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閉鎖病棟

作者: なつみかん
掲載日:2020/12/09

 「そろそろ限界かな?入院する?」

先生は優しい声で私に尋ねる。

「そうですね。はい。入院します。」

そして、私は閉鎖病棟の住人となった。

 ここは街でも有名な精神病院だ。3階建ての1階は外来用。2階は重度患者の閉鎖病棟。

3階は軽度患者の閉鎖病棟。私は3階に入った。

今回で2回目の入院だ。一度目は5年前だった。自殺未遂を繰り返し、借金してまでお金を使い、入院となった。その時付けられた病名は双極性障害。昔でいえば躁うつ病だ。5年かけて病気と向き合い少しはコントロールできたかと思った矢先のことだった、仕事の内容が少し変わった。たったそれだけで、うつ症状が顕著になった。

食事が不規則になり、風呂や歯磨きが苦痛になり、仕事に行けなくなった。おねしょもするようになり夜は紙おむつのお世話になるようになった。それで、入院だ。

今回の私の部屋はベッドとテーブルとイスそれに開きはしないが外がみられる窓がある。

なかなかの好待遇だ。もちろん、イス以外は全て固定されていて動かせない。あ、あと大事なポイント、専用トイレがある。これは助かる。私はこのタイプの部屋しか知らないが他にも個室でトイレの無い部屋や、大部屋と言われる四人部屋がある。たしかそれぞれ5千円、3千円、0円と、そこそこ良心的な価格である。

さてと、入念に検査、点検された自分の持ち物をクローゼットにしまうと、私は閉鎖病棟デビューに喫煙室にむかった。

病棟はぐるりと回れるように造られている。棟の真ん中はガラス張りの空間があり中庭になっていて外の光を感じられる。圧迫感を感じさせないためだろう。

 喫煙室には先客がいた。そこで満面の笑みで

「こんにちは!」

と言うとあちらからも元気な挨拶が返ってきた。まずまずのスタートだ。すると、やはりきた。

「なんで入院したんですか?年はいくつ?」

と、遠慮のない質問が飛んでくる。新入患者へのここ特有の洗礼だ。こんな時私はうそをつかない。

「えっと、双極性障害なんだけど鬱ぽくなっちゃって、で入院。歳は30才です。」

相手は

「へー、そうか。私はマナ。統合失調症。27才です。私よりお姉さんですね。じゃあ、姉さんて呼びますね。」

そうか、姉さんか。これで私の呼び名も決まった。

「よろしくね。」

と言って、しばし、たばこに専念する。そして、いろいろとおしゃべりをする。2本目のタバコを吸い終わる頃にはお互いの略歴はほぼ、理解した。

するともう一人

「失礼します。」

と言って男の人が入ってきた。マナちゃんはすぐに私を紹介してくれた。

「こちらの姉さんは双極性障害で、今、鬱ってるんだって。で、こちらのイチロウ兄さんは国道で真っ裸で走って、その上うんこしたから、警察に捕まって、そのあと救急車でここに来たの。」

ま、真っ裸で、うんこ?すごいな。

「マナちゃんの言う通りです。よろしくお願いします。俺は強制入院なんでこの階からは出られません外出禁止でね。」

ぺこりと頭を下げる。とても、常識人ぽくてマナちゃんが説明した事をやったとは思えないが、本人が認めるのだからそのとおりなのだろう。彼の前職は不動産関係だという。そうだよね、ハンサムだし柔らかい物腰。こうゆう人、不動産屋さんにいそうだ。その後働けない期間があり、なぜだかわからないが先程の事件を起こすことになる。彼が強制入院ならば外出できると言われている私は任意入院なのか?などと思いながら喫煙室をあとにした。

私は部屋に帰る前に本棚が置いてあるところに立ち寄った。本棚の前には卓球台がひとつあり、若い男の子が誰かと卓球を楽しんでいた。退院間近なのかなと思う。卓球は相手を思いやらなければラリーは続かない。それを、楽しめるのであれば病気は随分良くなっているはずだ。

本棚は5年前とさほど内容はかわってなかった。雑誌を何冊か手に取り部屋に持ち帰った。具合が悪いときは文字はというか文章は読めないのだ。字が飛んでしまって同じところを何度も読んだり、行を飛ばしたりと、ずっと読書好きだった私には辛い現実だ。部屋に帰るとやはり、疲れを感じた。人との接触は疲れる。夕食まで本をパラパラとめくりながらベッドでゴロゴロとする。

 食堂はナースステーションの前にある。そこには、テレビもあってニュースが流れている。看護師に名前を呼ばれ食事が配られる。4人一テーブルで、どこに座ってもいいし、部屋で食べてもいい。私がキョロキョロしていると

「姉さんこっちこっち。」

とマナちゃんが呼んでくれた。少し躊躇したが、せっかくなので同じテーブルに座る。看護師が見守る中での食事はろくにしゃべれもしないのだ。テレビの音だけがやたらと大きく聞こえた。

 食事のあとは服薬。横広のナースステーションに患者が群がる。人によっては飲んだ後の口の中チェックもあり、燕の子供のように大きな口を開けている。イチロウさんも口を開けて看護師のチェックを受けている。どの基準で口を開ける人と、そうでない人がいるのだろう。私は渡された袋から夕食後の薬を飲んだ。

 そして、食後の一服タイム。喫煙室にはマナちゃんとイチロウさんと知らない男の人がおしゃべりをしていた。

「あ、姉さんこちらカタギリさん。この人はね、コンビニで店員さんともめて警察呼ばれて、ここに来たの。カタギリさん、さっき話した姉さんだよ。」

どうやら、私の自己紹介はすでに済んでいるらしいので、

「よろしくお願いします。」

とだけ言ってタバコを楽しんだ。カタギリさんは四〇代前半のはにかみがちで物静かな人だった。とても、コンビニの店員に難くせをつけそうにも見えない。よほど、店員の対応が悪かったのかな?不思議な世の中だ。そこでイチロウさんに聞いてみた。なぜ服薬のあと口を開けるのか。

「ああ、あれね。ほかの人の理由は知らないけど、俺はここに来て三日くらい薬を飲んだふりをしてたんですよ。四日目にばれちゃってね。確認されるようになりました。」

なるほどねー。そうゆうことか。

私が2本目のタバコを吸い終わり喫煙室を出ようとするとマナちゃんに引き留められた

「姉さんもう少し待って、私のボーイフレンドを紹介するから。」

と。ほどなく、その青年はやってきた。

「姉さん、この人がボーイフレンドのユズ君。性同一性障害なんだ。かっこいいでしょ。」

言われれば少しばかり柔らかい顔立ちをしている。だが身のこなしは男性そのものだ。父親に、男になることを猛反対され、マナちゃん言うところの鬱っちゃったらしく、この病院に避難してきたそうだ。3人に別れを告げ喫煙室を出た私は異音を聞いた。ドンドンとドアを叩く音と

「助けてー、出してー!」

という小さく聞こえる叫び声。気になって、どの部屋かと廊下を進んだ。見つけたその部屋は個室でプライバシー用のドアのカーテンもなく部屋の中の彼女と、目が合ってしまった。年のころは20代、長い髪を振り乱しドアを叩きながら私を見ていた。いや、虚ろな目でこちらを見てはいるが私の瞳を見てはいなかった。とても恐ろしかった。動けなかった。こんなに具合の悪い人が3階にいるのかと、私の印象に残っているのは立ち去る際に見えたむきだしのうすいマットレス。それは床の上に斜めにただ置いてあった。怖かった。膝から下の力が抜けてよたよた歩いた。心臓がバクバクいっている。ようやく自分の部屋に戻った。ベッドに腰掛け息を整える。

見てはいけない物をみてしまった。寝る前の薬の時間まで安定剤ももらいにいけなかった。だって、何て言って薬をもらえばいいのか、あまりにもショッキングな出来事に私はうそも思いつけなかった。

 消灯前の8時45分。寝る前の薬をもらいに行った。喫煙室にも近寄らなかった。ベッドに入り薬が効いてくるのを待った。

 翌朝、何事も無かったように朝が来るものだ。朝の一服に喫煙室に行った。マナちゃんとユズ君がいて、

「姉さんおはよう!」

とおもいきり明るいテンションで言ってくる。

「おはよう。」

と、できるだけ明るく言う。どうも、二人はあの部屋のことは知らないようだ。そういえば、喫煙室のドアのところで聞き耳を立てたのだがあのドアを叩く音は聞こえなかった。一晩で治ったのか?まさかね。薬で眠らされているとか?まあいいや考えると体に悪い。私は彼女を頭から締め出した。

 お昼前、一人でタバコを吸っていると、少しだけ喫煙室のドアが開いた。

「こんにちは。」

と言うと相手も小さな声で

「こんにちは。」

と、返してくれた。二十歳未満でここには入れないけど私に興味があるのかと思い

「歳はいくつ?」

と聞くと

「30才です。」

と、ホントにヒトの歳ってわからないものね。それでも、なぜに半分だけドア開けるの?不思議に思い

「入ってくれば?」

とうながすと、するりと入ってきて、私の隣に座った。どうも、タバコをもっていないらしい。

「タバコ、吸えるの?」

と聞くとこくりとうなずく。私はタバコを一本と備え付けのライターを渡した。すると、ぎこちない動作でタバコを2服ほど吸うと、まだ長いタバコを灰皿にすて

やはり小さな声で

「ありがとうございました。」

と言うと、脱兎のごとく出て行った。

私はポカンとしてしまった。するとノックの音がして私担当の看護師がやってきた。

「今の子に、タバコあげた?」

「あ、ええ、吸いたそうなので一本。30才だって言うし、もしかして、未成年?」

「ううん、そうじゃないけど、あの子には、もうあげないでね。タバコ。」

そう言うと、あの子が走っていった方に行った。

 そのほかは無事に過ごし、午後、先生の回診があった。コンコンコンと優しいノックがあり私が

「はい。」

と答えると先生がゆっくり部屋に入ってきた。

「おかげんはどうですか?」

ニコニコしながら聞いてくる。

「はい、大丈夫です。」

私は無難な答えを返した。

「そうですか。でも、昨日は怖い思いをしたでしょう?彼女はね、違う病棟に行ったからね。怖いときはお薬もらいにきてね。」

私は声が出なかった。ただコクンとうなずいた。先生は少し世間話をしたあとゆっくりと帰っていった。

私は体の芯から尖がった寒さが全身に広がった。なんで!昨日は私の周りには看護師はいなかった。それにあの部屋はナースステーションからは死角の場所だ。なぜ?そおっと部屋のドアから顔を出し廊下の上を見る。そして納得した。あちらこちらに、監視カメラがあるのだ。すべて、見られている。

もしかして、この部屋も?と思いあちらこちら探したが見つからなかった。それとも見つからないだけなのか?そもそも、ここは精神科の閉鎖病棟なのだ。監視カメラくらいたくさんついていてもおかしくはない。そう自分を納得させた。

 二日目の昼食後、マナちゃんからもう一人の喫煙仲間を紹介された。

名前はユキエさん。私より少し若いスラッとした美人さんだ。でも幸薄そう。って失礼か。美しい笑顔がなんとも消え入りそうだ。病名は言わなかったが鬱なんだろうなと察した。ユキエさんは既婚者で、彼女は離婚したいのに夫が理解してくれなくてここに来たと言った。

離婚は、結婚の何千倍の労力がいるもの。経験者の私は彼女が気の毒に思えた。

 数日後、喫煙室でマナちゃんと二人きりになった。

「ねえねえ、姉さん!私とユズ君そこのラブホテルに行ってきたの。中がとっても可愛くてよかったよ!

「え!どうやって?」

私は驚きを隠せなかった。この病院の周りには大型服飾店やスーパーマーケットがある。そのスーパーマーケットの隣にラブホテルがあるのだが、もしかして妄想?などと考えていると

「あのね、ホントだよ。」

あれ、見抜かれてしまった。本当に精神病の人は感覚がするどい。だから私は彼女らにうそはつかない。

「外出届だしてさ、時間差で。洋服とお菓子買ってダッシュでラブホテルに行ったの。1時間半くらいで帰ってきたけど、ばれなかったよ。」

ほー。若いということは素晴らしい。すごい離れ業をしたもんだ。

「すごーい、なんだか大冒険だね。」

二人で盛り上がっていると、そこへイチロウさんが喫煙室に入ってきた。マナちゃんは先ほど私に言った事をそのままそっくり、イチロウさんに嬉しそうに伝えた。

「まじっすか?スゲー。」

イチロウさんは率直な言葉で気持ちを表した。

なかなかのイケメンなイチロウさんに

「イチロウさんは彼女いないの?」

私は聞いた。

「いないですよー。まあ、こんな俺ですからね。めちゃくちゃやって、彼女なんてとてもとても。昔はいたんですけど。ヒモみたいな関係でしたかね。あ、やっぱり俺ってクソやろうですね。いろんな意味で。ははは。しかしやるねえマナちゃん。」

イチロウさんは自分のことのように嬉しそうだ。

翌日、喫煙室でマナちゃんは泣いていた。タバコを吹かしながらその頬は涙にぬれている。

「どおしたん?」

あえて、明るく尋ねた。

「今日から一週間外出禁止だって!」

え!

「な、なんで?何て言われた?」

動揺する私にマナちゃんは淡々と語った。

「ううん、なんにも。ただ外出禁止だと言われただけ。」

「そうかぁ。残念だね。」

ほかに言いようがなかった。

「もしかして、ユズ君も?」

「ううん、私だけみたい。」

んー、もしかして昨日のラブホテルの一件がバレたのかと思ったのだがおもいすごしか。

「私と、イチロウさん以外にホテルのこと、話した?」

マナちゃんは首を横に振る。イチロウさんはどうみてもアンチ病院だから言いつけるはずは無い。私ももちろん誰にも言ってない。とすると・・・ここに盗聴器があるのかもしれない。あれだけ多数の監視カメラがあるのだ、ここ喫煙室だけ聖域なわけはないだろう。喫煙室を見回すがそのようなものは?換気扇!

換気扇の下に立ち角度を変えながら見つめたが、黄ばんだほこりがあってよく見えない。残念ながら確証は得られなかったが、私は確信した。盗聴を隠すため二人同時の罰はあたえなかったのだ。たまたまババをひいたのがマナちゃんなのだ。私たちを完璧に監視している。そういえば、タバコをあげた時のあの対応の速さそれは盗聴のなせる業なのだ。私たちの人権は?どうなってるの?クエッションマークがたくさん頭に浮かぶ。だがここで、マナちゃんに言うわけにはいかない。盗聴に気づいたとさとられてはいけない。

マナちゃんには申し訳ないが、当たり障りのないなぐさめの言葉をいい、彼女を置いて喫煙室を出た。

また動悸がする。本棚の前で、少し休んだ。私にはどうしようもない。苦痛だが仕方ないのかもしれない。でもでも。息苦しい。ここでまた薬をもらわないと、変におもわれるだろう。それならばと、ナースステーションにむかった。

 私の考えすぎかもしれないが、看護師は私の安定剤を持って待っていた。ように見えた。

一錠もらい飲んだ。部屋に帰り、ベッドにもぐり込んだ。体は横になっても頭は動きどうしだ。マナちゃんの事はそっちのけで、自分があの喫煙室でどんな発言をしたのか、思い返している。私って嫌なやつ。そう思いながらいつのまにか眠ってしまっていた。

 「夕ご飯ですよ。」

看護師に揺り起こされ、目が覚めた。夕ご飯?ということはマナちゃんと別れたのが14時頃だったから何時間も眠っていたことになる。えーと3時間半。

「具合悪そうだから、お部屋にお食事もってきますね。」

そういうと、すたすたと部屋をでていった。

頭が重い。ゆっくりと起き上がる。いつもの安定剤じゃないな。見た目は同じでも倍の分量の薬もある。一服盛られたとはこのことか。笑える。病院側はやりたい放題だ。

「はいどうぞ。」

看護師が夕食を持ってきてくれた。

「後で、下げにきますね。ごゆっくり。」

味気ない夕食をただ口へとはこんだ。

食べるということはとはすごい、自然と頭が回ってくる。マナちゃんに悪かったな。残念だけど喫煙室の盗聴は誰にも言えない。これは自分を他の人たちも、守るために必要なことだ。それに、私の思い込み、勘違い、妄想、かもしれない。

 数日後、また、朝が来た。いつも通りに一服をしに喫煙室に行った。

「おはよう。」

あれ以来私は少し皆との距離をとっていた。

あたりさわりのない会話しかしないように気をつけている。

元気な

「おはようございます。」

が返ってくる。イチロウさんカタギリさんマナちゃんユキエさんユズ君全員集合だ。一服しながらのだらだら話し、みんな楽しそうだが、私はいまひとつ楽しめない。換気扇の向うで誰かが聞いていると思うととてもオープンな気持ちになれない。

「あのね、あのね、ぼく、あと一週間くらいで退院できそうです。」

うれしそうにユズ君が言う。

「そう、おめでとう。よかったね!」

私以外の人たちはもうすでにこのニュースを知っていたらしくニコニコしている。マナちゃんは少し複雑な表情だ。だよなぁ。ユズ君が退院すれば、マナちゃんが退院するまでは会えないのだ。退院した人は、ここにはお見舞いに来ることはできない決まりだ。久しぶりに明るい話題に喫煙室は華やいだ。と突然

「ところで姉さん夜のほうは何回くらいですか?ほら、旦那さんとのアレアレ!姉さんは新婚でしょう。俺興味しんしんですよ。俺たち独り身ですし。マナちゃん達は若いし、ユキエ姉さんは独り身同然でしょう。レクチャーできるのは姉さんだけですよ!」

イチロウさんは突如として下ネタを振ってくる。はー、これも聞かれるのか・・・

「まあそうねえ、年はとっても新婚だから週一から、二週に一回くらいかな?」

真面目に答える。あー恥ずかしい。

「ほー、旦那様頑張りますね。よ!日本男子の鏡!」

どっと笑いが起こる。そうか、旦那様の頑張りか。などと思っていたが、ユズ君の退院のことを考えずにはいられなかった。私はもちろん遠い先だろうが・・・

退院、どんなに望んでも先生が許可を出してくれないかぎり、決して出来ないこと。自分で入院しておいて変な話だが、いざ入院してしまうと早く退院したくなるのが人情だ。心の傷は自分でさえもどのくらい治っているのかわからない。先生といえども本当にわかっているのか疑問だ。私は主治医をいい先生だと思う。先生が好きだ。だが、長年の感で私を見ているのかなと思う時もある。

 その日の夜、ユキエさんと二人きりでタバコをくゆらしていた。ぽつり、ぽつりとユキエさんが今までの人生を話してくれた。

「何度、死のうと思ったことか。でもなかなか死に切れなくて。ここでもね、失敗しちゃって・・・今度・・・」

私はとっさに彼女の口を両手でふさいだ。あまりの急なことに彼女は目を見開いたが、片手を彼女の口にあてたまま、もう一方の手で人差し指を立て自分の口にあてると彼女は理解してくれた。そしてそのまま人差し指で換気扇をゆびさした。彼女は目で私に問う。私は彼女の隣にゆっくりと座り、口を彼女の耳に近づけ

「盗聴してるかも。」

小声で言った。ユキエさんの目は大きく見開かれそしてとじた。彼女がうなずいたため私は手を離した。ユキエさんはじっと換気扇をみつめている。私は、彼女の自殺計画を看護師に聞かせたくなかった。脳裏に焼きついている鍵のかかった部屋。斜めに置かれたマットレス。そんな所にユキエさんにいってほしくはなかった。そんな突然湧き上がった訳のわからない自分勝手な理由で秘密を教えてしまった。何も考えていない馬鹿な私。この秘密は絶対に誰にも話さないと決めていたのに。盗聴は確定ではない。器械を目視出来ていない状況だ。盗聴されているという事はヒトによって表裏一体だ。知ってて上手く利用するか、病院側の裏切りと解し落ち込むか、または怒るのか。

その後世間話をして私達は別れた。

 就寝前、本当に話してしまってよかったのか?なんで、後先を考えずに行動してしまったのか。私は随分と悩んだ。しかし、睡眠薬のせいで、悩みは闇の中に落ちていった。

 翌朝、元気そうなユキエさんを見かけて、ほっとした。朝食後のタバコタイム。ユズ君の退院が話題の中心だ。

「ねえ、退院したらなにしたい?」

「ぼくね、服が好きだから東京行って服をいっぱい買う!それに、ホルモン注射をしないとね。女の子に戻っちゃうといけないしね。」

「そうか、服がすきなのね。いつもおしゃれだものね。」

「ありがとう。」

和やかな雰囲気だ。いい気を感じる。このまま幸せな感じですごせますように。私は祈った。

2日間何事もなく過ぎていった。

早朝のことだった。私は水を飲もうとプラスチックのコップを持って食堂にある給水器に向かって歩いていた。

バタバタと看護師達の走る音が聞こえてくる。

その後からストレッチャーを押していく看護師がみえた。嫌な予感がしてストレッチャーの後を追う。ある個室のところに五人の看護師がいた。私は5メートルほど離れたところからじっと見ていた。看護師3人がかりで患者をストレッチャーに乗せる。その患者の上に1人の看護師がまたがり心臓マッサージを始めた。その時、患者の顔が見えた。ユキエさんだ!青白い顔、ストレッチャーからだらりと落ちている腕。私はプラスチックのコップの柄をぎゅっと握り締めた。ストレッチャーは心臓マッサージをする看護師もろとも私の前を通り過ぎていった。誰かが言った。

「あなたの、せい。」

プラスチックのコップがカランと音を立て床に転がった。


 私は暗い湖の底から浮かんでくるような不思議な感じがして、目を開けた。白い光が目を刺す。一度目を閉じ、少しずつ目を開けていくと、それは蛍光灯の光だとわかった。

え、なに?ここは、どこなの?まだぼんやりしている脳みそをフル回転させる。そして、なにも思い出せないことに気づく。もちろん自分の名前。親のこと、夫のこと、欝気味になって入院したこと、それは思い出せる。でも、今いるところは見覚えがない。先生は?どこ?そう思いきょろきょろして腕も動かそうとして右手に痛みがはしる。右手には手首に拘束帯があった。縛り付けられているのだ。

パニックになりそうな心をなんとか落ち着かせると動かせる首を持ち上げ自分の状態を確認した。左手首にもやはり拘束帯と腕に透明な点滴チューブがささっていた。重たい足を動かそうと思ったが、こちらも拘束されていて動かせない。泣きそうになったころ

「気がついた?」

笑みを顔に貼り付けた看護師があらわれた。

「ごめんなさいね。小さなベッドだから、落ちないようにとめておいたの。今はずすからじっとしててね。」

そう言うと拘束帯をはずしはじめた。その作業が終わると点滴の針を抜き車椅子を持ってきた。うながされるままに起き上がると、軽いめまいがした。看護師に手を貸してもらい車椅子に乗った。確かに狭いベッドだ。手術用のベッドなのかもしれない。部屋を出ると左手にナースステーションが見えた。こんな部屋があったとは知らなかった。

 自分のベッドにもどると、また眠気が襲ってきて深い眠りにおちた。起きた時は外が明るくなっていた。時計は、11時。いったいどのくらい眠ったのだろう。わからなかった。頭のネジが1本抜け落ちたように、回りが悪い。なぜか、寝起きの一服もする気にはならなかった。起き上がってみる。少し頭が痛むが、と、テーブルに上のプラスチックのコップが眼に入る。頭の中がざわついた、なぜだか見たくない物だと思った。たぶんお気に入りのコップだったのに。

「そうら、こっぷうを、かいにいこう。」

言葉を発したのはあの部屋から出てはじめてだ。ろれつが回ってない!いったい何をされたのだろう。不安がのど元までやってきたが、それを、懸命に飲み込んだ。コップを買いに行きたかった。ゆっくりと立ち上がりそろそろと歩いた。体が重い。とにかく、ナースステーションにたどりついた。ゆっくりと言う。

「コップを。買いに。売店に。行きたい。」

「そう、いいわよ、付き添っていこうか?」

看護師の答えに首を振った。

3階の鍵を開けてもらってエレベーターに乗って1階に。すぐそばに小さな売店がある。

思っていたよりもかわいい水色のプラスチックのコップがあり、それとお菓子を3個購入して3階にもどった。看護師は袋の中身を検査すると、こくりと頷きフロアーに入れてくれた。昼食を済ませるとタバコが吸いたくなった。袋をベッドの上に置くと喫煙室に向かった。重かった体も力の入らなかった足もだいぶ良くなった。

「おじゃまします。」

先客にあいさつをすると

「姉さん!どこ行ってたの?外泊?」

えーと、この女の子は知ってる。たぶん。名前はなんだったか・・・彼女は続ける

「2日間も会えなかったから、心配しちゃった。ユキエ姉さんは突然2階に移動しちゃうし。」

ユキエさん?だれだっけ?何か心に引っかかる。だが、それ以上には何も思い出せなかった。私は、返す言葉がみつからず。

「あの、ごめんなさい。記憶がぼんやりしてるの。あなたの名前は?」

「マナだよ。ホントに大丈夫?」

「ええ、マナちゃんか、ありがとう。」

「まあ、まずは、一服一服!すっきりするって。」

マナちゃんにうながされるままに、椅子に座りタバコを吸った。いつものように、2本吸ってマナちゃんに別れを告げ自室に帰った。なにか、もやもやする。マナちゃんの名前も思い出せなかった。ユキエさんって誰?

あーなにもかも思い出せない。イラついた私はベッドにのっていたビニール袋を床に投げ落とした。中に入っていたプラスチックのコップがカランと音を立てた。その途端、頭の中のなにかがカチンとはまった。

 沢山の監視カメラ、喫煙室の盗聴、ユキエさんのだらりとした白い腕。思い出した。すべて。私はいったいあの知らない部屋でなにをされたのだろう。恐ろしくなってベッドの上で丸まった。震えが止まらない。歯がカチカチと音を立てる。なにが・・・

コンコンコン、先生のノックだ。

「はい。」

私はできるだけ平静を装って答えながら、身構えた

「こんにちは。お加減はいかがですか?」

「ええ、大丈夫です。」

「そうですか、そのようには、見えませんが・・・。どうかしたのですか?」

先生は引くつもりはないらしい。

「ええ、なんだか、震えがとまらなくて。すみません。記憶も飛んでいるみたいで、でも大丈夫です。」

「そうですか。そういう日もありますよ。ストレスがかかると、記憶が飛ぶことがあります。なにかストレスがありますか?私にできることがあれば言って下さい。」

「なにも・・・ありません。」

「あ、この袋は机の上においておきましょうね。いつでも、困った時は呼んで下さいね。すぐに良くなりますよ。」

「・・・そうですか。」

「はい、ではまた。」

そう言うと先生は部屋を出て行った。

震えはとまっていた。先生はあの部屋のことを知っているのだろうか?そもそもなにかしたのは先生なのだろうか?でも、ユキエさんは生きていた。それは朗報だ。2階にいるとマナちゃんが言っていた。私のせいで、死ぬところだった。でも、助かったのだ。本当に良かった。やはり、盗聴はされている。多分私達を守る目的で。そう思うのは私が閉鎖病棟にいるからなのか?ストックホルムシンドローム?結論が出ないまままた、眠りに落ちた。

 また、何度目かの朝が来た。朝の一服に何事もなかったようにでかけた。

「おかよう。」

「おはようございます。」

今日の先客はイチロウさんだった。

「マナちゃんが心配してましたよ。姉さんが変だったって。」

イチロウさんは、美味しそうにタバコをふかしながら聞いてきた

「んー。なんかね。調子が悪かったんだと思う。記憶があいまいになっちゃってさ。」

私は適当にごまかした。

次の日。この日はユズ君の退院日だ。パジャマではない洋服姿は新鮮で、少し遠いヒトにみえる。

「外来で会ったら声かけてねー。みんながここを出たら、お茶しましょう。」

そう言って退院していった。

また朝が来た。5時、朝の一服に行くとそこにはイチロウさんがいた。

「おはようございます。」

「おはよう。」

「ところで、姉さん、これラブレターです。」

突然目の前に出された、二つ折りのメモ帳を私はおずおずと、受け取った。開いてみると

①盗聴されてるの、しってますよね。姉さんの反応が見たくてエロいことわざわざ聞いてすみませんでした。

②なにかされたんですか?

③何かできることはありますか?

と書いてあった。心臓がバクバクと音を立てる。イチロウさんの目を見つめて、

「そうね。すぐに、お返事もってくる。」

そう言うと喫煙室をあとにした。自室にかえるとA4のノートに書き始めた

①はい。いつから気づいたの?  空白

②たぶん。なにかされた。一瞬記憶が飛んだけど今は戻ってる。でも病院側には知られたくない。          空白

③ないと思う。このまま、気づかないふりをしたまま退院したい。でも、ユキエさんが本当に2階に行ったのかを確認したい。死んでいないか確認したい。私が盗聴を教えてしまって、その結果自分の命を絶ったももしれないから。

すぐに、喫煙室にもどった。イチロウさんはまっていてくれた。

「おかえりなさーい。」

明るく言うと早速私のノートを読み始めた。

その間の時間が長くかかったように思えたころ、ノートに書き込み始めた。書きながら

「姉さんの気持ちは良くわかりました。旦那さんを愛してるんですね。なによりです。」

イチロウさんはすごいな、盗聴を上手に使ってる。ノートを返してきた。

①皆から距離をとり始めた時。俺はここに入ったときから気になっていたが、姉さんの態度で確信した。

②何をされたか、探ってみますね。慎重にやりますから安心して下さい。

③ユキエさんの件もさぐります

以上がイチロウさんからの返事だった。イチロウさんが出て行ってからノートの1ページとイチロウさんのメモを小さく破り、灰皿の上でライターを使って全部燃やした。

2~3日は和やかに過ぎていった。新しいタバコ仲間もできた。元気なおばあさんヨシさんだ。マナちゃんの宣言でその方は大姉さんと呼ばれることになった。この病院の常連らしく。疲れると1ヶ月ほど入院するのだそうだ。そんな入院もあるのかと、不思議だった。ヨシさんはいつもにこにこして、我々の無駄話をきいている。でも時々、

「あんまり、バカなこと言ってるといつまでたっても退院できないよ。壁に耳あり障子に目あり。だからね。」

と諭すように言う。もしかしたら、ヨシさんも盗聴のことを、知っているのかもしれない。イチロウさんの方を見ると目が合った。同じことを考えていたのだろう。

 ある日廊下ですれ違いざまにイチロウさんから厚いメモを渡された。何枚かのメモ用紙を手の中に入る大きさにおってあるものだ。部屋に入って椅子に腰掛けメモをひらいた。

「姉さんは電気ショック療法を受けさせられたのかもしれない。タバコを吸わない統合失調症の若いカップルがいるでしょ。あの男のほうが早朝に食堂で『なにがあっても、君の事は忘れないから。』って言ってるのを聞いて二人に話を聞いたんだ。まだ夜勤シフトで看護師もみあたらなかったんでね。そうしたら、治療後の感じが姉さんと一致した。ただ、電気ショック療法は家族と本人に同意をもらう仕組みになってて、突然やることはあまり無いとか。それに、院長先生しかやらないと聞いた。

ユキエさんのことは、まだわからない。継続します。」

読み終わると、妙に納得した。そうか、そういうことか。なんだ、先生言ってくれればいいのに。それとも、知らないのか?どちらにしても笑える。ある意味個人病院だから院長先生は絶対なのだ。私にたちうちなどできやしない。無力感が押し寄せてきたが、ぐっとこらえメモを燃やしに喫煙室にむかった。あとは、ユキエさんの行方だ。これは外出できる私のほうが動けるかもしれない。

 次の日喫煙室でイチロウさんにこんなメモを渡した。

「今日外出して外にいる喫煙所の人にユキエさんのことを聞いてみる。昨日はありがとう。納得したわ。」

イチロウさんの目が見開かれ、私を見る。

「気をつけて。」

そう言ったまままだメモを見ているので、そのメモを彼の手から取り灰皿の上で燃やした。

イチロウさんは知らないが、この病院は何棟もの建物で成り立っている。私はこの棟しか入ったことは無いが、隣の棟との間に大きな青空喫煙スペースがあるのを、知っていた。

外来の時何度か早く来てしまって暇つぶしに見つけたのだ。ただ、問題はそこにいる人達と意思の疎通ができるかだ。前に見た時はだいぶ具合が悪そうだったからだ。知的障害と精神障害、または薬物乱用が混在しているように見えた。あの人達にかけてみよう。

「外出?めずらしいわね。」

そう怪訝がる看護師に

「だいぶ、気分がいいので、外の空気を吸いたいなと思って。」

そういうと、

「いいわよ、1時間くらいで帰れる?」

「はい。充分だと思います。

 3階の鍵が開き、私は外へ向かった。棟の裏手に回りこむと木でできたベンチがまるくならんでいて、中央には3個灰皿があった。4人の人が見える。とりあえずあいさつをしてみる。

「こんにちは。」

しばしの沈黙。

「あんた、だれ?」

女の人が聞く。

「私は、そこの棟の3階から来たの。外でタバコ吸いたくて。」

「ふうん。」

とりあえず、一服してみた。もう、私に興味は無いようだ。でも、勇気を振り絞って聞いてみた。

「2階から来た人知らないかなあ?」

さっきの女の人が答える。

「あたしたちは、ずっとこっちだから。」

と裏手の棟をあごでさした。

「あんたのところから、こっちに来るって、まずないね。」

そうなのか、からぶりか。まあ仕方が無い

「よかったら、私のタバコ吸わない?」

タバコを差し出すと4人が群がった。あっというまにタバコは空になった。もらいタバコを大きく吸うと女の人が言った。

「2階よりも3階のほうが大変だろ。自殺者が出たってもっぱらのうわさだよ。」

え、ええ!

「その人死んだの?」

「そうなんじゃねえの。」

私は、力が抜けて座り込んでしまった。

「おいおい。大丈夫かよ。」

女の人が乱暴に私をゆする。と、それまで口を開かなかった男の人が言った。

「そのひと、大学病院にいるって聞いた。」

「ほんと?誰に聞いたの?」

私は藁にもすがる思いで彼に聴いた。

「先生。俺はここで救急車が出るのみたから先生に聞いた。そしたら、大学病院って言った。」

「ありがとう。ありがとう。」

号泣しながら立ち上がった。4人の怪訝な視線を感じながらできるだけ涙をふいて、病棟に帰った。案の定、泣いていたことが看護師にバレてしまい。今後しばらくは外出時に看護師が付いてくることになった。

部屋に帰るとコンコンコンと先生のノック

「はい。」

というと、心配顔で部屋に入ってきた。

「あのー、外の喫煙所で何があったんですか?あなたの心配事がわからないと治療のしようがないです。教えてもらえませんか?」

やさしい先生の声と言葉に、いくつかの嘘をまじえながらも、できるだけ率直に話そうと思った。

「ずっとユキエさんのことが心配で、どうなったのかと。」

「そうですか、それを心配していたのですか、彼女は何度も自殺を試みていました。そして今回は成功してしまいました。私達はとても残念におもっていますが、彼女はどうだったんですかね。私は言うべきではないですが、それを幸せと思う人もいるのはたしかです。誰のせいでもありません。彼女が決めたことです。怖がらせるようなお話ですみませんね。でもあなたは、大丈夫です。必ず良くなります。心配しなくて大丈夫ですよ。」

「そうですか、教えてくださってありがとうございました。」

先生の言葉は、嘘のないものに聞こえた。

 私は小さなメモを作ってイチロウさんにこんな内容をかいた

『先生が話してくれました。ユキエさんは自殺して亡くなったと。この事は誰にも言わないで。あとは、平穏に過ごすつもりです。』

そのメモをパジャマのポケットに入れると喫煙室に向かった。喫煙室には誰も居らず、私は2本目のタバコを吸い終わりそこを出ようとしたところに、イチロウさんが入ってきた。

無言でメモを渡すと喫煙室を後にした。部屋に帰り横になってよく考えてみた。脳みそを、勝手にいじられたことはやはり、許せない。

でも、もしかしたら、必要な処置だったのかもしれない。ユキエさんが運ばれる時に言われた言葉

「あなたの、せい」

これは、わたしの罪悪感からの幻聴だったのかもしれない。予測ばかりだが、そうであって欲しかった。

2週間後私は退院した。閉鎖病棟から出て外の世界に。


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