18 命をかけたゼロサムゲーム
アドベンチャラー・キラー・ホークヘッド・グリズリーが襲いかかってくる。
私との距離はダンジョンの2ブロック分、およそ6メートルくらい。
「ベエエアアアアッ!」
両手を振り上げ、鋭利な爪をダンジョン内の謎照明で光らせながら、赤目で紫毛の巨大な熊が、のっしのっしと迫ってくる。
その動きは速い――ように見えるのだが、同時にスローモーションのようでもある。
動きの力感はちゃんとあるのに、全体の速度はいまいちなのだ。
でも、
「あははっ、十分速いって!」
以前やりあったゴブリンとは比べものにならない。
あいつらは、ほとんど水中にいるようなもっさり感だったが、この熊はふつうの人間より速いくらいだ。
「ベアアアッ!」
熊の渾身の振り下ろし。
私は転がるように前へ。
熊の脇をすり抜ける。
私はかろうじて、本物の熊によるベアハッグをまぬがれた。
「あははははっ! 今の動きおかしかったよね⁉︎」
とても私がやったとは思えない、なかなかのジャスト回避だった。
「まさか、ビギナーモードのせいなのかな⁉︎」
そうかもしれないが、もう一度実験するのはごめんである。
「ともあれ、チャンス!」
私は勢いあまってつんのめっている熊の背中に斬りつける。
私の剣が熊の背中を切り裂いた。
「グベアアッ⁉︎」
熊が悲鳴をあげた。
でも、
「あははっ! 浅かったね!」
熊の背中は分厚い脂肪に覆われてて、まともに剣が通らなかった。
私はとびすさりながら、熊の頭上をチェックする。
『アドベンチャラー・キラー・ホークヘッド・グリズリー』という名前の下に、HPバーが表示されてる。
紫の部分が減り、水色の部分が増えていた。具体的には、紫のバーが、全体の60%くらいの位置から、30%くらいのとこまで減っている。
バー一本を、仮にHP100と考えると、
(ダメージ30ってとこだね)
ダメージとしては大きいのか小さいのか。
ゴブリンだったら一刀両断くらいの威力だったはずだから、この熊は相当にHPが高い。
「ベアア⋯⋯」
熊が振り返る。
痛い一撃を食らって怒り心頭⋯⋯かと思いきや、ペッと唾を吐き、私にむかってまっすぐに身構えた。
その表情は、
「あははっ、『やるじゃねえか』って感じかな⋯⋯」
好敵手を見つけた少年マンガのライバル役みたいな顔だった。
私はふと思いつく。
「そういえば、この熊はしゃべれるのかな」
ゴブリンたちはゴブリン語をしゃべってた。
じゃあ、この熊も?
私は「オプション」とつぶやき、言語設定画面を呼び出した。
言語設定【現在:ヒト語】
日本語
▷ヒト語
エルフ語
ハイランドエルフ語
ドワーフ語
ドラゴン語
ゴブリン語
獣人語(NEW)
追加されていた。
(じゃあ選択!)
私は急いで言語設定を獣人語に切り替えた。
「待って! なんで襲ってくるの?」
私が言うと、熊が驚いた顔をした。
「こいつは驚いた。あんたは俺たちの言葉がわかるのか」
「一応ね」
「ふぅん。なんでって⋯⋯そりゃ、ダンジョンの奥から、抜き身の剣をぶら下げたヒトが出てきたからだが」
「うわ、超正論」
たしかに、私は先手必勝などと考えながら剣を抜いて近づいた。
(そりゃ、応戦もするよね)
平和な日本ですら、立派に正当防衛が成り立つだろう。
「そのことはごめんなさい。モンスターだと思ったものだから」
「モンスター⋯⋯ね。その言葉の意味によっちゃ、あながち間違いでもねえ」
「どういうこと?」
「ここは俺たちのねぐらだ。ヒトが入ってきたらぶっ殺す。冒険者とモンスターは、殺し殺される宿敵同士だ」
「そんな。わかりあうことはできないの?」
「無理だな。モンスターは人を殺さなきゃ生きていけねえ。霊脈から溢れるエーテルをモンスターの肉体に変えるには、ヒトの持つ因子が必要だ。
一方、冒険者どもは俺たちのエーテルを奪うことで強くなる。共存のしようがねえ」
「なるほど⋯⋯」
win-winという言葉がある。
どちらも損をしない取引をしようという意味だ。
でも、世の中はそううまくいくことばかりじゃない。
限られた資源や、数の少ないポストを取り合うときには、誰も損をしないようなうまい取引なんてありえない。
高校入試、大学入試だってそうだし、部活動のレギュラー争いもそうだ。誰かの恋人になる枠だって、基本的にはひとつと決まってる。
誰かが勝てば誰かが負ける。
それがこの世の摂理である。
やられたくなければやるしかないことだってあるのだ。
「ちっ、言葉が通じるとやりにきぃな。ひさしぶりに強いやつと出会ったんだ、心ゆくまで仕合おうぜ」
熊よ、なぜおまえは少年誌のライバルキャラみたいな性格なのか。
「まぁ、そういうことならしかたないね。
でも、私のことは殺していいけど、私が勝ったらあなたは殺さないから。そのときは潔く負けを認めて通してね」
「へっ、言うじゃねえか。
いいぜ、俺が負けたらおとなしく通してやるよ。だが、それだけじゃ釣り合わねえな。途中までなら道を案内してやろう」
「あははっ、それはありがたいかな」
「この状況で笑えるとは、太えメスだぜ。言っとくが、俺が勝ったらおまえを殺す。っていうか、俺にゃ手加減なんてできねぇから、負けたときにゃ確実に死んでると思え」
「わかってる」
私がこくりとうなずくと、
「俺の名はベアノフ。誇り高き鷹頭熊の狩人だ。行くぜ!」
次の瞬間、ベアノフの姿が視界いっぱいに広がった。




