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140 ハードな交渉

 評議会堂にある会議室で、私はセレスタ評議会の長であるハリエットさんと向き合っていた。

 ダークブラウンの髪と青い瞳、薄紫のカジュアルなドレスといういつかと同じ格好の、すらりとしたマダムだ。

 のんびりとした話しかたとは裏腹に、セレスタの内外を問わず独自の情報網を持つ商会の主でもある。


 最初は、報告から。

 キエルヘン諸島の調査とその後の経緯。

 世界のへそのこと。

 そこに眠っていた魔王城エルミナーシュ。

 グランドマスターの正体と、隠蔽された歴史。

 その後、私は双魔王となった。

 魔王城は浮上して世界のへそは消滅する。


「……ちょっと待ってね、ミナトさん」


 ハリエットさんはそう言って目頭を指で揉む。


「信じられませんか?」


「ううん、調べればわかることだもの。そんな嘘をつく理由はないと思うわ」


「では、なにが問題でしょう?」


「そりゃあね……消滅した世界のへそ周辺の海域を、魔王国の領海だと宣言する、なんて言うんだもの」


「いけませんか?」


「いけないわねえ……。だって、せっかく渦潮がなくなって南北大陸間の往来が自由になるのに、そこがいきなり出てきた魔王の領海になるなんて……周辺の諸都市や国家は黙ってないわよ?」


「それはしかたないです。ただ、私は許可を求めてるわけじゃありません。たんに、そうなったと宣言しているだけです」


「周辺の勢力はそれを認めないわよ? 認めない以上、ミナトさんたちは不法に海を占拠する『海賊』ということになるわ。各国の軍艦が押し寄せるけど、それでいいの?」


「押し寄せたところで、百を超えるオケアノスやクラーケンの群れを退けて領海に侵入することはできないでしょう?」


「できないわねえ……」


 ハリエットさんがため息をついた。


「もともと、ハリエットさんの依頼はこうでした。キエルヘン諸島近海を偵察して、私が見過ごせないと思うなにかがあった場合は、私自身の判断でその『なにか』をなんとかする、と」


「たしかにそう言ったわね」


「私は依頼通りに行動したにすぎません。見過ごせないことをなんとかするために行動したら、結果としてこういう事態に至っただけです」


 どうしてこうなった、とは自分でも思うけれども。


「でもね、ミナトさん。この都市にも体面というものがあるわ。いきなり出現した謎の勢力に何もせず屈したと見られるのは困るのよ」


「でも、私としては、領海に入ってきた他国船を見逃すわけにもいかないんです。警告してから追い払うよう命じてはいますが、それでも引かなかった場合は撃沈せざるをえません」


「世界中に散っている魔族を集め、魔王城エルミナーシュに収容してくれるっていうのは、たしかにメリットではあるんだけど。でも、もともとは魔族が世界への復讐のためにあちこちで悪さをしはじめたのが原因でしょう? いくら大昔のグランドマスターが悪い人たちだったとしても、いまの人間にはかかわりのないことよ」


「言っても聞かない魔族は、こちらで処断します」


 魔族は幽世での精神体としての生活が長すぎた。

 幽世では、感情はそれ自体がひとつの現実だ。

 復讐に正義があるか、事実に則っているか、方法が適切か、のような現実的な反省は幽世では無力なのだ。

 要するに「自分が怒っていること、それ自体が否定できない事実なのだから、それに基づいて行動してよい」――そんなひとりよがりな判断をしてしまいがちなのが魔族なのだ。


「同時に、グランドマスターシステムに変わる新たな世界システムとして『ガーディアンシステム』を普及させます」


「冒険者ギルドの代わりに守護者ギルドを作るってお話ね。そんなことが可能なの?」


「実際、希望の村の冒険者はそのような状況にありました。これを世界に広げます。冒険者のスリリングな体験のために勝手に『モンスター』にされた獣人や魔獣や一部の精霊などを解放する必要がありますから」


「新しい力は、ダンジョンの探索のためのものではなく、人々を脅威から守るためのものになる、というのね」


「はい。残念ながらすでにモンスターとされた魔獣たちを元に戻すことはできないです。獣人のほうは、なんとか目処が立ちそうなんですが。

 とくに、ダンジョンの外に出て動物と交わり、繁殖したモンスターはどうしようもありません。守護者には『守護戦士』『護法士』『斥候士』のクラスを設け、冒険者からの乗り換えをはかります」


「本気だということはわかったわ」


「じゃあ……」


「でも、現時点ではそれは構想にすぎないのも事実よ」


「そうですね。実を言うと、今日はご賛同をいただきにきたわけではないんです」


「というと?」


「われわれはこうする、とお伝えしてる


だけですから。結果が出れば、世界はそれに従って変わらざるをえません。事前にこうしてお話ししているのは、われわれの誠意と思ってほしいです」


「黙っていてもいいものを、こうして乗り込んで話しにきてくれたのだから、ということね」


「はい。ですから、今日のところお伝えしたいのは『見守ってください』ということなんです。手出しをされるとこちらも対応せざるをえませんが、なにもされなければこちらもなにもしませんから」


「……本当にそれが守られるのかしら? ひょっとしたら、ミナトさんたちの魔王国は、まだ国としての体をなしてなくて、時間稼ぎをしようとしてるのかもしれないわね? 万全の準備が整ってから、周辺国を攻めるつもりなのかも」


 ハリエットさんは、あくまでもおっとりとした口調で言いながら、底光りする目で私を見る。


「ご懸念はもっともです。ただ、『攻めるつもりがない』ということを証明するのは無理ですよね」


「ないことは証明できないものね」


「ええ。ですので、証明はしません」


「じゃあ、こちらも信じることができないわ」


「信じるかどうかは、こちらののちの対応で決めていただくしかないことです」


「でも、時間を与えれば魔王国は態勢を整える。宙を飛ぶお城があるんですもの。望めば世界そのものを征服することすら夢物語じゃないのかもしれないわね」


「だから、そうなる前に連合軍でも結成して魔王国に攻め入ると?」


「それが、多くの首脳たちが思いつくであろう自然な発想なのよ。

 悪いことは言わないわ。ミナトさん。いまからでも思い直して。そんなことはやめておいたほうがいい」


 私をじっと見て、ハリエットさんが言う。


(本当に心配してくれてもいるんだろうけどね)


 私は首を振り、ハリエットさんをまっすぐ見返しながら言った。


「やめておいたほうがいいのは、そちらです。

 そもそも、セレスタをはじめ、周辺国には魔王国とケンカをしてる余裕なんてなくなりますから」


「……どういうこと?」


「セレスタは海の都です。だからハリエットさんはおそらくご存知だと思うのですが、海の潮の流れと気候とは密接不可分の関係にあります」


 いきなり飛んだ話に、ハリエットさんが一瞬呆けた顔をする。

 が、さすがに頭の回転が早い。

 次の瞬間には深刻な顔つきになった。


「まさか、世界のへそがなくなったことで、海周辺の気候が変化するというの?」


「いえ、周辺には限りません。ある地域の気候の変化は、隣の地域の気候に変化を起こし、その変化はさらに隣へと影響します。あれだけ大きな潮の流れが変化するのです。世界規模で気候変動が起こります」


「……大変だわ……」


 ハリエットさんがおもわずといった様子でつぶやいた。


「ええ。ですが、セレスタにはよくしていただいているので、こちらを差し上げようと思います」


 私はアビスワームの胃袋から書類を取り出しハリエットさんに渡す。


「ずいぶん上等な紙ね」


「魔王城に蓄えられた知識のほんの一端を用いて生産したものです」


 ハリエットさんが書類をめくる。

 さすが、評議長にして商会の主。書類を読むのがすごく速い。

 ハリエットさんの顔が、みるみる険しくなっていく。


「……信じられるかどうかはわからないけど、重大すぎる内容だわ」


「ええ。セレスタと樹国のあいだに横たわる乾燥地帯は雨季と乾季が交互に訪れる亜熱帯性の気候に変わります。樹国の北側を覆う霧の森は、逆に乾燥が進み、いまよりずっと通行しやすくなる」


「セレスタから樹国へ、樹国南部から霧の森への往来が活発になる。そしてその先には、軍事大国であるザムザリアがある」


「ザムザリア王国は過去に何度か南下を試みています。そのたびに霧の森の濃霧と鬱蒼とした木立に阻まれ敗走しています。でも、この霧が晴れてしまったら?」


「……現時点では仮定の話にすぎないわね」


「そうですね。では、ミストラディア樹国はどうでしょう。セレスタとのあいだを遮る砂漠がなくなったら? 交易で莫大な利益を上げるセレスタに興味を示すかもしれませんよね。樹国は内陸国なので、海への出口もほしいでしょう。まして、霧の森が通行可能になって、北のザムザリアから圧迫を受けるようになればなおさらです」


「そうね。海路で北大陸を迂回して、ザムザリアの後背をつく。あるいは、北海の通商を妨害してザムザリアの力を削ぐ。そのために、セレスタの海軍力に目をつけるでしょう」


「樹国とのあいだの砂漠は、年を経るごとに草原に変わっていくと予想されます。雨季は洪水をもたらし、土地を肥沃にするでしょう。砂漠は穀倉地帯に変わるかもしれません。そうなったとき、肥沃な土地を挟んでセレスタと樹国は対峙することになります」


「……このレポートにはセレスタ周辺の気候変動についてだけしか書かれていないわね」


「ええ。もちろん、エルミナーシュシステムは全世界の気候変動をシミュレートしています。

 ですが、そのレポートだけでも、セレスタにとっては千金以上の価値があるはずです」


「たしかに。こんな情報をただでもらっていいのかしら?」


「魔王国としては、魔王国が関わるものであろうとなかろうと、紛争の発生を望んでいません。セレスタには今後の備えをする時間が必要だと思いました。……あと、私の依頼主でしたし」


 私が言うと、ハリエットさんは困ったように笑った。


「このレポートの真偽については、この街の専門家でもすぐには判断できないでしょうけれど。あなたたちに協力すれば、他の地域の情報もこっそり教えてもらえたりするのかしら?」


「協力の内容次第ですね」


 ハリエットさんが天を仰ぎ、大きく息をついた。


「……わかったわ。ミナトさん。いえ、双魔王ミナト陛下。前向きに検討するよう言ってみる。もっとも、ことがことだから、時間をいただくことにはなりそうね」


「はい。こちらも他の都市や国家への対応がありますので。しかるべき時間はお待ちします」


「急がないと他と交渉を進めるぞってことね……。あののんびりとしたミナトさんが、ずいぶん交渉上手になったものねえ……」


「あはは……。まぁ、おかげさまで」


 ボロネール相手に予行演習をやってきただけなんだけどね。


 ともあれ、セレスタでの仕込みはこれで終わった。

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