戦乱再び
※この章は、とりあえずここで終わる為のものです。
もしも続編を書く事になった場合、しれっと改稿して話が繋がるようにしてから、第二部・第十一章を作成して続行します。
そうせざるを得ない状態が起これば良いですが。
建安十三年(208年)秋。
「曹操が敗北した」
劉亮はその報に驚くと同時に
(こっちの世界でもそうなってしまったか)
とどこか腑に落ちた感じで聞いていた。
事の発端は荊州牧の劉表が死んだ事である。
袁紹と同盟し、同族の劉備とは同志であった劉表は、袁煕・劉備連合と自領とで曹操を挟み込んでいた。
一方の曹操は、父の代から劉表との因縁がある孫権と手を組んで睨み合っていた。
こうして膠着状態を作り出していたのだが、その一方の雄が死亡したのである。
劉表には二人の子がいたのだが、劉表は荊州の有力者・蔡瑁を後ろ盾にする次男・劉琮を可愛がっていた。
しかし長男の劉琦を完全に廃する訳でもなく、兄弟は対立関係にあった。
劉表が病臥するようになると、孫権軍はこれを好機として行動を開始する。
劉表の同盟者で東方の夏口を守っていた黄祖が、呉の凌統・呂蒙によって打ち取られてしまう。
劉琦は黄祖の軍を掌握し、東方を守る為に江夏郡に移動した。
この直後、劉表が危篤に陥ったのである。
劉琦は急ぎ、父の居る襄陽に駆け付けたのだが、蔡瑁・張允といった者たちに妨害されて面会が適わなかった。
やがて父の死を知り嘆き悲しむ劉琦に対し、弟の劉琮は宥和策に出たのだが、逆に劉琦を怒らせてしまった。
そして兄弟は別の道を歩む。
呉からの調略に応じ、劉琦は孫権に江夏郡ごと降伏したのだ。
それを知った劉琮は、曹操に降伏して援軍を求める。
そして、劉表生前は同盟関係にあった曹操と孫権の軍が、荊州になだれ込んで領土の奪い合いを始めたのだった。
やがて荊州の過半を占領した曹操は
「孫権と話をつける」
と言って、接収した荊州水軍を引き連れて長江を下る。
緊張状態にあったものの、まだ曹操と孫権は直接戦ってはおらず、威圧込みの交渉でどうにかなると思っていたのかもしれない。
しかし、曹操の行動を見て呉は一転、曹操と断交して戦う事を選択する。
曹操は急転直下の方針転換を察せなかった。
自分が軍を率いていたのだから、何事も起こらないとは思わなかったのだが、流石に
「曹丞相への降伏の使者を送ります」
と言われて待っていた所を、火計に遭うとは想像も出来なかった。
完全な奇襲に、手に入れたばかりの荊州水軍及び多くの物資を失って敗走するも、主力部隊は健在である。
荊州に戻って防戦に入るが、孫権軍はかつて父が太守をしていた長沙郡等南方四郡を制圧。
劉琦を擁立して荊州奪還を叫ぶ東方の周瑜軍と、孫堅遺領を回収した南方の呂蒙軍とが、襄陽を制した曹操軍を挟み撃つもこれを撃退、膠着状態となり睨み合いが始まった。
(やはり動いたか、周瑜。
そうなる可能性が高いとは思っていた。
だが、この世界では荊州に劉備が居ない。
そうなると、呉の講和論者を説得するには足りず、もしかしたら戦わずに終わる可能性もあった。
俺の知る「史実」とは違っていたから読めなかったのだが、結局戦ったのか……。
しかし、一武将の投降ではなく、国家の降伏を言い出した後に奇襲って、戦時国際法が無いとはいえ酷いよなあ。
一体どこの彗星帝国と宇宙戦艦だよ……)
劉亮の中の人は逆行転生者である。
だからこの先の「史実」というものを知っていたのだが、もう役に立たない。
彼の知る歴史から逸脱している為、展開を読むという優位性は失われたのだ。
これが歴史を改変するデメリットと言えよう。
変えた先の歴史は未知のものとなり、「知っている」が故の先回りが出来なくなるのだ。
「未来知識」を武器としてやって来ただけのものは、生きた人間がそれぞれの考えで行動する舞台において、己の才覚だけで対処しなければならなくなる。
その時「知識」だけでやって来た者は、生きた人間相手に勝てなくなるだろう。
応用を効かせる柔軟さ、当時の人間に対しても勝てるだけの智謀を持っていないと、ただの凡人は歴史に名を残す程の者に太刀打ち出来ない。
劉亮の中の人は、そういう事もあって「自分が死なない」以上の歴史改編には及び腰だったのだが、袁紹領乗っ取りに、司徒としての五年余りの政治で後戻り出来なくなっていた。
賽はとっくに投げられているのだ。
とりあえず無事に許都に帰還した曹操は、自軍の主だった者を集めて対応を協議する。
この場に劉亮は呼ばれない。
劉亮は劉備から期限付きで借りている客将であり、そこは曹操も気を使ったのだ。
故に、劉亮が周瑜の脅威を説明していない事もお互い問題にはしない。
民衆の政治に関する事は、漢全土に好影響を及ぼすから、曹操の責任で劉亮も惜しみなく未来知識を使っている。
というか、使うよう強要されている。
仕事を振られたり、酒を飲ませたりと、ありとあらゆる手段で。
だがお互いの陣営に対し不利になるような事や、他勢力について知り得た情報については語らぬ事を不文律にしていた。
だから劉亮は曹操軍の事に口出ししないし、曹操は劉亮が持っている北方民族との利害関係について聞いたりしない。
それ故、曹操の敗北は劉亮にとって他人事であった。
だが、江南の事を他人事としてもいられなくなった。
青州から孫乾が訪ねて来る。
劉亮が都に出仕した後、劉備陣営の交渉役はこの孫乾が勤めている。
「史実」で見ても外交担当だったから、妥当な人選だ。
その孫乾が劉亮に伝えたのは
「劉備に対し、孫権から同盟打診の使者が来た」
という事である。
(孫呉も侮れないな)
劉亮は舌を巻く。
同盟を持って来るやり方が上手いのだ。
劉亮が徐州に居た時は、劉表と孫権、どちらにも角を立てない方針で居た。
しかし劉備に代わってからは、劉表を明らかに重視していた。
それでも劉備自身は、田豊に説教されながら、遥か年下の孫権に対しても礼節をもって接し、どちらかに偏った風には見せなかったが、州境を接する関羽は違う。
劉備自身は青州に居る為、東徐州を通過しての外交となる。
その途上の東徐州において、関羽は度々呉を侮っていたのだ。
関羽の孫権への態度は、劉亮が前世で知る「史実」と似た行動である。
関羽のその態度に、呉と劉備陣営両者は疎遠になっていった。
その為、長江を挟んで関羽と孫呉とは睨み合うようになったのだが、劉表が死んで状況が変わる。
孫権は曹操との対戦を決意し、荊州併合に向けて動き出した。
そうなると、多正面作戦を防ぐ為に徐州方面は平穏であって欲しい。
だから劉備に同盟を持ち掛ける、そこまでは読める。
しかし劉備は頑固な部分があり、劉表の敵対者であった孫権と簡単には手を組まない事が予想される。
劉備がかつて冀州を奪った事を置いといて、もしも「これから亡き劉表の遺領を奪いに行きます」なんて言ったら、劉備はきっと激怒するだろう。
それゆえに呉は、自身ではなく「真の荊州の継承者・劉琦」との同盟を打診したのである。
劉琦を呉が保護している以上、事実上の呉との同盟となる。
それを見越して、孤立した劉琦を倒して江夏郡を奪うのではなく、味方につける工作をしたのであれば中々の策士だ。
「それで兄は、左将軍は何と仰せか?」
孫乾は困惑した表情になる。
「左将軍は呉と手を組んで良い、と仰せです。
されど……」
「されど?」
「東徐州牧の関将軍が
『呉の孫権等犬コロも同然。
降伏の使者を送りながら火計をするような卑怯者と手を組んだら、此方まで卑怯者になる』
と嫌がっていて、左将軍も困っております」
(うん、想定の範囲内……)
外交では困ったちゃんの髭。
まあ、孫呉のやり方は確かに卑怯なものだ。
だが中国史を見れば、漢の高祖・劉邦からして
「降伏する、これよりそちらに赴く」
と言って身代わり(紀信)を項羽の陣に送り、その隙に包囲されていた城から逃げ出すなんて詐術を使っているのだ。
当然、身代わりになった紀信は、項羽によって殺されている。
また有名な春秋戦国時代の「田単火牛の計」も、前段階で田単は燕軍に降伏の使者を送って油断させている。
当の曹操自身が
「完全に油断しておった」
と気にしていないのだし。
「あと、関将軍だけの事ではないのでしょう?」
劉亮が孫乾に、話を続けるよう促す。
孫乾はこれまた言いにくそうだ。
「あのぉ……これは御史大夫閣下ご自身に関わる事なのですが……」
「私の……。
という事は、いざとなったら見捨てるから、自分の身の振り方は自分で決めろって事ですか?」
「は……はい、申し上げにくいのですが……」
「それは左将軍の考えではありませんね。
おそらく軍師たちの意見でしょう?」
「左様です」
この五年、冀州は兵乱も無くよく治まっていた。
袁紹の遺徳を活かし、袁煕も民の慰撫に努めた政治を行う。
それでも公孫瓚との戦いや、劉亮がきっかけに引き起こした「大海嘯」の傷が完全に癒えたとは言い切れない。
だが戦いには機というものがある。
曹操が敗れ、孫権が荊州と豫州を攻めている。
これに呼応するのはアリだ。
そこで
「状況にもよりますが、劉・袁・孫で曹操を攻めるのは有りですな。
十年という和睦期間ですが、それに拘って曹操を利する必要は有りません。
『天の与うるを取らざれば反って其の咎めを受く』
とも言います。
臨機応変に対応する事こそ重要ですぞ」
と田豊、沮授といった旧袁紹軍から鞍替えした軍師たちが主張したのだ。
田豊はかつて、北方での持久戦略を主張して袁紹を不快にさせ、投獄されたから慎重派と思われがちだ。
だがそれは袁紹が機を逃したからで、曹操が劉備を追って徐州入りした瞬間は
「今すぐ南下して許都を抑えるべし」
と進言している。
故に、今回も「機が熟せば」即応しろと言っているのだ。
「しかし、許都には叔朗が居る。
呉と組んで挙兵は良いが、それをしたら弟は殺されるのではないか?」
と躊躇する劉備に、田豊も沮授も
「むしろ劉亮殿こそ、機を逃さずに戦えと言われるでしょう。
大丈夫です。
あの方は人畜無害な顔をしてますが、結構な悪人です。
董卓の魔の手からも逃げおおせています。
ご自身の才覚でどうにでもするでしょう」
と言ったという。
(いや、だから、それは買い被りだってばさ)
劉亮は思わず腰の刀を撫でた。
それは話に出て来た董卓から贈られたもの。
董卓は何だかんだで劉亮を殺そうとしなかった。
劉亮には理由が分からないが(知らず知らずに死亡フラグをへし折っていたからだが)、兎に角彼は董卓の好意で生き延びられたと思っている。
あの反董卓連合軍が挙兵した時、青州牧だった劉備も連合軍に加担していたら、獄から出されたばかりの劉亮では逃げる事も、手を打つ余裕も無く、洛陽の袁一族と共に処刑されていただろう。
「まあ、予め知っておけば、逃げ出す手も有るのか……」
「軍師たちもそう仰せでした。
そういう事も有り得るから、知らせておくように、と……」
はあ~っと溜息が出て来る。
軍師を迎えろと散々言って来たのは劉亮自身である。
その軍師たちは、劉備が天下を治める絵図を示している。
だから軍師たちがやっている事は、確かに劉亮が望む事なのだ。
だが、妙な信頼を元に
「劉亮を見捨てるような形で挙兵しても大丈夫。
あの人、何とかするから」
と言われても困るのだ。
(劉備を安心させる為に言っているけど、
「天下を狙う者は親兄弟に拘泥なさるな」
というのもあって、正直俺の死も計算の内だろうなあ)
劉亮はそう読んでいて
(だとしても、俺はここで死ぬ気は無いからな。
どうにかして生き抜く!)
と決意を新たにする。
だが、その決意は無駄になった。
機を見て動く、それは大事な事だ。
その機を見ない者が先に動いたのである。
おまけ:
故・劉馥の部下たち「呉の者たち! 合肥城を落とせると思うな!」
周瑜とは別に豫州を攻めた孫権は、合肥城で撃退される。
??「まずは江南を固めるのが先決。
琦君を立てて荊州を保護国化し、御父上の遺領を奪還しましょう」
周瑜「その後は天下二分、我々は江南・荊州・蜀を奪い征北路は三路を確保し万全の態勢を整えます。
北が今のまま二分であれ、どちらかが制するのであれ、我々は我々の国を作りましょう。
少し出遅れましたが、これから南を一統し、亡き大殿(孫堅)、伯符殿(孫策)の御遺志を果たしましょう」
魯粛「荊州を争う曹操との対抗上、徐州の関羽の動向が気になりますな。
あの男はわざわざ介入はして来ないでしょうが、手は打ちましょう」
??「ならば、某にその役割を。
徐州の関羽ではなく、海路直接青州の劉備に会い、説得いたしましょう。
彼の御仁は、琦君を立てて話をすれば必ずや盟に応じましょうぞ」
孫呉に新たな人材が加入した模様。
おまけの2:
兵を差し向ける等、強引な方法でやっと曹操は司馬懿を出仕させた。
曹操「お前の兄から聞いたが、許都に来る前に面白そうな書物を全て焼き捨てたそうだな?」
司馬懿「は……。
娯楽からは卒業せねばと思いまして」
曹操「もったいないなあ、俺はお前が見て来たものにも興味がある」
司馬懿「単なる隠者気取の現実逃避に御座います。
ところで、この食べ物は何でしょう?」
曹操「うむ、薄く切った牛肉を、魚醤と蜂蜜の甘みで煮込んだものだ。
南方の米の上に汁ごと載せると美味い。
御史大夫が仕入れた北方の食材で、牛の乳を固めたものも合わせると良いようだ。
御史大夫はチー牛とか言っていたな。
チーが何の意味かは分からんが」
司馬懿「御史大夫……劉亮殿でしたな、皇族の」
曹操「そうだ。
面白い男だから、すぐに引き合わせよう」
何かのフラグが立った模様。
なお、元ヒキニートの陰キャにチー牛を振る舞う意味を、たまたま日本帰国中にこれを覚えて来た劉亮の中の人も含め、曹操も司馬懿も分かっていなかった。




