幼子へ下る試練
間諜からの報告。砦の責任者からの警句。妙にご親切な各国大使からの噂話。
雰囲気だけ厳粛にした執務室で統括議長を務めるブラッジは、それら全てに目を通す。小さなモノから大きなモノまで、くまなく読んでは頭をひねる。
時に自分を食われても、他国の間で均衡を保たせて最低限の守りとする。シリシャス教国は安直な策で何とか生き残ってきたと言える。四方を他勢力に囲まれていては、仕方が無いのだが……皮肉なことにこの安直方針は今の所順調だった。
しかし、反動というべきか。内部に関する問題が建国から常に付きまとっている。王という最高権力者の不在である。正確には王を置くことができないのだ。
自分たちで王を選出しては、王権神授説を唱える宗教と関係が悪化する。だからと言ってどこかの宗教から王冠を戴くことは当然にできない。内部の宗教間の均衡を保たせ無ければならないのだ。
結果として名家制を採用し、その中でも大名家とされる一族が議会を形成し、持ち回りで統括議長という仮の最高権力者を送り出している。なぜ持ち回りかと言えば、労力と利益が割に合っていないからだ。名誉に関して言っても、各名家それぞれ一人ぐらいは排出しているので大したことはない。
そんな貧乏くじを今期引いたブラッジは真面目な男だった。当然、真面目に成ればなるほど損をするが、性格的な問題で根っからの真面目っ子なのだ。
背丈は高いが、裾や袖を絞った貴族服に童顔と金のおかっぱ髪が加わって妙に子供っぽい印象を受ける。それで侮ってくれれば儲けものという計算ずくの姿であり、意外に効果も実績がある。
軟弱な貴族のような男は、羽ペンを持ちながら天を仰ぐ。神様、どうしてことをこう面倒にするのですか。
「今年は……サフィー騎士団領国か。いい加減にしてほしいよ、全く。清廉を旨とする騎士様方が一番性質が悪いんだからなぁ。騎士道精神はどこへ旅立ったのやら」
これも持ち回りといえば、持ち回りだ。何年かおきに四方の国はシリシャス教国を攻める。それも収穫期にだ。
国境を軽く押し上げて、農村を幾つも占領。採るもの採ったなら、シリシャスの軍と少しにらめっこした後で撤退する。シリシャスも四方国家も知っている、戦争ごっこの名を借りた略奪である。貢物と言ってもいい。
シリシャスに身の程を弁えさせ、ついでに物資をいただいていくわけだ。
今年の各国の生産状況を市場と照らし合わせ、噂と情報を見比べていく。四方国家のやり取りも加味すれば今回はサフィー騎士団領国という見当がつく。
だからこそブラッジは渋面を作った。この国はどうもやりすぎる傾向があるのだ。
サフィー騎士団領国は大という言葉を超えてしまった騎士団を中核に、各騎士団が領地を繋げて出来た連合的な国家だ。シリシャスと同じで王という存在はいないが、理由も違う。騎士は上位の騎士が騎士へと任命することができるため、不要だ。かつての宗主は更に北で、弱体化に喘いでいるが、そこは知ったことではないらしい。
斡旋や仲介を頼める宗教騎士団の数も多くないことから、ただひたすらに厄介な存在になりつつある。
加えて、他の国は戦争ごっこに精鋭を回したりはしない。他の三国は徴募兵や新兵を送り込む。訓練になるし、刈り入れが済んでいなくとも生家の生業から抽出して、手っ取り早く済ませてしまえる。適材適所というもので、実に効率的だ。同じ境遇であった者も多いため、村民への虐待も少ないので恨みもさほど貯まらない。
だが、騎士たちは違う。まとまりが無い時期に定められた法律により、彼らにとって強奪略奪は合法行為である。問題はこの法律が各国で生きていることである。無論、国の発展に応じて強盗騎士の力や法自体を制限しようと努力しているが、サフィー騎士団領国は違う。
「努力していないというよりは、今年は違うと言ったところか。随分と領内で麦が取れていない。最悪の場合、居座るか……いや、村人をさらう方が困るなぁ。こっちにもなけなしだが、面子ってものがある。たまには痛い目を見てもらうか」
ブラッジは下位官吏がつけるようなアームカバーをつけて、眉をひそめた秘書官を横に猛烈な勢いで手紙を書き始めた。最初からぶつぶつとぼやいていたのはこの秘書官に向けてである。顔も名前もさほど気にしない。
秘書官は何気なく凄まじい勢いで書かれる文字を記憶していったが、それもブラッジは承知の上だ。だって、こいつスパイだし。そう内心で発言してから、隙を見ては様々な隠し文字を混ぜ込んでいった。
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“女神の円卓”へ続く通りを一人の新人調停官が駆け抜ける。今日も元気だね、と背に投げかけられる言葉に手を振って応えて、猛スピードの健脚を見せつけた。
官吏というのは嫌われるのが世の常。実際、彼女も仲間内では嫌われていた。しかし、この区域の住人にはその勢いだけで生きているような様子で好感を持たれている。聖職者からは眉をひそめられるが、そんなことは気にしない。
目標の建物に、土煙をあげそうな勢いでブレーキをかけながら到着した調停官ロイコは勢いよく扉を開いた。
「一大事ですわーーー!」
説教壇にいたコライトもこれには眉をひそめた。
なるほど確かに一大事だろうが、慌ててもどうにもならないことは世の中には多いのだ。
「落ち着いてください、ロイコ殿。ここは神の家。騒がしくすることはなりません」
「そ、そんなことを……」
「どこかの国が攻めてくるのでしょう? ある程度は私も把握しているので、水でも飲んで落ち着いてください」
水を注いだ陶製のカップを受け取り、ロイコは一気に水を煽ってむせる。
持ち上がった顔は多くの疑問ではちきれんばかりだ。
「にゃ、にゃ、なんで知ってるんですの!?」
「そりゃ、シリシャスにとっては恒例行事だからだな。ケケ、旦那はもう少し訳知りだがよ」
コライトの存在感に隠れていた声に、ロイコは思わずびくりとした。
風貌が全てではない。人間の良さは中身である。当たり前の人倫だが、目の当たりにするとすくんでしまう。そして、自分を恥じてしまう。だから、ロイコはこの人物が苦手だった。嫌いでは無いのは、口調はともかく人柄が悪くないからである。
振り向いた先には文字通り顔の無い男がいた。歩いていれば怪物扱いされそうだし、実際にされてもしている。それでも胸を張って世を渡る、顔を剥がれた傭兵ドナイだ。
「ドナイ殿が言う通り、前回の侵攻は6年前の収穫期。ならば、そろそろ来るのでは無いかと思っていました。しかし、世情でも随分と噂話として騒がれていますが……知らなかったので?」
「お恥ずかしい限りですが! でも驚いたのはそこだけでもなくて!」
「旦那に従軍要請だろ? いつものこったなぁ」
「……そうなんですの?」
「まぁ、宗教関係のごたごたが少ない上に、戦闘向きなので」
神士と神士の戦いは基本的に起こらない。神士の絶大な能力は国の宝ではなく、その宗教の宝なのだ。勿論、国から要請があれば応じる場合がほとんどだ。だが、実際に戦うかは神士に委ねられるために、安定した戦力とは言えない。
シリシャスは最も多くの神士がいる国ではあるが、完全に自由にできるわけではないのだ。
だが、アゲイト教は毛色が違う。ともすればシリシャスへと矛先が向かう可能性が捨てきれないものの、相手が兵であろうと神士であろうと自分との戦いを選んだものには全力で当たる。それこそが“選択”だという教えの下に。
ゆえにこの恒例行事じみた侵攻に最も多く参加してきたのが、コライトだ。その悲惨さや無常に嘆くことも多いが、だからこそ魂を練磨する機会に、神士として応えないわけにはいかなかった。
「はぁ……いや、それも大変ですけれど! わたくしも従軍するのです!」
「……本気かよ。調停官が戦場に出るなんて見たことねぇぞ」
「ははぁ。神学校で僧兵の資格でも取ってしまったのでしょうね」
「……旦那。俺も今回はシリシャス側で行くわ」
「止める権利を私は持ちえません。貴方の決断に祝福を。個人的にはドナイ殿の意思には感服するばかりです」
なにやら怒涛のように進む話を前に、ロイコは固まるしかない。しかし、今この場にいる三人が同じ戦場に行くというのも確かだ。
一体どうなるというのか。戦場とはどういう場所なのか。
ロイコは試練を課せられた。しかし、善意が彼女の身を守るだろう。
瑪瑙の教えに祝福あれ。