出戻り
ロイコ・ジラ・ミクトは結局、兵士として動くことなく初陣を終えた。傭兵ドナイによれば、初めての戦いで何もないというのは意外とあることらしい。
しかし、この北の地で起きた戦いは異常である。なにせ敵味方含めて、ほぼ全員が血を流すことも無ければ流させることもなかったのだ。コライトによって殺された数名以外の被害は無い。
だからこそ、ロイコの疑念は募った。本当にこれで良いのか?
何もしていない者たちが手を打って喜んでいるが、それはコライトという神士が一人で戦った結果なのだ。彼が一人で皆の分まで血を流したとも言える。
現にコライトは急所こそ躱していたものの、四肢と胴体に大穴を幾つも開けられていた。生きているのは単に頑丈だからであり、痛みや苦しみが消せるわけでもない。神士はまだ肉体を持っているのだから。
だからだろう。ロイコはつい呟いてしまった。
「これって……国の問題をコライト神士に押し付けただけじゃありませんの?」
「耳が痛いな。確かにその通りだ」
鎧を磨きながらのつぶやきに反応したのは、この地を守っている将軍だった。コライトは覚えていなかったが、仕事柄ロイコは彼のことを知っているため、大いに慌てた。
「ミメット将軍! その、わたくしは、国の方針に対してではなく……」
「そこを取り繕わない方が、現場受けは良いぞ。シリシャスは日和見が好きな国だから、末端の兵士達などはなまじ他国を知っている分、八方美人を嫌う傾向がある」
ロイコははぁ……とだけ答えたが、納得もした。
兵士の気持ちなど考えたことも無かった。いくらそうするべきだから、そうした方が効率も良いと言われようと、勝つことは無いのだからわざと負けろと言われたらどんな気持ちだろうか?
ある者は思うだろう。良かった、死ななくて済む。楽になった。
だが、その反対の意見を持つものも当然存在する。なぜ逃げなければいけないのか。勝てるかも知れないのに。勇者や英雄になる機会は訪れず、いつもの通りよくいる敗残兵として苦笑いして生きていくのか。
「隣の木の方が、良いリンゴ。みたいな感じですわね」
「そうだな。守るしかない、逃げるしかない、というのは若い者には酷だろう。そもそも戦っても絶対勝てないという実感を味わった世代はとうにいないのだ。私も戦ったことこそあれど、一番言われたいことを言われたことがない。すなわち勝てと誰かが言ってくれるのを待ち続けて、この歳になってしまった」
「他人が口をはさむことでもありませんが、自分で国政に関わるという選択を選ぶという試みでも良かったかと」
ロイコとミメットははっとして振り向き、コライトがそこに立っていることに気付いた。気配すら感じさせないのはコライトの技術だろうが、カソックの上から包帯を巻き付けた姿が痛ましい。
「少々面倒なことになったようなので、別れの挨拶に来ました。私はタイトへと帰ります。将軍、お元気で。調停官殿、ナジン殿によろしくと、お伝えください。ドナイ殿はまぁ、自分の面倒を見られるでしょうし」
「ケケ、旦那に気遣われるよりはマシか」
顔の無い傭兵はどうやらロイコに最後まで付き合うつもりらしい。戦闘が終了したため、賃金は大分安くなるだろうに全く優しい男だった。しかし、そんなドナイも好奇心に負けたようで率直に尋ねる。
「旦那が面倒って言う事態の方が気になるな。世の中全部試練みたいに思ってるお人がよ」
「恥ずかしながら、頭はあまり良くないのです。が、それでも奇妙なことになったと思える程のことが起こったのですよ。まぁ将軍殿にも近日中に通達が来るでしょう」
そう言うコライトだが、巻きつけられた包帯に赤色が浮き出て来ている。同格と戦ってできた傷であるため、規格外の再生能力がまだ上手く作用していないのだ。
「そんな! 神士コライトはまだ傷も癒えていないのに……!」
「無茶な動きをしなければ、道すがらで完治するでしょう。それに、タイトが陥落でもしようものなら数少ない教会が無くなってしまいますからね。早めに準備しなければ」
「タイトが? 一体何が……」
コライトは特に不思議でもない様子で肩をすくめて見せた。慣れているわけでも、軽視しているわけでもない。単に結果がどうなるか未だ不明瞭なのだった。
「南のコラン商業連合が、スジュラの軍の上陸を許してしまったそうで」
シリシャスの国民の誰もが、遠くで破滅の鐘が鳴る音を聞いた。
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そもそもシリシャスと周囲の四カ国は馴れ合いの関係に近い。あちらを攻めたらこちらが攻められる。その関係の緩衝材としてシリシャス教国があったわけだが、それは更に離れた国の干渉がないことを条件に成り立っている。
それが崩れかかっている。
海を隔てた南のコラン商業連合支配地域は最も安全なはずが、そこを抜けられてしまった。商会が争う蠱毒の国ではあるが、海防に関しては一致団結していたにも関わらず。
実際、コランの船団は強国スジュラの艦隊に全く見劣りしていなかった。しかし、その影で放たれた小舟が密かに上陸していた。危機に敏感なコランもすぐさま陸戦隊を向かわせた。
傭兵団主体の部隊であるため、連携に難はあるが質は高い。更に寄生主が無くなってもマズイ裏社会からも刺客が送り込まれ、わずかに開いた穴はすぐに塞がれるはずだった。
しかし、全くの予想外の事態に突入してしまう。上陸していた敵兵が恐ろしく強く、陸戦隊の側が押されてしまうほどだった。あり得ない事態に、陸戦隊の弱点が露呈してしまう。
質の良い傭兵団は契約を大事にするが、有象無象は違う。相手の強さを知るや、すぐさま及び腰になり下がり始めた。こうなると、陣容が崩れてしまい、優れた傭兵団も足を引っ張られる。
そこからは雪崩のように事態が進行した。コランは現在、彼らなりの首都である商都の半分近くをスジュラ国に奪われた。コラン側の神士が現れたことで膠着状態に陥り、利に聡い者達で構成された連合は四散寸前という有様だ。
「最悪の結果が出てしまったよ、おじさん……」
出目が悪すぎたため、もう取り繕う必要も無くなったらしい。都に一足早く帰ってきたコライトは、顧問として公的な客人となっている。もっともブラッジの方は信徒でないことや、特定宗教への加担を疑われて苦労したようだが、それよりも私的にも信頼できる者を欲していたようだ。
「まだサイコロが振られたのは一回だけだよ、ブラー坊や。今回の動きで、スジュラの戦い方が見えた。絶望的な表情をしているが、西と東と随分と上手くやれているようじゃないか」
「まぁね。スジュラは強国だ。それぐらいはブルゾイとマンインも分かっている。国教を定めているスジュラが次に狙うのは我が国。なら次はどちらかになるんだ。彼らは反対側も気にしながら戦わないといけないからね」
「こちらの優位は神士が多いことだが……恐らくスジュラの神士はこれまで戦ってきた神士とは比べ物にならないだろう。なにせあちらの神は祈りと崇拝を一身に集めている。その存在力はこちらの神々を大きく上回る。楽しみなことだ」
幾つもの宗教が信徒集めに熱心なのは、何も金や地位ばかりが理由ではない。神という存在は慕うものが多ければ、それだけ強大になっていく。推測されている理屈としては、人間も無形の力を誰もが持っており、儀式でそれを神に捧げているらしい。
肉体的あるいは精神的な限界があるだろうが、神がスジュラの神士に与える力は圧倒的なものだろう。
「それに戦い方が見えたと言っただろう、坊や。コランが手間取って全てを台無しにした兵たち。その正体はだいたい推測できる」
「本当かい!?」
「まぁな。随分と昔、ある教団が試みた実験をあえて劣化させることで成功させたと見える」
コライトにとっても懐かしいことで、コランが苦戦した戦い方を聞くまですっかり忘れていた程だった。
「多分、神兵計画の成果だろう。簡単に言えば量産型の神士だ」
ブラッジは危うく気を失いそうになった。