39 水面下で
「――ダンジョンには、通常、一層につきひとつしか階段がないのよ」
アーネさんが重々しく言った。
「え、そうなんですか?」
「そうなのよ。もちろん、星の数ほどあるダンジョンのすべての階層が調べ尽くされてるわけじゃないから、絶対に例外がないとは言えないんだけど。上り、下りとも、二つ以上の階段が同一フロアに確認されたことはないわ」
「じゃあいま、三層へ下りる手段がない?」
「そういうことになるわね。こんなことならわたしもついていけばよかった」
「す、すみません」
「なんであなたが謝るのよ。ミナトは重大な発見をしてくれたわ。
でも、今回はここまでね。そもそも今回の目的はキャンプ地の選定と聖域化だったんだもの。よくばりすぎはよくないわ」
「あの⋯⋯私が発見したってことは⋯⋯」
「黙っててほしいなら、そりゃ秘密にするけど⋯⋯報奨金はいらないの?」
「私にとっては、目立たないのがなによりの報奨金です」
「そ、そう⋯⋯」
アーネさんがちょっと引きつった笑みを浮かべた。
――そんなこんなで、私史上初めてとなるパーティでの探索は終わった。
魔術士ギルドの責任者がキャンプ地の聖域化を行ったというニュースは、ダンジョン前広場を駆け抜けた。
3ギルドは合同でキャンプ設営のための特別クエストを発注、冒険者たちは臨時収入に喜びながらダンジョン前に山と積まれた資材をキャンプ地へと運んでいく。
ダンジョン一層は、にわかに活気づいていた。
が、その流れに乗らなかった人間も何人かいた。
駆け出し盗賊士にして魔術士であるミナトは、その存在があまり認知されてないのをいいことに、他の冒険者に先行して第二層の探索を進めている。
これには、ギルド側の事情もある。
特派騎士にせっつかれている状況で、ようやくキャンプが設営できることになったのに、その先は行き止まりでした⋯⋯では困るのだ。
建前上冒険者ギルドは王権から独立しているが、それはあくまでも建前であって、つねに権力とのパワーバランスをとることに腐心している。
王子の危機にギルドがなんの貢献もできなければ、国内での発言権が弱くなる。
特派騎士がいみじくも言ったように、役に立たない冒険者に特権を認めてやる必要があるのか、という議論が起こりかねない。
そこで、盗賊士ギルド代表シズー、魔術士ギルド代表マリアーネ双方と面識があり、秘密を守ることのできる有能な冒険者――つまり、ミナトに白羽の矢が立った。
といっても、ギルドからミナトへの要求はさしてない。
単に、二層の探索を先行して進めておいてほしい、というだけのことで、どちらにせよミナトがやるつもりでいたことだ。
というわけで、キャンプの設営が進められているあいだに、ミナトはギルド公認で二層を先がけて探索し、マッピングや生息モンスターの調査をおこなっている。
もちろん、ギルドには隠れて、ミナトは難易度変更の検証やドロップアイテムの回収もおこなっていた。
そんな水面下の動きがある中で、別の水面の下では、それとはまた別の動きがあった。
深夜、ダンジョン前広場のはずれに建てられた、厩舎付きの兵舎の扉が、控えめな音でノックされた。
「誰だ、こんな時間に」
兵舎の中、執務室にいたのは、クレーマー騎士ことクレティアス・アビージ・ジルテメア。
クレティアスは、カンテラの薄暗い灯のまえで、王都へ書いてよこす報告書に頭を悩ませていた。
募りに募ったイライラに、クレティアスは整った美貌を不快げに歪め、尖った声で誰何した。
「誰とはご挨拶ね」
クレティアスの返事を待つことなく扉をあけて入ってきたのは、革鎧で身を固めた赤毛の美女だった。
もしミナトがここにいたら、心のなかで「げっ」と言ったかもしれない。
クレティアスは顔を上げ、露骨に顔をしかめて言った。
「⋯⋯レイティアか。この妾腹のアバズレが。俺に近づくなと言ったはずだ」
「あら、ずいぶん冷たいわね、兄さん」
「俺を兄と呼ぶな。おまえのような妹はいない。おとなしく嫁いでおけばよかったものを」
「あの退屈な侯爵さまに? そんなのごめんだわ。一度きりの人生なのよ。もっと夢を見たいじゃない」
「鼠どもに混じってダンジョンを這いずり回るのがおまえの夢なのか?」
「まさか。わたしはこんなところで終わるような女じゃないわ。それはあなたもでしょう、特派騎士のクレティアスさん」
「⋯⋯どういう意味だ?」
「わたしたちの実家であるロフト伯爵家は、お世辞にも影響力のある貴族とは言いがたいわ。
あなただって、剣の腕を見こまれて特派騎士になったまではよかったものの、家柄のせいで下に見られ、出世の機会が思ったように得られない。
焦ったあなたは、王子の病気を治すためと言って、特派騎士なんてものに収まった。
ちょうど、実家のあるロフト伯爵領にダンジョンの口が開いたのも都合がよかったんでしょうね。
あなたが見事コカトリスの嘴を持ち帰れば、王子の命を救った功績を認められて、近衛騎士団の枢要な地位に食いこめるかもしれない⋯⋯」
「⋯⋯なにが言いたい」
「簡単なことよ。わたしと手を組まない?」
「⋯⋯なんだと?」
「わたしは、このダンジョンの三層でコカトリスの嘴を手に入れるわ。適当に捕まえた男たちを盾にして、なにがなんでも手に入れてやる。
そして、王子様にコカトリスの嘴を献上するのよ。大切な仲間と引き換えに手に入れた品です、どうかお納めくださいってね」
「悲劇のヒロインを気取って王子に近づくというわけか。
俺に、そのあいだを取り持てと?」
「悪い話じゃないでしょう? 仮にも兄妹なのだから、力を合わせてコカトリスの嘴を手に入れました、と言えば美談になるわ」
「俺になんのメリットがある?」
「今日の探索で、お仲間がひとり罠にかかって亡くなったそうね」
「っ!」
「盗賊士が――いえ、そこそこダンジョンに慣れた冒険者が一人でもいれば、とうてい引っかからないような初歩的な罠。
そんなもので犠牲を出してるようで、二層から先やってけると思ってんの? 普段の言動のせいで、あなたに協力しようなんて冒険者はいないでしょうし」
「黙れ!」
「言い負かされるとすぐにそれ。あなた、大嫌いな父上に似てきたんじゃない?」
「黙れと言っている!」
顔を赤くして怒鳴るクレティアスに、レイティアがわざとらしく肩をすくめる。
「冷静になって考えることね。こっちだって、これまであなたから受けてきた仕打ちをチャラにして協力してあげようっていうのよ?」
「出ていけ! 誰がおまえのようなアバズレと――」
「なにが得か、よぉく考えることね、特派騎士さん」
最後に冷笑を浴びせて、レイティアが兵舎から出ていった。
クレティアスが、粗末な机をこぶしで叩く。
「⋯⋯っくそが」
棚にあった強い酒をこれでもかとあおり、クレティアスは大きく息をついて、王都への報告書に向き直る。
『
ダンジョンの探索は順調なり。
現地にて協力者となる冒険者を得、現在彼女らを帯同し、我自ら陣頭に立ちて探索を進めり。
冒険者レイティアは我が妹なり。その身分卑しからず。
当女、王子の危難を聞きて、いてもたってもいられず、我に全面的な協力を申し出でけり。
一層の攻略は既に終わりき。キャンプを築きて、二層攻略に乗り出さんとするところなり。
遠からず、よき成果を挙げられるものと我は確信したり。
近衛騎士団特派騎士クレティアス・アビージ・ジルテメア』