8 石化熱
もちろん、私があてにしていたのは門番の兵士である。
(シフトがちがうかな)
そう心配しながら行ったのだが、例の治癒魔法が使える門番さんはちゃんといた。
「あの⋯⋯」
「おお、昼間の嬢ちゃんか。どうした? まさか宿が取れなかったか?」
私のことを覚えててくれたようだ。
「いえ、馬小屋ですけどなんとか取れました」
「いまは人が多いからな⋯⋯身のまわりには気をつけておけよ?」
「はい。ありがとうございます」
私は昔から、ある種のタイプの人たちに、やたらと世話を焼かれやすい。
ありがたいこともあるが、かえって迷惑なこともある。
(自分はかわいそうな人を助ける側。あなたはかわいそうにも助けられる側。そんな態度の人はどこにでもいる)
苦しい人にマウンティングしてまで気持ちよくなりたいのだろうか。
べつの意味で哀れな人たちだ。
(そういう人は断ると恨んだりするし⋯⋯)
もっとも、目の前の門番さんは単にお人好しなんだと思う。
不幸生活のおかげで、私はそういう嗅覚だけは鋭いのだ。
「だけど、それならこんな時間にどうしたんだ?」
門番さんが聞いてくる。
「あの、この子を診てあげてくれませんか?」
私は、私の影に隠れていた男の子に目を向けて言う。
少年がぷいと顔をそらす。
その頬にある傷を見て、門番さんが顔をしかめた。
「坊主。おいで」
門番さん、しゃがみこんで少年に言う。
「大丈夫だよ。いい人だから」
私が念を押すと、少年は戸惑いながら前に出る。
「どれどれ」
門番さんが少年の頬に手をかざす。
やわらかな光が頬の傷を覆う。
私はあらためて少年の顔を観察する。
短く刈った黒い髪と、やや褐色の肌をした男の子だ。
よく見れば顔かたちは整ってるが、仏頂面と、手入れのされてない汚れた髪や肌のせいで台無しだ。
年齢は十二、三歳くらいだと思う。中性的な印象で、声変わりもまだのようだった。
傷は、ほどなくして治った。
「あ、ありがとう」
少年が遠慮がちにそう言った。
「なに、いいってことよ。それより、他にもあるだろう。見せてみろ」
「い、いや、その⋯⋯」
「男なんだから恥ずかしがるなよ」
「ぼ、僕は男じゃねえ!」
「「えっ」」
私と門番さんは揃って驚く。
「女の子だったんだ」
「そ、そうだよ! 悪いか⁉︎」
少年ーーいや、少女がふくれっ面で言う。
言われてみれば、顔の輪郭がやわらかい。
(ああ、そうか)
この子の置かれたような環境で、安心して女の子でいられるわけがない。
自衛のために男の子のふりをしてたのだろう。
「おお、悪かったな、お嬢ちゃん。服の上からでいいから、痛い場所を教えてくれ」
優しく言う門番さんに、少女、おずおずと背中を指す。
門番さんは少女に感触を聞きながら、ひとつひとつ傷を治していく。
(あれ?)
そこで私は気づいた。
(腕をかばってる?)
少女が左腕を隠そうとしてるように見えたのだ。
「左腕⋯⋯どうしたの?」
私が聞くと、少女はぎくりと顔をこわばらせた。
「そ、それは⋯⋯」
「隠すな。見せてみろ」
門番さんが、優しい声音で、しかし断固として言った。
少女が、しぶしぶそでをまくる。
少女の腕は、肘から二の腕にかけて、石のように固まっていた。
「これは⋯⋯?」
私は思わず門番さんを見る。
門番さんは難しい顔で言った。
「そうか⋯⋯石化熱にかかってるのか」
「石化熱?」
私が聞くと、
「知らないのか? 原因不明の難病だよ。身体の一部が、ある日、なんの前触れもなく石化するんだ。石化はゆっくりと拡がってく。肺や心臓、脳みたいな大事な場所にまで拡がると⋯⋯」
死ぬ、のか。
「⋯⋯治らないんですか?」
「基本的には、な。ゆっくり進行して命を奪う、悪魔のような病気だ」
私は思わず黙りこむ。
少女が言った。
「ふんっ。どうせろくでもない人生なんだ。さっさとくたばったほうが楽でいい」
少女のセリフに、返す言葉が見つからない。
私は、少女と父親の会話|(あれを会話と呼んでよければ、だが)を思い出す。
「⋯⋯あなたのお父さんは、その腕を見せて物乞いをさせてたんだね」
「なにっ⁉︎」
門番さんが弾かれたように顔をあげた。
「⋯⋯やめろ。僕をあわれむな。こうなるからいやだったんだよ!」
「あっ⋯⋯!」
制止する間もなく、少女が駆け出していった。
私は伸ばしかけた手を宙にさまよわせる。
(泣いてた⋯⋯)
強がっていても、あの子はまだ子どもなのだ。
ゆっくりと迫ってくる死が怖くないはずがない。
私はやるせなくため息をつく。
そんな私に、門番さんが言った。
「⋯⋯あの子とは深い知り合いなのか?」
「いえ、さっき会ったばかりです」
私は絞り出すようにそう答える。
「ーーそれなら、深入りしないほうがいい」
門番さんの言葉に、私は顔をはねあげる。
「⋯⋯どうしようもないんだ。これ以上は、きみが傷つくだけだろう」
「で、でも⋯⋯」
「残酷な話だとは思うよ。
でも、彼女のような子はたくさんいる。石化熱まで持ってる子は少数だろうけどね。それでも、まったくいないわけじゃない」
「⋯⋯⋯⋯」
私は言葉もなくうつむいた。
「きみの優しさは、あの子の精一杯の強がりを溶かしてしまう。あの子には、強がりが必要なんだ。身と心を守るための鎧としてね。中途半端にかかわるのは、かえってあの子を苦しめる」
門番さんの言いたいことは、私にはよくわかった。
(私も、同じだったから)
地獄のような毎日だと思っていた。
でも、私の「地獄」なんて、あの子からしたらなんでもない。
「きみが、心を痛める必要はない。俺も、あの子のことは気に留めておく。傷を治すくらいならいつでもやろう。
でも、石化熱は治せない。それこそ、コカトリスの嘴でもない限りはね」
「⋯⋯コカトリスの嘴?」
「ああ、この国の王子様が石化熱だって話はしたろ。それで王様は賞金をかけてコカトリスの嘴を探してるんだ。
で、この街のそばにできたダンジョンの奥に、石化魔獣コカトリスの巣窟が発見された。
それを目当てに、この街に一獲千金狙いの冒険者どもが集まってきてるってわけさ。王様のかけた賞金があれば、一生遊んで暮らせるからな」
「コカトリスって、強いんですか?」
「強いというより、厄介なモンスターだよ。なにせ、睨まれただけで石化する。
もっとも、それだけだとコカトリスが仲間に見られただけでも石化しちまうから、コカトリスには石化を無効化する器官があるらしい」
「それが、嘴?」
「ああ。
といっても、コカトリスを倒して嘴を折ってこればいいんじゃないぞ?
レアドロップアイテムとしてコカトリスが落とす、ドロップアイテムとしての『コカトリスの嘴』じゃないとだめなんだ。
近づくだけでも苦労するコカトリスのレアドロを狙うなんて、とても正気の沙汰じゃない」
「それでも、取ってこようって人がいるんですね」
「毎日骨折り仕事に励むくらいなら、石像になる危険を冒してでも一獲千金を狙いたいってやつらはどこにでもいるさ」
門番さんが肩をすくめる。
「嬢ちゃんも、その歳で一人旅なんてしてるくらいだ。事情があるんだろうが、変な気は起こすなよ?」
「それは⋯⋯まあ」
私はあいまいに言葉を濁す。
「それより、宿がないって言うなら、教会に相談してみるといい。簡単な仕事と引き換えに、ちょっとした寝床くらいはあてがってくれるだろう」
「教会、ですか?」
「冒険者教会だよ。嬢ちゃんも女なら、祝福を受けさせられたろ?」
(祝福⋯⋯)
レイティアさんが言ってた言葉だ。
祝福があるからゴブリンの子ができるおそれはないと。
「おいおい、受けてないってのか? 最悪のことなんて想像したくもないかもしれんが、そういうことほど往々にして起こるもんだからな。悪いことは言わん、やっとけ」
(そんな、予防接種感覚で勧められてもなあ)
本当に、ろくでもない世界にきてしまったものだ。
「しかし、冒険者教会に行ったことがないとはな。
それじゃあ、旅人保険にも入ってないし、ドロップアイテムの買い取りもできないし、そもそも適正検査もやってないってことだろ。
どうやって旅してきたんだ、嬢ちゃん」
ヤバい、門番さんが不審そうにしてる。
「そ、その⋯⋯遠くからやってきたもので」
「まあ、詳しくは聞かないけどよ。この街に入るのだって、門番が意地の悪いやつだったら大変だぞ。教会の仕事なんて野草採取くらいを適当にやっとけばいいんだからさ。とりあえず、入っとけ」
「さ、参考になります」
なんとかその場をごまかして、私は売られた仔牛亭|(の馬小屋)に戻ったのだった。