意外過ぎる苦戦
劉亮軍十三万は、まず冀州に押し寄せた袁尚軍を一蹴した。
この部隊は二万ちょっとな上に軍師として郭図が参加していたので、待機命令が出ていなければ張郃と高覧だけでも勝てただろう。
大した損害を出さず、劉亮軍は并州に侵攻する。
ここで劉亮は、ある人物を伴って匈奴の集落に向かった。
それは匈奴の左賢王である呼廚泉。
呼廚泉は曹操に臣従し、許都に出仕していたのだ。
その隙に叔父の右賢王・去卑が匈奴を纏めて、袁尚軍に加わったのである。
だから、呼廚泉が戻って来たのであれば、こちらに従う者も現れよう。
やはりというか、三割程の部族が呼廚泉の呼び掛けに応じる。
それを確認した上で、劉亮は匈奴各部に自身の北方での通り名「劉大人」名義で布告を出した。
「これよりの戦いで、味方にならずとも、敵で無ければ罪に問わない。
負けた側に対する掠奪・虐殺は、自分が負けた場合も含めて公認する。
敵に着いた場合でも、早期に呼廚泉左賢王に帰順すれば許す。
それが草原の掟である」
劉亮は遊牧民と付き合ってから大分長い。
曹操と袁紹の戦いに乗じたあの「大海嘯」も、落ち着いてみれば理解が出来る。
元々草原の民は、天が与えた物を得るのが、人間として正しい生き方だと思っている。
狩猟・採集だけでなく、そこに無防備な商人や農民が居たら、それは狩りの獲物と同じだから、襲うのが普通なのだ。
野生の動物と一緒で、腹が満ちていれば見逃す。
そうでなければ、特に飢えていれば襲わない方が馬鹿なのである。
漢の軍事力を恐れていた、曹操も袁紹も融和だけでなく戦えば怖かったから、手を出せなかっただけ。
隙を見つけて、やれると判断したなら、交易なんてやり方よりも欲しい物を奪うのが、天の示した生き方なのだ。
やられた当時は
(何やってくれとんじゃ!
これ、公孫瓚が正しかったのではないか?)
と頭を抱えたものだが、彼の前世の21世紀にだってそういう考えの人は居た訳だし、むしろ大人しくしていた事が奇跡だった訳だ。
だから改めて「草原の掟」「天の示した生き方」を理解しようとし、その結果
「この戦いはお前らには無関係。
面倒なら戦わずに中立でいろ。
戦い終わって、負けた側は天が与えた獲物だから、好きにしろ」
という布告に帰結したのだ。
「いやはや、これでは負けられませんね」
司馬懿が表情も変えずに言う。
(負ける気なんて無いだろうに)
と思いつつ、策を示すように返す。
「右賢王(去卑)とて、我が軍の烏桓騎兵、匈奴騎兵の存在は知っております。
この部隊には最大限警戒しておりましょう。
また、漢の歩兵の弩も警戒しています。
されど、漢の騎兵は甘く見ております。
故に、漢の騎兵で勝てれば、彼らは士気を失いましょう」
「やはり奇襲ですか?」
「御意」
「奇襲は私も考えていました。
攻めて来るのを待っていても、相手は準備万端な敵を攻めはしない。
疲れるのを待って攻めて来ます。
だから、こちらが疲れるより先に、奇襲を掛けた方が良いとは思っていたのですが……。
確かに漢人騎兵なら、相手は甘く見て身構える事も無いかもしれません」
「『身構えている時には、死神は来ないものだ』とも言いますからね」
「……ええっと……司馬懿殿、その言い回しってどこで知りました?」
「戦の摂理だと心得ております」
「うん、そうだよね、そうですよね……」
自分が読んだ事のあるロボットアニメの小説版の言い回しが出て驚いたが、まあ確かに戦の摂理と言われたらそうかもしれない。
「しかし、漢の騎兵では北方の騎兵には勝てないでしょう?
そこはどうしますか?」
「御曹司は騎射を能くしますし、御一方は素手で猛獣を制する程です」
「まさか、丞相の御子息二人を使うと言われるのですか?」
司馬懿は頷き、更に
「丞相からも、鍛えてやれと申しつかっております」
と涼しい顔で言って来た。
(そう言えば、司馬懿や曹丕・曹彰兄弟だけでなく、若い人が多いんだよな。
もしかして曹操の奴、俺に若い連中を鍛えさせる気か?)
南では呉が、西では馬騰・韓遂ら関西軍閥が、北では袁尚が、東とていつ和睦を終わらせるか分からない劉備・袁煕連合という状態で、どこか曹操は余裕がある。
郭嘉が病死したといえ、都に荀彧を残し、西には賈詡、東と南を同時に睨む合肥に程昱、遊撃の位置に荀攸を置き、自分には若手の司馬懿を付けた。
経歴だけなら歴戦の自分に曹軍の次世代を鍛えさせるつもりなら、随分と買い被ってくれたものだ。
とりあえず劉亮は張郃と高覧に若手部隊の支援を依頼し、彼等が苦戦の時はいつでも駆けつけられるようにする。
その上で司馬懿の策を採用。
曹軍若手部隊が全軍騎馬で出陣した。
「こちらは、右賢王の目を惹きつけるよう、手を打たないとな」
司馬懿との打ち合わせ通り、劉亮の烏桓騎兵がまず匈奴右賢王の軍に攻撃を仕掛けた。
すぐに後退。
騎兵がよくやる威力偵察というもので、双方情報を集めたら引き返すものである。
威力偵察の後に、呼廚泉を先陣に本隊を右賢王の前に移動させる。
すると匈奴軍は後退。
全軍揃った万全な状態なら兎も角、呼廚泉に三割もの部族が寝返り、やはり三割程が様子見に回った以上、無理はしない。
去卑は、漢人ながら烏桓の婿であり、羌族の刀を吊った劉大人という者の交渉能力について、噂でしか聞いた事が無かった。
切り崩されたのは口惜しいが、それも仕方ないと見ている。
どうせ勝てば、雪崩を打って再度自分に着くだろう。
去卑は劉亮軍を北に釣り上げて、自分有利の戦場で勝とうとしている。
劉亮軍が近づけば、彼は北に下がって距離を取る。
こうして相手を疲労させ、物資を使わせてから奇襲に出る。
追えば逃げる、引けば迫る、騎馬民族ならではの足を活かした戦い方であった。
しかし、その戦法は劉亮に既に読まれていた。
伊達に烏桓の婿ではない。
騎馬民族の戦法等十分理解している。
その読みを元に司馬懿が作戦を立て、双方が読んだ匈奴の宿泊地近くに、既に曹丕・曹彰の軍は先回りして待機していた。
如何に騎乗能力で劣る漢人騎兵とはいえ、後退して休養を取ろうとした瞬間に奇襲を掛けたなら、騎馬民族相手にも優位に戦える。
地図と相手の移動力から彼我の移動する先を読める劉亮と、機動戦術を得意とする司馬懿の組み合わせで最適な場所・最適な機会で戦闘可能になっていた曹軍は大いに暴れ回った。
特に曹彰の活躍は凄まじく、匈奴に五度突撃を掛けて、五度とも相手を突き崩した。
こうして去卑の軍は敗走。
そして、恩とか恨みとかに余り拘らない他の匈奴の部族たちが「天から与えられた敗残兵」を狙って動き出す。
「残敵掃討は不要。
これより東に向かう」
劉亮のその命令に、司馬懿が珍しく驚いた表情になる。
「匈奴の事は左賢王に任せ、我々は先に急ぎましょう」
「……異存は有りませんが、果たして理由は先を急ぐだけですかな?」
「何が言いたいのですか?」
「せめて右賢王の首級を挙げてからでも良いと思いましてな。
もしや御史大夫様は、敵の首を見るのがお嫌いですか?」
「余り好きではないのは確かです。
それが何か?」
「いいえ、まあ確かに文官の方にはそういう人もいらっしゃいますからね」
曹操とは違った意味で、何か不気味なものを司馬懿には感じる。
何か見透かされているような気がする。
まあ、自分が転生者だとまでは分からないだろうが、中の人の「平和ボケ」気質は見抜かれたように感じる。
その後、軍の再編を終えると、若手部隊に代えて今度は張郃を先陣に進軍を開始した。
并州では、袁尚軍と馬騰・韓遂軍が合流出来ないよう、楔を打てればそれで十分。
本命の袁尚軍を討つには并州から東に移動して冀州北方に行かねばならない。
そうして冀州北方に戻った劉亮軍先鋒の張郃は、公孫続・公孫範・張燕の黒山軍を発見。
張郃もまた相手の準備が整っていない事を見ると、即座に攻撃を仕掛けた。
そうして序盤は優勢に戦いを進める。
しかし、張郃は黒山軍に一人、恐ろしく強い将が居て、その一人に押し返されている事を悟る。
先鋒の張郃軍は五千程。
落ち対いて対応されたら、数万の黒山軍に押し返されるだろう。
そこで張郃は、その将を討つべく馬を乗り入れた。
そして…………敗れる。
遠目で見た以上の、恐るべき手練れであった。
このまま一騎打ちを続けたら、生命が危ない。
黒山軍が立て直して来ている様を見て、張郃は兵を引く。
撤退の際、その将による追撃を受けて多くの犠牲を出してしまった。
「張郃将軍で勝てないとは、意外でした。
黒山軍には大した将が居ないと思っていましたので、こちらの情報収集不足です。
苦労をお掛けして申し訳ありません」
劉亮は自分が情報収集を怠った事を反省したのだが、張郃と司馬懿は不思議そうに見ている。
そんな事は総大将の責任では無いだろうに。
「で、その将に心当たりはありますか?」
張郃は頷き、
「かつて渤海や易京での戦い等で何度か見た事があります。
確か、常山の趙子龍という男です」
「は?」
「御史大夫様、ご存知で?」
「えーっと、公孫瓚の下で亡き袁紹殿と戦っていた武将ですよね」
「はい。
まともに戦ったのは今回が初めてですが、聞きしに勝る猛将でした」
張郃は冷静に報告するが、劉亮にはそれどころじゃない。
(なんで趙雲が敵に回ってるんだ?)
劉亮はやはり、前世の記憶「史実」に縛られていた。
公孫瓚亡き後、仕える主を失った趙雲は、劉備の元に来るものだと漠然と考えていた。
自分が関与しなければ、案外「史実」通りに人は行動していたのだから。
置かれた状況と、その人の行動原理を鑑みれば、大きく「史実」と違う行動はしないものだ。
だが、この世界の頭で考えれば、趙雲が劉備を選ばない事にも納得がいく。
まだ公孫瓚一族の公孫続や公孫範らが生きている。
主に劉亮のせいで、公孫瓚と劉備は「史実」のような蜜月関係には無く、公孫瓚配下の趙雲が戦場で劉備と共に戦う事も無かった。
更に言えば、劉亮という劉備の弟は袁紹寄りにしか見えない。
公孫瓚と共に袁紹と戦い続けて来た趙雲にしたら、劉亮は宿敵と言えた。
更に「大海嘯」だの、袁紹の領土を掠め取ったりした希代の大悪人。
冀州や并州の武将からしたら我慢ならない存在だ。
更には「奸臣」曹操とも親しい。
劉亮はここに来て、自分が歴史に与えた影響の反作用とも言えるモノに遭遇したのである。
そしてそれは、趙雲だけの話ではない。
彼は最初の一人と言って良い。
趙雲敵対に狼狽える劉亮。
そんな上司を司馬懿は冷静に眺めていた。
おまけ:
問「郭嘉の死因は?」
答「蒸留酒の飲み過ぎ」
郭嘉「禁酒? 知るか! 飲むぞー!」
で血を吐いてしまった。
建安十二年の事である。
曹操「本来、北で何かあったら出す軍師は郭嘉に決めていた。
策も色々練っていたしな。
だが『お前の酒』のせいで命を縮めたんだし、お前が責任取ってくれよな」
劉亮「知らんし!
郭嘉にあの酒の味を教えたのは、曹操だろう!」
おまけの2:
曹操軍に付けられてある男が、密かに劉亮の元を訪れた。
「私は徐福と申し、豫州潁川の生まれの者です」
「これは丁寧に、痛み入ります。
私が劉亮です」
「いきなりですが、御史大夫様にお願いの儀が御座います。
この戦いが終わったら、私を左将軍(劉備)に紹介して欲しいのです」
「それは構いませんが、『この戦が終わったら』とは軽々に口にしないで下さい。
まだ戦の形がハッキリ見えてはいないのですから」
(それは死亡フラグってものだけど、言っても通じないだろうなあ)
「はい、軽率でした。
同郷の陳羣殿から、もし丞相に不満があるのなら左将軍……いや御史大夫様の方が良いと言われまして」
(おお! 陳羣、ナイス!)
「分かりました。
籍を変えるのでしたら、私の方で手を打ちますので。
まずはこの戦に勝ちましょう」
「はい」
劉亮の知識は「三国志演義」に引っ張られている部分がある。
この男・徐福は、「史実」では晩年に徐庶と名を改めるという事に気づいていなかった。




