帰還、そして冒険。
「ねえアイぃ……。笑えとは言わないけどさあ、そんなに暗い顔しなくてもいいんじゃない?」
「……はあ」
唐突に背後から聞こえてきたセツナの指摘に、アイは抑えきれずにため息をこぼした。
ガーディアンとの戦いの末に亜空間から解放されて魔界から帰還したアイは、二日間の休息の後、自分たちが所属する冒険者ギルドへと顔を出していた。
本音を言えば先日の探索で手に入れた宝玉の詳細を調べ上げたいところだが、そんな時間は二人には用意されていなかったのだ。
「どうせギルドの規則で長々と休んではいられないんだし、嫌なことは割り切って好きなことをやるために仕事した方が良くない? 相方が暗い顔してたらボクも気分が良くないし」
「……」
顔をしかめたセツナに、アイはそんなことはわかっていると言わんばかりに再びのため息をこぼした。
決して、彼女が『冒険者は定期的に依頼を請け負わなければならない』という規則を失念していたわけではない。
高位の冒険者といえど、長い間依頼を請け負わないで休んでいれば相応の罰則が発生する。
冒険者とは無法者の集まりであり、それらを従えるためには厳しい規則が必要になる。
だからと言って、楽しみを先延ばしにされてはアイが不機嫌になるのも仕方がないだろう。
玩具をお預けにされた幼子のようだと言って仕舞えばそれまでではあるが。
「それなら、あなたが私を楽しませてくれないかしら。そうしたら何だってしてあげるわよ、セツナ」
「別にいらないよ……あ、ボク林檎酒ね」
白いショートヘアを揺らしてため息を吐いたセツナは、そのまま伺いも立てず隣に座って女給を呼び止め、呑気に酒など頼んでいる。
初対面の相手なら黙ってカウンターから移るところだが、そうしたところでついてくるだけだという事は無駄に長い付き合いの中でわかっていた。加えて、無駄に身体能力の高い相方から離れられるとは思っていない。
「いつも好きね。盗賊職がお酒に酔っていていいのかしら」
結局、嘆息とともに嫌味を口に出すのが精一杯だった。精神の安定を保つためには、そのままでいられなかったのだ。
「お酒に真面目な盗賊職なんていないよ。それに、酔ってる時が本領発揮なんだって」
「酔狂ね」
本気で言っているのかどうかすら曖昧な文言に、ため息まじりの皮肉を返す。別に、セツナのことが嫌いなわけではない。いくら他人に対する関心の薄いアイとは言え、親しくない相手に軽口を叩くような真似をするはずがない。
言って仕舞えば、軽口を叩きあえるような、気のおけない間柄というわけだ。
「それで、今日はどうして冒険者ギルドに……って、聞かなくてもわかるよね」
「……」
本当に、当たり前だ。冒険者ギルドなのだから、冒険の準備をしにきたに決まっている。
口に出すのは簡単だったが、それを言うのは憚られた。突き放すような態度をとりつつも、本当はセツナを待っていたと認めることになるからだ。
一部の例外を除き、魔術師は一人で戦えない。一人で戦ってはいけない。誰もが知っている決まりだった。それは誰が決めたわけでもないが、相場がきまっている。
表向きは魔術師ということになっているアイが一人で依頼を請け負えば、違和感しか生まれないだろう。
そして、その決まりがある以上、アイはセツナがいなければ気兼ねなく依頼を受けることすらできない。ある意味で、アイはセツナを待っていたことになる。
実際は、魔術師でも何でもないのだが。
「……錬金術師なんて、この国じゃあ名乗れないもんね」
ふと、なぜるような吐息を伴ってセツナは耳元で呟いた。
セツナの言うように、アイは魔術師ではなく錬金術師である。
それを証明する書類や資格があるわけでもなければ、彼女自身でそうなると決めたわけでもない。彼女を育てた女が錬金術師だったから、弟子にさせられた彼女も錬金術師になった。それだけのことだった。
「……耳元でささやくのやめなさい」
「大声で言うことでもないでしょ?」
そして、この世界には錬金術師などという職業は存在しない。
正しくは、存在を抹消された生き方だった。悪魔に魂を売った者だの悪魔の使いだのと言われ、錬金術師は何百年もかけて一人ずつ。見せしめのように処刑されていった。
そんな世界だから、本当は魔術師でもないのに、魔術が使えるから魔術師を名乗る。そうしたほうが生きやすい世の中に、錬金術師として生まれ落ちてしまったのだ。
「いつまでもめんどくさそうな顔してないで、依頼を受けに行こうよ。どうせ週に一回は受けないと序列が落ちるんだし。そしたらもっと面倒になるよ?」
「医者にかかるのを嫌がる子供みたいに言わないで。言われなくても、わかってる」
「あはは、大変だねえ」
複雑なアイの心中を見透かしたようなセツナの笑みに、抑えきれずに三度目のため息がこぼれた。




