175 最後の休暇
エルヴァンスロウを脱出した私たちは、そのまま地上に戻るしかなかった。
なにせ、あそこには神がいる。
封印はまだ完全には解けてないというが、フローネさんがエルヴァンスロウを犠牲にしてようやく足止めできたくらいだ。いまの私に勝ち目はない。
そうでなければ、回転を止め、石化で崩壊しながら大気圏へと落ちていくエルヴァンスロウからエルフたちを収容したかった。たとえもう石にされてるにせよ、もとに戻せる可能性がすこしはあるはずだったから。
でも、精霊樹の力を使って未来を見たというフローネさんが、これしかないと考えて決めたことだ。
もし私がうかつな行動をとれば、未来を切り開ける可能性はそれだけ減る。
泣き疲れ、うなだれるアーネさんをただ抱きしめながら、私は自分の無力に歯噛みした。
シャトルは無事魔王城へと帰還した。
大気圏に入ったあたりで、通信の復活したエルミナーシュに事情は説明してる。エルミナーシュはアルミィたちにもう説明を終えてるだろう。
「ミナト!」
シャトルから降りた私に、アルミィが抱きついてきた。
「ちょっと……オーバーだなぁ」
「だって! 神が現れて、エルフの郷が落ちたなんて聞かされたら……」
「うん。いろんなものを託された。でも、おかげで勝機も見えてきた」
私に続いて、アーネさんがタラップから降りてくる。
その目はまだ赤かったが、瞳には決意の色があった。
「ミナト。必ず神を討ちましょう」
「うん、もちろん」
うなずきつつも不安になる。
(アーネさんが立ち直ってくれたのなら嬉しいんだけど)
やっぱり無理をしてると思う。
『大変だったようだな。クレティアスを討つための戦略はわたしとボロネール、シズーを中心に立てておく。おまえたちはまずしっかりと休め』
「……そうだね」
エルミナーシュの言葉にうなずいた。
「そんな……休んでる暇なんてないわ! お母さまが稼いでくれた時間なのよ!」
アーネさんが反発する。
「だからこそ、だよ。無謀な計画で攻め入って負けたり、負けはしないまでも苦戦して時間がかかったりしたら、取り返しのつかないことになる」
「だけど……あたしはとても……」
アーネさんが休む気になんてなれないのは当然だ。
「気持ちはわかる……なんて言うつもりはないよ。でも、これは必要なことなんだ。アーネさんはとくに疲れてる。休むこと。それも、できればリフレッシュすることが必要だ」
『そういうことならば、ゲームはどうだ? 魔王城の福利厚生のために、リフレッシュできるゲームをプレイできるようにしている。懸案だったジョイスティックも、代替品を用意できた』
「ここでゲームっていうのは私もちょっと罪悪感があるんだけど」
『リフレッシュが必要だと言ったのはおまえだろう』
「そだね……やってみるか」
というわけで、最終決戦のまえに、身内でゲームパーティを開くことにした。
「わっ! お姉ちゃんひどい!」
私の投げた赤い甲羅をくらったシャリオンが悲鳴を上げた。
「そういうゲームだから」
「ミナトはゲームになると人が変わるよね」
クラッシュしたシャリオンに、緑の甲羅をぶつけながらアルミィが言ってくる。
「せっかくトップだったのに!」
一瞬で最下位になったシャリオンが叫ぶ。
そのあいだに、トップを走ってたアーネさんがゴールしてる。
「うん、おもしろいね、これ」
淡く微笑んでアーネさんが言う。
(やっぱり吹っ切るっていうのは難しいかな)
自分でも酷なことを言ってるとは思う。
でも、アーネさんは、いまの魔王国の戦力のなかでは、はっきり言って弱いほうだ。
フローネさんからもらった秘宝のペンダントはエルフにしか使えず、ペンダントがないと檻の灰に覆われた王都ザルバックへは近づけない。
急に強くなるのは無理だから、せめて疲労を取り、心身のコンディションを整えてもらいたい。
(こういう場合、吐き出させるのがいいのか、忘れさせるのがいいのか、だね)
本来時間が解決するしかないことなんだと思う。
でも、私たちにはその時間がない。
檻の灰による世界への呪詛は増える一方だ。
その呪詛は、神を今以上に強くする。
魔王の杖は、呪詛の新たな受け皿となる潜在能力を持ってるが、そのためにはまず、「魔王こそが救済者だ」と人々に認識される必要があるらしい。
(グランドマスターシステムとガーディアンシステムの関係と同じ。人々からの支持をどっちが取り付けられるか、だね)
そのためには、クレティアスを倒し、ザムザリア王国を救ってみせるのがいちばんだ。
それができれば、魔王の杖は「神への鉾」となりうる力を獲得し、神を倒せる可能性が大きくなる。
もっとも、その可能性は高いとはいえない。
にわかごしらえの力で本当に神を倒せるかはやってみないとわからない。
フローネさんが、ありうる未来として最も可能性が高いものとして予言したのは、私たちが破滅する未来だった。
フローネさんの犠牲によってその未来は軌道修正できた。
でも、まだ楽観できるような状況じゃない。
すこしの手違いで、予言にあった破滅への道に戻ってしまうかもしれないのだ。
「ごめんね、ちょっと外の空気を吸ってくる」
アーネさんがそう言って部屋を出る。
落ち着いてはいるけど、
(アーネさんに気を使う私たちに気を使ってる、って感じだね)
これではかえって気疲れさせてしまう。
「どうしたらいいのかな」
私はつぶやく。
これまでに払った犠牲の多さは、私の心にものしかかってる。
「私、どこでまちがっちゃったんだろ。クレティアスを最初のときに逃さないで仕留めてればこんなことにはならなかった。樹国のときだって、殺そうと思えば殺せたのに。そもそも、あの神に目をつけられたのがまちがいのもとか……」
おもわずため息がこぼれる。
「ああ、やっぱり私はみんなを不幸にするのかな。魔王なんてことを始めず、グランドマスターシステムを温存したほうが、不幸になる人は少なかったのかも」
「……ミナト。それ、本気で言ってるの?」
アルミィが、硬い声でそう言った。
驚いて振り向くと、そこには能面のように無表情になったアルミィがいた。
「本気で、言ってるの?」
「え、いや……ううん、そんなことは……」
「だよね。もし本気で言ってたら、私はミナトを斬らなきゃいけないところだったね」
「う……そうだね」
アルミィと二人で世界をよくしようって始めたのに、障害にぶつかったら弱音を吐く。そんなことで、世界を変えられるはずがない。
アルミィは表情を緩めたが、まだちょっと怒ってるのは見ればわかる。
「ちょっと、ケンカしないでよ」
シャリオンが慌てて言う。
「ううん、これは私が悪かった。覚悟してたはずなのに」
私はコントローラーを置いて立ち上がる。
「ちょっと、アーネさんと話してくるね」
私は部屋を出て、アーネさんを探す。
(エルフたちはエーテルの波動で互いを識別してたっけ)
やってみると私にもできた。
アーネさんのエーテルはすごく特徴的だ。
軽く探っただけですぐに見つかった。
「アーネさん」
魔王城のバルコニーに立って空を眺めるアーネさんに話しかける。
「ミナトか」
「うん。なんか、ごめんね」
「どうして謝るのよ」
「無理強いしちゃった気がして」
「いいのよ。あたしも気持ちを切り替えなきゃって思うし」
「うん、でも、つらかったら無理に切り替えなくてもいいよ」
「……どっちなのよ?」
「いや、たぶんだけどさ。覚悟が固まれば、気持ちは自然と切り替わるものだから」
「あたしの覚悟が足りないっていうの?」
「そ、そうじゃなくて。
えーっと、ザムザリアに乗り込んでクレティアスを討つ。まずはこれだね。これだけを意識すればいいんじゃないかな。自分のやってることは正しいんだろうかとか、もっとうまいやりかたがあったんじゃないかとか、そういうことに気を散らさないっていうか」
「……ああ、なるほどね。目的を達成するのに、不安とか葛藤は邪魔になる。なら、そういうのは脇に置いておくべき、か」
「とりあえず、目の前のことに集中する。それだけでいいんだよ。それを積み重ねていけば、自分たちにできることはすべてやったってことになる。そのうえでどうなるかは、いま心配したってしょうがない」
「そうね。ありがとう。励まし……とはちがう気もするけど、やるべきことがはっきりしたわ」
「私も引きずるタイプだから。引きずってもしかたないってわかってても引きずる。そういうときは、引きずらないようにしようとするほどドツボにはまる」
「あたしはあんまり引きずらないタイプだと思ってたんだけどね。さすがに今回のことは堪えたわ。郷を飛び出した引け目もあったのに、謝ることもできずにああなっちゃって。こんなあたしに、みんなの想いを託される資格なんてあるんだろうか、なんてね」
「私もだよ。そんな立派な人間じゃないのに、みんな買いかぶっていろんな想いを託してくる。でも、それを重荷に感じたところで、託した人が喜ぶわけじゃないし。やることやったら、あとはできるだけ気軽にって思うよ」
「そうね。お母さまも、あたしが思い詰めることなんて望んでないか」
「そうだよ」
アーネさんが笑った。
さっきまでの淡い微笑みではなく、いつものアーネさんに近い元気な笑みだ。
「そういうことなら、さっきのゲームの続きをやりましょ。あれ、ほんとに面白いから」
「アーネさん、初めてやったのにうまいもんね」
「向いてるのかしら。ミナトは前からやってるくせにそんなにうまくないわよね」
「う……アクションは苦手なんだよ」
とりあえず表面上は元気を取り戻したアーネさんと一緒に、私たちは心ゆくまでゲームで盛り上がった。
この先に待ってるのは死闘だけだ。
そのまえに十分楽しんでおかないとね。




