20話「選ばれた哀れな犠牲者達よ」
鉄色一色の簡素な部屋。室内にはテーブルが一つ、椅子が三つあるが今使われているの椅子はたったの一つだ。
「⋯⋯」
カチャリとティーカップを置く小さな音ですら耳を騒ぎ立てる。動いているのか、止まっているのか分からない時間の中で彼女ーー涼宮零は虚空を眺めていた。
「⋯⋯【外なる神】、戦争、⋯⋯【魔王】」
零の呟きに応えを出す者は居ない。少し前なら、メイドの真似事をしていた配下が何も言わず聞いていてくれたり、五月蝿い居候が興味を持って会話しようとしてくれた。
これが寂しい、と言う感情なのだろうか? 久しく感じるこの感情に零は感傷に浸る。思い返せば何もかも無くしてしまったあの日からずっと何も無かった。
だから⋯⋯一時でもあったその時が羨ましく、その時を壊してしまう今が妬ましかった。
「⋯⋯ん⋯⋯はぁ」
余っていたティーカップの残りを強引の飲み干し、抱いた感情と忘れられない過去を飲み干した。もう、零の中に後悔はない。
「⋯⋯『異界の門』」
零は立ち上がると世界と空間を繋げる門を開いた。大きく歪むその門から現れたのはいつか見た二体の配下の魔物。
三メートル程の巨体を重さを感じさせる事なく動かす破壊の権現。背中に生えた数本の鉄パイプからは蒸気が絶える事なく出続け、大人一人分程の腕を動かし動きを確認している。
もう一体は両手に乗りそうなほどの大きさの球体。前面に描かれる奇怪な模様は青、緑、時には赤と光を放ちながら地面を探る様に転がっている。
「今から私は外に出る。貴方はここで侵入者が居た場合皆殺しに、貴方は私と一緒に来て」
巨大ロボットに侵入者の迎撃を、球体ロボットには付き添いの命令を出した零。
命令を聞いた二機は了承と示す様に頷き、転がった。この二機は言葉を発せない。思考も無い。ただ単純に命令に従うだけの存在。
故に、扱いにくい。以前までいた女型機械人形に比べれば尚更だ。しかし、こと戦闘⋯⋯破壊に関しては女型機械人形とは比べ物にならない。
「行く」
零はある種の絶対的な信頼を寄せ巨大ロボットを残し球体ロボットと共にダンジョンの外へ出た。
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数日ぶりに零は太陽の光を浴びた。もし、人間であったならばその眩しさに声を漏らし、影をつくたっだろう。しかし、その『もし』は無かった。
ただ光量の調節をするだけ。しかも、その調節に要する時間は一瞬。陽の光に声を漏らすことも、何かを感じることもない。
そんな風に視界の処理が一瞬で終わった零の目の前は人で溢れかえっていた。誰も彼もが抹茶色の様な⋯⋯カーキ色と言うのだろう軍服や迷彩色の軍服を着ている。
そして、気づいた数名から波及する様に全体に零の存在が伝わり銃が構えられた。零の正確な時間感覚で九.一七秒。その僅かな時間で入り口に立っている零の周囲は銃を構える軍人で埋め尽くされた。
「貴様何者だッ!」
分かっていながら邪魔をすることもなく、攻撃性を見せることもなかった零に一際目立つ男が叫んだ。
「⋯⋯」
零が男の叫びを気にする素振りを見せず球体ロボットを抱き上げた。抱き上げられた球体ロボットは零を認識するとその形態を変化させ零の胸部を守るアーマープレートの様に変形した。
変形を確認した零はゆっくりと歩き出した。
「と、止まれ! それ以上近づく場合は射撃されると思え!」
男の警告。しかし、それを機にすることなく零は足を進めた。
「チッ⋯⋯撃て! 撃ち殺せ!」
ダンジョンから出て来た、と言う時点で魔物かそれに該当する何か。少しでも情報が欲しかっただけに男は判断を遅らせてしまった。
そして、その遅れが致命傷となった。
一斉に撃たれた鉛玉の嵐。しかし、零は気に止めることはなかった。何故なら⋯⋯
「な、何が起きている!?」
弾丸は全て零に届く途中で止まってしまったのだ。まるで何か別の力によって受け止められたかの様に自然と、前触れもなく。
そして、撃ち込まれた大量の弾丸はまるで鉄色のカーテンの様に零を覆っていたが次第に進行方向と逆向きに力が働き始め⋯⋯
「ッ! ぜ、全員逃げーー」
逆再生するかの様に一直線に撃ち主の元へ戻っていった。
「うぐあああああああああっ!?」
「い、痛い痛いいだいいいいぃぃ!?」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!?」
そこかしこで上がる悲鳴⋯⋯否、悲鳴をあげられる者は運が良い。今の反撃で既に半分以上が声を上げる前に倒れてしまっているのだから。
「あと⋯⋯半分ほど」
零がそう呟くと背中から現れた二本の細長い電磁砲が両腕を覆う様に装着された。
そして、零が照準を合わせる様に両腕を突き出し構えると耳をつんざく高い音が鳴り響く。
「これは⋯⋯何の悪夢だ⋯⋯」
阿鼻叫喚とする中、唯一先の反撃を逃れた男は恐怖一杯の顔で呟いた。
あれは何者だ? あの装備は何だ? これは何の音だ? これから何が起きるのだ? あの光景は何なのだ? 何故銃弾が戻って来た? なぜ我々が悲鳴を上げている? なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ??????
男の内心は避けてた喜びよりも、次に起きる未知への恐怖で一杯だった。
「⋯⋯エネルギ充填三十%⋯⋯散れ」
何のエネルギーなのか? 男はそう疑問に思う前に視界を白に染め、意識を黒に染めた。
零の両手から放たれた光の奔流は痛むを訴え、死を悲しんでいた屈強な軍人達を一人残らず消し去った。
建てられた仮施設も、立ち並んでいた大型の車も何もかも全て消し去り、残ったのは真っ平らな地上に立つ一機の機械人形だけだった。
「一番近いのは⋯⋯そう、貴方」
零は仮面を被った無機質な表情で南西部を向くと二本の電磁砲をしまい、代わりに現れたロケットエンジンで空の彼方へと飛び立った。
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僅かな時間で海を越えた零が辿り着いたのは南アメリカ大陸中部の太平洋側に出現したダンジョン。
そして、その周辺には今まさにダンジョンへ入ろうとしている人間達の姿があった。
零は上空からその姿を捉え、背中から取り出された二本の電磁砲を再度両腕に装備した。
「⋯⋯」
高周波の音を鳴らしながら青光りする電磁砲。零はその照準を溢れかえっている人間達が最も密集している場所に当てた。
「エネルギー充填、二十%⋯⋯発射」
二つの砲台から放たれた二条の光。上空から光速で接近するそれに地上を這う人間達は気づくこともなく消え去った。
唯一残ったのは地響きと共に何かが起きた証拠を残す様に出来た直径数メートルの小さな湖だけだ。
それは、地面を打ち抜き、消滅させたが故に溢れ出た海水だと言うのを人間達が知るのは数日後の話だ。
こうして零は邪魔するものを全て消し去り、邪魔されることなくダンジョンへ足を踏み入れた。
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ダンジョンの内部は静寂に包まれていた。
見晴らしが良く、吹き抜ける風が心地良くも恐ろしく感じる草原。どこを見渡しても裾を氷の剣で覆われて立ち並ぶ氷山。雪のクッションが足跡を綺麗に作るのに消し去る様に降り続ける雪の国。
どの階層もただ存在しているだけで魔物は一匹もいない。
零はそんな廃れたダンジョンに目もくれることなく進んだ。一階、二階、三階と見知った様に零は進む。そして⋯⋯
「⋯⋯涼宮⋯⋯か⋯⋯?」
最下層には以前見た姿からでは到底想像ができないほどに窶れ、憔悴している響がいた。
目の下に深く刻まれた隈は何日も寝ていないことを、赤く充血した目は泣いていたことを悟らせる。
以前見た全身の毛はもっと艶やかでハリがあったが今は脱色し、垂れてしまっている。
「⋯⋯元気が無い」
「⋯⋯」
零の何気ない一言。元気付けるわけでも、否定するわけでも無いその一言。しかし、響にとってのその一言は⋯⋯零の一言は違う。
先程まで生気がなかった瞳には憎悪と嫌悪の黒い炎をが灯った。
「⋯⋯覚えているか? お前が神ノ蔵のダンジョンへ行く前に俺に言った内容を」
「⋯⋯」
「お前は俺に魔物を沢山作れって言ったんだよ。だから俺は言われた通りに階層を増やし、魔物を⋯⋯仲間を作った」
それは異世界に行ってから半年後に零に襲撃された日のこと。
「⋯⋯」
「だが蓋を開けてみれば何だ? お前は俺の仲間を捨て石に使ったじゃねえか! アイツらは俺の家族みたいなもんなんだぞ! 白雪やタマウサからしたら親子みたいなものなんだぞ!」
それは異世界で最後の戦いをした日のこと。
「⋯⋯」
「それなのにお前は見殺しにした。それどころか白雪やタマウサは⋯⋯あの戦いから戻って来てねえんだぞ! あの戦いで死んじまったんだぞ!」
「⋯⋯」
「知ってたんだろ!? 分かってたんだろ!? あの戦いでどれだけの犠牲が出るのかを! だからお前がやらなかったんだろ!?」
「⋯⋯」
「答えろよ!」
「⋯⋯」
響の心からの叫び。しかし、それにすら何の反応も見せず無言でいる零に響の心は限界だった。
「なんで何も⋯⋯答えてくれねえんだよ⋯⋯」
響の頬に涙が通う。そもそも無理があったのだ。灯った黒い炎は折れた心を治すことはできない。一時の奮起はできても続くことはない。
膝から崩れ落ち、響は零に刃向かう力を失った。
「⋯⋯これもお前が言う『事実』のためか?」
「⋯⋯」
「ははっ⋯⋯全く何なんだよ⋯⋯何が【魔王】は殺してはいけないだ。何が【魔王】は悪くないだ。それなのにレオは⋯⋯アドバイザーの魔物は全ての元凶だとか⋯⋯じゃあ! 【ダンジョンマスター】って何なんだよ!? 俺達は⋯⋯何なんだよ⋯⋯?」
何も語らない零に最後の願いの様に訴える響。溢れる涙は止まらず、悔しさせ引き裂かれそうな胸を掴む。
「⋯⋯【ダンジョンマスター】は哀れな犠牲者。罪があるわけでも定められていた訳でもない只の犠牲者」
「⋯⋯」
「【魔王】は決して悪では無い。何故なら、悪は【外なる神】だから。だから、【魔王】は決して殺してはいけない」
「⋯⋯もう⋯⋯聞き飽きたよ⋯⋯その言葉⋯⋯じゃあ、このゲームはどうなるんだよ?」
「このゲーム、【ダンジョンマスター】に勝つ方法はない。【ダンジョンマスター】は絶対に【魔王】を殺すことができないから」
「⋯⋯そうかい⋯⋯じゃあ、最初から俺達は単なる数合わせか」
「⋯⋯」
「まあ、もう俺には関係ないな。俺はもう⋯⋯戦えない。戦う理由がない」
「⋯⋯」
「これから俺はどうなる? 知っているんだろ?」
「そのために私が来た。貴方はこれから貴方の仲間の元へ連れて行く」
憎悪し嫌悪しそれでも救いを求めた相手。そんな相手から最後の最後で救いの様な言葉を聞き響は唖然とした。
「⋯⋯そうか⋯⋯そうか⋯⋯俺は、アイツらの元に行けるんだな」
「うん、行ける。私が連れて行く」
零の言葉に心が救われた気がする。重かった肩の荷が少しだけ軽くなった気がする。例えそれが死ねと言われていようとも。
「⋯⋯じゃあ⋯⋯頼むわ」
「⋯⋯」
零は目を瞑る響の額に電磁砲を突きつけた。もう既に必要な分は充填され、先端がほんのりと青白くなっている。
「⋯⋯ごめんなさい」
「謝るのか?」
「私は貴方を苦しめるつもりはなかった。皆が犠牲にならないようにしたかった」
「⋯⋯」
「それでも私は貴方に苦しみを与えてしまった。それは私の反省点であり、間違いだった」
零も僅かにだが心残りがあった。飲み干した感情はいつの間にか逆流し口元まで来て、溢してしまった。吐き出してしまった。
「⋯⋯」
「⋯⋯ごめんなさい」
「⋯⋯もう⋯⋯十分だ。やってくれ」
「⋯⋯うん」
いつも見えない仮面の奥底。そこにはこれほどまでに激しい葛藤と思いがあったことを響は知った。それは最後の最後になってしまったが、最後の最後で良かったのかもしれないと感じる自分がいた。
そして、電磁砲から放たれた直径数センチの光は響の頭部を打ち抜き、意識を奪った。
力なく倒れ伏した響は安心した様な表情で眠り、今もなおドクドクと額の穴から溢れ出る出血がその寝顔に赤い化粧を施し、勇敢な獣の少年を作り出していた。
一章が終わり、次回から二章⋯⋯頑張ります。




