第2話 エルネスト様、謝罪しよう! 君の言葉は正しかった!
「ふう。やっと着きましたわ」
馬車を降りて見上げたそこは、王都のパースフィールド侯爵家の屋敷。
領地のそれと同じ素材だろうと思われる少し黄色みがかった石の壁。
本当に王都にあるのかと思うほどの3階建ての優美と堅牢さと兼ね備えた屋敷。
「驚かない。ええ、ええ。驚きませんとも」
クローディアの額から、つっと汗が伝う。
パースフィールド侯爵領の城のような屋敷を見ているのだ。
王都でも、ばかデカい屋敷を見たとしても、顎をぱかりとなんて落としませんとも。
ふと横をみると、あんぐりと口を開けたミカが。
その姿をみて、クローディアは安心した。うむ。我の感覚は正常である。
「ミカ、大丈夫?」
クローディアは余裕をみせながら、ミカをいたわる。主人として、これ大事。
「はい、失礼しました。あまりに大きなお屋敷なので」
グレームズ男爵家とは違って、との枕詞がつきそうである。
悔しくなんかない。
まあ、自分と同じ感覚を持ったミカのお陰で、平静に戻れた。ありがとう、ミカ。
これで何とかちゃんと挨拶できそうである。
「じゃあ、行きましょうか」
「はい」
今は冬。あまり長く玄関前にいたら、風邪をひいてしまう。
と主従の気持ちが揃ったところを見計らったかのように、内側から扉が開いた。
「え?」
刹那。真っ先に見えたのは、エルネストのドアップ。それも涙目の。
「クローディア!」
ああ。デジャヴ、である。
ひしっと彼に抱き着かれたクローディアは遠い目になる。
限界でしたか。エルネスト様。
エルネストは、王都ヘリケアにクローディアと一緒に来たがった。
まだまだ一人では亡霊と立ち向かえないからと。
しかし、クローディアも色々支度もある為、何とか説得して先に出発してもらったのである。
もしかしたら、案外一人でも大丈夫になってたりするかも~。そしたらすぐにお家に帰れるかも~との淡い期待を抱いたのは内緒である。
クローディアに抱き着き震えるエルネストを見れば、それははかない夢だったとわかるが。
「エルネスト様、遅くなって申し訳ございません」
「ん! んっ!」
おい。これでも超特急で支度して来たんだぞ。そこはいたわりの言葉をくれてもいいのではないだろうか? まあ、その余裕がないほど、この数日怖い思いをしていたということなのかもしれない。
しかしながら、エルネスト様。どうせ、パースフィールド侯爵家にやっかいにならなければならないのなら、快適に過ごしたい。そのためには、侯爵夫人の第一印象は好印象を持ってもらいたかった。
なのに。
クローディアが見つめる先、玄関ホールに立つのは、3人の人物。
まずは言わずと知れたパースフィールド侯爵家当主、アウグスト=パースフィールド。
紫がかった銀髪に濃い藍色の瞳の美丈夫。エルネストのオリジナル版だ。エルネストの行動を予想していたのか、平静である。
うむ。流石である。その隣にいる女性はおそらく侯爵夫人だろう。
フロレンシア=パースフィールド。金髪に萌黄色の瞳。夫君と並んでも遜色ない美貌の持ち主である。栗色の髪に緑の目、平凡を地でいくクローディアには全くうらやましい限りである。
そして侯爵夫人の隣いる少年、おそらくエルネストの兄、次期パースフィールド当主、ヴォルター=パースフィールド10歳。紫紺に近い銀髪。萌黄色の瞳。エルネストと同じく将来を期待される少年である。
この3人のうち、当主を除く、2人がエルネストの行動にあっけに取られて、目を丸くしてクローディア達を見ている。
くっ! そうでしょうとも。そうでしょうとも。
息子が、あるいは弟が、いきなりマナーを空の彼方へと吹っ飛ばして、女子に抱き着いているのだから。
わかる、わかりますとも。クローディアもある程度予測していたとはいえ、日に日にエルネストの距離が近くなることに危機感を感じている身であるから。
だが、間違えないでいただきたい。抱き着いて来たのは、クローディアではないですから! エルネスト様からですから! 私は自分の立場を弁えてますから! そこのところよろしくお願いします!
この状況の打開を願うべく、縋るようにパースフィールド侯爵に視線を向けると一人頷いている。
なにそれ。予想通りだ。俺、わかっていたぜとでも思っているのか。
ああ、侯爵様、アウグスト様、落ち着いてないで助けてください!
しかし、そんなクローディアの心の叫びは全く届かないのか、またもうむと、頷く侯爵家当主。
ああだめだ。誰にも助けが望めないとわかったクローディアは自ら改善しようと試みる。
「エルネスト様? 皆様にご挨拶をさせてくださいませんか?」
そうしてやんわりとエルネストの腕をとく。
そうだ。まずは挨拶をしなくてはならない。うむ。理由として間違っていない。
なのに一瞬、エルネストは不満そうな眼差しをこちら向ける。
ふう。そんな可愛い顔してもだめです。
お世話になるなら、最初が肝心なのだから。
クローディアの気持ちがわかったのか、しぶしぶエルネストはクローディアから離れた。
それにちらっと言わせてもらえれば、亡霊への解決策も見つけたし、亡霊に免疫をつけて、そんなに怖がらなくてもいいんじゃないかなあ。
ほら、か弱い女児のクローディアとて、エルネストよりも日は浅いものの、亡霊に接することに慣れてきているんだから。
いや、性別に関係なく、性格の問題でしょうという突っ込みが、ミカから入りそうである。
幸いミカはエルネストとクローディアが亡霊が視えるのを知らないので、黙ってクローディアの後ろに控えている。
<エルったら、甘えん坊さんね~>
ララはクローディアの頭上で、平常運転マイペースである。
ともあれ、クローディアはエルネストへの不満を露ほどにも出さず、やんわりと彼を脇に避け、3人の侯爵一家の前へと踏み出す。
それを機に、ようやっとパースフィールド侯爵が口を開いた。
「遠路はるばるよく来てくれた。歓迎する、クローディア嬢」
それに応え、クローディアはスカートを摘み挨拶をする。
コートは馬車で脱いでおいたのだ。コートまで新しくする金銭的に余裕は我がグレームズ男爵家にはないのだ。今クローディアが着ているのは、今日この日の為の一張羅の淡い黄色のワンピースである。そしてそれに合うように手製のクリーム色の毛糸の帽子。それには赤い花弁の花をあしらってある。自作した。密かに自信作である。
帽子は脱いだ方がよいかとも思ったが、なにせ、髪がベリーショートなので、少しは華やかさと思い敢えて脱がなかった。
「侯爵様、わざわざのお出迎え、ありがとうございます。侯爵夫人、そして若君、お初にお目にかかります。クローディア=グレームズでございます。お言葉に甘えましてお世話になります」
そこで立ち直ったのか、侯爵夫人が言葉をくれる。
たおやかな美人さんである侯爵夫人は、クローディアの母であるベリーヌのようなたくましさは見られない。いや、侯爵夫人を張っている以上、内心はかなりタフなお方なのかもしれない。油断禁物である。
「まあ。可愛らしいご挨拶ですこと。それに帽子も素敵ね。毛糸の帽子? 初めて見ますわ。それに同じく毛糸で作られた花が素敵ね。どこで取り扱っているのかしら?」
おおう。すごい食いつきである。毛糸の帽子、珍しいのか? そういえば、髪が短くなって寒いので、毛糸で靴下が作れるなら、帽子も毛糸で作れるのではと作ったのだが。そういえば、母に出来上がって見せた時にとても驚いていた。
これはもしかして。
「クローディアさん?」
はっ!考えに没頭してしまった。まずい。
「失礼致しました。この帽子は、叔父からもらいました。まだ試作品とのことです」
「そう。ではまだ売り出されていないのね」
侯爵夫人の目がきらりと光る。
「あの、もし気に入られたようであれば、私が明日にでも叔父に商品化の進み具合を聞いてまいります」
「それは嬉しいわ。ふふ。でもそんなに急がなくてもよろしくてよ。貴女も王都に着いたばかりで疲れているでしょう?」
うむ。その言葉をうのみにする訳には行くまい。
ええ。わかっております。それは建前のお言葉であることを。
「いえ、大丈夫でございます。私もしばらく会っていなかった叔父に早く会いたいですから、早速今日のうちに先ぶれを出しておきます」
「そう。ではお願いしようかしら? ふふ楽しみだこと」
うむ。ニコラ叔父よ。少しは私の苦労を分かち合ってもらおう。
私はエルネストの対応で精一杯なのだ。この状況を作り出した元凶、ニコル叔父よ。侯爵夫人の対応をよろしく。
ああそれにしても、これは思わぬところで臨時収入の予感! せっかく王都に来ているのだ。買い物買い食いをしたい! 一気にテンションが上がった。
それに、これはいい兆候なのではないか。侯爵夫人はクローディアの帽子に興味を持ってくれたのだ。良い印象を持ってもらえたかもしれない。それとも気にいったのは帽子だけか。
判断が微妙である。
いや、冷静になろう。まあ、クローディアがここに滞在する理由を侯爵が夫人に正直に話していれば、好印象を持たれないなあと思う。
まず、信じられない理由だろうから。息子は亡霊が視えて亡霊を怖がっており、一人では対処できない。だから同じく亡霊が視えるクローディアが一緒に対応する為に、屋敷に滞在するなど。
むう。マイナスからのスタートは辛い。何とか味方になってくれたら、心強いのであるが。いや、そこまでいかなくてもフラットに受け入れてもらえたら。やはり女性の味方、それもこの家の女主人の信頼があるか否かで格段に滞在時の雰囲気は違うだろう。
亡霊よりもまずはその点を改善していきたいものである。
まだ目を輝かせている侯爵夫人の横で、侯爵家次期当主の若様がこちらを見極めるようにじっと見つめていた。うう。視線が痛い。
私の視線に気づいたのか。若様が口を開いた。
「歓迎する」
一言のみ。口下手なのか、はたまた、言葉とは反対の意味合いの表明なのか。
こちらも判断がつかない。
うう。味方は、味方はいないのか。嘆いたところで、右側の手がそっと握られる。
確認せずともわかる。エルネスト様である。
うん。わかってる。君が味方だという事は。でも、そもそもの原因は君だからね。
と、内心でクローディアがため息をついたところで、突然、不気味な金属の軋む音が響いた。
「な、なに?!」
ガシャン。ガシャン。ガシャン。
金属同士がこすれる耳障りな音。
どこから!?
音の先を見る。それは侯爵一家の後ろ、二階へと続く中央の大階段。
ガシャン。ガシャン。ガシャン。
それはあまりにも大きく。そしてまがまがしい光を放つ。
鉄の鎧を身に纏う。手には巨大な戦斧。
「ひっ!」
それが上から降りて来る。
一歩、一歩。
こちらに。クローディアに、近づいてくる。
「あ、あれだよ! 僕の言っていたすごい奴って!!」
エルネスト様、謝罪しよう。あれは見慣れるものではない。
亡霊にしては存在感ありすぎだ。
いや、それよりなにより。
ガシャン。
階段の最後を降り切った鎧の亡霊。
それには首が、なかった。
「ひいいいいいいいいっ!!」
第一印象、これ大事。そう思っていたクローディアであったが、その願いむなしく、侯爵一家の前で無様に腰を抜かしてしまった。
今年最大の恥辱が更新された一場面であった。
ちなみに、今年はまだ始まったばかりである。