北方民族と劉亮
劉亮は久々に夢を見た。
頻繁に見ていた、前世の記憶ではない。
その夢の舞台は今居るのと同じ、万里の長城の北の大地。
そこに亡き董卓が砂塵を浴びながら立っていた。
「ようやく俺の部下になる覚悟が決まったようだな、劉叔朗よ」
董卓が以前と同じ、居丈高な口調で話しかける。
態度こそ傲慢だが、その姿は長安で身を持ち崩した太った姿ではない、将軍らしい強靭な肉体の時のものだった。
「そうですね。
今なら閣下の元で、天下を動かしてみるのも面白いかもしれません」
夢の中で劉亮はそう胸を張った。
董卓は「ふん」と鼻を鳴らすと、
「ならば、お前の持てるもの全てを使ってみよ!
躊躇う事は、儂に対する不忠と思え!」
と怒鳴りつけて来た。
夢はそこで覚める。
劉亮は思わず、幕舎に吊るしていた羌族の刀を抜いてみた。
董卓から貰ったその刀身には、自分以外の何者も映ってはいない。
どうやら董卓の亡霊が自分を叱咤しに来た訳ではないようだ。
ようやく覚悟が決まったとはいえ、劉亮のやる事は変わらない。
というか、能力以上の事は出来ないのだから、変えられない。
北の地に行く事を考えると、大軍は補給の問題で不利ともなる。
補給を軽視して敵地深く侵攻し、敗れて作戦だけでなく、その方面での軍事活動そのものを困難にした「インパール作戦」のような事をしてはならない。
劉亮と司馬懿は、劉備軍・袁煕軍の将軍たちと軍議を開き、精鋭の騎馬部隊だけで袁尚との決戦に挑む事を告げた。
従う将は曹彰、張郃、張飛、高順、陳到、高覧。
幽州で歩兵部隊を預かり、防衛に当たるのは劉備と曹丕。
まあ君主や世子を、長城スレスレの北側ではなく、もっと北の奥地に連れて行くのは問題だろう。
補給は田豫に頼む。
「補給物資供出は自分の仕事なんだよな、いつもの事だけど!」
劉徳然のボヤきは聞き流そう。
こうして三万程度に圧縮された劉亮軍だが、当然この程度の兵力で袁尚に勝てるとは思っていない。
劉亮にはやる事があった。
それは離反した烏桓や鮮卑の者を懐柔し、自軍に取り込む事である。
「匈奴を相手にやった事と同じ策謀ですね」
司馬懿が尋ねると、劉亮は首を横に振る。
「同じではない。
今度は武力を用いる」
と口にすると、司馬懿が目を見開いて劉亮を見て来た。
「そうですか。
分かりました。
御史大夫様の判断にお任せします」
甘ちゃんで、軍事作戦をしても極力双方に死者が出ないようにしていた劉亮が、武力を用いると言った。
それは単に軍を動かすという事ではない。
死者が出るのを想定している、いや、死者を出すという底意が感じられた。
司馬懿にとっても意外だったのかもしれない。
まあこの男の腹の内は見えないのだが。
「そう言えば、陣内の鍛冶に命じて鐙を大量に作らせていましたな。
あれは閣下の秘策なのでしょうか?」
司馬懿が劉亮の命令について尋ねて来る。
「そうです。
鐙を鞍の左右につけます」
「されど、馬には左から乗るもの。
右から乗る者は居りますまい」
「乗馬の際に足を掛けるものではありません。
乗った後、両足を踏ん張る為に着けるのです」
「む?
つまり、馬腹を締める足を、常時鐙に置くという事ですか?」
「そういう事です。
馬腹を締めるより、余程扱いやすいと思いますが」
「そう……ですね。
ただ、既存の騎乗に慣れている者には、不慣れなせいで混乱するかと思われますが」
「だから、袁尚との戦いまでに、行軍中に完熟して貰います。
その為にも、騎兵は少数精鋭とする必要があったのです」
智謀の士・司馬懿が黙ってしまった。
かなり意表をつかれたようだ。
後漢時代に鐙は存在しない。
それは一面正しい。
騎兵たちは乗馬後には足で馬腹を締めていたのだ。
しかし、鞍の左側に一個だけ鐙が着いている。
それは乗馬時のステップとして使うもので、鞍に座った後は使わない。
「あぶみ」という日本語の読みは「足踏み」から来ているようで、元々はそこに足を掛けて馬に跨る補助器具だったのだ。
騎馬民族に至っては、鞍も置かずに裸馬に乗る為、鐙など「騎乗が下手くそな漢人の工夫」と馬鹿にしていた。
だが、いずれ気がつく者が現れる。
鐙をステップとしてだけでなく、馬上で踏ん張る際の足場にすれば良いと。
それは中国においては、目の前に居る司馬懿の孫が開いた王朝・西晋時代に現れるようだ。
ほぼ同時期に鮮卑の社会でも発明されている。
今までの劉亮は、歴史を大きく変える事には及び腰であった。
両側に鐙という騎兵の能力を大きく変える工夫、これがあれば呂布は更に強かったのかもしれない。
或いは呂布と同等に戦える武将がもっと現れて、「人中の呂布、馬中の赤兎」なんて言葉も残らず、ただの一騎兵隊長として歴史に埋もれたのかもしれない。
上手くやらないと大失敗する通貨政策なんてのと違い、鞍の右にも鐙を着けるくらいは誰でも簡単に模倣出来る。
一旦鐙の優位性を知らしめれば、たちどころにそれは全国、更には漢の外の世界にも波及して、彼の全く知らない所で大きく歴史を変える可能性があった。
だから知っていたのにずっと作らなかったのだが、今の劉亮は違う。
もう歴史は彼の制御を外れて、大きく変わった。
発展や変化を制御出来ると思うのは烏滸がましい事だが、以前の劉亮はどこかでそれを出来ると心のどこかで思っていた。
あの人は死なさないようにしよう、この人はそろそろ死ぬ筈だから側から離れよう、等等。
そんな思い上がりを捨てた彼は、今自分が出来る事をして、それが歴史の流れの中にどう影響していくかを考えるのは止めにした。
「どうせこの変革は、歴史の流れの中で消え去ってしまい、後世に影響を与えない」等と言い訳もしない。
人間一人の成果なんて、どうせ大した事は無い、自分がしなくてもいずれ誰かがやる事なのだから。
……この辺、劉亮はまだ自分を過小評価しているとも言えるが、それは置いておこう。
鐙の工夫は、劉亮が変えた歴史の補正の意味もある。
既に彼の影響で、北方民族が「史実」よりも中国の歴史に絡んで来るようになった。
より深く関わる北方民族が、「史実」通りの永嘉の乱や、五胡十六国時代を招くかは分からない。
ただそうなった時、漢……いや魏でも西晋でも未知の国でも良いが、そこの騎兵が北方民族と互角に戦えても良いだろう。
彼は余りにも騎馬民族が強くなる方に傾き過ぎた。
漢人騎兵の強化をしても、バランスが取れるというものだろう。
元々彼は、どっちかの味方ではない、「死なないように生き残る」のが行動原理だったのだから。
こうして馬上での姿勢制御が著しく騎馬民族よりも劣る漢人が、矛や刀を存分に揮える鐙を設えた騎兵が生まれ、まずは曹彰と高順の部隊が完熟訓練に入る。
とはいえ、敵に接近しながらの訓練だから、時間が有る訳ではない。
短期間の訓練ではあっても、一様に
「長柄の武器を振り回しても安定する。
どうしてこれに気づかなかったのだろう」
と驚いていた。
コロンブスの卵とはこういう事なのかもしれない。
……もっとも、劉亮配下の烏桓兵たちは、可哀想な人を見る目で漢人騎兵を見ている。
それは自転車を乗りこなせる子供が、補助輪付きでないとダメな幼児を見るが如きものであった。
「よう、久しぶりだな、義弟よ」
烏桓族と合流すると、単于の蹋頓が親しく声を掛けて来た。
思ったより、全く憔悴していない。
遊牧民からしたら、部族が傘下に参入するも離脱するも勝手。
自分ではない大人を立てている事には腹が立つが、草原の掟、敵対するのでなければ好きにさせるものなのだ。
蹋頓の幕舎で、劉亮、司馬懿の他諸将が入って軍議を行う。
「……で、我が義兄は、従弟たる楼班を許す気は有るのか?」
冒頭で劉亮が問う。
ちなみに劉亮の妻の執事で、歴戦の隊長である人物は「楼煩」であり、丘力居の実子の楼班とは別人物である。
蹋頓は即座に
「俺に頭を下げるのなら、許してやる。
戦って後の捕縛であれば、殺す。
それが草原の掟だ」
と回答。
劉亮は頷くと、
「楼班は我が妻・白凰姫の弟です。
まずは説得させて下さい。
それで降伏したなら、これまで同様先代大人の子息として大事に扱って欲しい。
そうでない場合は……」
「そうでない場合は?」
「殺してしまいましょうか。
天に二つの日輪は要らないのですから」
これには、付き合いの長い張飛が驚いた表情になる。
劉亮は非情に甘い人物であり、こういう事は滅多に言わないのだから。
蹋頓も最初は意外そうな表情になったが、すぐに豪快に笑い
「そうか、そうか!
お前もやっと草原の戦士らしくなって来たな!
従うなら許す、逆らうなら殺す、弓引く前なら良いが、弓引いた後は絶対に許さん。
お前は我々のやり方に干渉はして来なかったが、内心では思う所があったのだろう?
お前は顔見知りは殺せん奴だからなあ。
だが、その甘さが抜けたようで実に結構!」
蹋頓はそう言って劉亮の肩をバンバン叩いて賞賛した。
その後は普通の軍議である。
蹋頓の集団は、劉亮に味方する事を決めている。
故に、この集団が加勢して袁尚を攻める事になる。
蹋頓は、以前劉亮から戦いに敗れた袁尚の保護を頼まれていた。
しかし袁尚は、その恩を忘れて分派を作って去っていった。
袁尚と、彼に与した衆が直接蹋頓に敵対した訳ではない。
集合離散は草原の常。
しかし、遊牧民ではない袁尚に草原の掟は適用されない。
情けを掛けて保護してやったのに、それを忘れて分派をさせた袁尚は許さない。
折角義弟率いる漢の軍も来たのだから、共に袁尚を叩き潰そう。
その際蹋頓は、同じ烏桓族であろうと、劉亮軍と共に居る自分に歯向かって来たなら許さないと決めている。
許していては、単于の鼎の軽重を問われるであろう。
だから
(烏桓の者たちよ、袁王の子ってだけで袁尚なんかに付き従って、俺に殺されるなよ。
矢の一本でも射かけたら、俺はお前らを皆殺しか、奴隷にするかせねばならん。
俺を見たら、その場で降伏して来い)
と内心思ってはいた。
そういう蹋頓の気持ちもあった為、劉亮は妻率いる烏桓兵だけで、袁尚に味方する烏桓の分派集団や、鮮卑族の説得に向かう事を了承された。
劉亮が敵を離間させ、主力は袁尚の本隊を叩く。
「孫子曰く『善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり』。
御史大夫様の活躍を期待しております」
司馬懿がそう言って頭を下げている。
(まあ、お手並み拝見っていう気持ちでいるのかな?)
表情から内心が読めない司馬懿を見ながら、劉亮は何となくそう思った。
こうして北地の戦いにおける漢軍の攻撃は、まず劉亮の調略をもって開始されたのである。
おまけ:
幽州には十万以上の大軍が待機している。
劉備、劉展、劉徳然、田豊、沮授、鮮于輔らがこれを率いていた。
曹丕「暇だから詩会でもしない?」
劉備「暇なら農作業とか、市場で筵売りとかだろ?」
曹丕「え?」
劉備「え?」
田豊・沮授「ここは戦陣です、大将が余計な事をしない!」
劉展「丞相の御曹司、暇なら女買いに行こうか。
上手い商売女の居る場所を案内しますぞ!」
曹丕「商売女は好かん。
ここらに美しい人妻は居らんか?
袁煕の妻ほどでなくて構わん」
劉展「え?」
曹丕「え?」
曹丕はこの時
(絶対こいつらとは仲良くやれん)
と思ったのである。




