腐敗の都
劉亮として生まれ変わった日本人は、兄の事を思い返す。
「三国志演義」における兄・劉備玄徳とは、正しく聖人であった。
ちょっと気持ち悪くなるくらいの人格者とし描かれ、ただ一心に漢王朝復興の為に戦い、死んだ人物である。
一方、正史「三国志」では少し趣が異なる。
そこまで過剰な信義の人ではない。
歴戦の傭兵隊長であり、遊侠を好む人物でもある。
劉亮の記憶の中の兄は、やはり後者であった。
高名な儒学者・盧植はただの口舌の徒ではなく、実務にも長けていた為に地方反乱が起これば太守に任命されて鎮圧にあたっている。
盧植は清廉潔白な士であり、当然後漢王朝内で起きた一大政争・党錮の禁では士大夫階級が集った清流派である。
それ故に政争に勝った宦官たちからは疎まれているのだが、それでも彼を廬江太守に任じて会南夷の反乱鎮撫に充てている。
そんな有能な盧植先生の私塾に、劉備・劉亮兄弟は通っていたのだが、正直言って劉備は真面目な生徒では無かった。
派手な衣服を着て、公孫瓚や高誘といった地方の名士を「兄者」と呼んで交友を図る。
正直儒学とかはどうでも良く、現代風に言うならコネ形成の為に通ったようなものだ。
そんな兄の事を理解していたのだろう。
母親は、まだ逆行転生者だという意識が無い時点の劉亮にこう言っている。
「兄の分まで貴方が勉強するのですよ。
玄徳は当たれば大物ですが、外れたらただの破落戸になるでしょう。
叔朗、貴方は地道に勉強し、やがて孝廉に推挙され、官吏となりなさい。
志半ばで世を去った父上を引き継ぎ、祖父のようになるのは貴方の方です」
盧植は、来ても遊んでばかりで勉強をしない劉備という生徒をよく覚えていない。
というか彼が地方の太守を辞職し、故郷に私塾を作って学生を教えていた期間は僅か数ヶ月に過ぎなかった。
有能な盧植は、そのうるさ型の気質が疎まれているにも関わらず議郎に任じられ、故郷の私塾を閉じて都に戻る事になったのだ。
だから僅かな期間で、数千人とも言われる学生の事なんか一々覚えていない。
大体、生徒たちだって盧植の思う「志」を持って集まってなんかいない。
劉備と似たり寄ったりで、
「高名な儒学者に師事して人脈と名声を得て、それで就職に役立てよう」
と思っている者ばかりである。
真面目に儒学の勉強はしているが、それは現代日本で言えば就職の際の面接対策のようなものだ。
この時代、儒学的な受け答えが出来ないと官吏にはなれない。
「忠とは何か?」
と聞かれて「便所の紙にも劣るもの」なんて言ったら生涯官職には就けないだろう。
故に儒学を修めた者には、形式のみを学んだ者も多い。
綺麗事を並べたて、パフォーマンスをして名声を求める者も多い。
儒学は形骸化しつつあった。
それでもまだ、世にはまともな儒学の徒は残っていたりする。
だが時代は、儒学の徒に試練を与える。
宦官の専横を批判し、その反撃として「清流派」と自らを呼んだ者たちが弾圧された、世に言う「党錮の禁」。
これは都合二回あった。
最初の延熹九年(166年)のものは、清流派党人の逮捕や禁錮だけで済む。
しかし二度目の建寧元年(168年)のものは、外戚の竇武が誅殺され、清流派の政治家・陳蕃は逮捕されると獄中で殺されるという血腥いものとなった。
この清流派弾圧は、生温かった第一次党錮の禁とは違い、徹底的なものとなる。
宦官を批判する者は官職から追放され、場合によっては投獄された。
そして熹平五年(176年)頃に盧植は中央に戻るのだが、翌年、党錮の禁は更に酷いものとなる。
公職を追放される対象が、清流派党人の一族郎党にまで拡大されたのだ。
(都は、俺の前世で学んだ通りの有り様だなあ)
劉亮は溜息も出ない。
彼には前世の記憶があるのと、酸いも甘いも知った中年、そろそろ老人と言われるオッサンから逆行転生しただけあって、諦観して歴史を見ている。
だから建築物とか洛陽の文化とかを見つつも、政治に関しては
(まあ、こんなもんだよなあ)
と冷めた目で見ていた。
一方で兄の劉備の様子がおかしい。
幽州ではあれだけ不真面目で、塾には友人作りと遊びに行っていた感じだったのに、洛陽に来てからは盧植の書生として甲斐甲斐しく振る舞っている。
劉亮の目には
(儒学とか、形式的な学問をあれ程嫌っていたのに、真面目な書生っぽいのは似合わんなあ)
と思えていた。
その事を直接兄に聞いてみると、こう答える
「『子曰く……』とか、そういう字句なんてのはどうでも良い。
大事なのは師には礼を持って接する、親に孝を尽くす、朋友との義を重んじる、民に仁を持って接する、だろ。
それさえ分かれば、後は枝葉末節だ。
俺は師の為に尽くしているだけで、特に真面目になった訳ではないぞ」
劉亮は
(それは一理あるな。
形式的な学問を修めるより、儒学の思想を実践する方が重要と、21世紀に生きた自分はそう思う)
と、奔放でありつつも案外聡い兄の事を見直していた。
だが、一個疑問に思う。
仁・義・孝・礼を口にしたが「忠」が抜けているではないか。
「兄者、忠は?」
と問うてみる。
すると劉備は鼻で笑った。
「忠って、それ誰に対する忠なのかね?」
劉亮は驚いた。
なんか忠義について冷淡な感じである。
(自分が知ってる劉備玄徳という人は、無条件「漢帝国復興マシーン」だったような)
そこで再度彼は兄に聞いてみる。
「もしや、天子様とかに対し何か思う所がお有りでしょうか?」
劉亮は口に出してから後悔する。
こんな直接的な質問、まともに答える訳がないだろう。
実際に劉備は、曖昧な笑顔をして是とも非とも答えない。
代わりにこう話し出した。
「俺は先生の下働きのように動き回っている。
まあ俺は勉強は嫌いだから、太学には行けないだろうから、こういうのが合っている」
太学とは、前漢時代に董仲舒の献策によって武帝が設置した儒学の高等教育機関である。
ここの学生が「孝廉」で官吏として推挙される。
だが、宦官が政治の実権を握るようになると、宦官たちは太学に代わる鴻都門学という学校を設置した。
それ自体はまともな士大夫からは軽蔑されているから、清流派にとってどうでも良い。
そういう学校まで作って清流派を潰しにかかっている現在の在り方に、彼等は大いに不満を持っていたのだ。
そこで清流派でありながら有能さ故に官職にあり、五経の校訂や漢紀の編纂といった仕事もしている盧植を訪ねては、高慢ちきな理屈を捏ねながら泣き言を繰り返す。
集団でクダを巻いて、宦官を批判したって何も変わらないだろうに。
「そこで俺は聞いたよ。
宦官を倒せば政治は良くなるのか? と」
劉備は嘆息混じりに語を継ぐ。
答えは「是」であった。
宦官さえ取り除けば政治は正常化する、と。
では、そんな宦官どもを重用する皇帝の責任は?
すると劉備は詰られる。
皇帝の事を臣下がああだこうだ言うのは不忠である、と。
では皇帝その人を尊敬しているのか? 会った事はあるのか、と聞く。
推挙前の身で会った事はない、尊敬については口を濁す。
「俺には『天子様』という存在について崇めているが、天子様という一人の人間は崇めてはいないように見えたね」
(そうかもしれない)
兄の感想に、劉亮も同意する。
彼の後世の記憶によると、皇帝陛下への忠誠をという言葉の裏で、この時期の皇帝、後に「霊帝」と諡号される人物を個人的に尊敬しているという話に、とんと心当たりが無いのだ。
(もしかしてこの世界の劉備は、漢への忠誠心が無いのか?)
劉亮は疑問に思う。
その疑問は、劉備の次の言葉で曖昧になった。
「だが俺たちは末端なれども宗室に連なる者。
劉家というだけで、祖父は県令になれた。
天子様を否定する事は、俺たちの存在も否定する事だ。
だから俺は、何がどうなって、何に対する『忠』となるのか分からん。
分からんし答えも出ないから、もうそろそろ先生の元を辞して、郷里に帰ろうかと思っている。
ここに居たって月日の無駄だ。
先生の弟子って事で、推挙の一つでも貰えれば良かったけどな」
俗な事も言う劉備を意外に感じる劉亮。
彼の記憶の中の、「三国志演義」の劉備像がまたちょっと崩れた。
まだ彼は正史の方も知っていたから、ショックはそれ程大きくない。
(演義でしか劉備を知らない人が、こんな俗な言動を聞いたら愕然とするだろうな)
劉備は漢朝に絶望している気配がある。
霊帝という個人に対しても、それを曖昧にしながら形式論だけで語る清流派にも、もちろん宦官が跋扈する朝廷に対しても。
だが劉一族であるが故に、漢を否定する事は己をも否定する事に繋がる。
そのジレンマを解決出来ず、ちょっと自暴自棄になっている面が見えた。
劉備はふうっと一呼吸すると
「叔朗、弟のお前だからこんな話をした。
他人に余計な話はするなよ。
形式しか残っていない儒といえど、今の話をしたら俺は漢の地に身の置き所が無くなるからな」
そう釘を刺すと、遊びに行くと称してどこかに出て行ってしまった。
残された劉亮は、そろそろ洛陽で兄の世話を焼く生活も終わると思った為、一つ行動を起こす事にした。
兄は熹平五年(176年)当時十六歳である。
その六歳年上、あの男がまだ洛陽北部尉として活動していた。
今までは用も無いのに訪ねても、追い返される不安が有ったが、帰郷が近いならダメ元で当たってみよう。
転生前の彼は、交渉して人に会う事こそが仕事であり、時にはアポ無しで海外の部族の有力者を訪ねる事もあったのだ。
劉亮は思い切って、若き日の曹操と会ってみる事にした。
おまけ:
最初に書いておきます。
エンドは「俺たちの戦いはこれからだ」的なものにします。
途中打ち切りとかじゃないです。
その先を書く事も可能です。
書き溜めで30万文字に達して疲れたからでも無いです。
理由は最終回に書きます。
あと主人公が未来知識を使って
「関羽は孫権に殺される」
とか言った場合、作中でその事件は起こりません。
とりあえず書き溜めは十分で、予約投稿は毎日17時となります。
第一章の間は19時にもアップし1日2話投稿とします。
冬休みも1日2話アップします。
投稿前に手直ししたり、おまけを書き加えたりしてます。
さしあたり、作者が今日死んでも、最終回まで(手直し前のものが)自動投下されますのでご安心を(何を?)。
……完結保証どころか、完結してから投稿してますので。