165 王都陥落
◆クレティアス視点
「ふむ。さすがに真っ二つにされると違和感が残るか」
クレティアスは自らの身体をたしかめながらつぶやいた。
「魔術士グランドマスターの奥義、不可死の呪詛。本来は敵にかけ、死ねぬ身体にしてから拷問にかけるための術だが」
クレティアスはいま倒したばかりの聖騎士ヴァラドスのハルバードを拾った。
重く長大なそれを片腕で振る。
「ふむ。不便だな。重さに頼った戦い方では、やつに勝つことはできんだろう。鼠の剣もきわめられれば厄介なものだ」
クレティアスはハルバードを放り投げる。
ハルバードは壁を突き破り、柄の部分まで食い込んだ。
すぐ隣にかかっていた歴代王の肖像画が地面に落ちる。
「さて、ゆっくりしすぎたか。天使どもに食わせるためには、城の人間は極力残したい。いい加減頭を叩くべきだな」
王は普段ならば謁見の間にいる時間だ。
だが、これまでの騒ぎで、とっくに逃げ出しているだろう。
「神の代理人である俺からは逃げられん」
クレティアスは意識を集中して、視界に浮かぶミニマップを拡大した。
ミニマップ……といったが、マップには城の全域が記されている。
重要人物の居場所はマーカーでリアルタイムに把握できた。
「近衛騎士団の屯所にこもったか」
クレティアスは目的地に向かって駆け出した。
これまでの歩きとはちがう、神速の駆け足だ。
盗賊士としての身軽さと、戦士の発勁。魔術士のエーテルを使った自己強化。グランドマスターの築き上げた技術をフルに使って、クレティアスはほんの数十秒で目的地にたどり着く。
「ふっ」
ちょっとした砦のような外見の屯所を見て、クレティアスが苦笑する。
近衛騎士だったクレティアスにとって、ここはなつかしい古巣だった。
そのまえに、よく見知った人物が立っていた。
「――よお、クレティアス。派手にやってるみてーじゃねーか」
片目の白く濁った、どちらかといえば小柄な男だった。
聖騎士としての戦装束をだらしなく着くずし、自然体のまま、片手にありきたりの剣をぶら下げている。
黒髪で日に焼けた肌。ザムザリアではあまり見ない人種で、年齢のほどがわかりにくい。
「ヴォルク団長か」
「おお、俺のことは忘れてなかったみてーだな」
男が野太い笑みを浮かべて言った。
近衛騎士団長ヴォルク。聖騎士の序列は三位だが、上の二人は名誉職に近い。実質、この男が聖騎士の最強だ。
「俺はな、いますげー後悔してる。へこんでると言っていい」
「珍しいこともあったものですね」
うっかり昔の口調に戻って言ってしまう。
(この男の前ではいつもそうだ)
いつのまにか相手のペースに乗せられている。
「クレティアスよ。最初におめーに会ったとき、俺はこう思ったんだよ。こりゃあ、とんでもなくいけすかねえ、貴族のクソガキが来やがったと。本当なら、そこでうちでは預からねえと言うとこだった」
「初耳だな」
クレティアスの返事を無視し、ヴォルクが続ける。
「だが、俺は試してみることにした。
おめーはたしかにいけすかねえイケメンクソ貴族だが、剣を見る目だけは真剣だった。
世の中にはな、二つの種類の剣士がいる。強くなりてえと本気で思ってるやつと、口ではなんのかんの言いながら、本気で強くなる気はねえってやつだ。
貴族のボンボンなんざ後のほうばっかだが、おめーは本気で強くなりてえと思ってた」
クレティアスはおもわず黙り込む。
「強くなるには、イケメンだの貴族だの頭がいいだの、そんなもんは邪魔にしかならねえ。おめーが剣に打ち込めば、最終的にはそういうくだらねーもんを斬って捨てることになるだろう。俺はそう思ったんだ」
「たしかに、それは当たってるな。俺は強くなった。まだ強くなる。そのために邪魔なものは喜んで捨てる」
「クレティアス。いまのおめーの強さはまちがってる。邪道なんだよ。悪鬼羅刹に至る道だ。いや、もうすでに至ってるのかもしれねえな」
「俺は神だ」
クレティアスは、「俺は神の代理人だ」と言おうとして、つい、「代理人」が抜け落ちた。
だが、その言葉を口にしてみると、それはすっと腹に落ちた。
(俺は神だ。そうか、俺は神だったのか)
クレティアスは、長年の謎が解けたようなすがすがしい気分になった。
(これまでの屈辱も、苦難も、すべて俺が神になるための試練だったのだ。
ああ、世界は俺を中心に回っていた!)
「ふ、ふはは……あーっはっはっはっ! くふふ、はははっ、これはいい! そうか、世界は劇場なのだ! 俺という神を中心に、神聖喜劇が演じられているのだ! すべての脚本は俺が書き、主役はもちろん俺が務める! 愉快だ、最高に愉快だ! ふひゃーっはっはっはぁっ!」
腹を押さえ、狂ったように笑い続けるクレティアス。
ヴォルクはその光景を、恐れるよりは呆れる思いで眺めている。
「神、神か。なるほどねえ。するってえと、俺はいまから神を斬らなくちゃならねーってわけかい。そいつは楽しみだ」
「神は斬れない。愚王の犬に甘んじる程度の貴様にはな」
「もう、俺の言葉なんて届きゃしねーってことかい。ま、もう遅すぎるわな。
だが、こいつはこいつでよかったのかもしれねーな。
こんな悪鬼羅刹とやりあえる機会なんて、一生に一度もねえだろう。剣に生きる人間にとっちゃ本望よ」
「話は終わったか?」
「ああ――いい、ぜ!」
ヴォルクがいつ動いたのか。
いつ剣を振り上げたのか。
そのすべての過程が見えなかった。
ただ結果として目の前に剣がある。
クレティアスはその剣を青白い光の腕で受け止めた。
「ひゅう! 便利そうな腕だな」
「アガートラーム――神の腕だ」
今度は、背後にヴォルクの剣。
クレティアスは左腕を後ろに回して受け止める。
「固ってえ腕だな!」
ヴォルクの剣気が、水平の斬撃へと収束する。
この斬撃は受けられない。
直感に従い、クレティアスは剣の動きに沿って、ヴォルクの周囲をぐるりと回る。
「ぬぁっ! 気持ちわりぃな!」
縦にかち割る斬撃。
クレティアスはその場にエーテルの残像を残し、半身になって剣をかわす。
鋭い剣風がクレティアスの肌をちりつかせる。
ヴォルクは、自分が斬ったのが囮だと気づき、即座に距離を取っていた。
もし一瞬でも迷っていたら、クレティアスに斬られていただろう。
「すばらしい」
クレティアスの全身に鳥肌が立った。
「なんという男だ。人の身で、ここまで剣を使えるか」
「なんだ、いまさら気づいたのか? おめーが大人しく騎士をやってりゃ、いくらでも仕込んでやったってのによ」
「俺は神だ。人に仕込まれた剣などいらぬ」
「へっ。言うようになったじゃねえか。今度はそっちから来てみろい」
クレティアスは両手を剣に変え、ヴォルクの正面から斬りかかる。
この男相手に、側面に回るとか、背後を取るとかいった駆け引きは意味がない。
ヴォルクにとってはそのすべてが正面だ。
「おほっ、いいね!」
右の剣でヴォルクの剣を塞ぎ、左で斬りつける。
あたりまえのようにかわされ、カウンターが飛んでくる。
……のを先読みして、軌道上に剣を置く。
あやうくヴォルクは剣を引く。
「ひぇっ! いまのは死ぬかと思ったぜ!」
その首を薙ぐ。
もちろんかわされる。
クレティアスは攻め手を変えながら攻め続ける。
が、互いにまったく決定打がない。
そうするうちに、クレティアスは飽きてきた。
「たしかに、貴様は強いな」
クレティアスが言う。
「騎士の神に愛された男と呼ばれるだけはある」
「なんだ、気持ち悪いな」
「さっき、貴様は言った。強くなるには切り捨てなければならないものがいくらもあると」
「言ったな」
「貴様と斬り合っていると騎士の血が騒ぐ」
「おめーはもう騎士じゃねえけどな」
「それは、いまの俺にとっては邪魔なことだ。貴様との斬り合いは楽しい。だからこそ、俺はその楽しさを斬らねばならん」
「……ぁん?」
「まだ気づかないのか?」
クレティアスの余裕たっぷりの笑みに、ヴォルクが目を細めた。
「てめえ……その目はなんだ? 人間の目じゃねえな」
「剣士が聞いて呆れるな。自分の身体を見てみろ」
「なにっ……って、こいつは!」
ヴォルクは自分の身体を見下ろして驚いた。
といっても、ヴォルクの頭の位置からは見えないだろう。
ヴォルクは自分の体性感覚の異常に気づき、自分の身に何が起こっているかを悟った。
「てめっ……汚ねえぞ! 剣の勝負を汚すつもりか!」
「誰がいつ、剣で勝負すると言った? 貴様の剣には多少の見所があったからな。完璧なる神に近づくための修練として付き合ってはやった」
ヴォルクの手から剣が落ちた。
ヴォルクは手を前に伸ばそうとする。
その動きは、剣の達人とは思えないほどに緩慢だった。
その手が、指先から徐々に灰色に染まり、硬化していく。
「石化……かよ! その目、何かに似てると思ったら、コカトリスの邪眼じゃねえか!」
「あんな鶏風情と一緒にされては困るな。これは神聖なる神の眼だ。神の前に、すべての人間は羞恥に震え、自らの存在を寂滅して命なき石と化す。人間が神に対してできる、せめてもの謙譲だ。
神の眼差しで石化できることを光栄に思え。近衛騎士団長、聖騎士第三位、ヴォルク・ノーガン」
「て・め・え……」
ヴォルクは怨嗟の表情を顔に浮かべたまま、ほどなくして完全に石となった。
「剣聖、ここに、剣を振るえず、無念のまま眠る。くくくっ……シャレが利いている。
もっとも、死にはしないがな。
わかるか、ヴォルク。おまえはこれから先もこのままだ。風雨に打たれ、おまえの身体は徐々に風化していく。すぐに、いっそひと思いに殺せと懇願したくなるだろう。
動かぬ身体に閉じ込められ、絶望と怨嗟の声を上げ続けるがいい。
それこそが、やつらを呼び寄せる絶好の餌になるのだからな」
この日、ザムザリア王国の王都ザルバックは、ただひとりの男によって陥落した。
ザルバックには天からラッパが鳴り響き、無数の天使たちが舞い降りた。
神の代理人を名乗る男は、聖王クレティアス一世として、神聖ザムザリア王国の初代国王に即位した。
ザムザリアの悪夢は、この時から始まった。




