表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら劉備の弟だった  作者: ほうこうおんち
第二章:黄巾の乱
17/112

盧植の戦略

 曹操なんかは儒学の負の面を指摘したが、儒学にはきちんとした正の面がある。

 人民を心服させる「徳」というものがそれだ。

 秩序を説くが、その上で支配者は戦乱を望まず、民に利するものを与え、民に害するものを押し付けないようにすべきとする。

 後漢において、しばしば漢民族以外の反乱が起きたりするが、これを鎮めた者は「徳」をもって行っていた。

 幽州刺史として劉亮を使った劉虞は、黄巾の乱が発生すると甘陵国の相に任命される。

 そこでよく民を慰撫し、その徳を讃えられている。

 劉虞は北方民族との付き合いでも、その徳に彼等が心腹しているのだから大したものだ。

 この戦場における総司令官・盧植もまた「徳」を賞賛されている人物である。

 過ぎる熹平四年(175年)に九江蛮が反乱を起こした。

 盧植は九江太守に任命されると、速やかに九江蛮を降伏させ、穏健にこの地を統治したのである。

 この辺り盧植は、劉備が嫌う口舌だけの儒者とは一線を画していた。


 盧植は黄巾の乱における反乱軍総大将にして、太平道の教祖・張角との戦いで、単なる力攻めをしないと決めている。

 犠牲を無視し、全力で張角を攻めたら、打ち破る事は出来るだろう。

 しかし張角は逃げ、民衆の中を泳ぎ回り、再び乱を起こす事も予想される。

 民が漢に心服していないなら、張角はいつまでも生き続けるだろう。

 たとえ死んでも、張角を名乗る第二、第三の存在が現れ、際限なく戦い続けねばならない。


「乱を鎮めるには、まず乱の元を正す事。

 次に乱に加担しようとする者を、漢の徳により感化する事。

 そして乱に既に加担した者の心を攻め、降伏させる事。

 全ての味方を剥いだ後に、張本人を攻めるべし」


 この方針の元、盧植は集って来た各地の兵力を上手く使い、分散して各地で暴れている黄巾賊を討伐していく。

 乱の元である政治の腐敗は正されていると言い難い。

 党錮の禁が解除されたのは良い事で、そこは評価出来る。

 戦場に居る盧植に中央はコントロール出来ないが、まずは士人たちが黄色い頭巾を巻くような事態は解消された。

 続いて義兵を募り、「徳」による感化とは程遠いが、「利」によって漢に不穏分子を繋ぎ留める事は出来たようだ。

 その上で、官軍に味方する士人や義兵を活躍させる。

 これは「乱に加わった者の心を折る」事とも連動する。

 同じような民衆軍を使い、民衆の蜂起という形も取る黄巾軍を打ちのめす。

 彼等黄巾軍に大義は無い、と義軍たちの存在によって語るのだ。

 そして、漢に不満を持って暴れたい者たちの鬱憤を、ここで晴らさせる意味もある。

 彼等が活躍しないと、恩賞を与える事も出来ない。

 盧植は儒者ではあるし、理想主義者でもあるが、こと軍事に関しては現実主義者でもある。

 激しい戦いをせずに敵味方を納得させる事は出来ない、そういう思考もあった。

 だから周辺の戦いは、あえて激しく戦わせていた。

 こうする事で、田畑を荒されそうな農民たちに対し

「漢は本気で領民を護る意思を持っている」

 と示す事にもなる。

 実際、この意図で戦っている義軍の一つ、劉備の元には救われた村とかからの義勇兵が相次いで加わっていった。

 幽州からの追加も加わり、劉備の兵力も千人を超える。

 兵力の増加を見た盧植は、劉備を公孫瓚の指揮下から外し、独自の部隊とした。

 動かせる将は多い方が良い。

 人数が少ない時は誰かの指揮下に入れるが、千人を超えて、しかも次第に戦い慣れした劉備軍は、自分がとりあえずとは言え兵法も教えた門下でもあるし、将として使おう。

 担当区域の上司として引き続き公孫瓚に管理を任せ、公孫瓚の面目も大事にする。

 どうせあの二人は兄弟のように仲が良いのだ。

 公孫瓚の担当において、劉備軍の自由行動を認め、困った時は相互に連携するようにさせた。

 これは他の義軍にも適用され、兵力の増加を将の成長によって部隊数増に繋げ、上手く広範囲をカバー出来るようにしたのだ。


「民の事も、我々のような者の事もよく考える、良い人物だ」

 気位が高く、士大夫嫌いな関羽でさえ、盧植の事を認めるようになっている。

 ただ、その関羽が懐いている劉備は、盧植の思惑からは少し外れた行動をしていた。

「黄巾の者よ。

 降れ!

 勝敗は決した。

 無駄に死なんでくれ。

 降伏が嫌なら、黄色い布を外して、元の村に戻ってくれ。

 荒されて帰れないなら、俺っちの陣に加わってくれ。

 戦えとは言わない、帰れるようになるまで俺が世話をする」

 こう言って、全部ではないが一部を投降させると、そいつらを居候として陣中に置くのである。


(大器らしい振る舞いだし、相手の戦力を減らす上では問題無いが、盧植の戦略には沿っていないなあ)

 劉亮は盧植の戦略を

「周囲の戦場で圧倒的に勝利し、逃げる黄巾軍を一ヶ所に纏める。

 各地に分散させないように、徐々に相手を集中させていく」

 と解釈していた。

 乱の一番面倒な事が、民衆の中に散らばってしまう事だ。

 あちこちで蜂起というのが、乱の理想形、鎮圧側の悪夢である。

 そうさせない為にも、農村の戦いで圧倒的に勝利し、黄巾軍に勝ち目は無いと農民たちに見せつけ、一方で決められた退路に向けて黄巾軍を逃してやる。

 そうして包囲網を狭めれば、一ヶ所に纏まった敵と相対する事になる。


 兵法の鉄則で、相手は兵力を集中させない、味方は兵力を分散しない、というのがある。

 盧植のやっている事は、兵法通りの策ではない。

 劉亮の中の人は、前世の歴史で似たような事例を知っている。


「大坂の陣……」

 それは周辺の砦を相次いで攻略し、その兵力を本城に押し込める事から始まった。

 外部に兵力が無く、味方も居ない。

 そして籠城となった城を、兵糧攻め、砲撃、地下掘削等あらゆる手段で攻め立てた。

 やがて耐えきれなくなった敵が和睦を申し込んだ為、これに応じる。

 大坂の陣は、冬の陣でここまで達成した後に、巨大な城郭の破壊を行い、丸裸になった城を夏の陣で再度攻めた。

 盧植の場合、徳をもって民を感化する事を戦略に組み込んでいる。

 だから、包囲が完成して行き場を失った敵を、あわよくば降伏させて終わりにするかもしれない。

 漢朝の目的は、乱に加担した数十万の農民の首を悉く斬る事ではなく、それらが良民として農地に戻る事にある。

 生産者である農民を減らして良い事なんて一つも無い。

 だから黄巾軍は一ヶ所に集中させ、その上でどうにかするのだろう。


(まあ、十中八九は兵糧攻めだな)

 兵を集中させる理由はそれしか考えられない。

 包囲された中で、敵兵は多ければ多い程、早く食糧を食いつくす。

 兵法は通り一辺倒な事しか知らない劉亮は、盧植の考えを全部は読んでいないが、自分ならそうするだろうとこの結論に至った。

 だから、敵の集中をさせない劉備は、盧植の戦略から外れているだけでなく、自軍の食糧を食うような奴等を抱え込む失態をしてはいないだろうか。


「叔朗、玄徳にお前から伝えてくれ。

 折角父上から送って貰っている物資を、こうも居候に分け与えられたんじゃたまらん。

 ましてや、あいつらは元々敵じゃないか。

 満腹になったら、我々の矛を奪って攻めて来ないとも限らんぞ」

 劉徳然が劉亮に苦情を言って来る。

 自分が将の器で無いと思い知った劉徳然は、公式の場では劉備を立てるようになった。

 だが親族という関係の近さのせいか、裏ではこうやって字での呼び捨てを止めないし、文句もガンガン言って来る。

 でもこの文句は一理ある。

 居候に食われているのは、幽州の民が育てた食糧なのだ。

 自軍の兵糧は盧植から支給されているが、居候の分までは面倒を見られない。

 だから劉備は、劉徳然の父・劉元起におねだりして色々と送って貰っているのだ。


「徳然、相分かった。

 私も兄には言いたい事がある。

 私から、余り敵兵の取り込みをしないように言っておこう」

「叔朗、頼むぞ。

 玄徳は確かに大器だが、物の消耗について鈍感でいけない。

 誰かに施せば、そいつらから尊敬はされる。

 だけど、その分だけ物は足りなくなるんだ!」

 至極もっとも。

 劉亮は劉備に対し、そのような事を話してみた。


「でもさあ、ここで俺の陣に留め置かないと、あいつら張角の元に行くだろう?

 そうすれば待っているのは、飢え死にか、味方殺しかになるだろうな。

 そんなの可哀想だよ。

 分かってて追い込む訳にはいかない」

「!?

 兄者、分かっていたのか?」

 劉亮は、劉備が盧植の戦略に気づいていないものと思っていた。

 表面上は単なるお人好しの将軍が、敵兵に寛大な措置をしているようにしか見えなかった。

 だが劉備は劉亮と同じように、盧植が敵を一ヶ所に集めた上で、兵糧攻めをすると見ていたのだ。

「盧植先生は、そうやって追い込んだ敵を降伏させるつもりだろうね。

 でもなあ、俺が黄巾(あっち)の人間なら、降伏なんかしないぞ。

 追い詰められたら、追い詰められただけトチ狂うのが人間だ。

 飢えて死にそうになっても、上は降伏を決断しないし、下は狂気に囚われる。

 そうなりゃ、中は酷い事になる……」

(島原の乱!)

 劉亮の中の人は、籠城戦でどんどん狂信的になった「史実」の宗教反乱を思い出した。

 中の人が日本人だから日本史から連想したが、中国史だって「方臘の乱」というのもある。

 別の小説では主役側豪傑が多数戦死する凄まじい戦いになった、結束が硬い宗教反乱だ。

「兄者はそこまで見抜いて……」

「勘違いすんなよ。

 盧植先生の作戦は見事だ。

 降伏が嫌なら、そこで飢え死にすりゃいいんだ。

 そんなの黄巾の奴らの選んだ道だよ。

 だけど、俺の目に入った奴にその道は選ばせねえ。

 首に縄掛けてでも、俺の下に置いてやる。

 それでも嫌だってんなら、ここで殺すよ。

 その方が幸せってもんだろ」

「…………」

 劉亮は何も反論出来ない。

 冷酷に作戦を遂行しろ、盧植の戦略に沿えと言えなくはないが、それをやったら劉備が劉備で無くなるような気がするのだ。

 そして横に居る関羽と張飛は

「劉備殿の申される通りだ」

「黄巾を巻いたとはいえ、苦しめられた民に変わりはない。

 民を助ける、漢を助ける気はない、その言葉を実践しているだけだ」

 と劉備を全面的に肯定していた。


 劉亮は劉備の説得を諦め、

「兄者がそこまで考えておいでなら、私もそれに従います。

 関羽、張飛両人とも同意見のようですしね」

 と言って引き下がった。


 その後ろから

「俺も玄徳兄に賛成だぞ!

 おーい、叔朗、無視すんな!」

 という劉展の声が聞こえるが、……まあこいつはどうでも良いや。

おまけ:

盧植の作戦は、状況から逆算した作者の勝手な解釈です。

普通に攻めても城攻めは難しいので、単純に苦戦していただけかもしれません。

まあ張角を捕捉した以上、逃がさないよう包囲網を敷き、時間掛けてでも確実に捕えるか殺しに来たのでしょう。

強襲掛けて城壁を突破しても、逃げられて人民の海の中から再起されたら元も子もないので。

首謀者は逃さず、その死を公開出来てやっと終わりとなります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ