蒼天已に死す
劉虞が幽州を去り、劉亮が刺史の役所を去って数年、後漢の政治は悪化の一途を辿っていた。
光和四年(西暦181年)、後漢の北方三州を荒していた鮮卑族の単于・檀石槐が四十五歳で死ぬ。
偉大なカリスマが失われれば、あっという間に勢力が霧散するのが騎馬民族である。
鮮卑の脅威は無くなった。
すると、劉亮が地慣らしし、劉虞が徳をもって行った北方民族政策もおざなりにされる。
閉鎖するのも面倒だから国境の市はそのままにされたが、鮮卑・烏桓・匈奴との交渉はされなくなり、以前の塞外民族を軽蔑するような態度に戻っていった。
劉備・劉亮兄弟は、「三国志演義」のような困窮した生活はしていない。
父が死去したとはいえ、豪族の子弟であり、一族からの支援もあった。
特に後見人たる劉元起は富裕層で、劉備兄弟に特に目を掛けてくれた。
その劉元起をきっかけに、劉備はいつの間にか隣の青州中山国の馬商人・張世平や蘇双とも親しく付き合うようになっている。
二人とも劉備を見て「これは大器だ」と惚れ込んだ。
(この辺、流石は俺の推しと言わざるを得ない)
劉亮の中の人はなんか嬉しかった。
劉備たちの生活が困窮していないのは、人の縁もある。
涿県の県令に、盧植塾の同窓生・公孫瓚が就任していたのだ。
この時期の地方役人は、任命された際に取られる強制賄賂を回収すべく、赴任先の民にあれこれと理由をつけて税を徴収するのが常であったが、高名な儒学者・盧植の弟子である公孫瓚はそんな事はしない。
ましてや同門の劉備とその一族には目を掛けてくれていた。
劉備は相変わらず定職に就かずにフラフラと遊ぶ、劉亮が見るに雌伏の日々を送っているのだが、それでも豪商たちの護衛をしたり、公孫瓚と共に乗馬をしたりと、劉亮の前世風に言えば「セレブ生活」っぽい暮らしをしていた。
涿県はまともな県令が治めていたから良かった。
新任の幽州刺史・郭勲は悪くはないが、良くも悪くも杓子定規な人物であった。
幽州広陽郡太守の劉衛は、宗族の末端に連なる者ではあるが、洛陽に居た時は皇帝と近かった。
つまりは皇帝に近侍し、権勢を持った宦官「十従侍」と仲が良く、その縁で皇帝から実入りが良い太守に親任されている。
金使いが荒いボンクラ劉氏と、何事も杓子定規な監察官。
平時ならまだ何とかなったが、この時期はそれが悪政となる。
光和年間、漢の各地で旱魃が発生。
食糧が不足しているのに、地方役人や豪族たちは税を容赦なく徴収する。
飢餓と、それに伴って疫病が流行していた。
また、鮮卑の単于・檀石槐が死んだ事により、中央では大規模な鮮卑討伐の計画が持ち上がる。
その準備の為に、戦場に近い幽州・并州・涼州には戦費調達の命令が下った。
平時なら能吏とされる杓子定規な人物は、こういう時には最悪の為政者となる。
こんな状況下で、人々の間には不穏な言葉が囁かれるようになっていた。
「蒼天已に死す、黄天當に立つべし。
歳は甲子に在りて、天下大吉」
苛政に堪り兼ねた民が依存したのは宗教である。
幽州の隣、冀州鉅鹿郡の人・張角が開いた「太平道」という宗教は、まず病人への医療活動から支持を広めていく。
とは言っても、劉亮の中の人の祖国の医療ではない。
中の人が前世で見た、発展途上国での医療である。
つまり祈祷、呪い、懺悔、聖水による病気治癒。
迷信と侮ってはいけない。
こういう医療が主流の地域は結構多く存在していたのだ。
そして、病は気からとも言うが、心の負担が少なくなるのか、案外治ったりする。
元々人間には免疫があって病気に対抗するのだが、過度のストレスや劣悪な環境によって抵抗力が無くなったりする。
だから
「今までの行いを懺悔し、そこでしっかり反省しなさい」(仕事せず体を休める)
「この水を飲んで身を清めるのです」(普段飲んでいるのよりずっと清潔な水を摂る)
「祈祷をしました、これで悪しきものから解放されます」(ストレスを除く)
とかで、本来の免疫機能が回復する場合だってあるのだ。
更に話を聞くと、太平道は役人たちの間にも広まっている。
だから太平道の師が役人に掛け合って、税はともかく労務を免除して貰ったりすれば、それは地域での病気快復にも繋がる。
病で動けない民衆が快復すれば、その方が使役する側にも都合が良い。
こうしてより政権からも信頼されるし、信者も増えていくのだ。
そこで劉亮の中の人は、前世から持ち越した記憶を頼りに、この世界の太平道について考えてみる。
(「黄巾の乱」はきっと起きる。
その乱を起こす張角に、天下を狙う意思はあったのだろうか?)
劉亮だけでなく、劉備もまだ二十代前半の若造。
劉亮が幽州前刺史の劉虞の露払いとして烏桓族と接触したとか、些細な歴史への関わりはしたものの、大局的な影響を与える能力も権限もいまだ持っていない。
だから大筋で前世の歴史通りに進行している為、黄巾の乱が発生するのは既定事項だろう。
そして劉備が義兵を挙げて、この討伐に加わる。
そこまでは問題無い。
張角の人間性に興味を持ったのは、劉亮の中の人の歴史マニアな面が顔を覗かせた為である。
前世の彼は、途上国で祈祷師とか呪い師という人に結構会っている。
本気で信仰し、村人の為に働こうという者もいた。
実際は金を信仰し、宗教は方便にしている者も見た。
神聖政治を目指して本気で、前世でいうアメリカ合衆国とかに喧嘩を売る者に脅かされもした。
狂信がテロ行為を引き起こすのだが、最早何かをする為ではなくテロ自体が目的のヤバいのも居たらしい。
らしい、というのは流石にそんな連中には近寄らなかったからで、実態は知らない。
では張角とはどのようなタイプなのだろう?
太平道は道教の一つである。
道教という決まった宗教は無い。
老子の教えとされるが、老荘思想や道家の考えと、道教はまた別物である。
神仙思想であり、不老長生や超能力の会得を目指す。
超常的なものを求めるのは、人々の生活が苦しい時とは限らない。
劉亮の前世で某宗教とか、とある宗教とかが事件を起こしたり、弾圧されたり、謎の流行をしたのは生活が苦しかったからではない。
何か刺激を求めたからだ。
まあそういうきっかけは千差万別だが、カルト的になれば狂信者が増えやすい。
劉亮が見るに、太平道は道教で呪いや符籙を使う事はあるが、彼の目から見て然程過激な主張も、超能力的な夢も説かれてはいない。
かなり現実に即した事を言っている。
悪く言えば俗的だ。
その方が分かりやすくて良いとも思う。
つまり、太平道は「宗教としては極めてまとも」と劉亮の中の人は見ていた。
……まあ比較の対象が、某原理主義過激派とか某破防法適用団体とかだから、大概の宗教は穏健派になるのだが。
劉亮は予め「黄巾の乱が起こる年」を知っていたから、役所の小間使いを辞めた後、太平道や張角について調べている。
しかし質も量も満足からは遠い情報しか集められない。
劉亮の中の人は、宗教とは着かず離れずを心がけている。
近づき過ぎると取り込まれる恐怖があった。
― ―深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ
だから突っ込んでいけない分、情報も得られない。
張角の人格は全く分からない。
大賢良師は偉い方だ、そういう声しか聞こえて来ない。
教義についても、教祖の神格化とか予言とか、まあ「普通に宗教ならそういう事するよね」という枠を超えてはいない。
これ以上の情報が無いまま、光和六年(183年)まで来てしまった。
宗教としては特に過激化の様子が見えない。
しかし「教団」としては様子が異なる。
漏れ伝えられるだけでも、組織化がされていき、軍事訓練まで始まっていた。
そして「蒼天已死」の声が聞こえて来るし、革命の掛け声とも言える「甲子」の白文字が各地の城門に落書きされるようになる。
(太平道が「宗教」として過激化しないまま、「俗」の部分を過激化させている。
そして信者だけでなく、様々な人が「革命」と捉えられる言葉を吐き始めた。
普通に考えれば「漢」の終わりを意味する。
だけど、本当にそうなのか?)
人々は前後合わせて四百年続いている「漢」というものが終わる事を望んでいるのだろうか?
王莽による簒奪を経験し、なおも「漢」が復興したという事からも、漢と中華の地という概念が結びつき、この天下そのものがひっくり返る事は望んでいないのではないか?
漢字、漢民族、漢方といったように、漢とは普遍的な言葉になって来ている。
一方でこの時代に不満を持ち、「漢が変わらないとダメだ」という声も満ちている。
それは漢という中華世界が終わる事を望むのか?
これは多分「否」だ。
では漢の朝廷が変わる事を願うか?
これは「是」だろう。
漢を象徴する皇帝劉家が他姓に代われば良いか?
ここは微妙だ。
儒学の影響で、皇帝への忠誠というのが根付いている、少なくとも現時点では。
劉亮はやがて、群雄や知識人たちが易姓革命、即ち劉から他姓に代わる事を望むようになる事を知ってはいるが、それはもうちょっと後の話である。
知識人でも群雄でもない、太平道に救いを求めるような一般の人々は、一体どこまでの変化を望んでいるのだろうか?
張角が神聖政治を望み、皇帝に取って代わって国の頂点に立つ意思を持っているなら分かりやすい。
余りに変わり過ぎるから、反発が凄いだろう。
人間の多数は、結構保守的というか、変わり過ぎるのを望まない。
だが人々から支持され、朝廷内にもシンパを増やしている事から、何か違うように思える。
漢の宮中にも支持者がいて、国を損なうものとして処刑されかねない革命的な言葉を発し、宗教を飛び越えて軍事訓練までしている、なのにまだ討伐の気配が無い。
(もしかしたら、太平道の蜂起は現霊帝の側に仕える者たちを一掃し、側近を入れ替える策の一環ではないか?
張角の側が企みを知った上でそれに乗っているかは分からないが、張角を使って政権打倒を行い、自分たちが実権を握ろうとしている者がいるのかもしれない。
そういう派閥が、太平道が俗的に過激化するのを見逃し、大きくなるのを待っているのでは?)
劉亮はそんな考えに至るが、なにせ全く根拠が無い。
幽州の片田舎で、彼の前世での「史実」や、この世界で得た断片的な情報を繋ぎ合わせて妄想に近い推測をしたまでだ。
(やはり地方に居ては何も出来ない。
中央に再進出しないと。
もう俺も劉備も子供ではないし、きっかけさえあれば……)
そう思いながら、ある事実に気づいて劉亮は苦笑した。
「劉備が天下に名乗りを上げる『きっかけ』、それは黄巾の乱だ。
そうか、俺もまた『黄巾の乱』を利用しようとしている者の一人なのか」
劉亮は自分の事を顧みて苦笑しつつ、不謹慎ながら天下を揺るがす「乱」を待つ事にした。
おまけ:
作者の解釈で、太平道は朝廷の非主流派と互いに利用し合う関係ってのでいきます。
どこかで聞いた、特定宗教と政府与党の関係みたいなものです。
政治家はその宗教を信じ、入信した訳では無く、献金と選挙時のまとまった票が欲しいだけ。
宗教の方は政治家を利用して、自分たち有利になるような事をし、不利な事は揉み消して貰う。
こんな関係です。
※どこ党と何協会の事かは明言してませんので(保身)。




