181 最後の仕上げ
「ミナト! アルミラーシュさん! 無事!?」
アーネさんが謁見の間に飛び込んできた。
「あれ? 逃げたんじゃなかったの?」
「逃げられるわけないでしょ、バカ!」
「あはは……ごめん」
エスカヴルムもグリュンブリンも一緒だ。
「いったん逃げたふりをしたほうが戦いやすいと、アルミィが言ったのだ」
グリュンブリンが種を明かす。
「結局二人で倒してしまったようだがな」
エスカヴルムが肩をすくめた。
「ううん、まだだよ」
私が言う。
「まだ、とは?」
「黒幕が残ってる。いま魔王の杖に取り込んだもののおかげで、神への道が見えるようになった。いまなら勝てる」
「道」は、私にしか見えていない。
これを、「見えている」というのも語弊がある。
そこにあるのが感じ取れるって感じかな。
クレティアス戦で目に頼らず気配を察知するやりかたを編み出したけど、それに近い感覚だ。
「こればっかりは、杖の持ち主じゃないとダメみたいだね」
「そっか。気をつけて。絶対に帰ってきてね」
「うん、もちろん」
心配するアルミィにそう言って、私は「道」を大きく開く。
「正真正銘のクソやろうをぶっ潰してくる」
私は「道」へと入り込む。
黒一色だった空間が、徐々に白くなっていく。
どこでもあって、どこでもないどこか。
存在を不安定にする空間は、ちょっと油断すれば前後がわからなくなりそうだ。
ほどなくして。
あるいは、果てのない時間をかけて。
時間と距離という概念を見失いそうになりながら、私は神の居所にたどり着く。
トーガをまとった金髪碧眼の美青年が、ひきつった笑みを浮かべてる。
「……たいしたものだね、ミナト。とうとうこんなところまでやってきた。予想外だったよ」
「悪いけど、話をする気分じゃない」
私は、魔王の杖を振り上げる。
「ま、待て! 僕を殺したらどうなると思う!?」
「グランドマスターシステムなら、ガーディアンシステムに書き換えるから大丈夫だよ。あなたが死んでも誰も困らない」
「だ、だが、僕のような巨大な存在が死ねば、地上にも幽世にも大きな影響が……」
「ないよね? ハッタリだ。これだけの力を持てばいやでもわかるよ」
「ぼ、僕と君は本来同郷だろう!? ゲームが好きなもの同士じゃないか! どうしてこの世界が気に入らない!」
「私には、人の不幸を喜ぶ趣味はないんだ。人が不幸になったって、私が幸せになるわけじゃないし」
「じ、じゃあ、僕の力を君にあげよう! 魔王の力に神の力。君は最強の魔神になる! 誰も歯向かうことのできない究極の存在だ!」
「そんなの、なりたくないよ。ゲーム好きならわかるでしょ。ラスボスに取り引きを持ちかけられても、『はい』って答えちゃいけないって」
「そ、それなら……それなら……!」
「……もうなさそうだね。じゃあ、バイバイ、神さま。神がこの調子じゃ、あの世なんてなさそうだけど」
「や、やめろぉぉぉっ!」
杖を振り下ろす。
さっきとはちがって、この場所では余波もない。
あっけないほど簡単に、神の存在が消え去った。
夢を、見ていた。
母親が新興宗教から足を洗って、あたたかいご飯を作ってくれてる。
妻から逃げるように残業ばかりしてた父親が、早い時間に帰ってきて、夕飯の席に着く。
二人は、涙ながらにこれまでのおこないを懺悔し、互いに対して許しを乞う。
二人はもちろん許し合う。
私のほうにはわだかまりもあったが……まぁ、両親がそれでいいならいいだろう。
「今度の休みには遊園地に行こう」
父親が提案する。
「いや、もうそんな歳でもないし」
思春期の私はそう言うが、そんなに悪い気はしなかった。
ちょうど、その遊園地では私の好きなゲームのイベントをやってる。
「わたしもパートに出ようかしら。残業代が減るものね」
母親が言った。
「パートと言わず、働いたらどうだ? やりたいことがあるって言ってたじゃないか。いまからでも遅くないと思うぞ」
父親は母親に向かってほほえみながらそう言った。
「ミナトも大きくなったし、それもいいかもしれないわね」
「俺も、大黒柱にならなくちゃと思って、気負いすぎてたんだろうな。男が稼いで女は家事なんて時代でもないのに」
「わたしだって、そうしなくちゃと思ってたわ。いろんなことをあきらめて家に入って、このまま年老いてくのかと思ったらつらくて……」
「わかるよ。俺だって、こんな身をすり減らすような働きかたをしてたら、いつかぽっくりいくんだろうなと思ってた」
私の両親は、互いの胸の内を打ち明けあい、和解した。
私も、いじめのひどかった学校から、べつの学校に転校することになった。
それまで父親は、「どこでもいじめくらいある。そんなこと言ってたら社会で生きていけない」と言ってたし、母親は「へらへら笑ってるからいじめられるんだ。いじめられて悔しくないんか。見返せ」としか言わなかった。
それが、今日になって急に、「大変だったな。もう無理をしなくていい」「つらいならもっといい学校を探しましょう」だ。
「今日はミナトの誕生日だからね」
母親が、冷蔵庫からケーキを取り出した。
既製品ではなく、母親のお手製だ。
もともと母親は料理は得意で、将来は店を開きたいと言ってた。
店に出すにはちょっと質が足りないと私は思ったが、母親も本気で目指してるふうでもない。
なりたいなりたいと口にはするが、実現に向かって全力で努力してるわけでもない。どこにでもある、ぼんやりとした夢だった。
家庭の主婦として歳を取るうちにいつしか叶う見込みがなくなり、すこしずつあきらめもついていく。
それが世間の相場なんだと思う。
でも、私の母は、それよりすこしだけ気持ちが強かったのだろう。
父親は、そんな妻の態度に、常に責められてるような感じがして居心地が悪い。家よりも会社にいるほうが落ち着けたという。
これまたよくあるお話だ。
家にいるときに会社から電話がかかってきて、「わかった。今からそっちに戻る」と言って妻が激怒する。
そんな陳腐きわまりない劇場を、私の両親は大真面目に演じてた。
「ミナト。十七歳、おめでとう」
「おめでとう、ミナト。来年は受験だな。がんばれよ」
「ちょっとあなた。こんなときにそんなこと言わないで」
「すまんすまん。ミナトが楽しく生きられる道を選べばいいさ」
母親がケーキにろうそくを立てて火を灯し、部屋の電気を消す。
二人が、ハッピーバースデーを歌った。
そんな、絵に描いたような幸福な光景に、私はおもわずため息をつく。
「……残念だけど、こんなことは起こりようがない」
私の否定で、家族の団欒がかき消えた。
「滅ぼしたと思ったんだけどね」
私は、手にした魔王の杖を見る。
いつのまにか、私は乗蓮寺湊ではなく、魔王ジョウレンジ・ミナトに戻ってる。
杖の水晶から神の声が聞こえてくる。
「滅んださ。ここにいるのは僕の無念だけだ。とうにまとまりを失った、ただの情念の残りかす」
「これが最後の抵抗ってことかな?」
「まだ、僕のいた空間に近いからね。地上よりは融通が利く。
それにしても……魔王が望むにしては、ずいぶんささやかな幸福だね」
「そんなものこそ、手に入れるのは難しいものだよ」
私は勝手に発動してた魔王の杖を抑え、神の怨念を杖の中に押し戻す。
「……ここでこのまま浸ってたらどうなったんだろ」
永久に妄想の中に囚われて抜け出せなくなる的なオチになったんじゃないかな。
アドベンチャーゲームだったら、選択肢が出るところだね。一周目だと出なくて、二周目以降に条件を満たすと出る的な。
セーブしてから、「このままでいいや」的な選択肢を選んでバッドエンドを回収する。
「ゲーマーを舐められたもんだ。もう滅んで大した知恵もないのかもしれないけど」
もともと世界をめちゃくちゃにした転生者の成れの果てだからね。
納得の悪趣味な演出だ。
「でも、ひとつだけいいことを思い出させてくれたね。そういえばそろそろ誕生日だったかも」
地球の暦とこっちの暦がちがうので忘れてたが、時期的にはそろそろのはずだ。戻ってから計算すればわかるだろう。
「帰ったら誕生日パーティでもやろっかな。
まぁ、自分から言いだすのもアレだけどさ」
でも、言わなきゃ誰もわからないんだからしょうがない。
「他のみんなの誕生日も聞いておこう。って、こっちの世界では数え年だから誕生日はわからないとかだったらどうしよう」
そんな転生モノにありがちな遅れてる世界アピールはもういいんだけど。
私は魔王の杖を振って、もとの場所への門を開く。
入る前に、ちょっとだけ振り返る。
もちろん、そこには和解した両親の姿なんてない。
私は首を振る。
「もう、居場所ならある。愉快な仲間たちが待ってる、とびきり素敵でハッピーな場所がね。
それにしても、『楽しく生きられる道を選べ』かぁ。あの父親がそんなこと言うもんかな……。私の願望なんだとしたら、私もまだまだってことだね」
クレティアスの少年時代に当てられたんだろうか。
今度こそ振り返らずに、私はもとの場所への門をくぐる。




