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食い物の恨み

 シリシャス教国の首都タイト。この地は信仰を前面に出しているため、夜中の活動は少ない。それゆえに朝は早く、市場も宿屋街も朝早くから勢いつけて盛り上がる。

 聖職者の朝説法が異常に早い……つまり、起床時間が日も見えない内というのはここに起因する。


 アゲイト教の神士コライトもまた、朝のスケジュールを終えるとぶらりと街へと出かけることにした。信徒獲得のためというのも大いにありはするが、嘘をつかない彼が出かける理由は最も素朴だった。


 つまりは腹が減ったのだ。


 聖職者は意外に家事に通じることが多いが、コライトの場合はそうではない。料理という才能は武術に比べればあっという間に天井へと辿り着いた。いくら努力してもマトモにパンを焼けた記憶すらない。どうやればそうなるのか分からないほどであり、これはこれでもう才能と呼ぶべきだった。


 本来、神士の中でも眷属神まで登ったコライトは食事を摂取しなくとも死ぬことは無い。しかし、人間だった期間があるだけでなく、神となってからの年季も浅いコライトの胃は時折思い出したように物を詰めることを要求してくる。

 神々の中にもそうした存在は多いので、不思議ではない。貢物が収穫物などの神霊は大体がその類だ。


 “女神の円卓”広場もこの時ばかりは人通りがせわしない。聖職者もやはり人ということだろう。ただでさえ修道者達が摂る食事の量は少ない。飢えと味のために、仕事を迅速に終わらせた時間を使って物を買いに出かけるのだ。


 そうした光景を見ると、コライトは自分と彼らのズレを感じ始める。小神と言っても、天と地の間で生きる存在に変わりはない。人の視点から見て異常な高みに見えても、神の領域からすれば階段を懸命に登るひよっこに過ぎないのだ。

 だというのに欲が減る度に、同胞である人々の感性を俯瞰してみるようになってしまう。アゲイトの教えは欲を否定していないにも関わらず、傲慢な視点と言える。



「いかんな、これは。俗世との関わりを増やさねば、いずれ悪神に堕ちかねん」



 正当な理由を手に入れたコライトは、人々がこぞって向かう路地とは別の路地に向かった。


/


 “女神の円卓”からわずかに離れた区画に、その店はある。“蹴り飛ばす鶏亭”というふざけた名前で、半木製で通りに似つかわしい古びた店だ。しかし、入り口はちゃんと掃き掃除はしてあった。

 またぶつぶつ言いながら、仕事は真面目にやっていたのだろう。店主の姿を想いながら、コライトは木製の扉をくぐった。



「どうも、ご亭主。久方ぶりです」

「んー、んー? なんだ、神士の旦那じゃねぇか。あんたもちっとマシな店に行かねぇのか」

「ご自分で言うほど悪くはないですよ」

「てきとーでいいか。いいな」



 注文を自己解決されるという事態に、コライトは苦笑する。

 この亭主はもう老体で、背も曲がり始めている。顔は気難しそうだが、実際の気質は大雑把だ。その反面、店の床にはきれいなおがくずをちゃんと敷き詰めて、掃除に備えている。


 周囲を見渡せば、コライトの他に客はいなかった。

 そこに違和感を覚えた先に、どかっと大きな音ともに大きい深皿が降ってきた。陶製のカップに大量の水も付いて。


 ……元は野菜だっただろう粉微塵にされた緑色の粒と、何の肉かわからないぐらい煮込まれたものが混ざった大量のオートミールだった。その豪快な見た目でコライトは空腹の感覚を思い出し、木製のスプーンで書き入れ始めた。かなりの勢いで食らっているはずだが、全く減ったようには見えない。



「どうだい? さっき思いついたんだ」

「……塩味?」

「入れすぎたか! ひゃっははっは!」



 なんだかおかしくなってきたコライトも久しぶりに微笑んだ。この老人はずっとこうである。

 ここの料理は量が多く、値段も安い。ただし不味い確率が多いので、人気はない。しかし、修行時代のコライトの肉体はここの食事で作られたと言っていいだろう。



「そういえば……なぜに客が私一人なので?」



 そう。味はともかく、量が多いこの店は一定の需要があった。コライトも満席なのを見たことはないが、空席なのは初めて見た。安さも魅力で、下働きなどがとにかく腹を満たしたいと常連も少しはいたはずだが……



「そりゃ、俺ももう歳ってやつでな」

「でな?」

「おうジジィ! 客がいない店の空気は美味いか~? ってなんか一人いるじゃねぇか」



 入ってきたのはいかにもな裏社会の住人……というよりは使いっぱしりだろう。シリシャス教国にもこういった手合はいる。むしろ表向きがお硬いからこそ、闇の勢力は深くなる。

 噂では地下に首都と同じ広さの地下街があるという荒唐無稽な話さえあるのだ。


 あまり興味もないので、コライトは塩味を何としても減らしてやるという作業に戻った。



「おい、兄ちゃん。こんな不味い店で食ってねぇで、他所行きな。他所へ!」

「塩味って腹が減ってると凄く美味しいですよね」

「何言ってるんだ、この野郎!」



 円滑な会話は滑ったらしい。この体たらくで神士を全うできるのかと真面目にコライトは考え始めた。老人もどうでもよさそうに洗い物に戻った。取り残されたチンピラは怒りで震え始める。



「良いか! この店の権利書をさっさとザンハ兄貴に差し出しやがれ! 今なら金をやってもいいって言ってくれてるんだぜ? 大人しく従わなければ老後を無くしてやってもいいんだぜ!」

「人の店でごちゃごちゃやかましいわ! これでも食らってろ!」



 チンピラに向かって熱々の半液体と、硬い皿が飛来して衝突。

 痛みに悶絶する男を前に老人は堂々とした態度を貫いたのだ。その結果は……



「私のオートミール!」

「あ、悪ぃ旦那」



 アゲイト教で現金は貴重だ。信徒が少ないため、当然だ。

 銀貨2枚の不味いオートミールのために、神たるコライトの怒りが燃え上がる。


 チンピラを有無を言わせず掴み上げ、開いたままの扉へと放り投げる。男は体中を擦りむいて逃げ去ったが、怒りさめやらぬコライトの声が響き渡る。



「おかわり!」

「あいよー」



/


 ザンハ、ザンハ、どこかで聞いたような……とコライトは記憶を手繰ると思い出した。未だ青年と少年の間の時代、この店で何度か割勘定をし合ったことがある。

 それが今は店を排除しようとしている。なんとも醜悪な話だった。



「まぁ、あの程度の三下を自分でどうにかできないとなりゃ……そろそろ潮時かって自分でも思ったりはしちまうよ。流行ってた時期なんて無かったが、変な需要がある店だったな……」

「そういえば、なぜ下手なのに料理店を?」

「ばっさり下手っていいやがったな。旦那はアゲ神の使徒じゃねぇのかい? 下手だ、向いてない、もっといい道がある。そんなこと言われて諦めるわけがねぇだろ。実家のある田舎にあった定食屋の店主が格好いい男でよ。自分もああなりたいって思ったんだから、仕方ねぇ。兵士や剣豪じゃなくて、あのオッサンが俺にとっての英雄なのさ」

「……ご馳走様」



 コライトは2杯分の料金、銀貨4枚を置いた。老人は黙って一枚跳ね返す。途中で台無しにした分を差っ引いたのだ。儲けではなく、料金に真摯な姿だった。

 コライトは夜に出かけることを心に決めた。


/


 恐るべきことに、シリシャス教国の暗部に関する噂はほぼ事実である。

 これは堅苦しい表社会が長く続いたためだ。光があれば影がある。禁欲的な生活を目指す聖職者であればあるほど、反動によって堕落の速度も凄まじい。


 人間は楽をするようにできている。むしろ、欲を抑えてたどり着けるかも分からない境地への階段を登るほうがおかしい。

 それは全くの事実で、覆しようもない話だった。


 若い頃、荷運びで鍛えた体を使ってザンハは徐々に名を上げた。喧嘩自慢の男が現れれば、敵だけでなく腰巾着も増える。偉大な存在……裏社会の道を進み、地下街に勢力を持つことがいつの間にかザンハの目指す領域になっていた。

 情熱もあったし、根気もあった。彼が悪への道を走ったのは、単純に近道だったからにすぎない。



「ザンハ様! 大変です!」

「なんだぁ。騒々しい。今、金勘定してるんだからよぉ邪魔すんなやぁ」

「それどころじゃ……!」



 突然、壁が吹き飛び木片と煙が舞う。

 金貨をニヤニヤと磨いていたザンハは動揺のあまり、呆けて椅子に座ったまま口を大開きにしていた。


 そう。人間は楽をしようとする。それは全く自然なことだ。

 ならば、当然に心しておかないといけないことがある。楽を全くしない異常者というのが存在することを。


 壁から巨大な円形の砥石を付けた、奇妙なスタッフが飛び出てくる。



「ザンハくぅん。お久しぶりです! 貴方もアゲイト教に入りませんかぁ!?」



 この日以来、裏社会の登竜門に辿り着いた一派の名を聞くことは無くなり、わずかな時間で誰も思い出さなくなった。




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