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冥界の王  作者: 久土久
2、夢の中
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球の少女


「この場所は実に不思議ですね」


 到着地点を確認してすぐ、シルヴィアはそう呟いた。声に動揺が見られない。この訳の分からぬ事態にも適合している。


 横穴は進めば進むほど壁面が捻じれ足元が歪になり、現実感が薄れていった。そんな曲がりくねった道をしばらく進むと突然周囲が明るくなった。眩い光に包まれた何も無い空間。後ろを振り返ると今来たはずの横穴が消えてしまっている。突然の景色の変化に驚いたリリィがレーヴの懐に隠れた。レーヴは彼女に気を払いながらも周囲への警戒を怠らない。


「シルヴィアさん、貴方……見える人ですね」


 レーヴの指摘にシルヴィアは表情を曇らせた。目が泳ぎ動きが緩慢になる。言うべきか言わざるべきか迷っているのだろう。

 しかし彼女の迷いはそれほど長くはなかった。兵士として能力の虚偽申告を避けたようだった。


「私の家は古には呪術を生業としていました。貴方と同様に」


 シルヴィアの打ち明けにカノンは驚いた顔をしていた。同僚には誰にも話していなかったか、あのちょび髭にもまず話していなかったことだろう。言っていれば変に疑われたことだろうから言わず正解であったが。


「今はただの百姓にすぎません。ですが時々私のように先祖返りをする者がいるようです」

「は~、それはまた難儀な」

「ええ、こんな力があっても何にもなれません。とうに家は途絶えて、何も残っていない。……貴方は凄いですね。今の時代でも呪術を生業に出来るなんて」


 皮肉のような話しぶりであるが、彼女の言葉から伝わるのは純粋な尊敬の念のみだ。確かに呪術は時代遅れの技術だった。魔術ですらより進化して、本来の使われ方をしていない。かつてあった術者の家は、その多くが途絶えている。シルヴィアは僅かに眉尻を下げて、自身は見えるだけなのでさしたる力にはなれないと言い添えた。


「貴女、それで……普通じゃ見えないものが見えるから時折物陰で独り言を言っていたの?」


 カノンの問いかけに今度はシルヴィアのほうが驚いた顔をした。あからさまに目を反らして気まずそうにしている。


「参ったな、見られているとは思わなかった」

「団長も心配されてらっしゃたわ。急に挙動が怪しい、何かに憑りつかれたんじゃないかって」

「ここ最近、そういう普通なら見えない者が増えたんだ。変なところで暴れたら困るから、説得に応じそうなのは声をかけていた」

「……何か強い魔が入り込んだのかもしれませんね。そういうことはよくあります」


 女性二人の話に相槌を打ってレーヴは一人事の次第を納得していた。彼の中でおおよそ今の事態が呑み込めてきた。


「弱い者は強い者に引き寄せられる。魔の集うところには魔がより集まる。その辺は人と同じです。人の多い街に物も人も集まる。もしかしたら夢魔も何かに引き寄せられたのかもしれないな」


 レーヴは不意にある一点を見据えた。歩き続けていた足を止めたのを見て、後続の二人も立ち止まる。レーヴは領主の前で夢魔の抜け殻を現したのと同様に宙へ線を引いた。彼がその線を手で払うと同時に白い空間へ再び色が戻る。絵具で描かれた色とりどりの木々が生い茂り、歪んだ木の枝からアンバランスにも妙に写実的なブランコが揺れている。

 ここは夢の中だ。彼女の心の琴線に触れたものだけが存在している。絵具など高価な道具を与えられているのはさすがは領主の娘である、といったところか。


「ここは……」

「どうやら本丸みたいですね」


 歪んだ木の奥に家がある。ブランコ同様に現実感のある触れられる幻だ。レーヴは迷わず家の取っ手に手をかけた。家の中も奇妙な景色が広がっていた。

 扉を開いた先には広い部屋が一つだけ開けている。部屋の中央には巨大な球体が浮かんでいる。ちょうど人一人の大きさだ。球体の表面は滑らかで、周囲の景色を映していた。


 球体の周囲を衛星のように四角い紙が周回しながら浮遊している。よく見れば紙には何か書かれていた。目を凝らして見ればそれが人の絵だと分かった。先程襲いかかってきた落書き達だ。攻撃を受けたせいだろうか、どの絵も絵具が滲んでしまって、四角い紙の中で蠢いている。


「あ、いましたよお二方。夢魔です」

「えっ、どこですか!?」


 事もなげにそう告げたレーヴを、二人がそろって注視した。レーヴは無遠慮に家の中へ入ると躊躇いもなく部屋の隅で屈み込み、よっこらしょと掛け声と共に何かを抱えあげた。


「ほーら、可愛いでしょう。こいつはまだ成虫になりたてですね」


 レーヴの腕の中で1匹、謎の生き物が震えている。全身を白い毛で覆われているが、手足は昆虫である。複眼を持ち、羽根を震わせている。


「え、お待ちを呪術師殿っ、そんな気軽に抱えて、危なくないのですか!?」

「なんで?」


 あまりにも無造作なレーヴの動きにカノンもシルヴィアも慌て出した。口をはくはくと動かし何と言っていいものか探している。


「だってこいつはエリーゼ様を深い眠りに落とした張本人でしょう!?」

「張本人っちゃ張本人ですけど、そういう生き物なだけですし。害もそこまでじゃありません。第一、寄生者が招き入れないとこいつはここまで深い夢の中には入れないんですよ」

「……どういうことですか?」


 話の途中で部屋の球体が光を放った。三人の目が同時にそちらへ向く。


「その子を連れていかないで」


 球体の表面に歪みが生じる。ねじれて凹凸が現れ、人の口になった。口が動き出して言葉を綴る。


「お願い。大事なお友達なの」


 レーヴの隣でカノンが息をのんだ。あまりこういった事態に慣れていないのだろうか。幻獣は希少な生き物だ。一生涯出会うことのない者だってざらにいる。逆にシルヴィアは落ち着いたものだ。彼女は幻獣に近いものをいつも目にしているのだろう。


「どういうことでしょう。なぜエリーゼ様のお声が、あの球体の怪物から」

「怪物とおっしゃっていいんですか? あれは夢の中でのエリーゼ様ご本人ですよ」

「あれが?」

「そう、あれがです。夢の中は持ち主の記憶が元になってることが多いんですが、しかし自分ってそもそも鏡に映さない限り外見が見れないでしょう? 記憶の中に自分の姿は当然どの人もいないですから、ああやって曖昧な形になるんです」


 レーヴは一歩前に進み出て、球体、エリーゼと対峙した。見知らぬ男が接近して彼女は少し怯えたようだった。一瞬の震えの後に、周回していた落書きの衛星がその速度を速めた。


「この夢魔が友達とはどういったことでしょう。宜しければ訳をお聞かせください」


 一歩進み出た所で止まったレーヴの姿を、エリーゼが警戒した様子で観察してくる。レーヴの肩ではリリイが心配そうに様子を伺っている。

 エリーゼはしばし黙ったまま迷って、ようやく再び口を開いた。


「村でお父さんと一緒に畑を耕して、それから街に行く筈だったの。けど私一人だけここに連れてこられたの」

「……お二方、エリーゼ様は領主様の娘様ではありませんでしたか?」

「その、筈です。ただ、エリーゼ様は領主の館で生まれ育った訳ではありません。数か月ほど前に領主様が連れておいでになられました。なんでも、宿下がりされたままご逝去されたご側室のお子様だと」

「なるほど、なにやら裏がおありのようですね」


 レーヴらが小声で会話を交わし合ってもエリーゼは気にした様子はなかった。レーヴが向き直ると話を続けた。


「お屋敷は怖い人ばっかり。お父様はお父さんじゃないのに、お父様って呼べって怒鳴るし、私に会いに来たっておっしゃる大公様も、私のことをなんだか怖い目で見てくるの。近づくとすごく息が荒くて、怖くて、それにちょび髭の人も大公様と同じ目をしてる」

「ははっ、聞きましたかお二方。あの人嫌われてますよ。ざまぁ、ははっ」

「呪術師殿、そう意地の悪い事をおっしゃっらないで下さい」

「いえ、すみません。話を戻しましょう。それで……君は怖い人にばかり囲まれたわけだ」

「うん。だから毎日逃げられるところを探して、でもなくて。お部屋のクローゼットに隠れて泣いてたの。そしたら」

「夢魔が現れたわけだ。それから君はこの生き物と心を通わせた、と」


 レーヴは浮かんでいる落書きに目を向けた。よく見れば落書きには夢魔の姿も見られる。比較的綺麗な紙で描かれているのが夢魔、そしてもう一人男の姿が見えるが、あれが彼女の父親だろう。描かれているのは夢魔と父親と彼女と三人の姿が多い。


「その子はずっと私と一緒にいてくれたの。私が泣いてたら、すごく心配してくれて、一緒に泣いてくれて、怖い人が来たら追い払おうとしてくれたの」

「人には夢魔の姿が見えなかったでしょうから、こいつの奮闘が誰にも伝わらなかっただろうことが悔やまれますね」


 レーヴの腕の中で夢魔がにわかに羽根を震わせた。自分の健闘を称えてくれとでも言いたいのかもしれない。そこまではレーヴも推し量るしかないのだが。


「しかしお嬢様、こいつは夢魔です。どんなに仲良くなろうとも、いつかはお別れしなくちゃなりません。こいつにはこいつで行く所があり、お嬢様はお嬢様でそろそろ夢から覚めて元気にご飯を食べないと死んじまいますよ」

「嫌……」

「そこをどうにか」

「嫌、いや、いやっ!! 絶対にお別れなんかしたくない! 私はその子と、ずっとここにいる!」


 少女が激高した。落書きの衛星が今までにない速さで周回し、ぴたっと停止した。停止した紙の落書き達が、一斉にレーヴを見た。そして、紙の中から雪崩のように、歪んだ人体が押し寄せてきた。

 

「危ない!」


 レーヴがそれを避ける前にカノンとシルヴィアが立ち塞がり銃を構えた。二人の銃が魔法陣を回転させ、落書き達に光の塊を撃ち付ける。光は彼らの勢いを削いだが、あふれ出る落書きの勢いは絶えることがない。

 

「お二方、火を使って下さい。元は紙だ。簡単に燃えてなくなる」

「ですがっ、そんなことをすればエリーゼ様が!」

「問題ありません。彼女にとっては全て夢の中の出来事です。夢の中で何があろうと起きれば幻だ!」


 委細承知した二人は装備していた銃を持ち替えた。手のひらに収まるサイズのリボルバーがリロードの要領でやはり高速回転する。レーヴはこの銃のことには詳しくないが、リボルバーの動作には目を瞠るものがあった。魔言銃と言っただろうか。王都付近で開発されているとは時の噂で聞いたことがあるが、思っていたよりも開発が進んでいるようだ。そして彼女達の持っているこれはもしやあのちょび髭が持っている銃より高性能なのではないだろうか。


「事情は知らんが、憂さ晴らしには使えそうだな」

「呪術師殿っ? 放ちますよ! 避けて下さい!」


 こんな場面で呑気に独り言を呟くレーヴを、シルヴィアが焦った様子で退避させた。リボルバーの回転はより一層早く、速度が極まると回転部分が消失した。いや、消失したように見えるほど、人の目には映せない速度に達したのだ。兵士二人はその瞬間と同時に、引き鉄を引いた。


発火(ファイヤー)!!」


 ごうぅんと、その場にいる者の耳に内側から鉄球で打ち壊されようとするかのような感覚が走った。リリイが「ぴぃっ」と小さく叫んで両耳を抑える。放たれた炎がその場に存在する空気を根こそぎ燃やして空気圧を変えていたのだ。炎はそのまま落書きに突進し、エリーゼを巻き込んで燃え上がった。


「エリーゼ様!!」

「問題ありません。ほら、よく見て下さい」


 炎が収まると消し炭となった紙の名残りがぽろぽろ床に崩れ落ちる。消し炭の中央でエリーゼが紙の衛星を全て失った姿で浮かんでいる。


「あ、やばい」


 ぼそっと呟いたレーヴの言葉に思わずシルヴィアもカノンも振り返った。その挙動がよりいっそう悪い目を出してしまった。一枚だけ、炎に触れなかった紙が残っていた。紙の中から落書きが一体飛び出してくる。その落書きは二人が隙を見せるのを見計らって彼女達の真横を掻い潜る。そして、レーヴに向かって腕を振り上げた。


「主様に触るな!」


 レーヴの肩で戦闘の轟音から耳を塞いでいたリリィが両腕を広げて落書きとレーヴの間を遮った。同時に、金色の輪が二人を包み込む。華奢な飾り細工のような金の輪は、見た目に強さはなく、触れればすぐに壊れそうに見えた。落書きの力と勢いは凄まじく、華奢な金細工等一瞬で砕いてしまう、ように思われた。

 落書きが金の輪に触れた瞬間、触れた先から落書きが消滅した。後には塵一つ残っていない。


「す、すごい」

「へっへ~ん! こういうの相手になら負けないんだから!」


 自慢げに棒のような胸を張るリリィ。茫然と目を見開いたまま固まるカノン。何か思案する風のシルヴィア。そしてレーヴはそんな三人を複雑そうな目で見比べていた。


「どうして意地悪するの? 私はその子と隠れていたいだけなのに」


 悲しみと憤りで震えた声が聞こえた。エリーゼは球体の表面を複雑に変化させている。凹凸と捻じれが彼女の心をそのまま表しているようだ。


「そんなにお外は怖いですか?」


 レーヴの問いにエリーゼは答えない。ただ球体が少し上下に揺れた。頷いてみせているつもりなのかもしれない。頷いた後で球体が傾く。俯いているのだろう。


「ならば俺が外を怖くないものに変えて差し上げましょう」


 俯いていたエリーゼが面を上げた。彼女の表面に不安と疑問と微かな希望。藁にも縋る気持ちが現れていた。


「だからこいつのことは諦めて下さい。そうですね……こいつだって、帰りたい家があるんですよ。エリーゼ様と同じように」


 それはきっと方便だと、大人ならば分かった。だがエリーゼは子供だ。騙されやすい。いや、子供だとしても彼女にはうっすら目の前の不審な男が本当のことを言っているのではないことは感じ取った。だが、それ以上に、彼女の大事な友人が、どこかへ飛び立ちたがっていることに薄々気付いていた。

 本当は全て分かっていたのだ。友達といつか別れが来ることを。レーヴに抱えられたままの夢魔をエリーゼは見つめた。この小さな夢魔は彼女の我儘にずっと付き合ってくれていた。


「わかった……その子をお願い。絶対、絶対に傷つけないで」

「もちろんです。約束致しましょう。……俺は約束を守る男ですよ。絶対に」


 不意にエリーゼの姿が霞みがかった。徐々に消えていく彼女にカノンが慌て出す。


「呪術師殿っ! エリーゼ様が!」

「問題ありません。目覚めの準備に入っただけですよ。もうしばらくすればこの夢も覚めるでしょう。さ、帰りましょうか」

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