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瑪瑙の証

 さて、この日この夜中。コライトは街をぶらついていた。

 コライトの持論として、闇が覆う時間帯こそ迷える子羊が多いからである。


 コライト自身の夢は、己の才の極点を目指すことである。生ある存在である限り、得手不得手は存在するにしても才が全くのゼロということはない。一般人的にさえ水準以下であろうと、そこが限界ならそれで達成なのである。


 しかし、コライトはアゲイト教の神士。義務として人々の悩みにきっかけを与え、あわよくば教徒を増やすという仕事もある。仕事なのでコライトはこれがあまり好みでは無いが、やることはやらねば日頃の行動に説得力が無いというものだろう。


 辻説法をやったこともあるが、聞く者がいなかったというか、誰も近づいては来なかった。アゲイト教的にも日々の仕事に勤しむ人々の手を止めさせるのは好ましくない。そのため、偶然を求めて夜中に歩いているわけだ。

 ただ、シリシャス教国の首都タイトでは夜中の人通りは少ない。宗教国家の首都であるためだ。アゲイト教としては夜だろうと昼だろうとどうでもいいことだが、大抵の宗教では清貧や節制が教義に含まれているため仕方がない。


 例外は商才や財そのものを司る神の信徒だけだ。彼らは彼らで己達だけが入れる裏の繁華街を作っている。そもそも別の神の信徒なので、コライトとしては頑張ってくれとしか言いようも無い。



「先輩! 不審者です!」

「ああ……不審者だ……アゲイト教の聖職者だから近づくなよ」



 見回りの兵士が龕灯を持ちながら、コライトが歩く街路の端に寄りながら通り過ぎようとする。

 アゲイト教の信徒だと見破られたのは、錫杖だろうとコライトも思い至る。コライトが持っているのは手で掴めるか掴めないかの太い鉄棒。その先に丸く巨大な砥石グライディングストーンが付いている専用の錫杖だ。しかもポールウェポンかというぐらい長いソレは、もう人間が扱える代物ではなくなっている。力自慢でも持ち上げるのが精々だろう。


 それを片手で持っているコライトは、剣の重みを知る一般兵からすれば怪物だ。コライトが何を言おうと、気が気でないだろう。



「待ち給えよ、君たち。君たちは私を不審人物だと言う。ならば、職責として詰問や尋問してしかるべきではなかろうか?」

「話しかけて来ました!」

「我々は逃げることを選択します!」

「むぅ選択というなら致し方あるまい。全力でやるなら……」



 話の続きをしようとしたコライトの前から兵士は既にいなかった。軽めとはいえ武具を纏った状態での速度は、訓練ならば花丸が貰えそうな機敏さだった。


 どうしてこうなるのか……と、大真面目に考えていたコライトの耳に悲しみが届いた。

 それを“助けて”と解釈できるのも、コライトにしかできないことだろう。武威の極点を目指すため、数多を巡ったコライトには聞覚えがある音だ。


 助けて欲しい。しかし、それを叫べない。自分にそんな資格があるかも分からない――無垢なる悲鳴。放っておいては神士の名折れ。救えるか否かではなく、やらねばならぬと行動できるのがアゲイトの使徒である証であった。

 コライトは音に惹きつけられるように、複雑な路地を迷わず歩いていった。


/


 どうしてこうなったのか。

 どうしてこんな目にあっているのか。

 どうしてこんなに悲しいのか。

 どうして涙が出ないのか。


 疑問の答えは全て知っている。

 だから彼女は動けなかった。何もかも揃っていようと、気性一つで不幸になる。それが人間の度し難さなのだろう。



「随分と悲しげな音だ。いつも気にかかっていたが、たどり着くのが遅くなってしまった。我が身の不徳の致すところ……それはこういうものかも知れないな」

「神……士様?」

「ああ。あまり目立つ方ではないがね」



 路地の端にある比較的大きな屋敷。そこの前で少女は悲しみに震えていた。泣くことすらできなかった彼女の切なさ。それを追うのにコライトはかなりの時間をかけていた。

 少女はシミだらけのエプロンドレスと見事な金髪をしていた。童話のような姿であり、そして理由も同じだろうとコライトは推察している。屋敷の入口にある手すりに腰掛けようとしたが、壊れそうになったので止めた。

 それを見ていた少女は少しだけ笑った。コライトは安堵した。こんな自分でも誰かを笑顔にすることができるのか。それだけで感謝が心配を超えた心持ちになったのだ。



「路地の端にある屋敷……一見不便に見えるが、それも仕方がない。建国時から城の近くにある名家のものだ。壁が増設される、家が増えるなどして、結果的に吹き溜まりのようになってしまったが……この国の歴史の一部だ」

「はい……」

「光が溢れている。潤沢に油を使って、火を灯せる名家の特権だ。この様子だと、功臣年金も未だに有効なのだろう。そんなところで君はなぜ泣いている?」



 少女は涙を流さない。エプロンドレスをしっかりと握りしめ、歯を軋ませて堪える。

 誇りと自虐の生み出す矛盾。それがコライトをここまで導いたのだ。



「……ご両親の御霊が、奉ずる神の身許で安らかなることを祈るよ」

「……!?」



 己は随分と酷なことを言っているな。その自覚がありながらコライトは止まらない。この少女の選択を最後まで見届けよう。そう心に決めた。それもまたコライトの選択だった。

 少女からとうとう涙がこぼれた。堰を切ったように声だけ堪えて、水が溢れ出る。


 事情は分かっている。

 没落した名家は多いが、この家はそうではなかった。最盛期ほどではないが、一定の水準を保ち続けてきたのだ。


 悪い言い方をすれば半端な状況のまま、年月を過ごしてきたのだ。しかし、実際には良い方向へと彼女の一族は努力してきたのだろうことがうかがえた。


 しかし、それも両親が死ぬまでだった。両親が何かの事件で倒れ、継承権が移った。年若い娘に……そうすると異議申し立てする連中も出てくる。

 ごたごたとしている間に、親戚達は屋敷を占領する。実際にそうしてしまえば、当主の小娘などどうでもよくなるわけだ。


 彼女はそこで召使いのように酷使されながら、生きてきたのだろう。



「だが……それで良いのかね? ここは君の一族の中でも直系の者たちだけで維持してきたはずだ。やつらは何の苦労もなく、君の財産を自由にする」

「財なんてっ、どうでもいい!」



 母が寝付かせてくれたベッド。祖父が窓を眺めていた揺り椅子。父が書を書いていた、執務机。隠れんぼしていた誰も読まない、埃っぽい書斎。

 それが壊れてしまわないように、耐えてきただけだ。


 文字通り、小娘などどうとでもできる連中の下でそれを行うのはどれほどの苦痛だったろうか。


 むしろコライトの方がそれを許せない。アゲイト教としてあるまじきことだが、少女の決意と選択は間違っていると感じている。



「逃げるのなら、手を貸しましょう。衣食住全て揃えても良い」

「ありがとう……神士様。でも、私はここに残ります」

「ならば……戦うのです。大事なものがあるのであれば、決して渡さない、その姿勢を示し、見せつけてやるのです。ただ、それだけで貴方はいかなる勇者よりも強くなる。耐える力を持つ貴方なら!」

「戦う……?」



 中に住みついた者達は確実に少女より多い。また、体格も違うだろう。だが、それでも……確実に少女が勝利する。

 選択は果無く続く試練である。コライトもそうだ。アゲイト教において、生きている間に試練を終える者はいない。


 コライトは懐から宝石で作られた短剣を取り出して、渡した。それは瑪瑙。実用にはまるで向かない、脆弱な素材である。信仰の証の一つに過ぎない。

 少女は惹かれるように手を伸ばして、掴む。幻想的な輝きに魅せられるように、しばらくそれを眺めた後、亡者のように屋敷へと入った。


 響く叫びと、ばたつく足音が木材から鳴る。

 扉が開き、コライトの横を幾人もの中年達が通り過ぎていく。最後にゆらりと少女が現れた。幽鬼のようだった顔は困惑に変わっている。



「こんなに簡単に……」

「人とはそういうものです。優位にある時は自分が傷つく可能性に気づくことすら無い。それが少しでも狂えば恐れに支配されてしまう。よくも悪くも……」



 そして、いずれ戻ってこようと企むだろう。だが、もう少女に適うことはない。コライトの強引な介入によって、少女は救われた。


 それがどのような結果にたどり着くのかは分からないが……アゲイト教の信徒が一人増えた。



 

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