171 エルヴァンスロウ
シャトルの外の空が、藍色から漆黒へと変わる。
もう、空というより宇宙なんだろう。
シャトルの床をディスプレイに切り替えると、眼下に青い惑星を望むことができた。
「うわぁ……」
シャリオンが声を上げる。
他のメンバーも同じような表情で、感嘆の声を漏らしていた。
もちろん、私も例外じゃない。
地球の科学が進んでるといっても、まだ気軽に宇宙に行けるような時代じゃなかったからね。
シャトルは魔法で慣性を制御できる。
したがって擬似的な重力があるのだが、せっかくなので一度切ってみた。
「わわっ、身体が!」
「この感覚もひさしぶりね」
シャリオンは驚き、アーネさんは懐かしそうにしてる。
エスカヴルムは無重力にはとまどってない。
だが、珍しそうに目を細めてシャトルの外を眺めてる。
「美しいな。わたし自身の翼ではこの高さまでくることはできぬ」
「酸素がないから?」
「いや、大気がないからだ。酸素は魔法でなんとかできるのだが、翼に孕めるだけの大気がなければ上昇できぬ」
(なんとかできるんだ)
さすが、魔王時代の力を温存してる種族だ。
シャトルは衛星軌道上を進み、数時間後には目的のエルフの郷が見えてきた。
巨大な円筒状の軸を中心に、そのまわりをドーナツ型の構造物が回ってる。
「なんか、『エルフの郷』ってイメージじゃないね」
むしろ、これはスペースコロニーだ。
地上に落とそうとしたりして争うたぐいの。
「中はそうでもないわ。自然は豊かよ。なんでも太古の植物相を保存してるとか」
アーネさんが言ってくる。
「重力ってどうなってるんです?」
「外側のリングが回転してるでしょ? その外側が地面になってて……ええと、なんて説明すればいいのかしら」
「ひょっとして、遠心力ですか?」
「そうそう。回転してる物体には外側に力が働くじゃない。それを重力の代わりに使ってるのね。
でも、おかしいわね」
「なにがです?」
「なんか、外観がくすんで見えるような……」
アーネさんが目を凝らして郷を見ながらそう言った。
私はタッチパネルを操作してコロニーの画像を拡大する。
コロニーはつやのない灰色だ。
ところどころ銀色にきらめいてる。
金属でできてるんだろうから、なにもおかしくない気がするけど。
「うん、やっぱり変よ」
アーネさんが言った。
「どこがです?」
「光沢がなさすぎるわ。コロニーの外側はミスリルでコーティングされてるから、もっと白銀にきらめいてるはずなのよ」
「白銀、ですか。たしかになんだかくすんでますね。コンクリートみたい」
「コンクリート?」
「ああ、えっと、セメント……もわからないか。形の変えやすい石材みたいなものです」
「つまり、石みたいな見た目だって言いたいわけね。
たしかにそうだわ」
そこで、シャリオンが口を挟む。
「あ、あの。まさかとは思うけど……」
「何か気づいた?」
「う、うん。お姉ちゃんはいま石みたいって言ったよね。じゃあ、ひょっとしたら本当に石なんじゃないかって思って」
「石……って、まさか!」
「うん。滅びの灰で石化したロフトの街並みが、ちょうどあんな色合いだったと思う」
私たちはあわててコロニーを見る。
よく見ると、コロニーの表面は一色ではなかった。
灰色の部分と白銀に輝く部分がまだらになってる。
まるで、灰色の部分が白銀の部分を徐々に侵食してるような……。
「白銀のところが元のミスリルで、灰色の部分は石化してるってこと!?」
「う、嘘でしょ!? いくらクレティアスが神から力をもらったって言ったって、この郷まで石化させるなんて!」
「まさか、あの騎士があそこにいるの……?」
シャリオンが顔を硬ばらせる。
シャリオンは以前の事件の時にあいつに捕まり、私への人質にされたことがあるからね。
私はちょっと考え、かぶりを振る。
「……それはなさそうかな。もしクレティアスの力が地上から衛星軌道上まで届くんだったら、地上のもっと広い部分が石化してなきゃおかしい」
「クレティアスが移動してきた可能性は?」
私に、アーネさんが聞いてくる。
「絶対ないとは言いきれないけど。でも、クレティアスは樹国からザムザリアまではたぶんふつうに移動してた。脱獄した直後は看守や他の騎士を殺したりもしてるから、衛星軌道にいきなりワープなんてことができるとは思えない。クレティアスがザルバックを落として聖王を名乗るまでにも、樹国から脱走してからそれなりに時間がかかってるしね」
むしろ、距離を考えれば時間がかかりすぎてるくらいだ。
王都ザルバックに乗り込む前に、なんらかの準備が必要だったのかもしれない。
アーネさんが言う。
「神がクレティアスをあそこに転移させた可能性は?」
「いや、それはあるまい」
今度はエスカヴルムが首を振る。
「神は地上に直接的な干渉ができぬ。初代魔王はグランドマスターによって倒され、力を奪われる直前に、グランドマスターに『神』の位相を付与したのだ。それによって、グランドマスターは『人』とは異なる存在となり、地上に直接干渉する力を失った」
「あれ? グランドマスターたちは世界を改変するために神になったんじゃ?」
「知らなかったのであろうな。神となれば大きな力を得る代わりに、人ではいられなくなるということを」
「グランドマスターの世界改変は、冒険者になって気持ちよく冒険するためだったよね。神になったらそれもできないんじゃ?」
「転生することはできる。神としての存在はそのままに、人の中に魂を送り込む。そうして人の身で味わった冒険を、本体である神も享受する。
だが、すぐに彼らは飽いた。絶大な力を振るうのは最初は楽しかろう。だが、最初の興奮が収まった後に残るのはむなしさだ。
結果、やつらは冒険者に転生することをしなくなり、長い懈怠の果てに、自我の境界すら失って、いつしか一柱の神となった」
「その神は、私を転生させたり、クレティアスに力を与えたりするのはセーフ。でも、クレティアスを直接どこかに移動させたりするのはアウトってことなんだね」
「そういうことだ」
エスカヴルムがうなずいた。
「じゃあ、あそこではなにが起こってるんだろう。クレティアス以外に、クレティアスみたいな力を持たされた誰かがいるとか?」
「わからぬ。ただ、神とてクレティアスとやらに与えたほどの力をほいほい授けられるわけではなかろう」
「結局、行ってみないとわからないってことだね」
私は小さく肩をすくめた。
「お姉ちゃん、行く気なの?」
「うん。どっちにせよ、滅びの灰のことはどうにかしなくちゃなんだし。
それに、あのコロニーはまだ完全には石化してない。だったら、まだ生き残ってる人たちがいるかもしれない。その人たちは石化に抵抗するなんらかの方法を知ってるのかも。
アーネさんの故郷だし、放っておくわけにはいかないよ」
「……ありがとう、ミナト。でも、危険よ」
「石化封じの指輪があればすぐには石化しないみたいだから。
でも、指輪は私のぶんとシャリオンのぶんしかない」
こんなことならコカトリスを乱獲して人数分の指輪を用意してくるんだった。
(まさか宇宙で滅びの灰を見る羽目になるとは思わなかったからね)
エルフからの情報を得た上で、必要そうなら揃えればいいと思ってたのだ。
「悪いけど、シャリオンのぶんをアーネさんに貸してあげてくれる?」
「う、うん。わかった。じゃあ、わたしはシャトルで待てばいいのかな」
「そうだね。エスカヴルムとシャリオンはシャトルで待機。私とアーネさんがコロニーに乗り込む。安全が確保できたら二人にも来てもらう」
私はシャトルをコロニーに近づけていく。
近づくと、ミスリルの部分と石化した部分のちがいはよくわかる。
石化した部分は、すでに一部が崩れかかっていた。
「アーネさん。シャトルを接舷できるような場所に心当たりは?」
「そんなのないわよ。外から人が来ることなんて想定してないもの。外へ出る扉すらないわ」
「うーん。まだ大丈夫なところを壊すわけにもいかないし、崩れたところから入るしかないか」
私はアーネさんを連れて、シャトルの気密室に入る。
気密室にはいくつかの宇宙服が吊るされていた。
地球のものよりずっと薄くてかさばらない。ロボットアニメに出てくるパイロットスーツに近いデザインだ。ピンクやイエローみたいな目立つ色なのは、宇宙に放り出されたときに目立つようにだろう。
アーネさんがピンク、私がイエローの宇宙服を着る。
気密室の壁もディスプレイになってて、船体がコロニーの崩壊部分に近づく様子が確認できた。
『じゃあ行こうか』
私は宇宙服の通信機ごしにアーネさんに言う。
『いつでもいいわ』
アーネさんの返事を聞いて、ハッチを開く。
ハッチは気密室の天井側にあるが、気密室は無重力なので上も下もない。
『ええと、接舷用のアンカーは……これだね』
私はひと抱えはある装置を持ち上げる。
形はイトマキエイに似てるかな。
重力があったらかなり重かったんだろうけど、いまは持っても重みがない。
イトマキエイの尾部からはワイヤーが伸びてる。
ワイヤーはドラム状の巻き取り機に巻かれてた。
『頭部のレーザーで標的をロックオン……こうか』
私が装置を操作して、頭部から伸びたレーザーを、アンカーを打ち込みたい場所――この場合はコロニーの崩壊部に向ける。
ピピッと音がして、ロックオンが完了する。
私が手を離すと、イトマキエイが宇宙空間に飛び出していく。
イトマキエイがすっかり見えなくなってしばらくたってから、巻き取り機から音がした。
『アーネさん、つかまって』
私は片手に巻き取り機を持ち、もう片方の手をアーネさんに伸ばす。
『え、ええ』
アーネさんがつかまるのを確かめてから、巻き取り機のボタンを押す。
ワイヤーが巻き取られる。
私とアーネさんはシャトルから飛び出し、イトマキエイと同じ経路でコロニーの崩壊部へとたどり着く。
ワイヤーは巻き取られたので、シャトルに戻ることはもうできない。
『片道だけど、シャトルとここをつないでおくのも怖いからね』
万一、ワイヤーから灰が伝わってシャトルが石化するようなことになったら目も当てられない。
回収したアンカーは、アビスワームの無限胃袋にしまっておく。胃袋は宇宙服の上からたすきがけにしてる。胃袋って呼んでるけど形状はショルダーバッグだからね。
アーネさんが言ってくる。
『ここだって危ないわ。早く灰のない場所まで行かなくちゃ』
コロニーの崩壊部から入ると、中は広めの通路だった。
作業用のものらしく、あちこちにパイプやチューブが走ってる。
通路には例の灰が浮遊してる。
(濃度はそんなでもないね)
ロフトでたしかめた感じだと、このくらいなら石化封じの指輪があれば問題ない。
石化した通路には、エルフ語でなにかが書かれていた。
オプションから言語選択して解読すると、『エルヴァンスロウ』と読める。
このコロニーの名前らしい。
通路には、外側に向かって重力が働いてる。
アーネさんの説明通りコロニーの自転による遠心力だろう。
ただ、崩壊部は宇宙側に向かって崩れてる。
遠心力が宇宙側に向かって働いてるってことは、外壁の穴に落ちたら宇宙空間に放り出されるってことを意味してる。
さいわい、崩壊部はそんなに広くはない。
迂回できる道はいくらでもあった。
だが、
『ひどいわね』
アーネさんが、通路で石化してるエルフを見て言った。
逃げ遅れたのか、そこかしこに石化したエルフがいた。
あるものは恐怖の表情で、あるものは決死の顔で石化してる。
この分だと、石化したエルフの中には、崩壊部へと落ちて宇宙に放り出されてしまった人もいるだろう。仮に石化が治せるのだとしても、広い宇宙空間に投げ出された人たちを見つけることができるかどうか。
私はシャトルから見た光景とミニマップの情報を比べながら、まだ無事だと思われるほうへと進んでいく。
途中には厚いシャッターの降りてる場所もあったが、近くのスイッチで開けるようになってた。侵入者を防ぐためのものというより、事故があった時に空気の漏出を防ぐためのものなのだろう。
ただ、私が操作したのではダメで、アーネさんが手を触れないと動かないようだった。
『このあたりは空気があるみたいだね』
崩壊部から離れ、エルヴァンスロウの奥に進むとともに、徐々に空気の濃度が濃くなってきた。
ずっと続いてた無機質な通路だが、このあたりでは木目のある内装になり、蔦や花が増えてくる。
天井に這った蔦には藤の花や葡萄の房までついていた。
もし石化してなければ、気持ちの和む光景だったろう。
通路を抜けると、広いドーム状の空間に出た。
『見て!』
アーネさんが声を上げる。
ドームの中心には、石化したエルフにすがりついて泣く、幼いエルフの少女がいた。




