劉亮と董卓
「儂の部下になれ!」
董卓は劉亮にそう告げた。
こういう展開になるとは思っていなかったが、劉亮の中の人には同じ経験がある。
かつて独裁国家でビジネスをした際に
「お前、日本なんか捨てて俺の部下にならんか?」
と言われた事がある。
非常に優秀だから、というより「ちょっと優秀で面白そう」という程度で誘っているから、この場合言い方さえ間違えなければ大した怒りは買わない事も覚えている。
「将軍、私は既に兄に仕えていますので、お受け出来ません」
この手の人には曖昧に答えず、ハッキリ返事をした方が良いのも確かである。
グズグズ言うと、逆に悪感情を持たれかねない。
「そうか」
董卓はやはりあっさりと引いた。
そして
「お前の兄はどんな男だ?
儂より良いのか?」
と聞いて来る。
ここも言葉は慎重に選ぶ必要がある。
「世評では将軍が上でしょう。
ただ、私には兄が良いのです」
「本当に儂より、その兄の方が良いと言うのか?」
少々怒気を孕んで来たので、こう返す。
「私は将軍の人となりを知りませんので。
知らない人の評価は出来ません。
だから知っている中で、兄が一番良いのです」
「そうだな。
先日会ったばかりで、儂の事を語られても不遜だ。
世間では、人材鑑定人なんて者の評を気にして、実際に会う前から良いだの悪いだの言う奴が多い。
儂はそういうのが腹立たしくてならん。
お前はそういう他人の評価なんてのより、自分の目を信じておる。
実に結構な事だ」
嬉しそうな董卓。
そして
「陣に居る間に、儂の事をよく見ていけば良かろう。
儂の事はそれで語るが良い。
それで、儂の方もお前やお前の兄の事を詳しくは知らん。
お前はこれからじっくり観ておく。
で、お前の兄はどんな男だ?
この目で観たいが、もう居ないのだろう?
それだけで判断はせぬから、教えろ」
と言って来た。
劉亮は劉備について語る。
派手好き、見栄っ張り、遊び人、勉強には不真面目。
だが割と物事の本質をよく見ているし、洛陽の腐敗を見ても野心は捨てない強靭さもある。
「何より、そんなダメな人間なのに、人が付いて来る所が面白いのです。
私もそこに魅了されていまして」
能力ベタ褒めだと相手が気分悪くする。
実際劉備は、平時はダメ人間なのだから、そう伝えれば相手は怒らないだろう。
だが董卓、いや、その周囲は予想外の反応をした。
「まるで将軍の若い時のようですな」
年配の側近の発言に董卓は
「若い時の事を他人の前で言うでない」
と渋い表情になっている。
だがその側近、というか後で聞いたら兄の董擢だそうだ、は話を続けた。
「将軍は若い時、随分とカッコつけでしてなあ。
我々は派手な服装で練り歩く様に、気を揉んだものです。
ですが、その派手さが胡族には大いにウケたようでして。
羌族とか匈奴とかの地を放浪し、里というか集落を訪れては顔役と馴染みになっていきましてね。
後日、その顔役たちが訪ねて来ると、家財の牛を肉にして振る舞ったものですよ」
ニコニコしながら話されている横で、董卓はそっぽを向いている。
(さしずめ「認めたくないものだな、若さゆえの過ちというやつを」って気分かな?)
オッサンのコモンセンスな台詞で、劉亮の中の人は董卓の心中を思いやった。
そして、確かに劉備と似ているとも思う。
豪快で、派手で、人との関わりを好み、気前が良い。
更に遊牧民からの人望があるという事は、義侠心みたいなのも有るのだろう。
「どうですか?
貴方の兄上と似てるのなら、やはり将軍に仕えませんか?
貴方の兄上ごとで良いですよ。
塞外の民と対等に付き合えるような者は、我々の方が歓迎です」
「いやぁ……」
「やめよ!」
やり取りに董卓が口を出す。
「既に一度断られた。
此度もきっと断られるだろう。
そして、また何かの際に儂に仕えよと言う事もあろう。
三度言って、三度断られたら、儂はこいつを切らねばならん。
それは惜しい事だ。
だから、今はもう言うな」
そう言って、この場を去って行った。
(まさか、「三顧の礼」ってそういう意味もあるのか?)
劉亮は背中に寒いものを感じた。
確かに目上の者が三回も頼んだのに、全部断ると面目丸潰れになる。
恥に敏感な人間なら、相手を殺す事も有り得る。
(確か、三顧の礼のあの人も、三回目に行った時に昼寝をしていたから、張飛が激怒して廬に火を点けるとか言ってたような。
まあ「三国志演義」の中の話だし、こっちの世界の張飛を見ていると、そんな蛮人ムーブはしなさそうだけど……。
いや、関羽の方がヤバいかもしれないな)
そんな董卓とのやり取りもあり、劉亮の中の人は、この陣中を興味深く観察出来ていた。
本当に、希代の悪人には見えない。
威厳を見せつける為の尊大な振る舞いはあれど、基本どんな民族にも平等に接する。
……要は、羌族に接するように漢人にも接しているのだが。
決して漢人に接するように羌族に接する訳ではない。
自分を一段高い位置に置いた上でだが、胡風の食事や振る舞いをする事を気にしない。
(もしかしたら、董卓は劉備の「何かあった未来」の姿なのかも)
そういう風にも思えるくらい、大きな器と拘りの無さを見る事もある。
そして、やはりこの男も「漢朝」や「儒」には思う所があるようだ。
やがて引継ぎ作業が終わる。
元々下っ端の劉亮は、盧植の戦略の全てを聞かされていた訳ではない。
そこの記述は大した時間を要さなかった。
董卓は、誰がどこの陣地を何人で守っていたか、誰がどこでどんな敵とどう戦ったのか、といった情報を求める。
首脳陣は総交代したが、部隊長級では残った者の方が多い為、そことの突き合わせも発生した。
文字を読めない軍人や兵士も多い為、聞き取りを行うが、こういう時には劉亮の将の名前や地名についての記憶力が役立った。
引継ぎ資料を読んだ董卓は改めて
「盧植の策は使わん」
と告げる。
涼しい表情の劉亮に董卓の方から聞いて来た。
「お前はそれで良いのか?
盧植の策を引き継がせたかったのではないのか?」
劉亮にしたら、引継ぎもしていないのが気持ち悪かったに過ぎない。
仕様を変えるにしても、一から始めるのでなく、前任の作業を引き継いで行う場合は、資料を見ながら「どんな理由があってこうしたのか」を知る必要がある。
だから「引継ぎ資料」を出しただけで、引き継ぐ為の指示書を書いた覚えはない。
(どうせ、盧植の戦略は引き継げないだろう)
それは董卓が盧植を軽視しているからではない。
朝廷が盧植の行動を消極的とした以上、後任の董卓が同じ事は出来ない。
時期を見て、総攻撃を行わざるを得ないだろう。
要は短期決戦。
だからこそ、盧植の戦略は否定しても、陣地跡とかは流用したい。
それ故に時間が無い中、劉亮の「引継ぎ」を受け容れ、どちらかと言うと陣地情報なんかを重点的に聞き出したのだ。
要は
「私は引き継ぎもせずに去るのが気持ち悪かった。
将軍は引き継ぎ資料から、有用な部分があるか読めればそれで良かった。
単なる豪族の倅や、一片の資料に行動を決められる程、持節・東中郎将の役は軽くないでしょう」
という事で、その旨を董卓に話すと、彼は満足そうに笑う。
「そうだ。
それで良い。
全てを決めるのは儂で、これは材料に過ぎん。
よろしい、下れ」
そう言われて劉亮は董卓の元を辞したが、その後で側近(実はこれも董卓の親族)が追いかけて来て、刀を褒美として渡した。
胡風の曲刀であった。
かなり董卓に気に入られたようだが、これが吉と出るか凶と出るか……。
その後であるが、董卓はどうやら運が悪かったと言える。
朝廷の方針で「強襲」と決まっていたが、劉亮の資料から知った「敵を可能な限り一か所に集める」盧植の策が、この場合は裏目に出てしまう。
城に籠る、追い詰められて狂信的になって来た大軍に、さしもの董卓の強兵たちも苦戦を強いられる。
そして、これも劉亮の資料にあった「地公将軍張宝は外に在り、人公将軍張梁は行方不明」という情報。
この「公将軍張宝は外に在り」という情報通り、董卓軍は包囲中の背後から張宝軍の襲撃を食らった。
更に広宗からは張梁が打って出る。
こうして挟撃された董卓は敗北し、黄巾軍の合流を許す結果となった。
張宝軍は物資を持って入城した為、黄巾軍の命脈は少し伸びたと言える。
朝廷は強襲を命じた自分たちの責任は無しとし、失敗した董卓を罷免する。
まさに後方では、人事だけで戦争を行っていたのだ。
こうして包囲作戦の盧植、強襲の董卓を相次いで罷免した結果、次はどうしたら良いか分からなくなった。
大将軍何進は頭を悩ませ、結局
「兗州に居る皇甫嵩に、早急に冀州の黄巾賊本拠地を叩かせよ」
という、使える奴の使い回しに決まってしまった。
「馬鹿どもが、後任が到着していない内から大将を罷免しおった。
想像以上に無能な連中だ」
これは時間差こそあるが、董卓、牢内の盧植、劉備、公孫瓚、その他多くの群雄が口調の違いこそあれ、一様に呟いたセリフである。
処罰されて離任する事になった董卓だが、彼は劉亮が纏めた資料は置いて行く事に決める。
「盧植の戦略は正しかったのだ。
誰が後任になるか、そいつが着任するまで誰が暫定的にここを守るかは知らん。
だが、これを読んでおけば、多少の無能でも無難に包囲を続ける事が出来る。
よっぽどの無能なら、これがあっても役に立たんがな。
まあお手内拝見といこう」
そう嘯いて、手勢を率いて陣を去って行った。
その後、広宗から打って出る黄巾軍を、陣に籠って撃退するという対症療法的戦術で凌いでいた後、ついに皇甫嵩が冀州に到着する。
陣に入った皇甫嵩は、引継ぎ資料の山を確認すると、包囲作戦の続行を命じた。
「盧植殿の方針は正しかった。
強襲せねば上が五月蝿いから、いずれはする。
それにしても、この資料は役に立つな。
引き継いでくれた董卓将軍も、不名誉なままで居させられぬ。
いずれは盧植殿、董卓殿の名誉を回復せねばな」
皇甫嵩は有り難い情報を熟読しながらそう言った。
……真に資料を作成した者、本人が他人に伝えなかった戦略を言葉にして残した者の名は、公式な記録に残る事は無かった。
おまけ:
この回は「対異民族戦争でも、後のアレでも、無茶苦茶に強い董卓がなんで黄巾の乱では解任されるような負けをしたのか」について、作者なりの解釈をしたものです。
対漢人では実はそれ程強くはなかったりしますが。
上から余計な縛りを掛けられたら、まあ大概の人は負けるわな、ってものでした。
(上からの縛りが酷い中で勝つ、紅茶好き魔術師とか、史実だと袁崇煥とか戚継光みたいなのって稀ですから)




