180 このクソやろう
「自分を犠牲にして仲間を逃すか。くそっ、人を苛つかせる天才だな、貴様は」
「クレティアスには負けると思うけどね」
「ほざけっ!」
クレティアスの攻撃はほとんど見えない。
見えないなら、目で追わないほうが安全だ。
私は思い切って、目で見ることを捨ててみる。
周囲のエーテルがより鮮明に把握できた。
その中で、クレティアスの青白い両腕は異質な存在感を放ってる。
その動きを追うだけなら、目を使わないほうがいいくらいだ。
まぶたを半分下ろし、半眼に。
クレティアスの両腕の気配に集中し、その動きを読んで身をかわす。
「ちぃっ! 攻めきれんか!」
クレティアスが距離を取った。
オプション、と言いかけそうなところを私が制す。
「あれぇ? もう難易度下げちゃうの、クレティアス。ビギナーモードが許されるのは小学生までだよ?」
「ふざけるな! 貴様も使ってたんだろうが!」
そう言い返しながらも、煽り耐性のないクレティアスは難易度を下げなかった。
「せっかく剣の腕はいいのにね。おまけにイケメンで近衛騎士。この世の春を謳歌してそうなリア充だ」
「何を言っている!」
「自分の妹を犠牲にして生き残って。イムソダに覚醒させてもらって、その力で私に挑んだのに負けて。最後の最後は神さま頼み。それのどこが自分の人生なの、クレティアス」
「うるさい! 俺は自分の人生を取り戻す!」
「そのためには手段を選ばない、か」
私は大きく距離を取り、魔王の杖を正眼に構えた。
「正直、いまのクレティアス相手にいつまでも戦ってる余裕はなさそうなんだよね」
左手にはめた石化封じの指輪には、すでにヒビが入ってた。
予備がもう一個あるとはいえ、時間的な猶予はない。
「全力で行くよ。これをどうにかできればおまえの勝ちだ」
私は、自信満々にそう言った。
「おもしろい。乗ってやろう」
クレティアスがあっさり乗ってくる。
あいかわらずちょろいやつだ。
剣豪同士の睨み合いみたいに、私とクレティアスが息を潜めて向かい合う。
みたいに、と言ったけど、実際剣豪同士の睨み合いそのものだ。
私が剣豪かどうかは置いとくとしても、クレティアスはもう剣豪と言っていい領域にいる。
(なんでかな)
ふつう、他人を利用してのしあがるようなタイプは、自分の力を磨く努力を怠りがちだ。
クレティアスの中では、身勝手で自己陶酔的な性格と、剣士としてのストイックさが、なぜか共存できている。
【難易度変更・超】なんてものを手に入れたからには魔法だって覚えてると思うが、あくまでも剣の勝負にこだわってる。
(まぁ、どうでもいいか)
いまさらそんなことを知ったところでなんにもならない。
(今度こそ一撃で吹き散らす!)
私は、魔王の杖を振り上げる。
魔王の杖は、大きな水晶のヘッドがついた長い杖だ。
むしろハンマーといったほうが正確かもしれない。
力を込めて、振り下ろす。
ただそれだけで、魔王の圧倒的な力が敵対する相手を押し潰す。
対するクレティアスは、剣を右腕だけに絞り、剣先を床すれすれまで下げて構えてた。
一撃で勝負を決するなら、二刀流はかえって邪魔だ。
どうせこちらの攻撃は受けられないのだから、クレティアスは攻撃のことだけを考えればいい。理にかなった選択だ。
「……行くよ」
「来いっ!」
一歩を踏み出し、魔王の杖を振り下ろす。
最速最強の一撃だった。
だが、私の動作は間延びしてる。
難易度変更の影響だ。
でも、さっきまで以上に補正がキツい。
私はハッとしてクレティアスを見る。
クレティアスの脇に、オプション画面が浮いている。
難易度設定【現在:ベリーイージー】
▷ビギナー
ベリーイージー
イージー
ノーマル
ハード
ベリーハード
インフェルノ
ヘル
ノーヒューチャー
「この……クソやろう!」
「もらったぁっ!」
おもわず罵倒の言葉を漏らした私に、クレティアスの剣が迫る。
「ダメぇぇっ!」
「なっ……」
「えっ……」
クレティアスの剣が、赤く染まる。
剣は、私たちのあいだに飛び込んだアルミィの胸を逆袈裟に斬っていた。
「あ、アルミィ!」
私はアルミィを抱きかかえる。
「あはは……ミナト。間に合ってよかった」
「みんなは……」
「逃したよ。私だけ戻ってきた」
「ど、どうして」
「もう、二人で双魔王だって言ったじゃん」
狼狽する私に、クレティアスは斬りかかってこなかった。
不審に思ってクレティアスを見る。
「う、あ、あ……」
クレティアスは両手で頭を抱えていた。
ふらふらとよろめき、うずくまる。
「な、なに?」
「わ、わかんないよ」
どうやら、アルミィの仕業ではないらしい。
「あれ? 魔王の杖が」
私の魔王の杖が光ってる。
「この光りかたは、無念の杖と同じか」
ドロップアイテムだった無念の杖を枷から解放してバージョンアップしたのが魔王の杖だ。無念の杖としての機能も残ってる。
「ああ……やめろ。無力な俺には戻りたくない……ああ!」
クレティアスがうずくまる。
「杖の怨念が幻覚を見せてるのか」
もともと人の無念を吸い込む杖だったが、魔王の杖になったことで世界への呪詛すら取り込むようになった。
今日ここに来るまでのあいだにも、呪詛をたっぷり吸っている。
だが、いまクレティアスに作用してるのは、もっと古いものみたいだ。
アルミィは、自分で胸を押さえ、治癒魔法をかけてる。
傷はそこまで深くなかったらしい。
もともとアルミィの身体はエーテルなので、人間の身体より急所が少ない。
「杖よ、その幻覚を私にも見せて」
「わ、私にも!」
私とアルミィを、幻覚が呑み込んだ。
映し出されたのは、幼い兄妹だった。
どちらも美形だ。
十歳前後で、仲はよさそうに見える。
二人は家の人間を欺いて遊びに出た。
嫡子が妾腹の娘と遊ぶことを大人たちは快く思ってない。
だが、二人は大人たちの意向を理解するにはまだ幼い。
二人は、野原で遊んでいた。
家から持ち出してきた木刀でちゃんばらをしてる。
これまた家から持ち出したサンドイッチを食べて、二人は野原に横たわる。
平和な光景に、影がさした。
野原に現れたのはゴブリンだ。
先に気づいた少年が、ゴブリンに木刀で殴りかかる。
ゴブリンはそれをひょいとかわし、少年に斬りつけた。
ゴブリンの錆びた剣が、少年の腕を切り裂いた。
少年が、少女に叫ぶ。
「に、逃げるんだ!」
だが、少女は逃げなかった。
少年に襲いかかるゴブリンの前にたちはだかる。
「やめてぇっ!」
もちろん、ゴブリンがそんなことを気に留めるはずがない。
ゴブリンは少女に斬りつけた。
ほとばしる、血。
野原に倒れる少女を、少年は呆然と見下ろした。
「お、ま、えぇぇっっ!」
少年が木刀でゴブリンに斬りかかる。
ゴブリンにはかすりもしない。
ゴブリンはいたぶるように少年を少しずつ斬りつける。
少年の顔が絶望に染まる。
「レイティアが死んじゃう!」
悲壮な覚悟で、少年はゴブリンに挑みかかる。
だが、少年自身も出血してる。
少年は目の前が暗くなっていく。
倒れた少年の目の前には、血を流して顔を白くした少女の姿。
「俺が……守るなきゃ……」
しかし、それだけの力が、少年にはない。
絶望の中で、少年が意識を失った。
その直後、ゴブリンの目玉に矢が突き立つ。
兄妹の家の人間だ。
折り重なって倒れる幼い兄妹を、家の人間は急いで街へ運んでいく。
二人はもちろん助かった。
その日以来、兄は、毛嫌いしてた剣の修行に力を入れるようになった。
だが、時ともに兄妹の関係は変わっていく。
早く大人になりたいと願った兄は、貴族の考えに染まるのも早かった。
兄は、妾腹の娘である妹を、いつしかうとんじるようになっていた。
兄は、剣に力を入れ始めた動機のことをすっかり忘れた。
家で虐げられた妹のほうも、幼い日のことなどすっかり忘れた。
兄は近衛騎士になるべく上京し、妹は家を飛び出して冒険者になる。
二人はどちらも身勝手で傲慢な人間になっていた。
だが、その性格は、陰謀渦巻く宮廷やモンスターの跋扈するダンジョンで生き延びるには有利に働いた。
他人を躊躇なく陥れ、時にその命を奪ってでも、二人は強くなることを選び続けた。
幼い日の思い出を、二度と思い出すこともないままに。
「これがクレティアスの原風景ってわけか」
幻覚から戻って私はつぶやく。
「かわいそう」
アルミィが言った。
「そうかな」
「なんで、忘れちゃったのかな」
「忘れたかったんでしょ。自分の無力さを思い知ったことなんて。トラウマなんてなかったとしても、もともとプライドが高くて身勝手なタイプだったんだよ」
クレティアスが泣いている。
草原で見た無力な少年とは背格好がまるで違う。
それなのに、いまのクレティアスに、無力な少年のイメージが重なった。
「レイティアは悪くない……俺が連れ出したんだ……だからレイティアを許してやってくれ……」
「えっと、事件の後に嫡子に怪我させたことでレイティアさんが責められたのかな」
そこまでは、いいお兄さんだったんだろう。
「魔王の杖の力に加えて、アルミィが飛び出した時の光景が、クレティアスの子どもの時の記憶と重なったんだね」
結果として、クレティアスの封印されてたトラウマがフラッシュバックした、と。
「……どうするの?」
「いまさらだよ。クレティアスの子ども時代がどうだったからって、これだけのことをやったのを許すわけにはいかない」
「ねえ……その前に、謝れないかな」
「謝る?」
「うん。イムソダさんの事件のときに、私はこの人に監視を頼んだ」
「それがきっかけでクレティアスはアルミィに入れあげてたんだっけ」
「なんで私なのかはわからないけど、その気持ちを私は結果的に裏切った」
「そんなことは……」
「私を守りたいと思ってたみたいなんだ。きっと、レイティアさんの代わりだったんだと思う」
そうだろうか。クレティアスはロフトの事件でレイティアさんを利用するだけして見捨てたようなものだった。
でも、抑圧された幼い時の記憶が、「魔王」への思慕にすり替わったというのはわからなくもない。
アルミィがクレティアスの前にしゃがみこむ。
「クレティアスさん」
「う、あ……」
クレティアスがぼんやりとアルミィを見た。
「ありがとう。そしてごめんなさい。あなたを利用するつもりはなかったんです。でも、結果的にはそうなってしまった」
「やめ、ろ……」
「まちがったことをしたとは思ってません。だけど、あなたの純粋な部分を踏みつけにしてしまった。あなたが悪人だったとしても、そんなことをするべきじゃなかった」
「やめ、て、くれ……」
「そして今も。私はあなたを倒さなくてはならない。もう後戻りはできないんです。お互いに。だから、せめて、謝らせて……」
「やめろぉっ!」
クレティアスが跳ね起きる。
血走った目でアルミィを睨みつけて言った。
「やめろ、俺を癒すな。俺を弱くするな……俺は強いままでいたいんだ……俺は他人を虐げる側でいたいんだよ!」
「クレティ……」
「どこで俺は間違えた……言え、俺はどこで間違えた!」
「クレティアスさん……」
「ふん、あの不出来な妹がなんだ……。いまのいままであんなことは忘れてた。最後まで使えん女だった。妾腹の女なんてそんなものだ。貴族としての自覚がまるでない。ここに来てその怨霊だと? ふざけるな!」
クレティアスが、片腕の剣を振るった。
「俺の最後の矜持すら奪うか! それが貴様らのやり口か、双魔王!」
「そんな! ちがいます!」
「……無駄だよ、アルミィ」
アルミィを下がらせ、私が前に出る。
「ここが、おまえの人生の終着点だ、クレティアス。
おまえのゴミのような人生を終わらせてやる」
「くかぁぁっ!」
クレティアスが飛びかかってくる。
ビギナーモードの補正が、私の感覚を狂わせる。
しかしこっちだって、伊達に長く難易度変更を使ってない。
「難易度ごと撃ち砕く!」
魔王の杖を全力で振るう。
ひたすらに全力だ。
それ以外の何事も考えない。
最強の力を持ってるのだ。
ただそれをぶつければいい。
閃光が、謁見の間を埋め尽くす。
石造りの床や壁が液体のように大きくうねった。
その奔流の中に、クレティアスの身体は消えていた。
すべてが収まったあとに、もはやクレティアスの姿はない。
魔王の杖が、新しい怨念を呑み込んだ。
「終わったね」
私がつぶやくのと同時に、左手の石化封じの指輪が砕け散った。




