プロローグ
大きな地獄を作るのは神の御業だ。ならば小さな地獄を作るのは、人と神の間にあるものであろう。
しかし、その日の惨劇は精々が血溜まり程度。人の業と選択によるものだ。折れた剣、砕かれた甲冑。その中で、一箇所だけ異様を呈する場所があった。
丸ごと無くなった上半身。欠片を集めても元の姿には決して戻らないだろう、引きちぎられた死体。全てが一人の男がやったことだった。説法をする神父じみたカソック姿の男に、ここに陣取っていた隊は全滅させられた。
いや、完全なる全滅ではない。庇うように折り重なった死体から、一人の青年が這い出てくる。若い。目に宿る光も、佇まいも、何もかもが青くさいほどで、戦場経験の少なさを訴えかけていた。
「許さないっ……皆、みんな、良い人達だったのに!」
純粋な怒り。それを受けて、男は眩しそうに目を細めた。
この程度の戦場に出てくるほど若く、仲間を思いやる心。田舎育ちの青年が、未来に輝きを見出すために徴募兵に参加したと言ったところか。向こう見ずだが優しい男なのだろう。死を前にした仲間が思わずその身を隠そうとするほどに。
青年兵は男との圧倒的な力量差を理解していた。対峙しているだけで、小水すら漏らす。だが、それが仲間の血と混ざり合う度に覚悟が全身を鎧で覆っていく。
恐れは知った。だが、それを畏れぬことこそ、勇気であると無意識の内に青年は理解した。震えが止まる。足に込められた力は己の希望と光から、手に宿る力は仲間たちとの絆から。
青年はこの時、真の勇者となった。
神々は彼を愛し、幾つもの加護を与えてくれるだろう。勇気と共に、無尽蔵の力を与えてくれる。
その姿にカソック姿の敵でさえ、輝きの前に目が潰れんばかりだ。
―いざ、爆ぜろ我らが生命。眼前の仇敵を討ち滅ぼせ。
加護と奇跡は完全だった。地を蹴る速度は歴戦の戦士を軽く上回り、握った剣は鉄すら切り裂く。憎き相手に向けて、破裂するかのように飛ぶ。先程までとは雲泥の差の発露に、敵の対応は当然に遅れる。全てが青年の味方をした。新たな英雄が産声をあげた。
「――っ?」
青年は瞠目した。達人の領域とは、こうした事を言うのか。いつまで経っても、敵にたどり着かない。素晴らしい境地だと分かるが、今は早くこの怨敵を斬り伏せたいのに……
「お名前を聞かせてください。勇者よ。できればお仲間のも」
「何をっ!」
ふざけたことを抜かすのか、それはお前の末期に教えてやる。だが、なんでこんなに遠いんだろう?
先程は達人の域に至ったと思ったのだが、相手の声が普通に聞こえているのもおかしい。ゆっくり聞こえるはずだ。
青年の視界は地面を写した。意味がわからない。
足に力が入らないが、早く剣を拾い直そうと姿勢を変えた時、青年は気づいた。下半身が無い。走れぬはずだ。いつの間にか敵が振るった武器は、見ることさえ叶わず青年の半分をどこかへ飛ばしてしまっていた。
「お名前を」
「ふざけっ!」
奇跡は連続して止まらない。下半分を失った青年兵は、当然に生きれるような状態ではない。単純に血を半分以上失っているし、痛みで脳は焼ききれんばかりなはずだ。
それを観察するように見守る男の姿勢に怒りが止まらない。正義の奇跡は途絶えない。上半身の筋力のみで、獣のように間合いを詰めた。仲間の仇が取れるなら、総身を犠牲にすることのなんと安いことか。
剣はもう役に立たない。だが、首に食らいついて、死ぬ前に締め上げて見せる。
「それが貴方の“選択”なれば、祝福を」
黙れ。そう言いたかったが、次の瞬間に青年の視界は無くなった。
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穴を掘る。彼らのムクロだけでも、埋めてやらねばならないだろう。
カラスたちには悪いが、この者たちは尊い。聖者もかくやというほどに。
「神士コライト、何をしている?」
「墓を掘り、彼らが彼らの神の身許までいけるよう努力しています」
馬上から話しかけてきた豪奢な鎧の男には目もくれず、周囲にあったものを使い、時には手で掘る。
侮られたと思った男は、不機嫌そうにどこかへ行ったが、それもコライトには気にすることではない。聖職者の仕事をするだけだ。
その尊敬すべき者達を、自分で殺しておきながら埋葬しようというのだ。傍からみれば矛盾にも程があるだろう。しかし、土で汚れることも厭わない姿、その目は真剣であり狂ってもいなかった。
“選択と研磨の神”を信仰する彼にとって、殺害と敬意は全く矛盾しなかった。神の威光をその身にまとう神士でありながら、下僕のように働いていた。
そうしてコライトはいつまでもそこで墓を掘り続けた……