177 天使の言祝(ことほ)ぐ都(みやこ)
私たちは高台を下りる。
王都ザルバックの東側はほとんど人手が入ってない。
急な斜面を注意深く下っていく。
ザルバックに乗り込むメンバーは、私、アルミィ、アーネさん、グリュンブリン、エスカヴルムの計五人。
人数としては少なすぎるくらいだけど、戦力にならない人を抱える余裕はない。
大雑把にいえば、前衛はアルミィとグリュンブリン、後衛は私とアーネさん。エスカヴルムは遊撃だ。
もっとも、アルミィは魔法も使えるし、私は接近戦もこなせる。竜化したエスカヴルムを盾にする場面もあるかもしれない。臨機応変にアーネさんを守りながら戦う。それだけだ。
高台から見下ろすとそんなに高く見えなかった城壁だが、高台を下りるにしたがってその高さが際立ってくる。
いまさら塀が高いくらいどうしたって話でもあるんだけど、中の様子が見えないのは不安材料だ。
アーネさんのペンダントは問題なく機能してる。
アーネさんの視界を晴らすような形で、檻の灰が外に押しのけられていた。
石化封じの指輪もあるとはいえ、基本的にアーネさんの視界から出ずに戦わなければならない。
これはかなりキツい制約だ。
動きが限られるのはもちろん、アーネさんの視界内に私たちがいるってことは、敵からもアーネさんが見えるってことだ。
しかも、ペンダントの結界の範囲を見れば、結界を張ってるのがアーネさんだとすぐにわかる。
私が敵なら、アーネさんを狙わない理由がない。
「……どうする?」
城壁のふもとにたどり着いたところで、グリュンブリンが聞いてくる。
城壁をどうするか。
事前に決めてたのは、迂回するか、飛び越えるか、破壊するかを現場で判断するってことだけだ。
「飛び越える」
私は言った。
エスカヴルムは人の状態でも飛べるし、私とアルミィも浮遊魔法が使える。アーネさんも、以前私が見せた浮遊魔法を、知らない間にマスターしてた。グリュンブリンは魔法が苦手だが、身体能力を強化すればこのくらいの城壁は越えられる。
まずは私が浮遊魔法で城壁に。
魔王が先陣なのもアレなんだろうけど、このなかで盗賊士|(斥候士)のセンスがあるのは私だけだ。
城壁の上には見張りの兵はいなかった。
いや、ある意味では「いた」とも言える。
灰で石化してるのを「いる」とカウントすれば、だが。
城壁から街の様子をうかがう。
濃い灰に覆われた街だが、火山灰のように灰が積もってるわけではない。
街並みは、灰色にくすんでる以外はそのままだ。
街路や建物の中を見ると、石化したザルバック市民の姿がある。
私は城壁の外に合図を送る。
仲間たちがそれぞれの手段で城壁の上に上がってきた。
最後に到着したのはアーネさん。
アーネさんの視界が広がったことで、周辺の灰が押し出される。
私たちの居場所を中心に、アーネさんの視界の範囲だけ、灰がなくなった格好だ。
(うぅん……やっぱり目立つね)
遠くからなら、外の灰が邪魔になってわからないかもしれないが、近くからならすぐにわかる。
「見張りはいないね」
アルミィがつぶやく。
「まるで無警戒だな」
グリュンブリンがうさんくさそうに言う。
「クレティアスって、ひょっとしてバカなんじゃない? いくら王様になったって、民がみんな石になっちゃしょうがないでしょうに」
アーネさんが拍子抜けしたように言った。
「アーネさん。クレティアスはひょっとしなくてもバカだと思うよ。前提として揺るぎない」
「……それもそうね」
アーネさんが苦笑する。
「でも、バカはバカでも頭の回るバカだ。それだけにタチが悪い。これをやっちゃいけないみたいな常識的なブレーキがないから、こっちが思ってもみないことをやってくる」
私は真顔になり、さっき見かけた城壁の上の見張り兵に視線を注ぐ。
石化した見張り兵は、どうやら仕事をサボってる途中だったらしい。
酒らしい液体の入った瓶を握ったままで固まってる。
ぴきり、と乾いた音がした。
新兵らしい、まだあどけなさの残る;顔に、一条のひびが走った。
ひびは少しずつ広がり、ゆで卵の殻を剥くように、新兵の顔が剥がれていく。
その下から、現れたのは、縦についた巨大な目と、同じく縦についた、牙の並ぶ巨大な口。頭の全体はシダ植物の胞子嚢に似てる。
新兵の身体が弾けるように粉塵と化す。
――pギヤああアあァァっっ!
異形の化け物が、形容不能な声をあげた。
「はぁっ!」
即座に動いたのはアルミィだ。
石像の中から現れた「それ」を、抜き打ちの斬撃で縦一文字に切り裂いた。
さすがアルミィ。いい反応をしてる。
いきなり現れた化け物を、アルミィはひと太刀で倒してた。
「なによ、これ……!」
アーネさんが、化け物の死骸を見て気味悪そうに言った。
大雑把には、人の形をしてるだろう。
白い身体は、バラエティ番組の全身タイツのようでもある。
だが、「それ」の見た目はユーモラスというよりは悪夢的だ。
縦に長く伸びた頭の正中線上に、巨大な目が縦に二つ並んでる。
その下には、不揃いな牙が何列も並んだ巨大な口。
肩からは、左右それぞれ二本の長い腕が生えてて、背中には大きな黒い翼がついている。
足は三本あるけど……これ、どうやって歩くんだろ。
「まさか……これが天使?」
「……の、ようだな」
エスカヴルムがうなずいた。
「石化してる街の人たちが天使になるってこと?」
「さすがにすべてではないだろうがな」
「……天使が石像のふりをしてるんじゃないよね?」
「ん? どういう意味だ?」
「もともと人間だったのが天使に『なる』のかどうかってこと」
「いや、そこまではわからない。伝承を聞く限りでは天使は空からやってくるはずだが」
「人間が天使になる場合でも、私たちとは関係なくもう天使になっちゃってるのか、それとも私たちが近づいたことで天使に『させられる』のか……」
「そう悩ませるのがクレティアスの策かもしれないわね」
心配する私に、アーネさんが言った。
「どちらにせよ、わたしたちにできることはなにもない。一刻も早くクレティアスを倒すだけだ」
身もふたもないことを言ったのはグリュンブリン。
最近は脳筋に磨きがかかってるような気がするね。
(でも、言ってることは正しいかな)
王都ザルバックには二十万以上の市民がいたはずだ。
そのすべてを避けてクレティアスのもとにたどり着くことは不可能だろう。
「割り切るしかない、か。クレティアスを倒せば、ひょっとしたら石化が解けるかもしれない。それで多くの人が助かるかもしれないんだから、道中の犠牲には目をつぶるしかない……」
いわゆるトロッコ問題ってやつだ。
目の前にいる一人を暴走するトロッコの前に押し出せば、トロッコに乗ってる何人かを助けられる。
それでも目の前の一人を簡単には殺せないのが人間だ、という話だね。
(あれ? 結局どうすればいいんだっけ。目の前の一人を殺したら、「そんなのまともな人間のすることじゃない」ってサイコパス認定される。でも、殺さなかったらトロッコに乗ってる人は死ぬわけで)
どちらを選んでも、部外者からいわれのない非難を受けそうだ。
(そんな議論に熱中できてる時点で、その人たちは安全な場所にいる部外者にすぎないんだね)
たとえ答えがなくても問うこと自体が大事なのだ――そう言いたがる人たちもいる。一部の無責任な評論家や学者、ジャーナリストたちだ。
なるほど、彼らは答えを出さず、問うだけでメシが食える。なんなら、答えなんて出ないほうが、メシのタネがなくならなくて済むだろう。
でも、目の前の問題を解決するには答えが必要だ。
問いに答えがないのなら、答えは問いとはべつのところから持ってくるしかない。
(大事なのは、私がどうしたいのかだ)
正しいかどうかなんてわからない。
あとで他人から非難されるかもしれない。
でも、自分がそうすべきだと思うからそうするんだ。
「こっからは休んでる暇はない。みんな、いいね?」
私の確認に、みんなが固唾を呑んでうなずいた。
私たちは灰に包まれた市街を駆け抜ける。
体力的にはアーネさんがボトルネックではあるけど、アーネさんだって一流の冒険者だ。
途中身を隠して小休止を入れながら、私たちは灰色の街を進んでいく。
――pbるギィやァぁっ!
「前方に天使3!」
私の声と同時に、アルミィとグリュンブリンが飛び出した。
アルミィは一撃で、グリュンブリンは数合撃ち合って天使を倒す。
残った天使はあわてて空に逃れたが、
「滅びろっ!」
先回りして飛んでたエスカヴルムが、天使を拳でぶん殴る。
地面に叩きつけられた天使が、白い体液をぶちまけた。
私が出るまでもない。
前衛だけで、あっさり天使の群れを片付けてしまった。
私の隣で、アーネさんが呆れとも感心ともつかない息をつく。
「やっぱり次元がちがうわね」
ペンダントを握ったままアーネさんがつぶやく。
なにかフォローしようかと思ったけど、私が言うのもおかしいだろう。
ちなみに、私はサボってるわけではない。
周囲の気配を探りつつ、万一に備えてアーネさんを守ってるのだ。
「ふぅ。すべての石像が天使になるわけではなかったのが救いだな」
グリュンブリンが槍を血振りしながら戻ってくる。
「でも、どの石像が天使になるか、法則があるわけでもなさそうだね」
「すべての人間を天使にできるのならばそうしているはずだ。できない理由があるのだろうな」
地上に降りてきてエスカヴルムが言った。
「天使にはどうも個体差があるみたいだね」
いま、グリュンブリンがアルミィより苦戦してるように見えたのは、天使の個体差のせいだった。
地力の面でグリュンブリンがアルミィに及ばないっていうのもあるんだけど、グリュンブリンもここ最近で腕を上げている。
「なんとなく気配でわかるようになってきたから、次からは教えるよ」
「そうしてくれると助かる」
グリュンブリンがそう答えた。
(負けず嫌いのグリュンブリンがこう言うってことは、けっこう辛いのかな)
見たところ、天使の強さは、弱いもので最初に戦ったときのクレティアスやベアノフくらい、強いものではエルミナーシュのシミュレーションで戦ったグランドマスターにやや劣るくらいだ。
順調に倒してるように見えるが、相当に手強い相手なのだ。
(ベアノフには悪いけど、連れてこなくてよかったね)
弱い天使なら、いまのベアノフなら勝てるだろう。
でも、強いのとぶつかったらちょっと危ない。
「押し寄せてこないだけマシか」
天使は散発的に襲いかかってくるだけで、組織だって向かってくることはない。
私たちは人通りが少なそうで(=石になってる人が少なそうで)、かつ遠回りにならないような道を選んで進んでる。
事前に王都の地図は手に入れた。アーネさんは冒険者として王都で活動してたこともあるそうで、王都の地理を知っている。もちろん私のミニマップもあった。
「この先、ひらけた場所に出るわ。城の前にある閲兵広場ね」
進行方向を指差しながら、アーネさんが言った。
なおも襲いくる天使たちを倒しつつ、私たちは裏通りを抜ける。
急に視界が開けた。
そこは、扇型の広場だった。
「閲兵広場」の名前通り、何千人もの軍隊が入れそうな広さがある。
灰が立ち込めた奥に、黒々と王城のシルエットが浮かんでた。
その手前に城から伸びたバルコニーがあり、その下に几帳面にタイルの敷き詰められた広場がある。
王が兵を集めてその武威を見せつけるための広場には、異様な光景が広がっていた。
いや、石化した街や天使よりはまともかもしれない。
閲兵広場には、密集陣形を組んだ兵の姿があったのだ。
その数は、数百では効かないだろう。
ある意味、それはこの場所にふさわしい光景かもしれなかった。
兵が、すべて金色に輝いてることを除けば……だけどね。
おもわず足を止めた私たちに向かって、金色の兵が一斉に向きを変える。
金色の兵が構えたのは、金色の槍と金色の盾。その後ろには、金色の弓に金色の矢をつがえた弓兵がいる。
はじめ、私は武器と防具が金色なだけだと思った。
でも、よく見てみると、鎧兜の隙間から覗く肌までもが金ぴかだ。
目や口の中まで、くまなく金色に輝いてる。
「――神の兵どもよ! 神敵を討てぇぇっ!」
金色の兵隊の奥から命令が聞こえた。
――おおおおおっ!
鬨の声とともに、兵たちがこっちに突進してくる。
同時に、後列から矢が放たれた。
ざぁっ……
曲射された矢は、森がざわめくような音を立て、私たちへと降り注ぐ。
「「風よ!」」
私とアルミィの声がハモった。
二陣の突風が、迫る矢の雨をふきちらす。
そのあいだに、エスカヴルムが前に出た。
――ぐるるあああっ!
エスカヴルムの咆哮に、向かってくる兵たちが足を止める。
止めたくて止めたわけじゃない。
エスカヴルムの咆哮は物理的な威力すらともなうのだ。
だが、兵たちはすぐに動き出す。
動けなくなった先頭の兵たちを踏み越えて、後続の兵が前に出る。
エスカヴルムが咆哮を重ねるが、兵たちはかまわず向かってくる。
倒れた味方を踏み潰しながら。
「ど、どうするの!?」
うろたえるアーネさんを背後にかばいながら、私は無限胃袋から魔王の杖を取り出した。
「みんな、下がって!」
警告してから、私は大きく飛び上がる。
空中で魔王の杖のヘッド部分にありったけのエーテルを込めた。
「っせえええええいっ!」
もはや、呪文も何もない。
魔王の杖で地面を叩く。
解放されたエーテルの暴力が、前方に向かって駆け抜ける。
荒れ狂うエーテルの塊が標的をとらえるたびに炸裂する。
金色の兵たちが、透明な爆炎の中をピンボールのように弾け回る。
閲兵広場は一撃で廃墟になった。
コストをかけて維持されてた広場には無数のクレーターができ、瀟洒なバルコニーは完全に崩壊してる。
金色の兵たちは爆炎にもまれるなかで砕け散り、砂金となって閲兵広場に降り積もった。
「す、すさまじいわね……」
私の背後でアーネさんがつぶやいた。
グリュンブリンやエスカヴルムも耳を塞いだまま広場の惨状に慄然としてる。
アルミィだけは、私の意図をわかってて、そこまで驚いてはいなかった。
「あはは……まとまってるからやりやすかったね」
天使戦では周囲の石化した市民を巻き込まないよう配慮する必要があった。
いまの金色の兵はそうではない。
(ここにいるってことは、たぶん天使より強かったんだろうけど)
戦いには相性もあるからね。
「みんな、このまま一気に行くよ!」
私の言葉に、みんなが顔を引き締めてうなずいた。




