172 アーネさんの故郷
「大丈夫!?」
アーネさんが少女に向かって駆け出した。
周辺の警戒も吹っ飛んでしまったアーネさんついてきながら、私は周囲に目を走らせる。
目につく範囲には何もない。気配もないし、ミニマップにも何も映ってない。
アーネさんは宇宙服のヘルメットを外し、少女の前にかがみこむ。
「お、お母さんが……」
エルフの少女がアーネさんを見上げて言った。
少女の前で石になってる女性は、母親というには若く見える。
でも、エルフの年齢は見た目からはわからない。
「落ち着いて。なにがあったの?」
アーネさんが少女の肩に手を置いた。
少女は、見た目十歳前後。エルフにしてはすこし暗めの金髪と、緑の瞳の美少女だ。
アーネさんも見た目ではせいぜい十二、三歳くらいにしか見えないので、二人はまるで姉妹に見える。
「わ、わかりません……」
少女が首を振る。
「いきなり灰が広がって、みんなが石化して……あわてて逃げたけど、わたしのせいでお母さんは逃げ遅れて……えぐっ」
「あなたの……?」
「わたし、エーテルに祝福されてないから。隔壁が開けられなくて、取り残されて、お母さんはわたしを助けにきてこんなことに……」
「そういうことか……」
アーネさんが納得するが、私にはよくわからなかった。
「アーネさん、どういうこと?」
私もヘルメットを外しながらアーネさんに聞く。
ヘルメットは、跳ね上げるとそのまま後ろで固定される仕組みだ。
「エルフにもいろいろいるの。エーテルとの相性がいい人のことを『エーテルに祝福されてる』というわ。逆に、相性が悪い人もいる。一般に、髪の色が明るいほどエーテルとの相性がいいみたいね」
アーネさんの髪はピンクがかった明るい金髪で、少女の髪は暗い金髪だ。
「じゃあ、この子は」
「どうやら、そのせいでエルヴァンスロウの認証システムが抜けられなかったみたいね」
「でも、それならどうしてここで無事でいられるの?」
「そういえばそうね」
アーネさんが少女を見る。
「そ、それは、この指輪のおかげです」
少女は左手の指にはめた指輪を見せる。
一見飾り気のない石の指輪だが、私たちには見慣れたものだ。
「石化封じの指輪か。よく持ってたね」
「ひいおじいちゃんが誕生日にくれたんです。かっこ悪いって言ったら機嫌を悪くしてました。こんなことになるならもっと喜んであげるんだった……」
少女がそう言って顔をうつむける。
アーネさんが少女に聞く。
「ねえ、郷の他のみんなは? どこかに避難してるのよね?」
「は、はい。あっちだと思います。でも、わたしには隔壁が開けられないから」
「中から開けてくれなかったの?」
「隔壁を下ろして、もっと奥まで行ってるみたいなんです」
「そっか。じゃあ、あたしたちと一緒に行きましょう」
アーネさんが少女の手を握って立ち上がる。
「で、でも、お母さんが……」
私は、石化した少女の母親にしゃがみこみ、無限胃袋から取り出したコカトリスの嘴を当ててみる。
わずかに吸い付く感覚があったものの、しばらく待っても石化は解けなかった。
「ごめんね、いまは無理みたい」
私は少女に言って、母親を抱える。
私は周囲を見て、構造の丈夫そうな場所を見つけ、その場所に石化したエルフ女性を縛っておく。結び目は、自分で解ける場所にしておいた。
これで、万一周囲が崩壊しても、宇宙へ放り出されずに済むだろう。
私とアーネさんは、少女をなだめながらコロニーの奥へと進んでいく。
「アーネさん。その子とは知り合い?」
「え? ううん。初めて会ったわ」
「アーネさんが郷を飛び出してからどれくらい経つんです?」
「嫌なことを聞くわね。えっと、五年ってところよ。だから、この子は五歳くらいのはずね」
「もっと歳上に見えますけど」
「エルフは幼少期には人間より成長が早いから。どのくらいの見た目で成長が止まるかはその人次第ね」
「アーネさんは早く止まったんですね」
「なによ、あたしが幼く見えるっていうの?」
「い、いえ、そういうわけでは」
「ふふっ。まぁいいわよ。よく言われるし。成長の止まる年齢はエーテルとの相性ともかかわってて、一般には幼く見えるほどエーテルとの相性がいいの」
アーネさんは隔壁を開けながらそう言った。
「でも、その分体力面で劣ることになるから、戦士や盗賊士には向かないってことになるわね。要は人それぞれってこと」
隔壁をいくつか開けていくと、
「この辺は石化してませんね」
灰色一色だった世界に色がつきはじめた。
スペースコロニーというと鉄色な印象だけど、エルヴァンスロウの内部は白木の飾り板がはめられてて、植物もあちこちに植えられてる。通路も適度に蛇行してて、人造物の中特有の圧迫感があまりない。
「さて、そろそろのはずだけど……」
アーネさんが隔壁を開けようとすると、隔壁の向こうから声が聞こえた。
「待て! おまえらは何者だ!」
くぐもって聞こえた声には、激しい警戒の色があった。
「エルヴァンスロウの巫女長の娘、マリアーネ・スィ・アルヴィースよ」
アーネさんがそう名乗る。
(やっぱり、けっこう偉い人だったのかな?)
その辺のことはいまだにまったく聞けてない。
「嘘をつくな! マリアーネ様は何年も前に郷を出られている!」
「そのマリアーネが帰ってきたのよ!」
「バカな! 郷のゲートが使えぬ状況で、どうやってこの場所に戻って来られるというのだ!」
「あー。それを説明すると長くなるのよね。
ねえ、緊急時なんだから、あたしのことを知ってる人を連れてきてくれないかな? エーテルの波長を見ればわかるでしょ?」
「む……」
向こう側の声が途切れた。
だいぶ待たされてから、べつの声が聞こえてくる。
「本当にマリアーネ様なのか?」
「その声は、神官長ね? 壁越しにエーテルを流すわ」
「若い跳ね馬のような躍動感のあるエーテル……たしかにマリアーネ様のものだ。隔壁を開けよ」
声とともに隔壁が上がった。
そこには、気難しそうな顔の男性エルフが立っていた。
神官ふうの服を着てる。さっきアーネさんは「神官長」と言ってたっけ。
神官長は、私のことをぎろりと見た。
「なぜこんなところに人間がいる?」
「あたしの連れよ。彼女たちがいなければ、あたしはここに戻って来られなかったわ」
アーネさんがきっぱりと言った。
「……ふん。この肝心なときにいなかったばかりか、人間ふぜいをこの郷へ連れ込むとは。いったい何を考えておいでなのです、マリアーネ様」
神官長の言葉に、私はおもわず感心した。
(出た、「人間ふぜい」!)
やっぱりエルフはこうじゃなくちゃね。
「詳しいことはまとめて話すわ。お母様は?」
アーネさんが聞くと、神官長はひそめていた眉を険しくした。
「精霊樹の中で眠られておる」
「なんですって!?」
「この灰を防ぐにはそうするしかなかったのだ」
「ちょっと待ってよ! じゃあ、エルフたちにはこの灰の正体がわかってるのね!?」
「わかっているとまでは言えんな。一種の位相攻撃であろうということは判明しているが」
アーネさんと神官長が、私たちを置いてけぼりにして話を進めてる。
私は強引に割り込んだ。
「とりあえず、みんなのいるところに行って、情報を整理しない?」
「そ、そうね。エスカヴルムさんたちも呼ばないとだし」
「この上まだ人が増えるというのか。マリアーネ様にはエルフとしての自覚が足りないのではないか?」
「残念ね。エスカヴルムさんは竜よ」
「なに?」
「……いや、だから、ひとまず落ち着こ?」
私はケンカ腰の二人をなだめつつ、エルフたちの避難先に案内してもらった。
デョ様のご指摘により「@」→「 」(全角スペース)に修正しました、
 




