101 朝駆け
イシュタさんとジットさんの姉弟と話した翌朝、私はセレスタの中心街にあるそこそこ綺麗な宿で目を覚ました。
お金はあるけど、だからって街いちばんの高級宿に泊まったりするのは気が引ける。
かといって、安宿では安心して寝つけない。
結果、一流と二流のあいだかなくらいの、煉瓦造りの瀟洒なホテルに泊まったのだ。
まずまず清潔にされてる部屋で顔を洗い、着替えをして、ホテルのレストランで朝食をとった。
私が朝食を平らげ、食後のお茶をいただいてると、私が食べ終えるのを見計らったかのようなタイミングでウェイターさんが話しかけてきた。
「お食事中失礼します。ミナト様ですね?」
「そうだけど」
「お客様がお見えです」
「ええと、冒険者の姉弟かな?」
「いえ、セレスタの評議会のかたです。至急お話がしたいと」
「ふぅん?」
用件の見当はつく。
(ジットさんの言ってた通りになったね)
「わかった。いま行くよ。いや、来てもらったほうがいいのかな」
「テーブルを片付けさせますので、待っていていただければ」
ウェイターさんに言われ、待ってると、ウェイターさんが上品な中年女性を連れてきた。
紫色のカジュアルめなドレスを着た、ダークブラウンの髪と青い瞳の、すらりとしたマダム。
「ごめんなさいね、こんなに早く」
「あ、どうぞ。座ってください」
「ありがとう」
と言ってマダム、実に優雅な動作で椅子に座る。
ウェイターさんがお茶を淹れてくれるのを待ってから、マダムが言った。
「まずは自己紹介よね。わたしはハリエット・シャルダン。シャルダン貿易商会の会長で、この街セレスタの評議会で代表を務めさせてもらってるわ」
マダムの言葉に驚いた。
「あはは……もしかして、この街のトップのかたですか?」
ウェイターさんが「評議会のかた」って言うから、下っ端だと思うじゃん!
「名目上はそうね。もっとも、セレスタ評議会では議員に格の上下はないの。外のかたにはなかなか理解してもらえないのだけど」
ハリエットさんが頬に手を当ててそう言った。
(内閣総理大臣っていうより、衆議院の議長みたいな感じかな)
とりあえずそう理解しておこう。
「ご存知みたいですけど、私はミナトです。
それで、ご用件のほうは? お急ぎなんですよね?」
「そうなのよ。困っちゃうわ」
ちっとも困ってなさそうにハリエットさんが言う。
「ミナトさんは、ここに来る途中でサンドワームを倒してくれたのよね?」
「ええ、まぁ」
「すごいのね。その歳でそんなに強いなんて。わたしも一度だけサンドワームを生で見たことがあるけど、とっても大きいじゃない?」
「は、はぁ……とっても大きいです」
なんとなくボケた返事をしてしまう。
(なんか調子狂うな、この人)
肩書きからするとやり手なんだと思うけど、とてもそうは見えない。
話が進まなそうなので、私のほうから質問する。
「それじゃあ、私に会いに来たのは、サンドワーム退治を依頼するためですか?」
ところが、ハリエットさんは首を振った。
「それも検討したんだけど、そっちはセレスタとギルドの戦力でなんとかなりそうかなぁって。
どうにもならないのは、むしろ海のほうなのよね」
ああ、なるほど。
「海のほう、とは?」
「またまた、聞いてるんでしょ? キエルヘン諸島周辺に未確認のモンスターがいるらしくて、軍艦も近づけなくて困ってるって」
「……ええと、なんで私が知ってると思うんです?」
「昨日、ミナトさんがお昼を食べたレストラン、うちの商会の直営店なのよ」
「人がいないことは確認したと思うんですけど」
「うふふ……それは、ひ・み・つ」
そう言ってウインクするマダム。
いい歳のはずだけど、どこかあどけない印象があるせいで妙にチャーミングだ。
だけど、言ってることはちっともチャーミングじゃなかった。
「ごめんなさいね。評議会もかなり混乱してて。
――なにせ、評議会の議員の数人に魔の者が憑依して、密室で謀議してたことが発覚したものだから」
「は、はぁっ!?」
おもわず声を上げてしまう。
そんな私に、ハリエットさんはにっこり微笑みながら言ってくる。
「ところで、わたしは商売柄お友だちが多くてね。みなさん、いい人たちでありがたいんだけど……」
「えっと……?」
急な話題の転換に首をかしげる私。
「ミストラディア樹国にいるお友だちがね、つい先日伝書鳩で気になることを伝えてきたの。霧の森に『魔族』を名乗るものたちが現れた、と。さいわい、通りすがりの冒険者さんの活躍でことなきを得たらしいんだけど」
「あ、あはは……」
冷たい汗をかく私にとりあわず、ハリエットさんが続ける。
「樹国の中枢近くにも、魔族の仲間とおぼしいものが紛れこんでたそうで、いまはその狩り出しに必死なんですって。
そこで、わたしもセレスタで似たようなことが起きてないか調べてみたら――」
「魔族が評議会に潜りこんでた、と」
「まったく、困っちゃうわよね。サンドワームとキエルヘン諸島の問題もあるのに。
それとも、この二つの出来事も魔族とつながってたりなんかするのかしら?
ミナトさんならもしかしてなにか知ってるのではないかと思ったのだけど」
一瞬、鋭い目になって、ハリエットさんが言った。
(この人、怖っ! ほとんど真相つかんでるじゃん!)
私は動揺を隠すためにお茶に口をつけ、気を落ち着けてから答える。
「さぁ、わかりません。可能性はありそうですけど」
イムソダは、「四天魔将」とかいうなにやら物騒な役職を名乗ってたみたいだし。
(イムソダくらい力のある魔族が、あと三人は残ってるってことだよね)
私の鋭い読みでは、イムソダはどうせ、四天王では最弱で、四天王の面汚し的なポジションのはずだ。残りの三人はもっと強いと思われる。
「でも、ダンジョンでもないところにモンスターを沸かせるなんてことができるのかどうか。サンドワームの出たところとキエルヘン諸島じゃ遠すぎますしね」
「そうなのよねえ。ただ、まるでセレスタを包囲しようとしてるみたいに思えたものだから、気になっちゃって。魔族がセレスタを狙う理由はあるかもしれないけど、狙い撃ちにする理由まではないはずでしょう?」
「たしかにそうですね」
セレスタは海洋諸都市のなかでも有力な貿易都市だっていうけど、随一の都市ってわけじゃない。
地図を見た限りでは、他の諸都市と比べて格別に立地がいいってこともない。
「それでもう、わたしもやもやしちゃって。捕まえた魔族たちは『魔王陛下に栄光あれ!』なんて叫んで死んじゃったし」
「ま、魔王、ですか?」
まぁ、四天魔将なんていうのがいる時点で、その上に『王』がいるはずだってことはうすうす察してたけど。
(まさか本当に魔王がいるとは)
「サンドワームのほうは、調べた限りでは一過性の事件だったみたいなの。サンドワームが大量に繁殖してるとか、ダンジョンの口が開いてるってことはなさそうな調査結果だったわ。もちろん、まだ断定はできないけど」
「それはよかったですね」
「ええ。でも、魔族や魔王なんて言われたら気になるじゃない?」
「そりゃそうですよね」
気になるどころじゃ済まないよね。
「サンドワームのほうに魔族の動きをうかがえるような手がかりはなかった。となると……」
「キエルヘン諸島のほうですか」
「もしかしたらそっちもハズレかもしれないけど、他に手がかりがないものね」
ハリエットさんがうなずいた。
(なるほど……)
話は吞みこめた。
「もちろん、とっても危険なことを頼むんですもの。報酬はできる限りのものを用意させてもらうわ。たとえば、この小切手に好きな金額を書いてくれても構わないし」
いきなりポーチから小切手を取り出し、テーブルに置くハリエットさん。
(こんな演出をリアルで見ることになるとは……)
でも、私はお金には困ってない。
「あはは……お金で命をかける気はないですよ」
「あらあら。じゃあ、なにがいいかしら?」
小首を傾げるハリエットさん。
「そもそも、まだ引き受けると決めたわけじゃないですし」
「そうなの? ザムザリアでは病気の女の子を助けたって聞いてるわ。霧の森ではイムソダと名乗る魔族と戦ったとも」
(うわ、そこまで知ってるんだ)
この人怖すぎ。
「私はべつにお人好しなわけじゃないですよ。ただ、見過ごせなかっただけで」
「うーん……困ったわね。
ミナトさんは、いまはお急ぎなのかしら? セレスタからどこを目指されるおつもりだったのかしら」
「急ぎってほどでは。とりあえずここまで来たからには海かなってくらいで」
「じゃあ、いずれにせよキエルヘン諸島の近くを通ることになるわ。
だったら、こういうのはどうかしら。ミナトさんには、あくまでも旅のついでにキエルヘンの様子を見てもらう。そのときなにもないようだったら、ミナトさんはそのままセレスタを去ってしまって結構。その場合でももちろん報酬は払うわ。青天井で、とは言えないけれど」
「なにかあった場合は?」
「なにかあった――いえ、ミナトさんが見過ごせないと思うなにかがあったら、ということだけれど、その場合は、ミナトさんがあなた自身の判断でその『なにか』をなんとかしてもらう」
「うーん……」
どっちにせよ海路は使う。
ホテルの人に聞いたところ、今の季節は貿易風の関係でキエルヘン諸島近海を通る西廻り航路しか使えないらしい。
だから、本来の旅の行程を、ちょっとだけ逸れて問題がないことを確認すればいい。しかも、問題があるかないかの判断は、私の良識と良心に任せるってわけだ。
「報酬は?」
「なんでもいいわよ。セレスタにできる範囲で、だけれど」
ハリエットさんがすこしほっとした顔で言った。
そのハリエットさんに、私は言う。
「――じゃあ、島をください」




