大乱
冀州から急使が来る。
并州からもだ。
更に幽州からもやって来る。
その全てが同じ事を告げていた。
「亡き袁紹の三男・袁尚が挙兵。
鮮卑大人の軻比能がこれに加担。
烏桓族の蘇僕延と烏延が、前大人・丘力居の実子の楼班を奉じて蹋頓から分離。
匈奴右賢王の去卑、呼廚泉単于に背いて袁尚に合流。
その総勢三十万以上」
袁尚は、劉備による旧袁紹陣営乗っ取りに最後まで反抗し、烏桓の地に亡命していた。
劉亮は袁隗との義理や、袁煕の感情にしこりを残さぬ為に、義兄にあたる蹋頓に頼み込んで亡命を認めさせた。
冀州は袁煕の領土として残しているのだし、劉備を盟主と認めさえすれば、冀州を袁尚に、幽州を袁煕に任せるというのも考えに入っていたのだ。
まあ、そんな未来は無くて袁尚は北方で一生を終えるだろう、劉亮はそう思っていたのだが、袁尚は劉亮の想像を遥かに超えた「この時代で覇を唱える英雄」であったのだ。
この場合、有能か無能かは問わない。
そう生きるタフさを持っている事が重要である。
袁尚には元袁紹軍の軍師や武将たちが幾人も付き従っている。
審配と郭援は元々袁尚派だったが、その他に政敵だった袁譚派の郭図も加わっている。
郭援は冀州や并州で暴れていたものの、曹操の依頼を受けた馬超に敗れ、その後鮮卑の地に亡命したのだが、大人の軻比能を説得して同志とした上で袁尚の元に駆けつけた。
郭図は洛陽を攻めて夏侯惇に敗れた後は隠遁していたが、袁尚挙兵を聞いてこれに参加する。
更に劉備に打ち破られた淳于瓊派の残党たちも加わった。
審配と郭図は個人的にも不仲なのだが、この際は手を取り合って反袁煕、更には反劉備を誓う。
敵と言えば、意外な者も居る。
それは公孫瓚の子・公孫続である。
公孫瓚は袁紹の宿敵であり、易京の戦いに敗れて死亡した。
公孫瓚は我が子を黒山賊の張燕に預け、生き残らせるべく手を打つ。
その後、公孫続は匈奴に匿われていたのだが、この挙兵において去卑と共に袁尚の下に駆け付けたのだ。
かつての宿敵の子同士は、共通の敵を前に手を組む。
するとどこかに隠れていた元渤海郡太守の公孫範や、元劉虞の従事ながら同族の為に裏切った公孫紀も手勢を引き連れて合流。
黒山賊もまた袁尚軍に加わった。
その後、袁尚は蹋頓が交易(という名の酒調達)に出ている隙に、烏桓族も切り崩す。
元々の族長は丘力居なのだが、その子が幼かったから従子の蹋頓を後継にしたのだ。
実子が成長したなら、楼班を立てるのが筋である。
故に蘇僕延と烏延が配下の者を引き連れて蹋頓から離脱、楼班こそ真の単于であるとして烏桓族を割った。
蘇僕延と烏延には元々自立志向があった為、上手く利用されたようだ。
袁尚の軍師集団の暗躍は終わらない。
彼等は再度、馬騰・韓遂にも声を掛ける。
馬騰と韓遂は一度決裂し、馬騰は張既の説得に応じて入朝を決めていた。
そんな中、北方で膨れ上がった袁尚軍の兵力を見て、関西軍閥たちは好機と判断。
審配は韓遂と、馬騰の兵を預かる長男の馬超を和解させる。
そして馬騰は、馬超の説得に応じて西涼に引き返し、共に挙兵する。
二十万と号する軍勢が反曹操、反袁煕、反劉備を掲げて動き出した。
「丞相、話がある」
劉亮が、曹操のお株を奪うが如く、前触れでアポを取った数分後に丞相府に乗り込んだ。
「ほお、いつも他人事な御史大夫が慌てている」
曹操は相変わらず人を食った態度だ。
だがすぐに真面目な顔になり
「俺もお前に用がある。
話題は同じだな?」
と圧を掛けて来た。
お互い問題視しているのはやはり袁尚の件。
単に袁尚だけなら軽く潰せる。
遊牧民たちが加わった大兵力ではあるが、説得するなら劉亮、叩き潰すなら曹操で問題無い。
しかし同時多発的に攻撃が始まった事が問題だ。
そこにどういう繋がりが有るのか?
劉亮は、孫乾を通じて劉備陣営の様子を知らされている。
それによると、呉は劉備・袁煕と同盟を結び、曹操を倒そうと呼び掛けていた。
これが完成すれば、曹操陣営は全方位から攻められる、完全包囲下に置かれるのだ。
だが袁尚は、袁煕と劉備の打倒も唱えている。
呉の周瑜が書いた戦略と、袁尚の復讐心が連動しているとしたら、差し当たり劉備・袁煕陣営への攻撃は後回しにし、同盟軍として曹操包囲の一翼を担わせるのが得策だ。
更に言えば、周瑜の策略に踊らされて曹操と劉・袁が戦いに突入し、双方疲弊した時点で袁尚が冀州に、呉が豫州や司隷を衝けば「漁夫の利」が狙える。
周瑜にすれば、そうなるまで待てば良い。
だがおそらく周瑜と袁尚は連携出来ていない。
袁尚がせっかちな性格である事を鑑みても、呉にとっての好機を無視して行動を開始してしまったのは失策に過ぎる。
たまたま周瑜と袁尚の個々の行動が同調しただけではないか?
ここで劉亮が恐れたのは、
(袁尚には、兄や袁煕はともかく、曹操を「今」打倒する必要が無い。
だから反曹操を唱えつつ、実は袁尚と曹操が繋がっている可能性がある。
実際、劉備陣営の軍師たちは十年の和睦を破る気満々だった。
曹操陣営が同じでもおかしくはない。
そうなると包囲下に置かれているのは、劉備陣営の方だ)
という事である。
自分は劉備陣営の情報を曹操に明かしていない。
曹操だって同じだから、腹の探り合いという面倒な形で相手の意図を探らないと……。
他方の曹操も、自陣営が包囲下にある事を警戒していた。
曹操にしたら、実は元々仲が良かった袁煕・袁尚兄弟がここに来て裏で手を組んでいたなら、彼は全方位から攻撃を受けてしまう。
まさか周瑜は、袁兄弟の関係改善を図ったのか?
その事を劉亮に問うが、劉亮は何かを隠しているようで歯切れが良くない。
そこで曹操は、共通の理解者である荀彧・荀攸のみを残して人払いを命じる。
「俺の認識とお前の認識にズレがあるようだ。
どうもお互い知りたい事が得られないな。
隠し事は無しだ。
お互い持っている情報は開示しよう」
そう言うと、曹操は劉亮に密書を手渡す。
『曹丞相に謹んで申し上げる。
呉主孫権は荊州とひとかたならぬ因縁がある。
だがそれは、亡父・孫堅の遺領回復と、正統な荊州の主・劉琦の州牧就任で終わらせる。
貴公とこれ以上戦おうとは思わない。
天下の為、和議を検討し善処して欲しい』
(何だ、これは?
劉備の所に同盟を持ち掛け、曹操打倒を訴えて来た陣営とは思えない。
つまりは、劉備と曹操を戦わせて共倒れを狙うのが策か?)
劉亮が知る「史実」の孫呉には、確かにそういう所がある。
だとしたら、直ちに劉備に知らせ、軽々に孫権の誘いに乗らないよう釘を刺さないと。
だが劉備の前に、まずは曹操に諸々を伝えねばなるまい。
劉亮は、自陣営の秘密ではあるが、孫権からの同盟打診と曹操挟撃の密約について話した。
無論、劉備が応じるつもりとか、そういう危険な事は言わない。
曹操もそこは敢えて突っ込まないようだ。
問題は、孫呉には劉備・袁煕と手を組んで自分を倒す意志がある事。
自分に対する和議申し立て、条件提示は単なる罠であろう事。
であれば、小癪な周瑜とやらを叩き潰せば、全ての問題は片付くだろう。
だが、南方での戦いは先日敗北したばかり。
南方の……特に水上で戦う準備は整っていない。
陪席していた荀彧が口を開いた。
「殿、小臣が考えるに、呉には殿を討つ気がまだ無いのでは有りませんか?
この大乱の絵図を描いたのは、呉ではなく袁尚なのでは無いでしょうか?」
そう語る荀彧に、曹操は
「そう思う根拠を述べよ」
と言う。
荀彧の考えはこうだ。
袁尚の行動は数年掛かりのもので、曹操の敗戦を知ってからではない。
もっと前から準備をしていた。
そして呉と長城の北の袁尚では、距離が遠過ぎて連絡を取り合うのが難しい。
確かに遊牧民たちは、交易の関係で頻繁に漢土をうろつくようになったが、それでも共謀するような使者の往復をするには面倒だ。
だから、周瑜と袁尚の共同作戦は有り得ず、個々の単独行動の結果であろう。
袁尚にしたら、曹操が敗れた「機」に乗じて、袁煕・劉備を倒して亡き父・袁紹の勢力に返り咲くのが目的。
この「機」は袁尚のもので、数年待てば……なんて言ってられない。
呉が劉備と手を組もうとしている事なんて知らないから、中原が再び争乱に陥る、そこで漁夫の利を……という思考には至らない。
既に馬騰・韓遂ら関西諸侯を味方にした。
曹操は関西諸侯と呉に任せて、自分たちは心置きなく冀州を奪い返しに赴く。
こんな風に袁尚の方は比較的読みやすい。
では呉の方は?
現在の呉に、曹操を完全に打ち破るだけの兵力は無い。
実際、荊州での勝利後に行った西徐州攻撃は曹仁に、豫州攻撃は張遼に、荊州襄陽攻撃は于禁によって撃退されている。
その後、袁尚軍の北方攻撃を知った辺りから、兵を引いているし、直後に和睦の書状を送って来た。
ひとまず曹操との戦いからは手を引きたいようだ。
「今は我々との戦を後回しにして、したい事が有るのではないかと推察します」
荀彧がそう言った為、劉亮はふと
「天下二分の計……、いや、今は華北が統一されていないから、天下三分か……」
と漏らした。
「叔朗、今何と言った?
知っている事なら明かせ。
俺と玄徳は同じ呉という敵を抱えているのかもしれん。
今は隠し事は無しだ」
曹操がせっついて来た為、劉亮は「史実」知識を披露するしかない。
もしかしたら、状況は変わっているから変化しているかもしれないが。
「呉の軍事の第一人者は周瑜という男。
彼以上は居ないでしょう」
「知っている。
亡き孫策の友人で、その意志を託された男だ」
「周瑜には大計があり、それは天下二分の計であった」
「二分?
どことどこだ?」
「長江を挟んだ北と南。
現在、北側は分裂状態だから、二分の計ではおかしいのだが、まあそういう事だ」
「…………。
よし、呑み込めた。
周瑜は俺たちが争っている隙に、呉と荊州と蜀を併せ、それで俺たちに対抗するつもりだな。
江南は人口が少ない。
単独で戦っても勝てないのは、既に証明済みだ。
しかし、揚・荊・益・交の南四州を束ねれば勝ち目が出て来る。
それが狙いだな」
「そうだろう」
曹操はこの際、劉亮がどうして周瑜の戦略を知っているかは聞かなかった。
きっと事実なのだろう。
それを前提に善後策を考えないと。
「手をこまねいて、呉に南方全てを抑えられては後々困ります。
ここはこちらも策を弄し、周瑜めが失敗するよう仕向けますか?」
荀攸がそう提案すると、曹操より先に荀彧が
「いや、策を使うのは良いとしても、北と西の戦を片付けるのが先です。
恐れながら申し上げますが、南部四州を糾合しても我々には勝てません。
更に蜀は天険の地、呉が上手く手に入れる事も難しいでしょう。
ここは周瑜の手に乗り、南は手打ちとするのがよろしいかと」
と修正案を出して来る。
曹操は荀彧の策を可とした上で
「それで、呉に対しての策を述べよ」
と荀攸にも意見を聞く。
「されば、書状を劉璋に送ります。
呉の野心を知れば、如何なるお人好しとて守りを固めましょう。
もっとえげつない策をお求めでしたら、賈詡めをお召になり、尋ねられては如何でしょうか。
ともあれ、兵を用いるのではなく、一片の書で周瑜めの足を引っ張ればよろしいかと」
「そうだな。
兵を出す必要は無いし、南が束になっても俺には勝てんが、さりとてあの若造の好きにやらせるのも癪に障る。
精々陰湿な嫌がらせをしてやろうか。
後で賈詡にも意見を聞いてみる。
あいつはこういうのが得意だからな」
「御意」
曹操と軍師たちのやり取りに、劉亮は思わず
(嗚呼、まさに「三国志」の一場面。
俺はこういうのを見たかったんだなあ。
翻って、俺の……劉備の陣営はどんな感じになっているかなあ?)
とか考えていた。
そんな劉亮に、曹操が爆弾を投下する。
「よし、では御史大夫には袁尚と烏桓・鮮卑・匈奴の件を片付けて貰おう」
「はい?」
「色々鑑みるに、お前が刈り損なった芽が成長したものだ。
お前が責任持って始末して来い。
北の事は、得意だろ?
俺は西を片付けて来るから、北はお前に任せる」
「はあ??
いや、丞相、私が戦を得意としていない事は知っているでしょう?」
「補佐役を就ける。
司馬懿といって、つい最近俺に仕えた生意気な奴だ。
だが出来る奴だから、その才覚を発揮して貰う。
司馬懿は倅の子桓(曹丕)の部下だから、ついでだから子桓も連れて行け。
あと子文(曹彰)も戦いたがっていたから、それも頼む」
「いや、殿。
御子息を二人も北に送るつもりですか?」
「問題無い。
俺にはまだ子が居るからな」
劉亮には曹丕・曹彰の事は頭に入って来ていない。
(なんつー大物を参謀にするんだよ……)
今は軽輩だが、「史実」では三国志の最終勝者となる者の祖父。
司馬懿という名前に戦々恐々としている劉亮であった。
おまけ:
曹操「そもそも馬騰・韓遂に二十万もの兵があるのか?」
賈詡「そう号しているだけです。
居たとしても、非戦闘員も含めての数でしょう。
賭け金は大きく見せた方が有利になるものです」
曹操「賭け金が大きいという事は、負けた時は一文無しになるな」
賈詡「左様。
敵もそれは分かっていて、だから不利になればすぐに降伏、撤退するのです。
これは董卓以前から繰り返していますし、冀州の時も戦わずに帰っていました」
曹操「面倒臭いな、今回は一網打尽にしたいものだ」
賈詡「ならば序盤は負け続けなされ。
そして、戦っていれば勝てると思わせればこちらのもの。
あと一手で勝てると思えば、何度負けても奴等は撤退を保留します。
焼かれながらも……人はそこに希望があればついてくるものです」
曹操「良かろう。
俺はあいつらの勝ちたいという欲を利用し、泥沼に引きずり込んで、賭け金を全部卓上に乗せさせれば良いのだな」
賈詡「はい。
そうしたならば、奴等が完全に倒れるまで……勝負の後は骨も残さない」
曹操「フフフ、恐ろしい奴だ。
馬騰・韓遂はそれでいこう。
あとは江南。
呉が好き勝手に行動するのは好まん。
何か嫌がらせの策を示せ」
賈詡「この場合は周瑜ではなく、孫権を狙い撃ちましょう。
彼奴は周瑜とは別に合肥を攻めたりと、連携が取れていないのが見られます」
曹操「どう狙い撃つ?
面白い策だろうな?」
賈詡「御史大夫殿の手札を使います。
ククク……中々の『埋伏の毒』となりましょう」
賈詡の策の結果はまた後日。




