ハッピーエンドは終わりじゃない
「な、何?」
「まさか、第三形態なんて言わないわよね……」
突如何もない空間に現れた光球に二人は臨戦態勢を解かず、睨みつけるように対峙する。
迷宮では、気を抜いたものから命を落とす。そして、落とした命は拾えないのだ。
たとえただの光の玉でも、最大限の警戒を向けるに不足はないのだった。
『よくぞ試練を乗り越えました、強き者よ。あなたたちならやってくれると思っていました』
「「試練……?」」
光球から発せられた女の声に、二人は怪訝な表情を浮かべる。
試練も何も、二人は自分たちで情報を集め、自分たちで指定された迷宮を踏破し、最後には自分たちでガーディアンを倒したのだ。そこには他の人間の意思など介在する余地などはないはずだった。
——まさか、運命が私たちをここに連れてきたとでも言いたいの?
アイの内心で呟かれた疑問に構わず、光球は呑気そうにふわふわと漂っているだけだった。もしも人間が操っているとすれば関わり合いになりたくない類である。アイはそう結論づけた。
そんな彼女の心中を知ってか知らずか、光球はことさらに呑気そうに揺らめき始めた。
『ええ、いつかあなたたちのような強き者が現れるのを待っていたのです。さすがに、この世界の現状は目に余るので』
要領を得ない回答。それは、こちらの意図を汲もうとせずにただ話したいことを話しているだけのように見える。わかることは一つ。
「……つまり、さっきのガラクタはあなたが用意したということ? あなたは一体……」
再びの疑問に、求める答えが返ってくることはなかった。
『私のことはどうでもいいのです。それよりも、試練を乗り越えたということはその先には報酬が待っている。あなたたちも冒険者ならお分かりですよね?』
「それはわかるけれど……」
「なんのためにこんなことを?」
もとより、冒険者とは冒険自体ではなく、冒険の先にあるものを求めて冒険を続けているのだ。当然、報酬もなしに危険は冒さない。が、ギルドの人間でもないのに冒険者に対して報酬を渡す理由も、試練を課す理由も不可解だったのだ。
『疑り深いのですね……。ダンジョンマスターである私が言うのもなんですが、もらえるものは素直にもらったほうがいいと思うのです。そのほうが渡す側としても気持ちがいいですし』
無意識に情報を集めようと質問を繰り返す二人に対し、ダンジョンマスターと名乗った光球が面倒くさげな台詞と共に一層眩い光を放ったかと思えば、アイの手元に緑色の光を放つ宝玉が現れる。それは、掌大の大きさであっても確かな重量を感じさせ、まるで金の塊でも手にしているようだった。
「これは、賢者の石……?」
伝説上の鉱物である賢者の石の実物を見たことはないが、これだけの霊力を秘めた触媒は過去にも未来にも現れないであろうと確信することができるほどだった。
しかし、アイの疑問に対してダンジョンマスターが肯定することはなかった。
『いえ。流石にそこまでの報酬は用意できませんでした。しかし、あなたにとっては賢者の石以上に価値のある物ですよ』
「賢者の石以上に……?」
『ええ。ある意味では、あなたが本当に求めている物が手に入るかもしれません。それでは、私はこれで。あまり人間側に肩入れするのも不公平ですし』
「ま、待ちなさい!」
再び霊力の粒子へと変わり始める光球に手を伸ばすも、一つ一つの粒子はアイの細い指の隙間を通り抜け、黒い空へと消えていった。
そして、周囲の光景にいくつかの白い亀裂が入り始め、それは次第に広がり激しいノイズを発し始める。
「地震……?」
「亜空間が崩壊するわ。掴まりなさい。『飛翔』」
「あはは、魔術も便利だねえ」
崩壊する世界の中で、最後の魔術が発動する。亜空間が崩壊した後にどこへ出るか判別することは難しい。そして、とっさの崩壊である。どこに放り出されるかわからない以上、備えは必要だった。
「どうやら、人間界につながっているようね。上昇するわよ」
術が発動し、アイの肩に背後から手を回すようにしてしがみ付いたセツナがアイと共に高く飛び上がるのと同時。二人は目を開けるのも難しいほどの風に包まれた。
ついで、周囲の空間が硝子窓を割ったように崩れ去り、その合間から二人の周囲に青い空が現れる。足元には白い雲の海が広がり、眩い日の光が世界を照らし始める。
二人を招き入れた雲上の世界は、これ以上ないほどに青々と晴れ渡る。それは雨が降ったら晴れるように、苦労の後は報われると言わんばかりの光景だった。
「こんなどうしようもない世界なのに、どうしてこんなにも……」
「あはは、いい景色だね」
「冒険の後だからそう見えるのよ。きっとそう」
すぐ隣で苦笑するセツナの横顔を直視できずにアイはそっぽを向いて悪態を吐く以外にできなかった。
錬金術が禁術として扱われ、錬金術師の生きる権利を奪った世界。比喩ではなく自分を偽らなければ生きていくことができない。そんな世界であっても、人の手が届かない雲の上の景色は関係なく美しかった。
「柄じゃないなあ……」
アイの言葉に、セツナはため息まじりに苦笑する。そのため息は安堵によるものか、はたまた達成感によるものか。おそらく両方だろう。
「だったら、なんと言えばいいのかしら?」
比喩でなく、嘘をつかずには生きてはいけない。そんな世界があったとして、そんな世界が色付いて見えるのは冒険の後の達成感が世界に色をつけたからか、はたまた。
その続きは、アイの耳元でセツナの口から呟かれた。
「二人だから、とか言われたらボク、嬉しくて泣いちゃうかも」
「ばか、それこそ柄じゃないわよ」
そっぽを向いたアイの言葉に、セツナは顔一面で苦笑する。それは、否定されなかっただけで満足とばかりに。不器用さを慈しむかのように。
ついで、雲の上であるにもかかわらず、一筋の雨粒が頬を伝う。
——ばか、もう泣いてるじゃない。
アイの口から呟かれるはずだったその言葉は思っても口には出せず、セツナの涙と共に雲の合間へと消えていった。