136 エルミナーシュの浮上
「……あれ? ここは……?」
「な、なにが起きたんだ!?」
「あたしゃかまどの前にいたはずじゃ……」
目の前に現れた希望の村の全村人たちが戸惑ってる。
世界のへそに漂着し、希望の村で暮らしてた人の数は百人強。
その全員が、へその中心にある「杭」――エルミナーシュ・システムの支配する塔の広大な中央管制室に召喚されていた。
中央管制室の造りは、スカイツリーの観覧フロアによく似てる。
ただ、広さは観覧フロアの優に十倍以上はあるだろう。
エルミナーシュによれば、これ以上に広くすることも可能らしい。
「――ミナト! 無事だったか!」
私に声をかけてきたのは、冒険者の隊長さんだ。
「うん、なんとかね。グラマス相手の100連勝はキツかったなぁ」
あのあと、エルミナーシュが「試練はまだ済んでない」と言い出し、私たちは再びグランドマスター三人と戦うはめになった。
最初は勝率が7割くらいだったので、何連勝かしてもどこかで負けてやり直し。
結局、グリュンブリンやボロネールとの連携が取れるまで、グラマスたちを封殺することはできなかった。
合間合間に今後のことを相談しつつ、私たちは来る日も来る日もグラマス三人と戦い続け――ようやく、目標の100連勝を達成した。
私たちは文字通り泣いて喜んだ。
もっとも、エルミナーシュによれば、
『少々不満だが、仲間の力と合わせて合格ということにしておこう』
とのことだったが。
(まぁ、グランドマスターたちの戦闘技術はあらかた盗んだ。今後グランドマスターからの加護がなくなったりしても問題ない)
結果的にいい修行になったんだけど……素直に認めるのもシャクだよね。
「何を言ってるかわからんが、心配したぞ。ミナトとアーシュとミーチャが転送法陣に呑まれて消えたのも驚いたが、村に帰ったらミーチャが呑気に昼寝してるじゃないか。じゃあミナトと一緒だったミーチャは誰だったのかと騒ぎになった」
ミーチャっていうのは、探検家シュモスのことだね。
あ、逆か。シュモスの本名がミーチャなんだった。
私についてきたシュモスはボロネールが化けた姿だった。
ボロネールの言った通り、本物のミーチャも無事だったようだ。
もしそれが嘘だったら、ボロネールをしばき上げるところだった。
「その話は後でするよ。それよりまずは朗報」
「朗報だと? ま、まさか……」
「うん、帰れるよ」
「本当なのか!?」
「詳しい説明をさせるから、みんなを集めてもらえるかな?」
「わ、わかった!」
冒険者の隊長さんが駆け出し、不思議そうに、あるいは不安そうにしてた村人たちをかき集める。
事情の説明は大変なので八面体のエルミナーシュに一任だ。
説明が終わると、村人たちが歓声を上げた。
抱き合って喜ぶ者、うずくまって静かに涙を流す者もいる。
「むうう。この場所にそのような秘密が……」
村長さんが言った。
「まさかグランドマスターにそんな裏があったとはな……。
俺たちがこうして生きてられるのも魔王の加護のおかげだったのか」
隊長さんは、自分の身体を見下ろしながらそうつぶやく。
私は言った。
「歴史の授業はともかく、この塔の機能でみんなを指定の場所に転送できるから。そのまえに、浮上しなくちゃいけないんだけど」
「浮上、ですかな?」
「うん。みんなが『杭』って呼んでる尖塔は、この魔王城エルミナーシュの先端部分にすぎないんだ。このままお城を浮かせると希望の村が大変なことになっちゃうから、みんなを一度召喚したんだよ」
「ま、待ってくだされ。希望の村は仮の宿りといえど、愛着のある品もそれぞれありましょう。できれば一度――」
「もちろん、そのつもりだよ。いったん元の場所に戻して、片付けをしてもらってから浮上させるから。持ってきたいものはそれぞれひとまとめにしておいて。そうだね……明後日の正午までってことでどうかな?」
「そうですな……みな、それでよいか?」
村人たちは希望に溢れた顔でうなずいた。
「おお、見ろ! 海が割れていくぞ!」
「本当に浮かんで……」
「ああ、村が壊れて……ちくしょう、こんなとこでくたばりたくねえと思ってたけど、いざ見るとつれえなぁ」
魔王城エルミナーシュの展望スクリーンに映し出された光景に、希望の村の村人たちが声を上げる。
「杭」が地面から伸びるに従って、地面が割れ、その先にある海面も割れる。
「杭」の根元からは壮麗な装飾の施された黒一色の壁がせり上がってきて、その面積は広がっていくばかりだった。
「……魔王城ってどれくらい大きいの?」
私はエルミナーシュに聞いてみる。
『汝らが『へそ』と呼んでいる露出部の数十倍はある』
「数十倍!?」
『『城』と言うが、実態は城塞都市に近いものだ。百万を超える人口を抱えることができる。もちろん、その食糧を賄うシステムもあった。魔王陛下のお力が散り散りになったいまでは、そのすべての機能を稼働させることはできないだろうが……』
「じゃあ、ダンジョンコアを回収したら魔王城を拡張して、そこにモンスターにされてる獣人や知恵ある獣、まだ身体のない魔の者なんかをかくまえばいいね」
『幸か不幸か、グランドマスターのシステムのせいで、彼らの生息数は往時の数十分の一といったところだろう。魔王城が完全に復旧すれば、ここだけでも養えるかもしれぬ』
話してるあいだに、魔王城は浮上を続け、ついに希望の村付近の地面が隆起しだす。
人によっては「絶望の村だ」などと言ってたらしいけど、土砂の中に消えていく村を見て、漂着者たちはあるいは泣き崩れ、あるいは寂しげな顔でため息をつく。
土砂に埋もれた村の跡に、へそを巡る海流が流れこみ、すべてを濁流の中に呑み込んでいく。
「これって、どこまで浮上するの?」
『魔王城は本来は天空にあったのだ。もっとも、いまの力ではそれはかなわぬ。海面ギリギリに浮遊する程度であろう』
「それだって十分すごいけどね」
ひとつの城塞都市が海面にホバークラフトのように浮かぶのだ。
そのために必要な技術も魔力も想像を絶してる。
「『へそ』が……消えていく……」
村人の一人がつぶやいた。
魔王城エルミナーシュの浮上にともない、へそを取り巻く海流が内側に流れこみ、海面を徐々に上昇させている。
渦潮によるへこみがなくなるまで、海面上昇は続くだろう。
「……これって、周辺の気候とか変わるんじゃないかな」
『ほう。ミナトは博学だな。あるいは、異世界人が博学なのか。
さよう、これほど大きな潮流の変化があれば、上空の気圧配置にも影響が及ぶ。これまで乾燥していた地域に雨が降り、これまで豪雨地帯だった地域が干上がるやもしれぬ』
「た、大変だ……」
「へそ」は、南北の大陸のあいだにある内海のど真ん中にあった。
超巨大渦潮の消滅が気候の変化をもたらすなら、南北の沿岸都市はもちろん、その周辺都市にまで影響は及ぶ。
穀倉地帯がいきなり枯れたり、乾燥地帯がいきなり沼となったり、大きな川の流れが変わったりすれば、その影響は計り知れない。その地域への打撃のみならず、交易で結びついてる他の都市にも大きな影響が出てしまう。
「エルミナーシュ。気候の変化のシミュレーションはできる?」
むちゃぶりかなと思いつつも聞いてみる。
『可能だ。とはいえ、精度はそこまで高くないぞ。降雨量や気温・湿度の変化を予測する程度のことしかできぬ』
「いや、それだけできれば十分だよ」
下手すると地球の気象予報より精度が高そうだ。
そこで、通りががかったボロネールが言ってきた。
「渦潮の潮流に沿って設定されてた航路も変更を余儀なくされるだろうな。内海の中央――つまりこの辺りを通って南北を結ぼうって話も当然出るだろう。そういう動きをこっち側がどう捉え、どう利用するか。やれやれ、考えることだらけだぜ」
「残りの四天魔将、堅忠のハミルトンだっけ。その人の説得も頼むよ?」
「あのおっさんは説得でどうにかなるような玉じゃねえ。ミナト様とアルミラーシュ様があいつを納得させられるかだ。一発ビシッとかましてくれ」
「あはは……そういうのガラじゃないんだけどなぁ」
ボロネールは私のことを「様」づけで呼ぶようになった。
やめてと言っても聞いてくれない。
こんな性格のくせに、上下のけじめはつけると言う。
「アルミラーシュ様よりミナト様のほうが肝は座ってる。ここぞって時の担当がミナト様ってことになったんだから、そこは頑張ってもらわないと困るぜ」
「それ以外の時はアーシュをお神輿にして、鉄火場だけ私が入れ替わるって条件だからね」
そう。責任の押し付け合いでもめる私とアーシュに、エルミナーシュが提案したのはそれだった。
すなわち、二人が交代で魔王を演じればいいのではないか――ということだ。
私とアーシュは髪と瞳の色以外はそっくりだ。
性格まで似てる。
しかも、私が魔王の力をアーシュから引き出し「覚醒」すると、髪と瞳はアーシュと同じ色になる。
これを利用して、覚醒した私がアーシュと交代する。
あるいは逆に、アーシュの普段の姿は黒髪黒瞳なのだと流布して、普段モードの私が魔王を演じるということもできる。
もっとも、その場合は「冒険者ミナト」の顔を知る者と会ってはいけないことになるのだが。
二人一役なら、かかる負担も減るだろう。
それが、エルミナーシュの提言だった。
「最初の仕事は、希望の村の住人の送迎か」
「おっと、簡単に考えてもらっちゃ困るぜ? せっかくなんだ、漂流民を保護したってことで恩を売るべきだ。その上で、魔王城の領海を設定する」
ボロネールが言った。
「領海の設定か。地球の感覚で言うと、絶対もめごとになるやつだ」
「この世界の感覚でも当然そうさ。その点、幽世には空間ってもんがないから気楽ではあったな」
「じゃ、戻る?」
「とんでもねえ! 油断すると自分の魂の境界があいまいになっていつのまにか他人の魂と融合してるような世界なんざもうごめんだ」
「イムソダはそうやって大きくなったんだよね?」
「ああ。一方、俺やグリュンブリンは、自分の境界を死守することで魂の強度を高めてきた。感覚としては、俺たちのありかたのほうが地上人には理解しやすいんじゃねえかと思うが」
イムソダが巨大な集合霊なら、グリュンブリンやボロネールはそれぞれ一個の妖怪みたいな感じかな。
「まずは、沿岸の海洋諸都市だね。
ああ、そういえば、セレスタで受けた依頼がそのままだったっけ」
海賊船の消えたキエルヘン諸島を調査してほしいって依頼のことだ。
ハリエットさん(セレスタ評議会の評議長さんで依頼人)も心配してることだろう。
希望の村の住人の中にはセレスタ出身の人もいるので、まずはそこから攻めてみようか。
「一難去ってまた一難、なんだろうなぁ」
今後の交渉の大変さを思うと胃が痛い。
いくら仮想のグラマス相手に乱取りして強くなったとはいえ、交渉ごとの重苦しいプレッシャーはまたべつだ。
(世界に散らばってテロリストみたいになっちゃってる魔族を説得したり、処断したりもしなきゃだし。しかも、これも国際問題だから。相手国とのハードな交渉になることまちがいなし)
魔族の説得・処断はグリュンブリンに、対外交渉はボロネールに、儀式や式典のたぐいはアーシュに投げよう。
自分はケツ持ちのヤクザよろしく、収拾のつかなくなったトラブルの現場に出向いて武力と魔力で黙らせる役だ。
(ああ……なんでこんなことになってんだろ)
私の嘆きをよそに魔王城は浮上を続ける。
魔王城の真下を中心に、渦潮を構成してた海水がすさまじい勢いで流れこみ、海は大しけになっている。
海は丸一晩荒れ続けた。
静寂を取り戻した海の上には、黒光りする巨大な城――魔王の最強の盾である魔王城エルミナーシュが、その姿を数千年ぶりに白日の下にさらしていた。
―『HAPPY LIFE 難易度変更で幸せ人生目指します!』第三部〈世界のへそ〉編・完―
to be continued...




