、まだ鐙が無いから、中の人の前世の技術は使い物にならないからだ。
どうにか足で馬腹を締める乗り方で、鄒靖軍の宿営地に辿り着いた。
「兄者、お久しぶりです」
「おお叔朗、よく無事で戻った」
「田豫殿を迎えに出して頂いたからです」
「田豫にも感謝する。
よく弟を連れて来てくれた」
「いえいえ、劉亮殿がこの場所を即座に見抜いてくれましたからです」
劉備が二人を出迎える。
田豫から聞いてはいたが、劉備軍は随分と逞しさを増していた。
独立連隊のような鄒靖の部隊は、公孫瓚を副将として幽州の兵を中心に、幽州及び青州の黄巾軍を攻撃していた。
こういう遊撃部隊は、更に手足のように動かせる別動隊が居た方が便利である。
仮に包囲されても、外に居る部隊と連携すればどうにか出来る。
その為、実戦経験が増える程に別動隊となる劉備軍は活躍をしていった。
鄒靖と公孫瓚が正面から当たり、馬が多い劉備軍は相手の背後に回る。
背後から襲われた黄巾軍は、雑軍の悲しさ、すぐに崩れてしまい鄒靖軍の手柄は立て放題であった。
こうして連戦した後、幽州にある最後の黄巾軍の拠点を落とす戦いの前に、劉亮が合流したのである。
まあ交渉役が最適な劉亮が加わっても、部隊の何かが変わる訳ではない。
劉亮は傍観者のような立ち位置で、兄の戦いを観察する。
鄒靖が劉備を上手く使っているのと同じように、劉備は関羽と張飛を左右の手のように上手く使いこなす。
劉備の一部隊長としてのスキルは、まさに開花しようとしていた。
迂回をした劉備軍から、更に長駆敵陣の奥まで回り込む関羽と、背後からの攻撃で相手を崩す張飛。
(まああの二人が居れば、こうなるかな)
そう思うくらい、大体完成されていた。
そして幽州での最後の戦いが始まる。
小なりとはいえ、城を落とす戦いだったから十日余りかかったが、同じ幽州人同士の戦争に嫌気が差した黄巾軍が、頭巾を投げ捨てて降伏をした。
残った強硬派、中には盗賊等のならず者の類が含まれていたが、それらが打って出て野戦となる。
これは鄒靖の本隊が迎え撃ち、左右の劉備軍、公孫瓚軍に何もさせずに本隊だけで勝利を収めた。
こうして鄒靖軍は勝利の祝杯を挙げたのだが、そこに朗報がもたらされる。
「皇甫嵩将軍が、広宗を落とした!」
「首謀者の一人、人公将軍張梁を討ち取った模様」
「総大将である教祖・張角は既に死亡していたって話だ」
劉備たちはこの戦いの後は、再度冀州に向かう予定であったが、どうやら無くなりそうである。
故に野外ではあるが宴席は大いに盛り上がっていた。
「叔朗、やったぞ!
これで故郷に帰れる!」
劉徳然が笑い泣きしながら絡んで来た。
相当に酔っている。
自分が将の器で無い事を思い知ってから、ひたすら父から預けられた部曲の統率だけに専念して来たが、それだけでもストレスは結構なものだったろう。
(一戦、二戦なら兎も角、長期に渡ると兵たちも飽きて来るし、略奪に走ったり、関係ない村を襲い、女性に乱暴しようとする。
そういう犯罪を防ぐ、犯罪をした者を裁く、当然部下からは煙たがられる。
それでいて引き続きその部隊を統率する。
苦労したんだろうな、今までそういう経験無しだったんだし)
正直、劉備以外の涿郡劉氏の人間は凡人だ。
もし非凡なものがあったなら、劉亮の中の人が覚えている前世で、歴史に名が残っていた筈である。
とある史料にだけ存在していた劉亮を含む劉備の親戚衆は、ある戦いで全滅している。
所詮それだけの者なのだ。
歴史に名を残す活躍を出来るのは、ほんの一握りの人間。
だから今回が初の軍事行動である劉徳然が、涿郡劉家の部曲を統率したのは、かなり頑張ったと言えよう。
「まだ戦いは全部終わっていないにせよ、先が見えた!
恩賞が楽しみだ!」
劉展がお気楽な事を言っている。
こいつも酒を飲んで上機嫌だ。
劉展は劉備の傍にくっついてボディーガードをしていたが、必要な場面では少数の部隊を率いて敵に突進を行う役割であった。
劉備に言われるままに行動していたから、彼のストレスは少ない。
やっと終わると肩の荷を下ろす劉徳然と違って、劉展は薔薇色の未来を夢見ているようだ。
(まあ、そうはならないだろう)
前世の記憶から、劉亮はこれが終わりではなく、色んな事の始まりである事を知っている。
黄巾の乱が終わっても、漢は政治を改めない。
劉備が予想したように、反乱が各地で起こるようになる。
この黄巾の乱で活躍した者たちが、そうした反乱や、弱った漢に対する異民族の侵入を撃退する役を負い、次第に群雄として成長していく。
だがそれ以上に、涿郡劉氏の人間には過酷な運命が待ち構えている。
劉備は紆余曲折あるが、この次のステージである反乱頻発期に、兵を率いる立場で参上する。
そして劉家の人間は皆……。
(俺は、もう二度と死にたくない。
あんなのは嫌だ。
この黄巾の乱までは、死なないって分かっていたから、色々動いてもみた。
だが、この先は死ぬ運命が待っている。
それを変えよう。
俺は今度こそ、老衰して家族に看取られながら死ぬって決めたんだ)
劉亮の中の人に、歴史を変える恐怖が無いと言えば嘘になる。
自分が生き延びて劉備を引き続き助ける事になれば、自分が知る歴史からは変わってしまうだろう。
だが歴史を変える恐怖は、今まで見て来た「自分が知らない後漢時代」の様子から
(これ、既に違う歴史になっていないか?
だったら変えてしまっても問題無いのでは?)
と、自分が何かのバイアスに引き摺られているかもしれないと自覚しつつも、歴史改変への罪の意識を乗り越えつつあった。
(単に俺が真の後漢時代末期を知らなかっただけ。
本当の関羽や張飛の人間性を知らなかっただけかもしれない。
今までの自分の経験だけで、歴史を変えて良いと思うのは勘違いの賜物じゃないか?)
そう思う自分もいる。
いずれにせよ、ある時期に決断しなければならない。
(それでも、俺は生きる選択をする)
劉亮は、目の前の戦場での勝利と、黄巾の乱の終わりが見えたという祝宴の中、一人そんな事を考えていたのである。
おまけ:田豫さん初登場させました。
他の方の小説で田豫主人公のがあるので、こっちでは重要人物となるも、深掘りはしませんので。
おまけの2:度々出して来た劉亮の字の汚さの解決法。
毛筆や削刀でなければ良いのです。
硬筆に墨をつけて書く万年筆方式ならなんとかなります。
紙はまだ高級品で、竹簡には書き込みにくいですが、布とか木の板なら書けますな。
でもまあ、まともな士大夫扱いにはなりませんが。
(文房具の話、ずっと後に話で書きます。
今はまだ劉亮さん、改革とか出来る立場にないので)




