表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冥界の王  作者: 久土久
2、夢の中
7/17

穴の底

 夢の中へと吸い込まれた直後、レーヴは一人になった。


 彼を連行した筈の兵士は両脇にいない。先頭となって突っ込んだゲートルリヒの姿も見えない。光の存在も曖昧な景色の中を、水中で沈むが如くぼんやりと落ちていった。


 ふと、彼が頭上を見上げると人影が見えた。領主の館にいた人物ではない。あの場にいなかった誰か。朧げな姿が徐々に輪郭を定めていく。その姿を目にした途端、レーヴの表情が思い切り険しくなった。


「やはりお前か……ヘレ」


 浮かび上がったのは女の姿だった。美しい、艶やかな女だ。裸身を白と黒の二色に分かれた道化のような衣が包んでいるものの、布面積が僅かなため白磁のような肌が惜しげもなく晒されている。首から下げられた鈴は、彼女が揺らめく度に怪しげな音を響かせた。


「愛しいお前様。そう邪見になさいますな。(わらわ)とお前様の仲ではございませんか」

「何度でも言ってやる。俺はお前の亭主じゃあない」


 ヘレと呼ばれた女は構わず嫣然と微笑みを浮かべて、レーヴの肩へ腕を回す。レーヴは動けないのか、それとも動く意味がなかったのか、彼女にされるまま黙って睨みつけている。


「いいえお前様、何度妾を拒絶しようと無駄なこと。――そなたこそいい加減諦めることを覚えよ」


 へり下り甘える声が、途中で愉悦と威圧に満ちたものに変わる。ヘレの長く研がれた赤い爪が、レーヴの首筋に添えられた。それでもレーヴは眉間の皺を深くするだけで動じることはない。


「兵の中にお前の家畜が紛れているだろう。誰だ」

「おやまぁ、気付いておりましたか」

「お前の香は匂いがきつ過ぎるんだよ」


 レーヴの物言いにヘレは機嫌を損ねることなく、むしろこの上ない喜びをもって応えた。くすくすと彼女が笑う度に、胸元の鈴が揺れる。


「妾の匂いを嗅ぎ当ててしまう程に、妾を求めてくださるか。なあお前様」

「違う。断じて違う」

「けれどもお前様、謎は謎のまま。秘密は秘密のままに。おなごの秘め事は殿方が暴いてこそ蜜に変わるものでございましょう?」


 ヘレの指先がレーヴの唇に触れる。頬に触れた手が顎にかかる。ヘレの顔が瞼に触れるほど近く迫る。息を吹きかければ感じられるだろう距離。しかし彼女は息をしていなかった。


 触れた手は冷たく、とても血の通った生き物の体温からは程遠い。


「愛しいお前様。けれど憎い。憎くて愛おしい。愛おしくて、憎い。……決して、決して逃しはせぬ。必ず妾の元へ」


 ヘレの唇が触れた。恐ろしいほどに冷たい唇の感触が離れるのと同時に、彼女の姿は消えた。白と黒しかない暗い景色も消え失せて、眼前にはのどかな田園風景が広がっていた。






   〇






 レーヴはこの景色自体は知らないが何処なのか予測はついていた。始めに来るべきであった本来の夢の世界である。ヘレのせいで妙な場所に来てしまったが、夢の入り口から入ってすぐに本来はここへ至る筈だったのだ。

 ここが領主の娘の夢の中だ。領主の娘が見る夢にしては、やけに穏やかすぎる景色であるが。


「おいっ、貴様! 何を一人でぼやっと遊んでおる!」


 ゲートルリヒが彼方に立っている。どうやら他の面子は迷うことなくここにたどり着いたようだ。レーヴは念のためヘレの気配を探る。しかし先ほどまでいた女の影は完全に消え失せてしまっていた。だが、当人の気配は消えても家畜の匂いは残っている。


「いいえ、遊んでなんかいやしませんよ。こうね、見回りをしておりましてね」

「何でも良い! あれは何だ!? 説明せよ!」


 騒ぎ立てるゲートルリヒに呼ばれて近づけば、彼の指さす先に蠢くものがある。人のように二本足で立ち、目も鼻も口もある。しかし人ではない。目も鼻もあってもまるで子供の落書きのように歪んでおり、足の生え方も奇妙に捻じれている。


「あれはただの夢の住人ですよ。形はそれぞれですが、誰でも夢の中に一人や二人持ってるもんです」

「なんだ、では無害なのか」

「いいえ」


 子供の落書きが田園の小屋の中から無数に湧き出てきた。それぞれ手にノコギリやナイフを持ち、一斉に構える。


「寝ている当人には無害ですが、我々は生身ですからね。攻撃を受ければ普通に死にます」

「そっ、それを早く言わんか!! 者ども! 砲撃準備!!」


 青ざめたゲートルリヒが兵士らに命令を飛ばした。一列に並んだ兵士が銃を構えた。


「放て!」


 兵士がトリガーを引いた瞬間、魔法陣に集められた力が弾き出された。銃兵から一斉に魔法弾が放たれる様はなかなか壮観である。

 銃撃が止むと湧き出てきていた落書き達が皆、跡形もなく消えていた。


「はー、大したもんだ」

「そうであろう? 魔言銃を前にして敵う者などおらん」


 やたら自慢げである。この男はよほどこの銃にご執心のようだ。撃ち放した後の銃身を撫でる手つきがやたら気色悪い。目つきもうっとりと夢見心地である。


「あの小屋はちょっと怪しいですね。中を見てみましょう」


 ゲートルリヒはレーヴが声をかけるとはっと我に返った様子だった。そんなに好きなものかとレーヴは心底呆れた。ゲートルリヒはこほんと咳払いをするとふんぞり返って先にレーヴが指摘した小屋を指さして命じる。


「では貴様に先鋒を許す。疾く中の様子を伺って参れ」


 大仰に言っているが、とどのつまり囮か盾になれと、そういうことである。


「ワーイ、ウレシイナーガンバルゾー」


 レーヴは本音が出そうになるのを堪えつつ、元の調子で小屋へと近づいた。

 小屋の中には小屋らしい内装が存在していなかった。一歩中に入ると巨大な穴がぽっかりと空いていて、穴の淵には御丁寧に梯子がかかっている。梯子を降りた先に、おそらく何かあるのだろうことが容易に見て取れた。


 「この梯子、降りてみましょう。下に生き物の気配がします」


 ゲートルリヒはレーヴの言葉に顎をしゃくって答えた。やはり先にいけということなのだろう。レーヴは仕方なく、一人で梯子を降りていった。






   ○







 梯子の終点は暗闇に包まれており見えない。梯子をしばらく降りて暗闇を見て取ったレーヴは、おもむろに指を噛んだ。噛み跡から滲んだ血が浮き上がり火の玉へと変わる。レーヴが降りていくのに合わせて火の玉もふわふわついてくる。火の玉が照らす範囲は狭く、しばらく進めばすぐにレーヴの手足を照らすので精一杯となった。

 上を見ても下を見ても暗闇である。レーヴの眉間に皺が寄った。あまり底が深すぎると、降りる側の労力がとんでもないことになりそうである。

 だが、幸いにも無限に続く穴という訳ではなかった。懸命に梯子を降りればようやく足が地面についた。


 レーヴはほっとして、火の玉の数を増やし辺りを照らす。先程わらわらと襲ってきた落書き人間がまたやってくるかとも構えたが、周囲にその姿はなかった。照らした先には横穴が見える。


「縦の次は横、とね」


 やはりこの先も見てこないといけないのだろう。あまりの面倒さにため息を1つ。火の玉を前方に集中させ気配を探りながら慎重に進んでいく。

 光量を増やしても周囲の様子は判然としない。手で触れた感触も硬くも柔らかでもあるように思われ、判断に困る。夢ならではの謎の物質の可能性もある。

 中程まで進んだ頃合に、後ろから駆け寄ってくる気配がした。レーヴは素早く地面に血で文様を描いた。燻り出しの陣だ。駆け寄る気配がこの場に到達する前に一歩後ろに下がる。あの陣をレーヴが警戒する存在が踏んだならば立ちどころに正体を見せる筈だ。気配はそうとは知らず、無防備に姿を現した。


「呪術師殿! 我々もご一緒致します!」


 闇の中から現れたのは、甲冑姿の女性二人であった。レーヴはこの二人のうち一人に見覚えがあった。確か小屋を襲われた際に唯一声をかけてきた兵士だ。

 レーヴは二人の姿を注視した。二人のうち一人、声をかけてきた栗毛の女性が陣を踏んだ。陣は――一切反応を示さなかった。

 栗毛の女性への疑い結果はシロである。あの時わざわざ声をかけてきたことが限りなく疑わしかったが、ただのお人よしだったようだ。もう一人は陣を踏んでいないため、引き続き警戒が必要である。


 レーヴはひとまず穏便を装って二人を迎え入れることにした。レーヴの前まで接近すると二人はぴしっと姿勢正しく敬礼した。レーヴは二人の様子にややたじろいだ。声をかけるべきだがなんと話しかけたらよいものか。


「えーと、お名前を存じ上げませんでして……」

「シルヴィアと申します、呪術師殿」

「私はカノンです。さすがにお一人では危険すぎます。微力ながらお供させてください」


 女性らしい柔らかな笑みを浮かべる二人に、うっかりと警戒が緩みそうになる。どちらもまるで裏表を知らぬ風情で、凛とした生真面目そうな目がじっとレーヴを見据えていた。


「あのちょび髭の人に怒られませんか」

「ちょび……ゲートルリヒ様ですか? ご安心ください、なんとかお許しを頂きましたので」


 ほう、とレーヴは関心した。あの頑固そうな男をよく説得できたものだ。確信をもって言えるが、あの男はあわよくばレーヴを亡き者にするつもりであろう。彼の中では完全にレーヴが全ての犯人になっている。この得体の知れない場所でレーヴを殺したらどうなるか、レーヴにも保証はできないというのに、そこまで深く考えていないのだろう。大方、元凶を取り除けば全て解決すると考えているに違いない。


「呪術師殿には重ね重ね申し訳ない」

「ん?」


 シルヴィアとカノンのうち、カノンが急に謝ってきてレーヴは首を傾げた。彼女にわざわざ謝罪される理由が見つからない。


「団長……ゲートルリヒ様はただ職務に対して真剣なだけなのです。真剣すぎて……つい周りを顧みないというか」

「ああ、そういう話か」


 彼女は上司のフォローをしているのだ。普段からこうやってゲートルリヒと周りとの緩衝材を買って出ているのだろうか。


「今回は特にその……エリーゼ様の為に動いておられたから、気の入り方も違いました。ですがそのせいで無関係な呪術師殿に無体な真似ばかりしてしまい、申し訳ございません」

「いいですって、カノンさんが頭を下げるようなことじゃありません」

「ですが」

「呪術師なんて怪しい商売してると、道歩いてるだけで石投げられることもしょっちゅうですから。これぐらいどうってことありません」


 ちなみに、レーヴに石が投げられるのは商売ばかりが理由ではない。誰しも自分の家の近くに血みどろ男が歩き回って、心穏やかでいられるものではない。

 そんな事情はさておき、レーヴの寛大な態度にカノンはほっとしたようだった。緊張に引き締められていた口元が微笑みで緩んだ。


「そういやエリーゼ様というと、この夢の持ち主のお嬢さんでしたね。ちょび髭の人とどういったご関係で」

「はい。ゲートルリヒ様はエリーゼ様に恋慕されておいででした」

「……はい?」

「ですが、領主様がご関係をお認め下さいませんでした。既にエリーゼ様には決まったご婚約相手がおられたのです。ゲートルリヒ様は泣く泣く身を引かれ、以来エリーゼ様の忠実な騎士として働くようになりました」

「へ、へぇ~……」


 カノンが目を輝かせて語ってくるが、レーヴは同じ目で頷くことが出来なかった。今一度エリーゼの姿を思い起こす。まだ年端も行かぬ少女だ。レーヴに幼女趣味はない。あの年代の少女を性的に見る奴の気持ちは分からない。ゲートルリヒは間違いなく変態だ。それから明日来るとかいう老齢の大公も間違いなく変態だ。特に大公は歳を考えろと言いたい。

 いやしかし、と自問する。少女には少女の良さがあるのかもしれない。小鹿のような手足。丸みを帯びた頬は薔薇色。純粋な瞳は穢れがない。そう思うと平らな胸も魅力的であるような気がしてきた。


 かたかた、と音がした。音は次第に大きくなる。出処はどこでもない、呪術師の胸元だ。首から下げた十字型の飾りが激しく振動している。銀で出来たその首飾りは、妖精をモチーフとしたものだ――。


「ぬ、し、さ、ま~!!!」


 怒りのこもった叫び声と共に、首飾りが動いた。

 生き物のように銀色の羽根が震えたかと思うと、瞬間的に強い光を放ち首飾りが消えた。その代わりに一羽の妖精がレーヴの前に羽ばたく。彼女の姿を見てレーヴはにわかに慌て出す。


「こ、こらリリィ! 危ないから隠れていなさい!」

「いいえ主様! 隠れてなんかいられません! このリリィというものがありながら、さっきからずっと女の人とイチャイチャして!」


 リリィは小さな手でポカポカとレーヴの胸を叩いた。攻撃力など皆無で羽根に撫でられたようなものだが、ポカッと叩かれる度に胸に響くものがあった。

 そうだ、自分は何を血迷っていたのだろう。この世にこれ以上のものはない。この世に妖精より素晴らしい存在はいない!


「すまない、リリィ。俺が間違っていた! 俺が愛しているのはお前だけだ!」

「主様……っ」


 ひしっと抱き合う2人を、傍らでカノンとシルヴィアがどうしたらいいか分からないといった顔で見守っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ