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冥界の王  作者: 久土久
1、森の中
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妖精の仄暗い決意


「やだっ、やだっ、離して!」

「うるせぇ!」


 男が乱暴に腕を振ると、それだけでリリィはくたりと意識を失った。彼女の小さな身体では少しの衝撃も大きなダメージになる。大人しくなった妖精に気をよくした男は手の中に納まった彼女を下卑た目で見やった。


「どうれ、妖精とやら、どこもかしこも人間のミニチュアになってんのか、売り飛ばす前に見てやろうじゃねえか」


 男の邪悪な手がリリィの足を抓んで開かせようとしたその時である。急に男は身動きが取れなくなったことを知った。指の一本、睫毛の一本すら動かすことができない。男の背後では冷たい目をしたレーヴがいつの間にか立っていた。彼の手からは大量の血が滴り落ちており、流れた血が男の足元へと伸びていた。


「この根腐れ野郎が」


 怒りとともに吐き出された筈の声に熱はない。ただただ冷たく、そして殺意に満ちていた。

 男の足元から黒い手が伸びていた。レーヴの流した血が変容し、不気味な生き物の腕へと成っていた。その手が男に絡みつき身体を縛り上げていた。


「あんた、ここに一人で来たのか?」


 レーヴは感情を含ませない平坦な声で問いかけた。身動きのとれない男は彼を振り返ることもできず、声すら発することができない。男の様子に気付いたレーヴは小さく舌打ちする。指先を弾いて血を一滴男の服へと飛ばすと、男の舌が急に開放され、急いて呼吸を繰り返し喘いだ。


「たっ、助けてくれっ! 金ならやる!」

「ああ、もらってやる。だが応えろ、お前はここに一人で来たのか?」


 男は額に脂汗を浮かせた。彼の経験が警報を鳴らしていた。この背後にいる者は”やばい”。決して逆らってはならない。だが馬鹿正直に答えて自分の命が助かる保証もない。男は必至で考えた。このやばい野郎が何故自分と敵対するのか? 男に考えられる理由は一つしかなかった。


「へ、へへ……仲間なら街にわんさかいるぜ」

「そうか……面倒だな」

「旦那がその気なら今回のシマは俺らと旦那で5・5、いや丸ごとやってもいい! 難なら売り飛ばし先だって紹介していい、御禁制の品売るにゃコネが要るからな。どうだ、悪い話じゃないだろう?」


 レーヴが黙ったところを男は自分の話を吟味しているものと思い畳みかけた。男のよく回る舌が唾を飛ばしながら必死で自分の都合の良い状況を作り出そうとしていく。


「勿論旦那の下につけってんならついてやるよ! 旦那タダもんじゃねえだろう? 旦那みたいなやつ今までどこに隠れてたんだか知らねえが、頭になってくれりゃありがたい!」

「それで俺の寝首をかこうってつもりか?」

「と、とんでもないっ、一生ついていきますぜ!」


 男はぎょっと目を見開いた。おだてが裏目に出たかと思ったのだ。レーヴはゆっくりと男の背中に近づいてくる。実のところ男の状況認識は間違いであった。男は森で人には言えない猟をしていた。それを見咎められたか、あるいは同じ禁猟者が獲物を横取りしに来たのだろうと考えたのだ。この世の中に正義の味方がいる筈がないと信じている男として、自然と同じ禁猟者だろうと考えてしまった。


 そして男の認識とレーヴの認識の齟齬はもう一つあった。男にしてみれば女等所有物でしかない。真面目に愛して守ろうなんて馬鹿のすることだ。金に余裕がなければ売り飛ばす財産でしかない。売るより手元に置いておいたほうが利益があるならば別だろうが、そうでなくば売ることに躊躇いなどない。ましてや、男が今握っているのは売ることで莫大な利益を生み出す【品物】だ。こんなもの所有するのは金持ちの道楽でしかなく、お互い金を持っていそうにない男とレーヴからすれば、売る一択しかない存在である。


 その勘違いがレーヴの怒りをより一層強くさせているなども知らずに、男は憐れな命乞いを続けた。

 レーヴもいい加減、男の声を聞くのが嫌になっていた。レーヴが聞きたかったのはこの自分の大切な妖精を害する敵が他に幾人存在するか、その一点のみであった。


「命さえ助けてくれりゃなんでもするっ! だから、が、はがぁっ」

「お前なんざ生贄の価値すらねえよ」


 男を拘束していた黒い腕が、いつの間にか男の首元へ絡みついていた。手が黒い輪となり徐々に男の首を締めあげる。男の首の筋肉や血管、骨が軋む音が続いて、しばらくもせず男の身体は地面へと転がった。レーヴは男が倒れるより先に男の手を切り落とし、手に掴まれたままであったリリィを助け出した。リリィは気を失ったままであったが、命に別状はない様子だった。彼女の状態を確認し、レーヴはほっと安堵すると同時に表情に影を落とした。






   〇





 リリィは薄く目を開いた。体中が重く瞼も上手く開けない。周囲の様子もぼんやりとしか見えず、判然としない。ただ、誰かの手の上に自分が横たわっていることだけは分かった。あの恐ろしい誰かではない。優しい手の平が彼女を傷つけないようにそっと包み込んでいる。

 しばらくすると声が聞こえてきた。声は複数いる。誰だろうか。また誰か恐ろしい人物が現れたのだろうか。リリィは注意深く耳を澄ませた。


「お前は本当に関係ないのか?」


 声のうち一人はレーヴだった。レーヴはリリィが聞いたこともないような冷たい話し方で誰かと喋っている。リリィは竦み上がった。レーヴの声には心からの憎しみと侮蔑が込められていた。


「おおいやだ、全ての悪は(わらわ)のせいだとおっしゃるのか?」


 もう一人の声は全く別の声。リリィの知らない人物だ。女、の声だ。妙に艶めかしい声だ。声が少し近づくと、レーヴが後ろに下がるのが分かった。レーヴはこの声の主を嫌っているようだ。


「ああ、でも一つだけ残念にございました。その忌々しい妖精を、あと少しで取り除けたというのに」


 女の声が突然底冷えする。顔を見ずとも、その声が誰を見て言っているのか何故か分かった。リリィへと顔も知らない相手から突如として向けられる悪意。リリィは目を開けない。開けたとしても、開くことができなかっただろう。未だかつて知らぬほどの憎悪を浴びて、全身が竦み上がった。


「お前様、よくもまあ上手く隠れ蓑を捕まえたものです。妖精は魔を払う。我ら魔なる死人では触れることすら出来ぬ。口惜しや……」

「勘違いするな」

「勘違い? それはそれは、お前様のことを妾が間違える筈もございませぬが」

「俺は妖精の力が欲しくてリリィと一緒にいるんじゃない。リリィと一緒にいたいから一緒にいるだけだ」


 女はレーヴのその言葉に、何故か黙り込んだ。一方で二人の会話をただ黙って聞いていたリリィは恐れ以上の感情が沸き起こっていた。

 それは間違いようのない喜びの感情であった。彼女はすでに自分が彼に好意を寄せていることを自覚していた。その上で改めてレーヴより必要とされていることを知り、これ以上にない喜びを感じていた。こんなどのような危険があるか分からない状況で、全てが吹き飛ぶほど歓喜していた。

 女はといえば、静寂を自ら打ち切って高笑いを繰り出した。笑う女の声がまた近づいてくる。後ずさるレーヴの背中が何かにぶつかってしまった。女はその隙をついてより一層近づいたようだ。

 そして聞き捨てならない音が聞こえた。ちゅっとこの緊迫した場にそぐわないリップ音がリリィの頭上で、おそらくレーヴと女の口元から聞こえてきたのだ。


「今日はこれで許して差し上げよう、愛しいお前様」


 女の声が霞みがかり、ぼやけていく。しばらくあの高笑いが尾を引いて気が付けば消えていた。

 リリィの身体はまだ動くことがままならない。だが、ふつふつと煮えたぎるものが彼女を突き動かした。レーヴの手の平の上で燃えがった。レーヴはリリィに生気が戻ったことにすぐ気づき喜びかけたが、その様子がおかしいことに気付いて固まった。

 リリィの目がくわっと見開かれた。今しがたまで聞こえた声の主はもういない。この場にいるのはリリィとレーヴの他は森の木々のみだ。


「今の人……誰?」

「え、ええと、あ~、う~」


 言葉を濁すレーヴにリリィは詰め寄った。レーヴはリリィが初めて見せる気迫にたじろぐ他ない。


「プロポーズしたばかりなのに、もう他に女の人囲ってるの?」

「いやっ、違う、断じて誤解だ、信じてくれよ、なっ!?」

「ふ~ん?」


 リリィはぷいっとそっぽを向いてしまった。そっぽを向いてレーヴから顔をそむけたまま、ぽつりとつぶやいた。


「妖精がいると役に立つって本当?」


 リリィの小さな問いかけを聞き逃さなかったレーヴは動じた。怒りを示す彼女になんと答えるべきか彼には判断がつかなかった。迷いに迷った結果、彼はただ正直に答えるほかなかった。


「事実だ。妖精の力は魔の力、魔法や幻獣の術にはめっぽう強い。存在そのものが魔で出来ていると触れられもしない。例外もあるが」

「例外?」

「まず物理攻撃に弱い。それに人間の使う術にも弱い。理由は詳しくないが、人間って生き物がより上位の、神から愛されてるせいかもしれないな」

「そっか……」


 この時レーヴが恐れていたのは彼の真意をリリィに誤解されることであった。彼にとって妖精は実に有用な存在なのだ。彼の敵に対して、そして彼がリリィにも隠した目的に対して、彼女がいるかいないかで大筋が変わる。

 だが、彼女に近づいた目的はそんなことではなかった。

 初めて出会った瞬間、彼はすでに彼女に惚れていたのだ。一目惚れとはこういうことを言うのだろう。そこに恋愛感情以外の何もない。その気持ちを疑われることを彼は心底恐れていた。

 だから、続いて述べたリリィの言葉に、レーヴは一瞬どう答えたものか迷った。


「じゃあ森の外でも役に立てることは立てるんだよね?」

「え?」


 振り返ったリリィの顔は怒っていなかった。じっと真剣な眼差しでレーヴを見つめている。レーヴはどう答えたものか再度悩み、そして再び正直に頷いた。


「分かった、じゃあついてく。この森を抜けてどこかに行くんでしょう? だから一緒に行く。……行きます」


 リリィは決意していた。そして同時に生まれて初めての感情を胸に抱いていた。それは弱く儚い妖精にとっては決して縁のない感情。他者への攻撃性と自分が好きだと思うものへの独占欲。つまり嫉妬と対抗心である。リリィにとってレーヴはすでに大事な人なのだ。そして彼を大事だと思う者は自分以外にもいる。どうやらその存在と彼をシェアすることはできないようだ。ならば戦って勝ち取らねばならない。

 自分にもできることはあるのだ。その事実が彼女を奮い立たせた。


「リリィとずっと傍にいて下さい、……主様?」


 あの声とは少し変えて、しかしずっと気を引くように、リリィはレーヴの頬に触れた。レーヴは幾分複雑な顔を浮かべていたが、最終的に頷いた。彼には彼女の心境の変化までは読み取れない。だが、そこに並々ならぬものを感じ取っていた。






   〇






「リリィ、準備はいいか?」

「主様、もうお別れはすみました」


 リリィの旅立ちの決意を聞いた翌日、二人は早々に森を出ることにした。レーヴは人里へ降りる為の準備をし、リリィは生まれて以来ずっと暮らしていた森との別れを惜しんだ。


「主様……本当にその恰好で行くの?」


 リリィはレーヴが新たに誂えた服を見て目を丸くした。人ではない彼女の感性においても、今の彼はやや問題のある様をしている。


「いいの、いいの。木を隠すなら森の中、ってね。俺の死臭を誤魔化すにはこれしかない」


 レーヴはリリィの問いかけにも鷹揚に答えるだけで、気にせず彼女に手を差し伸べた。リリィはいくらか戸惑いを見せたが、構わず彼に寄り添い共に歩き出した。

 二人は森の外へと歩み始めた。

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