決戦の舞台は異世界で2
「……アイ! しっかり!」
「……ゲホっ……ゲホっ……、さすが、私の術の模倣ね。ローブ越しでもなかなか効いたわ」
再びセツナに抱き起こされながら、満身創痍となったアイは虚ろな瞳で逃避気味に呟いた。
痛痒がないと言えば嘘になるが、とっさに障壁を再度展開して威力を軽減し、纏った魔法のローブに付与された魔術軽減の効果も相まって戦闘不能になるほどの痛手ではない。加えて、
「……どうやら、こちらから動かない限り自発的に攻撃することはなさそうね。あなたが取り乱しているのにもかかわらず追撃に入らないところを見ると」
アイに駆け寄って背中を見せるセツナに対して、ガーディアンは再度攻勢に転じる気配を見せなかった。そして、二人が亜空間に飛ばされた際も。
その事実から、自分から攻撃することができないと考えることもできなくはない。だからと言って、倒さなければならないことに変わりはないのだが。
「もう、誰のせいで取り乱してると思ってるのさ……立てる?」
「当たり前よ」
そう自分を誇示し、アイは前方の強敵を睨みつけるようにしながら立ち上がる。
闘志はいまだに尽きていないが、命運はすでに尽きているように見えた。逃げ出そうにも、ここは亜空間。自分から出ていくことができるかどうかは少し考えればわかるだろう。
「自分から攻撃してこないとは言え、魔術は効かないし、ボクじゃ痛痒を与えられない。多分、アイツを倒さないと出られない。絶体絶命じゃない?」
「そう思うなら、もっと絶望したような顔しなさいよ」
「言ったじゃない。君となら魔王だって倒せる気がするって。それに、手はあるんでしょ?」
こんな状況であっても、この場に絶望などかけらも存在していなかった。
冒険中に死ぬような間抜けは、皆等しく絶望を顔に浮かべてこの世を去る。絶望したものから死んでいくのなら、たとえ希望が見えなくとも無理やり見出す他にないのだった。
「……ええ。物理攻撃は通らない。魔術も通用しない。おまけに、模倣されて倍以上の出力で反撃される。だけど」
「だけど?」
「錬金術なら、その限りじゃない」
それは、絶対にそうであるという確信を伴ってアイの口から発せられた。
普段は魔術師に扮しているが、アイの本領は魔術ではなく錬金術である。
錬金術とは禁忌の体現。人前で術を発揮すれば捕らえられて斬首刑となることは確実だが、幸いにもここは亜空間。思う存分錬金術を行使することができる。
錬金術師でありながら魔術師扱いされる鬱憤を晴らすにはもってこいの状況と言えた。
「でも、錬金術だって魔力……じゃなくて、霊力を使うことには変わりないんでしょ? 耐えられて模倣されるだけじゃない?」
「考えはあるわ。合図をするから、炎系統のスキルを叩き込みなさい」
アイはそう応え、懐から分厚い写本を取り出した。
それは、最後の錬金術師であり彼女を育てた女から教わったことが全て記された、世界で唯一現存するであろう錬金術師の写本だった。
使い込まれたその頁が手を触れずにめくられるのに合わせて術式が構築されていく。が、それを許すガーディアンではなかった。
『異質な術式を確認。発動を阻止します。超電導魔導砲』
「させない! アトラクトライト!」
セツナは、錬金術を構築し始めたアイに向かって再びの大魔術を放とうとするガーディアンの注意を技能で引きつける。
「射線がバレバレだよ!」
直後、魔術による電磁方がセツナへと向かって射出されるも、それは高速で移動する彼女の残像をとらえるだけだった。
いつもと同じようにセツナが注意を引きつけて時間を稼ぎ、アイが術を行使する必殺の布陣。この状況に持ち込まれて二人が負ける道理など、微塵もない。
しかし、これはいつものように楽な冒険ではない。であれば、油断できるほど甘くもないのだった。
そう言わんばかりに、ガーディアンは即座にセツナの速度を捉えるべく対応する。
『術式の再構築に成功しました。超魔導機関銃』
セツナに術が当たらないと見るやガーディアンは術式を改造し、亜音速の魔術弾を連射し始める。が、回避することに関してセツナの右に出る者はいない。
「……っ、ミラージュオブドッペルゲンガー!」
セツナは音速で迫りくる死の恐怖に対して十数体の分身を作り出し、射線を分散させる。
「……既存の術式を改造することができるなんて、是非とも解剖して中身を調べたいところね。魔術を通さない胴体も錬成の触媒に……」
「ちょ、呑気なこと言ってないで早く術を構築してよ!」
絶え間なく放たれる魔術弾を避けつつ叫ぶセツナだったが、その口ぶりからはまだ余裕があるように見えた。
軽薄そうに見えても、数々の強敵を屠ってきた高位冒険者である。攻撃せず逃げることだけに集中することができれば、たとえ相手が龍でも魔王でも被弾することはないだろう。そして、アイもそれを疑うことはない。
それは、いくつもの死線をともに潜り抜けてきたからこそ芽生えた信頼感だった。
「もうすぐよ。私が術を発動したらすぐにスキルを叩き込みなさい」
「了解!」
そう言ってセツナは、いや、セツナたちはその速度を速めてガーディアンの攻撃を回避し続ける。そして、アイはその傍らで術を構築する。
おおよそ高位冒険者の戦いには見えないが、二人ではこれが限界かつ最善の布陣だった。
——魔術抵抗の高いガーディアン相手には、まだ足りない。
わずかに残った霊力が両の手に集中し、強大な錬金術を放つ準備は整った。が、錬金術といえど、魔術と同様に霊力を用いることには変わりない。そもそもの霊力への耐性が高い相手に使うには相応の力が必要になるだろう。
「魔界の魔物から取れる触媒はできるだけ使いたくないけれど、出し惜しみできる状況じゃないわね。霊力増強』
賢者と呼ばれるごく一部の例外を除いて、人間が許容できる霊力には限りがある。であれば、足りない霊力は触媒を変換して補わなければならない。
不便なことこの上ないが、錬金術師以外の術師はそもそも霊力を補う手段を持たないということを鑑みれば文句は言えまい。が、この状況である。内心で愚痴を零すことくらいは許されるだろう。
「合わせるわよ、セツナ! 物質変換」
アイが術名を紡ぐと、膨大な霊力の粒子がガーディアンの周りを取り囲む。
それは錬金術としては初歩の初歩。本来は少量の物質を他の物質に変えるだけの術だったが、これだけ巨大で強大な存在を構築する物質を変質させるには膨大な霊力と練度が必要になる。
世界で唯一。アイにしかできない芸当だった。
「了解! 業火の暴風嵐!」
アイの合図に、待ってましたとばかりに勇しげな声が上がる。それに少し遅れて、セツナは術式を解析するために静止したガーディアンの足元へと潜り込み、両手に握った短剣に炎を纏わせて火炎の嵐を巻き起こす。
「すごい! 燃える燃える!」
「体を木材に変えたわ。生体には効果のない術だけど、鉱物でできているなら話は違う」
先ほどまで全ての魔術を跳ね返し、物理攻撃も通さなかったガーディアンの体も木材になってしまえばその性質を保つことができるはずもない。
『原因不明の損傷を確認。原因を究明します。原因を究明し……』
二人が苦戦を強いられたガーディアンは、あっけないほどによく燃えた。
その体のいたるところが燃え広がって朽ち始め、最後は勝利で万事解決……とは行かないようだった。
「でも、いいの? 燃やしちゃったら触媒にできないんじゃ……」
「……あ」
「あはは、締まらないなあ」
アイの口をついた間の抜けた声に、場の空気が弛緩し始める。そこには、すでに冒険が終わった後のような充足が満ち始めていた。
親玉を倒せば、冒険は終息する。そのあとは大勢で飲んで騒いで賭けをして報酬の額で揉め事を起こす。冒険とは、冒険者とはそんなものなのだが……。
「……なにも起こらないね」
揺らぐ炎に照らされて、セツナは不安げな顔を浮かべる。炎の揺らぎに同期して、その赤々とした瞳も不安げに揺れていた。
ガーディアンを撃破すればこの空間から解放されるものだと思っていたが、あたりには一面の闇が広がるだけで何かが起こる気配はない。
考えられることは、一つ。
「まさか、閉じ込められたのかしら」
「そんなまさか」
実際、ガーディアンを撃破すれば元の場所に戻れるという保証は最初からなかったのだ。
術によって作られた空間は術者が意識を失うか死ねば解ける。それは魔術においても錬金術においても例外ではないが、魔界の迷宮で想像通りのことなど起きようはずがない。
この亜空間に閉じ込められたと考えるのが、自然だった。
「ど……どうするの?」
「どうするもこうするもないわね。亜空間に転移のポータルなんていう気の利いたものがあるとは考えられないし。いつになるかはわからないけれど、術が切れるのを待つしか」
流石に、亜空間を維持し続けることに必要な力を供給し続けることはできないだろう。確証はないが、理論上いつかは術が解ける。
しかし、何もない亜空間で二人きりという現実が、二人に希望を持つことを許さないのだった。
希望の光はそれこそ、倒れ伏したガーディアンの纏う炎のように、時間とともにその勢いを弱めていった。
「焚き火って言うには、無駄に神秘的だね」
「そうね。煤だらけなのに、今にも立ち上がって動き出しそうな……っ!」
アイの言葉が途中で途切れたのは、ありえない光景をその瞳に写してしまったからだった。
地面に伏して燃え尽きるのを待つだけだったガーディアンだったものが炎とは違う赤々とした光を放ち始め、その体から掌大の球体が浮かび上がり始めたのだ。
『身体損傷率九十九パーセント。直ちに修復し、第二形態へ移行します』
どこからか再び響いた音声と共に炎の如く赤い光を纏ったオーブはその光を強め、その周囲に人型の輪郭を描き始める。そして、それをなぞるように足元から鉱物の体が構築されていき、
「ちょ、嘘でしょ……?」
再び、兵器としての様相を現し始める。ガーディアンが再び猛威を奮い始めるのは時間の問題に見えた。
「どうやら、核を破壊しない限り再生する術が仕込まれていたようね。だけど」
いくら破壊兵器といえど、核が剥き出していては型なしである。止めを刺すには絶好の機会であった。
「セツナ。核を盗みなさい。空間遮断」
詠唱と共にアイが核へと手をかざすと、一時的に再生が中断される。
核の周囲の空間を遮断し、一時的に周囲への影響力を絶ったのだ。
なけなしの霊力を用いての術だったが、掌大の物質を覆うには十分すぎた。少ない力でも、短時間であれば持続系統の術は問題なく効果を発揮する。
「了解。スティール!」
そして、核を破壊するのはセツナの仕事である。セツナは中空で光を発することしかできなくなった核をスキルによって手元に納め、
「壊して、いいんだよね」
「……この際仕方がないわ。術が切れて仕舞えば振り出しに戻る。このあたりが妥協点よ」
「了解。ピアース」
そう言ってセツナが指先でオーブを弾くと、あっけないほどに軽い音を立てて砕け散った。
ガーディアンの核。錬金術の素材としてはこれ以上ないだろう。
解析して複製できれば、世界を滅ぼす破壊兵団を編成することも不可能ではない。
少なくとも、アイにはそれを可能にするだけの知識と技量があった。
が、世界を変えることのどこに意味があるのだろうか。少なくとも、二人はそこに一切の意義を感じることもない。
たとえこの世界が、錬金術師にとって過酷な世界だったとしても。
そんな世界を変えるより、欲しいものを手に入れる。それは冒険者として妥当な発想だった。
「終わったんだね」
「それならいいのだけれど……」
散り散りになったオーブの破片は、一つ一つが霊力の粒子に変わって高く登り始める。それは舞い上がる火の粉のように。黒い空に向かって舞い上がった。
エンドロールでも聞こえてきそうな光景だが、その光景が窮地に変わることも珍しくはない。
たとえ九割九分九厘こちらが優勢の状況でも、気を抜くことは許されないのだった。
「お次は一体何かしら」
アイは、舞い上がって行った粒子が頭上の一点に収束していくのを見逃さなかった。その粒子は次第に一つの光球となって少しずつとその高度を落とし、ついには二人の目の前、鼻の先ほどの距離に現れる。
『……うふふ。いいものを見せてもらいました。冒険者さん』
そして、困惑を浮かべるしかできない二人を他所に、たのしげに漂い始めた。