110 遭難したんです、そーなんです
「い、いえ、ですが、キエルヘン諸島には、『へそ』へと至る手がかりがあるはずなんです」
私の呆れ顔を見て、アルミラーシュさんが慌てて言った。
「手がかり? それはどういうものなの?」
「だって、おかしいじゃないですか。へそに魔王立万物館があるなら、古代の人はどうやってへそに出入りしていたのか」
「そりゃそうだね」
「長く生きている魔の者たちの伝承では、万物館はもともと海底にあったそうです。その海底と行き来するための施設がキエルヘン諸島にはあったはずなんです」
「万物館が海底にあった、か。
でも、ふつうそういう記念施設って人の訪れやすいところに作るんじゃない? なんだってそんな行きにくい場所に……」
しかも、海底だったはずの場所を中心に巨大な渦潮が生まれてる。
ひょっとしたらだけど、渦潮の中心は海底が露出してるんじゃないか。
そんな場所にあるという魔王立万物館にいったい何が遺されているのか――魔族ならずとも興味はわくね。
「わかりません。禁忌となる知識を遺したと言われていますが……。地上にあっては不都合なものが遺されているのではないでしょうか」
魔族は、彼らの主張によればもともとは地上にいたってことになる。
だから、魔の者が肉体を持って魔族となったというよりは、本来の姿に戻ったというほうが正確だ。
もちろん、その過程で地上人の身体を乗っ取ったりしてるのは問題なんだけど。
「魔王が海底に、隠すように遺した万物館か。その後、魔族は肉体を失って幽世に住む魔の者となった」
「はい。ですが、そのとき本当は何があったのかはわかりません。
ただ、魔の者たちは地上人に陥れられ、肉体を奪われて幽世に追いやられたという強い怨恨感情を持っています。
厄介ですね、もはや原因はわからないのに、怨みだけはたしかに残ってるというのは……」
「万物館に行けば、そこらへんの真相がわかるかもってことか……」
とはいえ、万物館があるというのは巨大渦潮の真ん中だ。
「あの……ここにきた舟で行くことはできないのでしょうか?」
アルミラーシュさんがピンボケしたことを聞いてくる。
「あの舟は、沖合に停泊した船と港のあいだを往復するための舟で、外洋航海なんてできないよ。
それに、もし渦潮に乗ってへそに到達したとしても、帰りはどうするの?」
「あっ……」
「渦潮に逆らって外に出るなんてのはとても無理だよ」
「で、でも、ミナトさんの魔法なら……」
「私だって無尽蔵に魔力があるわけじゃないからね。渦潮に逆らって何キロも舟を進めるのは無理だよ。そんなことして、途中で舟が壊れたりしたら大変だし」
「そ、そうですか……すみません、いまだに地上の『距離』という概念に慣れなくて……」
「幽世に距離はないもんね」
そういえば、と私は思い出す。
霧の森での事件の時に、私は遠く離れたロフトのダンジョンとのあいだにワープゲートを作ることに成功した。
ダンジョンマスターである夢法師の力もあってのことだけど、古代の魔王が似たような技術を持ってた可能性はある。
なにせ、海底に万物館を作ってしまったほどなのだ。
海底とのあいだにワープゲートを作るくらいのことはできても不思議じゃない。
(そのワープゲートの一端がキエルヘン諸島のどこかにある?)
可能性はありそうだ。
もっとも、
(キエルヘン諸島は三十五も島があるんだよね)
なかにはこの島より広い島もあるだろうし、何のヒントもなく探し当てられるとは思えない。
その夜は、アルミラーシュさんとよもやま話をしながらすごした。
アルミラーシュさんに見張りはできないので、結局明け方まで私だけが徹夜で周囲を警戒した。
眠気には弱いほうだと思ってたんだけど、盗賊士のグラマス加護のおかげか、思ったより頭はちゃんとしてる。
そのおかげで、遠く水平線のかなたから近づいてくる船影を見つけることができた。
「よかった。捜索に来てくれたんだね」
きっと、オケアノスたちから逃げ切った艦長さんが、私たちを捜索する船を派遣してくれたのだ。
(あれ? でも、オケアノスとクラーケンはどうしたんだろ?)
アルミラーシュさんを狙ってたとはいえ、私たちが逃げ切った以上は、近づいてくる他の船を狙わないはずがない。
「アルミラーシュさん、起きて」
「う、ううん……ふぁ、この『眠気』というものにはなかなか慣れません……」
「大丈夫、それは私も苦手だから。
それより、迎えの船が来たみたいだよ」
「では、その船でなら『へそ』へ……?」
「いや、それは無理じゃないかな。悪いけど、へそへ行きたいなら相当な覚悟と準備が必要だよ。いったんセレスタに戻ったほうがいい」
「そ、そうですか……わかりました。わがままを言ってすみません……」
さすがに、自分の都合で私を振り回してしまってる自覚はあったようだ。
私たちは砂浜に出て、近づいてくる船に目を凝らす。
船のへさきには、見覚えのある姿があった。
ガラの悪そうな赤毛の男と、二メートル近い背丈の女戦士。
ジットさんとイシュタさんの冒険者姉弟だ。
二人はこっちに気づくと手を振ってきた。
私も二人に手を振り返す。
そこで、二人が一度引っこみ、べつの人影とともにへさきに戻ってくる。
金の縁取りのある青いブレストプレートを陽光に輝かせ、白いフレアスカートを潮風にたなびかせる、金髪碧眼の美女だった。
背中には精緻な装飾の施された長大な槍がある。
彫りの深い顔立ちの美女は、にこりともせずにこっちを睥睨する。その雰囲気はまさしく突きつけられた一本の槍。なかなかの迫力だ。
「誰だろう? 戦乙女って感じだね」
私がそう言って振り返ると、アルミラーシュさんは青い顔になって砂浜を一歩二歩と後退していた。
「ぐ、グリュンブリン……っ! どうしてこんなところに……」
「知ってる人?」
蒼白になってるアルミラーシュさんに、私はまだのんきな声でそう聞いた。
だが、彼女の返事を聞いて、私の顔からも血の気が引く。
「……征旗のグリュンブリン。彼女は……四天魔将の一人です」




