次の段階に備えよう
劉亮は幽州に戻ると、劉虞に報告を入れる。
相変わらず蛮族と宴会に明け暮れていた劉亮の評判は悪かったが、劉虞は目的を達成した事を褒め称えた。
そして烏桓族長の丘力居から言われた「欲しい物」リストを、劉虞の属僚たちと検討する。
「金品、絹の反物、刀剣とか書いていますが、本命はこれではないでしょうか?」
そう言って食糧の部分、干し肉や小麦、豆といった項目を指摘したのは、劉虞の側近である魏攸。
彼もまた北方民族政策では融和派であり、そうすべく劉虞に具申をしていた。
「さにあろう。
聞くと涼州を襲った鮮卑も、大量の食糧を奪って去ったという」
これも劉虞の部下・鮮于輔の発言だ。
幽州漁陽郡の人である鮮于輔は、対北方民族で戦わねばならない事もあり、情報収集を絶えず行っていた。
「それで、実際に行ったその方はどう見た?」
公孫紀が劉亮に問う。
彼は名前から分かるように幽州の名族・公孫氏の一員であり、現在は劉虞に仕えていた。
「皆さま方のお察し通り、食糧が本命と思います。
行った時に、彼等は弱みを見せまいと食糧の話はしませんでした。
しかし土産として、長期保存が利く食糧を置いていくように言われました。
女子供は姿を見ませんでしたが、実は飢えているのかもしれません」
騎馬民族は、戦士である大人の男性優先の社会である。
子は大事だが、それでも
「飢え死にしたら、また作れば良い」
という思考を持っていた。
女性でも戦える者なら尊重される。
そういう社会を中華の民は「蛮族」と言っているのだが、それにしてもデカい声で騒ぐのは大人の男ばかりで、他の姿を見ないのも不思議ではあった。
もっと子供の騒ぐ姿が有っても良かったのに。
「良し、交渉に当たっては食糧を多く贈っておけ。
折角聞き出したのから、金品や武具もきちんと加えてな。
では劉亮よ、儂の正式な使者を烏桓の大人に引き合わせる役目を果たすように」
「はっ!」
大体これで劉虞の対北方民族政策は軌道に乗ったも同然である。
窓口が出来て、相手の欲する物が分かった以上、次からは確認作業と微調整に入る。
下準備が終わった以上、あとは事務的に事を進めるだけだ。
劉亮は顔パスな特権を生かし、劉虞からの正式な使節団を塞外で安全に通行させる。
劉虞と丘力居の会談の前に、官吏と部族の長老との間で細かい打ち合わせが持たれていた。
その席に劉亮は呼ばれない。
いくら中の人の年齢的に経験豊富とはいえ、劉亮はこの時まだ十七歳。
文字通り「子供の使い」であり、下準備や交渉の地慣らしの、更にその地慣らしくらいの役目しか任せられなかった。
会って来て、話をしたがっていると伝える程度の役回り。
醸し出す雰囲気から、もっと年上には見えるが、それにしても役人たちは
「あんな何も出来ない子供を」
と陰口を言っていた。
それを抜擢して仕事を任せた劉虞も器がでかいが、それでもここまでの成果を出すとは思っていなかった。
劉虞は以降敬意をもって劉亮に接するが、それでも公的な扱いは「子供の使い」のままである。
彼は記録に残らない、単なる外交上の水先案内人であり、本人もそれは納得済みであった。
それでも劉虞だけでなく、丘力居たちも劉亮の影働きについては評価していた。
ただの案内人たる劉亮に、部族の長老たちが話しかける。
能力主義な彼等は、年齢だけで劉亮を下に見ず、きちんと大人として扱っていた。
「お前たちは漢人には珍しい。
漢人は我々に居丈高に振舞い、上から物を言って来るのが常であった。
我々と酒を酌み交わし、我々の大人を尊重し、従わせるでもなく付き合おうと言って来るのは、こう言ってはなんだが、おかしいぞ」
彼等が言うには、確かに漢帝国も遜って外交をして来る事はある。
しかしそれは、困った事が有るからだと分かるし、作った態度なのが見え見えであった。
下準備の役人を送る、更にその為のコネ作り要員派遣なんていうのも無かった事だ。
大体はいきなり使者が来て、交渉を持ち掛ける。
精々「これから使者が赴くから歓迎の支度をせよ」と先触れするくらいだ。
烏桓族の都合なんか考えもしない。
「お前たちのような漢人なら、我々も付き合いたいものだ」
お世辞も入っているかもしれないが、率直な北方民族だけに本音がかなりの部分を占めると思い、劉亮としては報われた気持ちであった。
まあ劉亮だけの功績ではなく、同じように騎馬民族の者たちの心を掴んだ兄・劉備やその一行、
「徳をもって当たる。
諸君も礼を持って対せよ」
と方針を決めた劉虞と、良い部分が重なって今回の結果となったのだ。
やがて丘力居が一軍を率いて幽州に入り、どこを荒す事も無く劉虞と会談。
一応形式も大事であった為、丘力居が劉虞に従ったという姿を見せて、人々を安心させた。
その後、国境の市が立つ日や、馬と穀物・布地の交換レートを定めると、丘力居一行は大量の「下賜」物資を持って去って行った。
そして烏桓が漢とほぼ対等な交易を行い、食糧を得ているという話は、西に居た鮮卑の大単于・檀石槐の耳にも届く。
この頃の鮮卑は、人口が増え過ぎて食糧に窮していたのだ。
だから各地で食糧を奪っていたのだが、それでも足りない。
寄らば大樹の陰とばかりに、強力な檀石槐の下に様々な集落や部族が集まって来る為、いくら奪っても足りないのだ。
檀石槐は、幽州で騎馬民族と漢人との間に市が立ったと聞くと、すぐに自分たちの参加を劉虞に対して要求する。
檀石槐ら首脳陣が大軍を集めて、物資が多く集まっている場所を探してそこを襲うより、個々の集落や部族が必要に応じて交易して食糧を得る方が楽なのだ。
騎馬民族である彼等が川魚を獲って食料にしようと奮闘する程の食糧不足は、特に勝手に集まって来てお零れに有り付こうとする連中を、幽州に押し付けるような形で解消させたのだった。
幽州だけでなく、并州や涼州にも平和が戻る。
こうなると面倒なのが朝廷であった。
要は、反乱が起こった地域や、異民族の侵攻を受ける地域には有能な人材を送り込む。
それが解消されたなら、宦官たちは自分の息の掛かった者を太守とか刺史とかにするのだ。
功績を挙げた劉虞をすぐに更迭は出来ない。
そこで失脚させる材料を探すべく、宦官たちは密偵を放って来た。
劉虞はそれを悟る。
そして劉虞には、自分を処罰するに足る材料が有る事を知っていた。
劉亮という役人でもない、小間使いのような者に外交を任せ、しかもそれはただ酒宴を開いて相手をもてなすものであった事だ。
儒学を尊ぶ者からみたら、中華の外の蛮族に遜るのは以ての外だし、酒を飲むだけで何も決めないような者を見逃すのは、州の監察官である刺史の職務怠慢であろう。
「……という訳で、儂は病気という事にして職を辞す。
劉叔朗よ、貴殿も職を辞して身を野に置いた方が良い」
一連の仕事っぷりから、劉虞は劉亮をただの下働きとは見ず、言葉使いも改めていた。
そして、余計な権力争いの余波を食らわないよう、劉亮にも警告して来たのだった。
「まあ、そうしろと言われるのでしたら……」
「済まぬな。
貴殿の働きに対し、報いるのはこれからだった。
儂から個人的に、貴殿の家に俸給を送るゆえ、それで許して貰えぬか?」
劉虞はよく出来た人物である。
単なる保身で自分を退職させるのではないと、劉亮は理解出来ていた。
報酬を貰えるのは有り難い。
という一方、劉亮の中の人はもっとふてぶてしい。
(目的の一個は果たされた。
こう言ってはなんだが、俺は劉虞の外交を利用させて貰った部分もある。
だからここまで言われて、ちょっと気まずい部分もあるな。
それにしても、劉虞は良い上司だった。
俺の前世で、何人かはこういう良い上司だったなあ。
大半は顔も見たくない連中だったけど。
責を負ってくれる上司の元で、久々にちゃんと仕事をした気分だよ)
劉虞の申し訳なさそうな表情を見ながら、内心でそんな事を考えていたのだった。
結局劉虞は病気と称して幽州を去る。
劉虞がこのまま刺史を続けていたら、劉亮は推挙を受けて地方役人となれたのだろうが、次の刺史がそんな事をする筈が無い。
後には宦官によって選ばれた、搾取型の刺史や太守が派遣されて来た。
劉亮は、前世の知識によってある「史実」を知っている。
この後に起こる一大事件によって、幽州の刺史は殺されるのだ。
だから、もう幽州刺史の役所には勤めない方が安全である。
劉亮は「酒飲みのろくでない」という評を覆す努力もせずに、さっさと職を辞して故郷の涿郡涿県に戻ったのだった。
「戻ったか、弟よ!」
「叔朗兄、活躍の程は聞きましたよ!」
「叔朗よ、漏れ聞こえた評判はすこぶる悪いものだったが、玄徳からお前が何をしていたのかは聞いていた。
国の為、民の為によくやった!」
劉備、劉展、そして劉元起が彼を出迎えた。
母も
「お役目ご苦労様でした。
貴方を誇りに思います」
と泣いている。
彼女は劉備と、親戚にあたる簡雍から話を聞いていたのだ。
表には出ないが、大事な仕事をしたと、一族が彼を誉めて祝宴を挙げる。
(なんか、仕事がひと段落した後の打ち上げみたいな感じだなあ)
と、劉亮は辛かった前世の中の、楽しかった記憶を思い出していた。
さて、劉亮は烏桓族との外交において、彼個人の運命に関わる成果を挙げていた。
それは丘力居と会った事である。
どうせ鮮卑族は近くにいないし、接触するとしたら烏桓族だから、いずれ接点を持てるとは思っていた。
思いもかけず、あっさりと出会う事が出来た。
それも、劉備も一緒というおまけ付きで。
自分こと劉亮、従兄弟でいつもくっついて歩く劉展、後ろ盾である従叔父・劉元起の子である劉徳然は、田野の戦いで程遠志・鄧茂の軍勢によって死亡する。
それが彼が転生前に見た歴史である。
これは張純という男が起こした叛乱の一部なのだが、この張純の乱の背後に居た存在こそ、烏桓族大人・丘力居なのだ。
劉亮の中の人は、将来発生するかもしれない張純の乱の際、自分たちが生き残る為の布石で、丘力居と顔馴染みになれた事が効くだろうと、誰にも言わずにほくそ笑むのであった。
ここまで1日2話のペースで投稿しましたが、離陸段階の序章と第一章が終わったので、今後は基本1日1話のペースにします。




