聖騎士
与えられた無理難題。敵味方ともに生存させつつ、撃退する。
それは無理だろうと思われることだが、一つだけ方法がある。敵側の神士を撃退することだ。なるほど、確かにコライトにしか頼めないことではあった。
神士と戦える実力に加えて、他宗教との軋轢を引き起こさない。それでいながら、戦場への誘いを受けてくれる……そんな者はコライトしか該当しない。
コライトより強い神士はいるだろう。しかし、他国との関わりを考えれば、兼ね備える存在はほぼいなくなる。清らかな心で戦場自体を鎮める者がいれば一番良いのだろうが、シリシャスにそう都合よくはない。皮肉なことに不人気なアゲイト教だからこそ可能。
もっとも……そもそも相手側の神士にコライトが勝てるかどうかという問題がある。ゆえにこれは賭博。そして、そんな無理難題だからこそコライトは受諾したのだ。“選択”と“練磨”のために。
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かなり加減された鎖と砥石が、再び騎士を馬から振り落とした。“選択”をより大切に感じる小神であるコライトの前で、従僕たちをけしかけようとしたからだ。
実はアゲイト教徒にとっても戦場というのは、あまり好ましいと感じない。崇高な“選択”の場であり、“練磨”の機会であることは承知している。しかし、同時に“強制”という相反する概念があふれる場でもあるから。
そして嫌なものがあるからこそ、挑まなければならないという矛盾が発生してしまう。
コライトはこれに毎回参加している。全ては“選択”のために必要な力を“練磨”するため。シリシャスのように犠牲を納得してしまう国を変えたいという炎が、コライトの内部に渦巻いていた。
コライトの前で困惑する部隊は奇妙な静けさのまま、待った。勝ち戦で死ぬなど馬鹿げている。騎士たちは現実的だった。しかし現実的な彼らがシリシャスに攻めてきたのはなぜだろうか?
来たるべき賭けにそなえたコライトも待つ。高僧らしく瞑目したまま、しばし。多くの人馬の足音が鳴り響き、眼前の集団がニヤつき始めても目は開かぬ。そして、更に待ち……静かにコライトは目を開いた。
「……来たか」
完全に展開し、美しい陣形を組んだ騎士団達。その模様が地割れのように開いていく。地を這う従者たちが地面に武器を叩きつけながら叫ぶ声は……
――聖騎士! 聖騎士! 聖騎士!
神士の呼び名は様々で、聖騎士というのは宗教騎士団から発生した神士を指すことが多い。12年前にも見た光景。もっとも、その時は別の神士が戦ったためにコライトは傍観者であった。
称える声とともに一人の甲冑姿の人影が歩み寄ってくる。コライト一人の前に立ちはだかる圧倒的な軍勢、その威容の代弁者であるように厳粛とも優雅とも言える足取りだった。
近づいて向き合う。そこでコライトは相手の姿を、ようやく目に焼き付けることができた。甲冑姿だが全体的に細い。主神を称えるように獅子の金兜を被り、レイピアに似た細身両刃の剣を持っている。
敵の集団がコライトを避けて動かないのは、この戦いを見るためだった。神士と神士の戦いは、最高の闘技という風潮がある。ただし、コライトの後ろには誰もいないため、応援は全て聖騎士へと向いている。
「分別と水滴の神、リナラが聖騎士。カレド」
「選択と練磨の女神、アゲイトの使徒たるコライト」
二人の超越者は戦いに赴く者として、静かな闘志を発露させながら名乗り合う。応援など、二人にとっては影響を受けるものではない。だから責任だけを背負いつつ……
「「参る」」
涼やかな声と、穏やかな声が重なり合う。
ともに国を背負う者の一人として、そして主神の意向を担う代行者として退くこと叶わず。
コライトが先手を取る。よく見れば薄い甲冑である相手は、明らかに速度においてはコライトを上回る以上、流れを握るしかない。一瞬での判断は見事だが、強制されてもいた。
石の槌が地面に触れると、隕石の跡のごとく地面が爆ぜる。周囲のどよめきの中、コライトは斜め前に一歩進み……頬から血を流す。その事実が浸透すると、どよめきは畏怖から期待へと変わる。
「こちらが一撃の間に2……、いや3か。どうも未熟でいかん」
「図体と得物のせいにしないところは褒めて差し上げましょう。しかし……こちらの有利は存分に使わせてもらう」
溢れる神威は同類にだけ目視可能の必殺を表す。聖騎士カレドの一撃は虚空を刺すように放たれた。咄嗟の反応としてコライトが槌棍を前にかざすと、丸いグライディングストーンと鎖の継ぎ目が撃ち抜かれて消失する。
「これは……水か。なるほど不利だ」
「水滴は岩をも穿ち、長き時の果てに山も平地も変えていく。リナラ神の神威を前に……散れ!」
獅子兜に相応しい、威厳ある宣告とともに細剣から幾条もの線が放たれる。水滴などという優しいものではなく、深海の水のごとく超圧縮された水の閃光。
対するコライトにできるのは予想できる相手の技……穿ちではなく、切断を避けることだけだ。状況は圧倒的にカレドが有利。勝敗の天秤は揺り戻されること無く、次第に一方へと傾いてくる。
当初狙っていた流れはカレドが握った。
神士にさえ目視不能かつ防御不能の水の閃光。
そして、見るも無惨な俊敏性の差。
どこを見てもコライトに味方する要素は無い。コライトは丸石を無くした鉄棍を振るのみで、カレドは直接攻撃にさえ気を付けていればいい。
番狂わせは起こらず、カレドの勝利だと皆が思い始める。
「貴様……一体……」
皮肉なことにカレドの勝利を疑うものがいた。カレド自身である。
誰も気づかないのか? 内心で聞きながら、戦局を、戦場を見直す。
当初から勝利へ向かって突き進み続けているのには間違いない。だが、カレドは戦闘が始まった場所から既に10歩ほど押されていた。理由は単純。コライトがそれだけ進んでいるから。
有利な間合いを保つために距離を取るのは、なんら不思議なことではない。誰だってそうするだろう。
アゲイトの使徒は体中に穴を開けられている。出血が少なく、また気絶してもいないのは単純な耐久力と筋肉で穴を塞いでいるからに過ぎない。
「強い、強い。それに引き換え、私のなんと未熟なことよ!」
「フザケているのかっ!」
そう。カレドはこれまでに戦ったどんな戦士よりも、眼前の戦士が気色悪いと感じていた。
押し続けているのは、カレドの方が神士として優れているからだ。だというのに……なぜ、この男はわざわざ相手の有利な間合いで戦っているのだ?
腐っても同じ次元にいるのだ。無理をすれば、何か手があるだろう。
そもそも神士同士で争って、一方が常に優勢というのがあり得ないのだ。能力の相性さが悪いなら肉体で、肉体で劣るなら神威で。切り替えて戦えば少なくとも善戦はできるのだ。
穏やかな笑みを浮かべながら、歩くように近づくのを止めない神士に聖騎士は久方ぶりの恐怖を味わう。相手の動きをじっくり読み取るために、一瞬だけ心眼を開いたカレドはその光景にとうとう慄いた。
「あり得ない……正気か、貴様ぁァァ!」
相手がなぜ不利なのか。なぜ自分が勝利に邁進しているのか。
その理由を知った聖騎士カレドは、その異常さから逃れるためにより苛烈に攻撃を再開した。