混沌事情
秘密の会合をするための場所とは、幾つもあるものだ。
どの国どの町にも陰謀は存在する。いいや、小さな村にさえ規模は違えど存在する。ならば需要が生まれ、そのための場所を提供するものもいるわけだ。無論、法外な手数料がかかる。お茶代で庶民が1年暮らせる額になろうとも、一国の首都ともなれば成立してしまう。
防音などは勿論完備した個室だが、仮にこうした場所で他人の発言を見聞きした場合、利用しないのが鉄則だ。あくまで指定した相手との会合のみに使用される。破れば、闇に生きる者によって破滅を与えられる。
まるで、それこそおとぎ話のようだが、密談したい者達はそれが事実だと知っている。
だから、受付係は今訪れた客を丁寧に案内した。たとえ内心で警戒度を全力で引き上げながらも、顔は笑みのまま、ローブとフードだけの変装をした客の厄介さに目眩がしようともだ。
訪れたのはコライトだった。下手くそな変装だが、だからこそコライトだとは街の者には思われない。しかし、肉が焦げた臭いが困りものだった。変装という行為が気に入らない神が、罰の前金として散々に痛めつけたのが原因である。
店も困る客だが、金はすでに受け取っているので規則通り通す。神士が約定を破った場合、応報が非常に難しくなるので嬉しい客ではなかったにせよ、客は客。皮肉なことに、陰謀の館はこの世で最も公平であるようだった。
案内した者に頷きだけで礼をして、中に入るとそこにはコライトの旧知がいた。それは誰が見ても驚くであろう相手だった。
一応の最高権力者、統括議長ブラッジだった。コライトを見て浮かぶ喜色は、名家の者が部外者へと見せるものではない。心からブラッジはコライトとの再会を喜んでいた。
「コライトおじさん!」
「ブラー坊や、元気そうだね。それだけが何よりだ」
親愛に満ちた硬い握手。互いに息災であること、それは不老の神士にとって素晴らしい贈り物だった。一方のブラッジは少しだけ申し訳無さそうだが、それを隠そうともしない。
どれも高慢になりがちな名家出身者には無いことで、安堵の様子が見えた。
「お呼び立てしてすいません。おじさんしか頼れる人がいなかったのです」
「気にするな。国の重鎮が特定宗教のもとへと足を運んだらどうなるか。それぐらいは私にも分かることだ。人数の少ない我々が注目されるというのは、私も慣れない」
特級の茶が音を立てて注がれる。ブラッジ自らの給仕であり、敬意の表明でもある。それに今回の内容としては、いくら内密な場所でも他者を交えたくないため、部屋係はいない。
いつもと違う茶の味を楽しむコライト。その様子をブラッジは子供のように笑った。相変わらずで、この人が驚くことがあるんだろうかと思わせる態度。碩学とまでは言えないが、決して馬鹿ではないコライトはブラッジの頼みが難しいことぐらい承知しているだろうに。
「おじさんは変わりませんね」
「年を食わない、ということに慣れることもないけどな」
コライトが神士になったばかりの頃、一人の少年がアゲイト教会に出入りするようになった。信徒ではなく、名家の面倒臭さから抜け出してきた少年が裏庭で遊ぶためだ。
コライトは責務から逃げ出していると知って追い返そうと思ったが、こうして抜け出す度に厳しい罰を受けていると聞いて受け入れた。それが少年のした選択であるからだ。今もこうして、二人は良き理解者同士だった。
「本題に入ろうか。時期としては定期侵攻のことだろう?」
「はい。今回は北の飢えた騎士達です。彼らは今年、不作だったこともあり、かなり気を入れています。恐らく外縁部の村どころか、さらに奥の村まで長期間占領するつもりです」
「よく分かるものだ。私は勉強もしたが、そうした才には恵まれなかった」
「金の動き、物の動き……気にかけていれば誰にでも分かります。それに身分差が絶対的な騎士団領国は、召使の扱いも悪いので情報戦では大分読みやすい……」
ある程度攻められることを知っている国境近い村の人々はしたたかだ。コライトとしては過去を思い出すため、気に入らない。しかし、彼らが納得しているのなら仕方もないことだ。
だが、首都の周りを囲むような町や村はそうした目にあったことが無い。暗黙の了解に彼らは守られていた。
「いつもより兵数も多い。さらに、その上で内側には絶対入れないということか? いや、それなら君が私を呼ぶ理由には不足か?」
「おじさんはそういうところには聡いですよね。今回は賭けをうたねばならなくなりました。いつもの村さえ今回は渡しません。つまり、完全なる撃退をします」
「ほぉ……」
ブラッジは見た目よりも、芯が図太い。
しかし国家間関係で賭けとは、いささか自分の教育がいきすぎただろうか? 信徒でも無い者に影響を与えるのは良し悪しだ。しかし、世界はコライトよりずっと複雑なのだ。
「関係が荒れるな」
「一時的には。しかし、他の3国からも非公式に黙認を取り付けています。議会も同意しました。我々に大いなる試練が待ち構えているのです。アゲイト教徒に限らず」
頼れる者がコライトしかいない。つまりは利益を度外視する人間しか……まぁコライトは眷属神だが……いないという意味。権力者にとって、それは異常事態だ。味方というのは何も個人的感情ばかりで生じるものではない。利害関係などが代表的だろう。
それがどれほど状況が逼迫しているかを示している。加えて国の内外までもが、天秤が揺れ動くことを認めた。
アゲイト教徒としてのコライトが思うところでは、それが自分か誰かが純粋に己の選択に従った結果だということを願うしかない。
そして戦士……素のコライトとしては興味がある。一体何があったというのか。
「物事には原因がある。何だったか、蝶の羽ばたきという異国の言葉があるそうじゃないか。国を4つも揺るがし、一国を虜にする事態……その原因とは何だろうか?」
「……南方のコラン商業連合地域に、更に南方のスジュラ国が攻めて来ます」
「スジュラ? 普通に考えればあり得ないだろう……海が間にあるんだぞ。事情を知らないなら、どうかしているとしか思えない」
今の時代、戦うために必要な食料や装備、その他諸々を軽々と運べる存在は無い。一昔前ならいざ知らず、現地調達だけで賄おうとする馬鹿は流石にシリシャスと周辺4国にはいない程度には賢明になっている。
船も同様。確かに大量に運べるが、動きは鈍亀。いくらコラン商業連合が商いを中心とした国だろうと、戦力は相応に持っている。例え他国が数を頼みに攻めて来ても、防衛だけを考えるなら充分すぎるくらいだ。それほど海を隔てての戦は難しい。
「私も同意見です。コランもそうでしょうが……収穫期に入ってから、驚くほどスジュラの情報が入って来なくなったそうです」
「で、調べてみれば戦支度をしていた。各国もそのための方針を模索し始めた矢先、北のサフィー騎士団領国はむしろ領土を拡大する好機と見た。馬鹿らしいな」
商業連合というだけあって、コランは情報の扱いと懐柔が非常に上手い。加えてスジュラにとっては撃退されるより、航路が確定しているコランは単に商売相手とした方が美味しいだろう。
「わけがわからん。私の勉学の限界点は相当に低かったんだ」
「考えられるのはスジュラの統治者が変わったという場合ですね。その人物が死ぬほど馬鹿で無茶を起こした。あるいは……」
「ああ、なるほど。コランどころか、こっちの5カ国全てを相手にするだけ強くなったか……と」
「まぁシリシャス以外の国全てがあちらに付いた、という最悪の想像もできます。最悪すぎて確率はほとんどありませんがね。あとは商業連合の一部が手引している可能性で、これはあってもおかしくはない。ですが……」
未来を見るためには、現在という名の土台を固めることが必要だ。そして従軍神士となったコライトに任せられることと言えば……凡人よりは良く、秀才には劣るコライトの脳にもようやく飲み込めた。
「つまり、私と北に向かう軍は完璧にサフィーを退ける。それでいて、こちらも敵にもあまり被害を出さないように? 無茶を言ってくれるが、まぁこれも練磨の機会か」
「おじさんの物分りの良さには、私も時々驚かされますよ」
「今回のには個人的事情も混ざっているよ。さて、他に私に頼みたいことは?」
「夜まで借りているので、愚痴とお茶に付き合ってください」
おお、神よ。試練に対する報酬はもしかしてこれでしょうか?
コライトは日頃味わうこと無い菓子と茶、夕食を味わった。その味を二度と忘れないように、じっくりと。