1話
「まったく、とんだ貧乏くじだ......」
俺は誰も通らないトンネルを車で進みながらひとりごちる。横目で見たカーナビの時刻は昼過ぎの時刻を指している。出発したのは朝9時過ぎなのでかれこれ3時間は運転していることになる。そして、今走っている場所はトンネルの内部。テレビやラジオの電波も届かず、薄暗い景色も変わらず、窓を開けて空気を入れ替えても気分もすっきりせず。トンネルに入ったのは20分ほど前なのだが、気が滅入ってきた。トンネルを抜けたらいったん休憩しよう。せめてもの気分転換として流れている音楽を聴きながら俺が向かっている場所を思い浮かべる。
黒神社。山の中にぽつんと立っているそこは、有名ではなかった。車で行けるように交通の整備もされているし、景色も悪くはない。だが、観光会社や旅行好きな人のブログなどに載ったことは一度もない。観光地を5つ星で評価しているサイトは多いが、黒神社は星どころかそもそも評価の対象に入っていない。
ではなぜそんな場所に俺が向かっているか。それは、社長の妄言から始まった。
「ッチ」
思い出しただけで腹が立つ。今朝出社すると社長はこう言った。『黒神社という場所へ見学に行っててこい』、と。そもそも、俺たちの会社は機械関係の会社、神社など関係ないだろう。仮に観光業を発展させる機械を作るという目的なら、もっと有名な観光地に見学へ行くのが筋だろう。それとも神様の歴史から新しい発想を手に入れろとでも? だが、こう言ったら悪いと思うが、黒神社は観光地としては最悪なはずだ。祀っている神様の名前も聞いたことがない。歴史でも学んで来いと? あるいは観光をして息抜きでもして来いと? どちらも違うだろう。見学へ行けとしか言われていないというこの曖昧な命令。馬鹿にされている、もしくは邪魔だということだろう。
「俺が、か」
流れる音楽が少し悲し気なメロディーを奏でている。俺は自分の能力を磨くことを重視している。同僚が遊んでいる間も俺は勉強をした。色々な国の言語だって話せる(まだ片言レベルだが)。機械関係の資格だって取った。週に3~4回ほど運動だってする。俺は他の奴らより上だ、そう思っていた。だが、結果はこの通りだ。何が悪かったのだろうか。学生時代のように友人と遊んで、ほどほどに勉強して、適当に上司に媚びを売っていればよかったのだろうか。
「っと、そんなことを考えている場合じゃないな」
ネガティブな思考を中断して、明るくなったフロントガラス越しの景色に目を向ける。真っ青な空に新緑の広大な山々に感動するが、それよりも車を停めることができる場所を探す。それほど疲弊しているのだ......っと、あそこなら停められるな。見つけた小さなスペースに車を停めて、いったん外に出る。
「すうぅー」
大きく息を吸い込むと、都会の空気とまったく違う少し冷えた空気が肺を満たす。適当に歩き回ると自動販売機を見つける。こんなところにもあるのか、非常にありがたい。飲み物を購入して車に戻る。もう少し休んでから行くとするか。そんなのんびりとした思考で車についているテレビを点ける。飲み物を口にしながらニュースを見ていると、1分もしないうちに空が真っ暗になる。山の天気は変わりやすいとは言うが、
「これは変わりすぎだろ」
灰色の雲が覆っている空に向けて呟く。ポツ、ポツと地面に染みができていく。俺は車の窓を閉めて溜息を吐く。そして雨が本降りになった直後、空が光った。
「げ、マジか」
しばらくしてから大きな音が響く。雷が落ちたようだ。とりあえず車内にいれば安全なようだが......サボった天罰か?
「仕方がない、さっさと行くか」
走り出すと1分もしないうちに空が元の明るさを取り戻す。まるで本当に俺のことを神様が見ているようだな、と苦笑した。
周りが木で囲まれた駐車場に車を停める。相変わらず俺以外の人の気配はない。駐車場も俺の車以外に停まっていない。駐車場から車が通行できない一本道を歩き始めてすぐに綺麗な景色が見えてくる。綺麗な草原だ。高木は存在せず、視界を邪魔するものはない。神社の少し前には小さな小屋があり、そこからは緑色の山と山の間にある湖がまるで鏡のように真っ青な空を映しているのがよく見える。凄い良い場所だ。駐車場もあるし、そこまで観光地として盛り上がらない場所ではないと思うのだが。
と、寄り道ばかりしていても仕方がないな。俺は今回の目的である黒神社の境内に踏み入れる。おお、ここもここですごい良い場所だ。大きな神社の鳥居の横を通り、石段を上る。確か、鳥居は神様の通り道だからくぐるのはあまり良くない......はずだ。美しい白色の参道の先に構えている拝殿も大きい。参道を進み、手水舎で清めてから拝殿へ向かう。道中に構えている灯篭も汚れや日々は見当たらない。ここまでくると神々しさすら感じる。拝殿の横に構えている狛犬も心なしか写真やほかの場所で見た狛犬よりも凛々しい気がする。
とりあえず、形式通りの参拝を行い、一息。
「......いや、なにをすればいいんだ?」
俺は本当に何をしに来たんだ? まさか、息抜きか? まあ、確かにここまでの景色や神社は素晴らしいものだったが......
「本当に俺を無能扱いしてくれているようだな!」
俺は怒りをあらわにする。努力している奴らに負けるならまだしも、仕事が終わればすぐに酒を飲むようなあの同僚に負けたというのか! 「いやあ、彼女ができたよ~」などとふざけたことを言っていたあの田中に負けたのか! 「酒は魂の水だよ~」などと赤い顔で妄言を吐いた佐々木に負けたのか! 俺は境内で地団太を踏む。
もういい、退職してやる! 給料もよかったし、福利厚生もしっかりしていたし、月の残業時間も10時間もいかないような良い会社だったが、頭に来た! 俺がいなくなったことを後悔すればいいんだ!
「くそったれが!」
吐き捨てるように怒りを爆発させた後、深呼吸をする。神社の神聖な空気のおかげだろうか、落ち着いてくる。......とりあえず、仕事として見学とやらは行わないといけない。何の成果も得られなかったという報告書と、退職届を出すためにもな。
さて、とはいってもここには神楽殿がない。一応お守りや絵馬などを販売するための社務所があるが、閉じられている。絵馬掛けや狛犬に何かあるわけがないだろうし......となると、あとは本殿だけか。
拝殿の裏にある本殿へ行くと、そこにはとても小さい建物がポツンとあった。拝殿の大きさからはとても想像できない小さな社。ちょうど4畳半くらいだろうか? 特に柵などもないので入るのは簡単だが、気が引けてしまう。だが、見学ということもあるし、中に入るべきなのだろうか? いや、そんなことを言ったら拝殿にも入る必要があるよな......。どうすればよいか考えながらとりあえず本殿の周りの石畳を歩いていると、人を見つける。ただし、倒れている人を。すぐに駆け寄って呼びかける。
「おい、大丈夫か? しっかりしろ」
女性だ。巫女服を着ている。肩に届かない程度に伸ばした黒い髪の女性。そんな特徴に目が行くのは、俺が何でもいいから情報を欲しがっているからだろうか? 目立った外傷はない。ただ、巫女服はところどころ汚れていて、手首の辺りには擦り傷がある。......服が、濡れていない。石畳は濡れているし、巫女服の汚れているところも濡れている。つまり、あの雨が止んでからここで意識を失った? ええい、なんでもいい!
俺は女性を抱え上げて、車へ向かう。ここから駐車場までは歩いて15分もかからなかった。スーツに革靴というのが動きづらいが、車の中には救急箱がある。車に女性を運ぶ以外の選択肢はない。
女性は非常に軽い。これならばすぐに運べる。そう考えている間に車に着く。短い距離で本当に良かった。女性を後部座席に寝かせて、トランクから取り出した救急箱から消毒液とガーゼ、絆創膏を取り出して血が出ているところを治療していく。一応、服が汚れている辺りも手が出せそうな範囲で服を捲って治療していく。5分もしないうちにとりあえずの処置が終わる。やれることはやったという安心感からか少し考える余裕ができる。この程度の傷で意識を失うか? 骨が折れているような様子もないし、痣もない。綺麗な白い肌だ。一体、どういうことだろうか。この程度の傷だが、一応意識は無いようだ。救急車を呼ぶべきだろうか? ここに来るのにどれくらいかかるのだろうか? いろいろなことを考えていると、女性が目を覚ました。
「......ん、ここ、は」
「起きたか。体に異常はないか?」
俺は胸をなでおろしながら声をかける。目を開けた女性の目はまどろんでいるように見えるが......。まだ意識がしっかりしないのだろうか? そのことを尋ねてみる。
「いや、大丈夫。結構意識ははっきりとしてる。それで、ここはどこ?」
「俺の車だ。君がけがをしていたようなので運ばせてもらった」
「怪我......ああ、これ、ありがとう」
絆創膏が張られている手首を持ち上げてお礼を言ってくる女性。会話のリズムがつかめない。とりあえず、会話をしなくては。きっとこの子は俺の見学に関わっているはず。
「なんで怪我をしていたんだ?」
「それは、今は言えない。ところで、あなた天草、っていう人から言われて見学でここに来た人?」
「知っているのか」
天草は俺の勤めている会社の名前であり、社長の名前だ。もう確定だろう、この子は俺の見学について知っている。
「それじゃあ単刀直入に聞かせてくれ。俺は『何』を見て学べばいい?」
「それは、本殿に置いてある。付いてきて」
女性は車から降りて歩き出す。俺は慌てて道具をしまって車のカギをかける。
「とりあえず、名前を聞かせてもらえる?」
「竹克志。竹でも克志でも」
「私は羽白華夜。よろしく、克志」
「よろしく。ところで、俺の会社がやっていることは知っているのか?」
「もちろん。そうじゃなきゃ、あなたに来てもらった意味が無い」
「というか、天草社長とはどういう関係なんだ?」
「うーんと、天草は私の父の友人。結構昔から仲良くしている」
「ほう」
「それで、ここ最近悪いことが起きているから何とかしてもらうために救援を呼んだ」
「救援?」
「まあ、見学でも勿論間違っていないけれど。どちらかと言えば救援の方が正しい。あの人に頼み事はしたくなかったけど」
「まあ、なんとなくわかる」
「あとで天草に言っておくね」
「やめてくれ」
「まあ、冗談めかして言っているけれど、そんな奴の力を借りたくなるほど困っているの」
「社長はああ見えて機械関係には詳しいからな。......ん? ということは、俺じゃなくて社長が来るべきだったんじゃないか?」
「多分、来ることができても色々と手続きが必要。さらに言うと、来てもすぐには何とかできない」
「なるほど、事前に俺を行かせて状況を確認させようということか。なら見学ではなくて視察というものになるんじゃないか?」
「それはない。今生きている人間であれを見て学ばない人はいない」
「むう。そこまで言われては俺も期待してしまうな」
「あいつが寄こすくらいだから、あなた、相当実力があるみたいだね」
「そうなのか?」
「うん。普通なら手続きの面倒くささなんかで誰かにやらせるような案件じゃないから。......っと、戻ってこれたね」
華夜の言葉通り神社に戻ってこれた。そのまま拝殿へ向かい、裏に構える本殿に向かう。
「ここにご神体がある。とりあえず、見て」
「ほう。それでは」
俺は躊躇せずに扉を開く。そこには予想していたご神体や仏像のような、いわゆる、神様を形にした偶像は存在しなかった。そこに存在しているのは。
「......キューブ、か?」
ちょうど片手で握ることができる程度の立方体。俺は華夜に許可を取り、それを手に取ってみる。それは木でできていなかった。材質は、見たことがない金属だ。
「この黒と光沢は、黒色メッキか? となると、素材は銅や銀あたりか......?」
俺は目の前に存在するキューブに目を奪われる。そんな俺の後ろで華夜が教えてくれる。
「残念だけど、不正解。材質に名前は付いていない。それは、『オーパーツ』なの」
おーぱーつ?
※次の投稿日は12月23日0時ですが、更新は4日に1回の予定です。