44 深~い縦穴
浮遊魔法で降下をはじめてから十分以上経ったと思う。
縦穴の底は、まだ見えない。
「うーん⋯⋯深いなぁ」
一層から二層へ降りる階段は、ビル数階分くらいだったと思う。
いま降りてる縦穴は、あきらかにそれよりずっと深い。
「もう百メートルくらい潜ったよね?」
縦穴は、エーテルの瞬き以外は総じて暗い。
ダンジョンはどこも、ブロックから漏れる淡い光で満たされてるのに、この縦穴にはそういう光はないみたいだった。
浮遊魔法で重力を消してることもあって、まるで星のまたたく宇宙空間を漂ってるようだった。
「エーテルは⋯⋯あははっ、だんだん濃くなってるね」
縦穴のそこかしこに、ダンジョンブロックやその破片が浮かんでる。
それらはエーテルの流れに沿ってゆっくりと移動していた。
「工事中ってことだね。ずいぶんゆっくりな工事だけど」
こんなペースでは、この深い縦穴が埋まるのにどれだけの時間がかかることか。
「縦穴は、三層だけじゃなくて、もっと深くまで貫通してるのかも」
っていうか、まちがいなくそうだ。
二層と三層のあいだだけこんなにも距離があるとは思いにくい。
「でも、横穴なんてなかったよね」
縦穴の壁面は、ブロックやその破片で埋められてる。
いままで横穴なんて見つけてない。
「ひょっとして⋯⋯横穴は全部埋められてる?」
ありえない話じゃない。
ダンジョンにこうして穴が空くことがあるのだとしたら、ロープなどで穴を降りて下層に移動できないよう、横穴を最優先で埋めてるって可能性はある。
そうじゃなかったとしても、各層のエーテルの循環を壊さないために、縦穴への開口部は「傷口」として優先的に「かさぶた」でふさがれてるのかも。
「あははっ。弱ったなぁ。だったら、底に着いても横には抜けられない可能性も⋯⋯」
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
それを確かめるためにも、一度底まで降りてみる必要がある。
「うう⋯⋯でも、この穴に『底』がなかったらどうしよう」
そのうち私の集中力が切れて、この縦穴を真っ逆さまに⋯⋯。
そうでなくても、浮遊魔法は降りるより上るほうがエネルギーを使う。
ギリギリ降りられるけど、上ることはできないくらいに穴が深かったら。
底の層でも、縦穴への開口部がふさがってたら。
真っ暗な穴の底で、どうすることもできずに、ただ死ぬのを待つことになる。
「あ、あはははっ!」
ヤバい、緊張してきた。
浮遊魔法の制御が甘くなる。
同時に、周囲のエーテルが不安定に乱れはじめる。
私の不安が、周囲を漂う濃厚なエーテルに影響し、擬似魔法現象を起こしそうになってるのだ。
けど、
「あはははっ! こ、怖いよ! ど、どうしよう! 気持ちが制御できない! あははははっ!」
無念無想、無念無想と唱えるも、一度生まれた恐怖は抑えられない。
私の身体が、急にぐんと重くなった。
まるで足首をつかまれたようだ⋯⋯そう思ったのがいけなかった。
私の足首が、実際に擬似魔法現象によって「つかまれ」、下に向かって強い力で引っ張られる!
「あ、あはははははぁぁ⋯⋯っ!」
私のから笑いが、底の見えない縦穴へと響き渡った。
その頃、二層にある縦穴の上部では。
「⋯⋯遅いわね」
「そうね。大丈夫なのかしら」
シズーとアーネは、ミナトが穴を降りていったあとも、その場に残り、不測の事態に備えていた。
そこに、遠い音が聞こえてくる。
音――いや、人の声だ。
――あはははは⋯⋯
アーネの長い耳がピクリと動いた。
「聞こえた⁉」
アーネが、かたわらに立つシズーを振り返る。
いつもどこか眠そうな顔のシズーだが、ミナトが見えなくなってからは、見るからに心配そうな顔をしていた。
「ええ、聞こえたわ。ミナトの笑い声ね」
シズーがほっとため息をつく。
アーネも、苦笑まじりに言った。
「もう、なんだってこんなときに笑ってるんだか。
でもどうやら、ちゃんと降りられたみたいね」
「そんなにはしゃがなくてもよさそうなのに。なにか発見でもあったのかしら?」
「帰ったら聞かせてもらわなくちゃね。
とにかく、無事に降りられたならよかったわ。
あたしたちも帰りましょ」
「そうね。でも、帰ったらまた特派騎士の相手かぁ。ダンジョンに潜ってるほうが気楽でいいわよ」
「まったくね。あたしなんか交代要員もいないんだから」
アーネとシズーは愚痴をこぼし合いながら、来た道を引き返していくのだった。




