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冥界の王  作者: 久土久
間章
14/17

冥王の目覚め(後)


 男は求めるまま儀式を執り行い、そして同化の術は成功した……男は途中まではそう思っていた。だが、儀式の途中で男は異変に気付いた。おかしい、あまりにも、おかしい。彼が同化先に指定したのは異界における上位の存在。だが、彼自身が制御出来る程度の力を持つ存在でしかなかった筈だ。だが、彼が今繋がっている存在はあまりにも、でかい。巨大な魂の塊を感じて男は慄いた。これは彼が制御するにはあまりにも大きすぎる。


「待ちに待った時が訪れた」


 頭の中で何者か、女の声がする。色のある声で女が囁く。甘く縋る娼婦のような、それでいて遥か高みにある女帝のような、そんな奇妙な声が男の頭の中に聞こえてきた。


「妾の眼鏡に適う容貌、それでいて陛下と繋がる事の出来る技量を持った者。……現れるのにあまりにも長い時が経った」


 この場所には男以外誰もいない筈なのに、何故か、男の肩に女の腕が回された気がした。いや、女は確かにそこに在った。男が儀式を行ったのは自身が所有する建物の地下であった。だが、今男が立っているのは見知らぬ神殿。地面に直接祭殿の置かれた場所だった。


「人の世にかの術を広めて百と少し。すぐに飛びつく輩がおるだろうと思うたに、そのような愚か者はそなたを含めて幾人もおらなんだ。ああ、しかし、ようやくだ。ようやく妾の伴侶にお会い出来る。愛しい愛しいお前様……」


 かの術とはこの同化の術だろうか。ふと彼はそう思った。女の声を聞いた瞬間、この術の異様性にようやく思い至った。外的エネルギーを求める呪術において、最終的にも内的エネルギーを必要とするようになる術は異質なのだ。そこに思い至った時、女は微笑を浮かべて男に唇を寄せた。人の息遣いの感じられない冷たい接吻を交わした瞬間、男の脳みそがはちきれた。


「があああああああああああああっ!」


 男の絶叫が響く。彼の容量を遥かに超えた情報量が脳みそに注がれた結果、脳細胞が瞬時に焼き切れた。だが焼失するのと同時に細胞が回復させられる。おぞましい衝撃と痛みが彼に襲い掛かった。

 巨大な存在と繋がったままの魂が体から引きずり出されて粉々に砕かれる。粉砕された欠片が混ざり合って元に戻される。とても自我が持たない。だが地獄のような苦しみの最中であっても彼は発狂を許されなかった。

 女の、ヘレの目的は彼の魂と精神性にあった。自我なき人形を相手にするぐらいであれば現状に甘んじて足る。彼女は自分で意思を持ち行動する生きた存在を欲した。愚かなほど純粋に、自らを愛してくれる存在を欲していた。

 男の苦しみは一時では終わらなかった。一日、一月、いいや一年、それどころか数百年にも渡って男は地獄を見た。男が守ろうとした国も民も歴史も全て塗り変わるほどの長きに渡って拷問が続いた。なにせ男に降ろされようとしているのは世界と同義の神なのだ。神の魂を宿すのに長い時を要するのはごく当たり前のことであった。

 ヘレは男の叫びをいつまでも恍惚と聞き惚れた。この男の苦しみの果てに彼女の伴侶が姿を現す。すでに死んだ者にとって死は存在しない。故に、彼女は気が遠くなるほど長い時間を悠然と待ち続けた。男の叫びが途絶えた時、自身が愛されると信じ切って……。

 彼女は彼を愛していた。そして彼女は亡者の中の亡者だった。望めば全てが手に入る立場にあった。何をしようと許されていた。他に引けを取らない己が愛されない等、露ほども考えていなかった。


 男の叫びがある日止まった。報告を受けるより先にその気配を察したヘレは一番に祭壇へと向かった。祭壇に立つ男は彼女が儀式を始める前とは完全に気配を変えていた。

 ヘレは男の中に神が宿ったことを確信した。冥王の降臨である。それは誕生と言い換えてもいい。ただ世界として存在しているだけだったものが、意思を与えられ人の姿に形を変えたのだ。

 男は生きていながら、色濃く死の匂いを放っていた。冥界の王の力故だろう。死者であるヘレには好ましい匂いだ。ヘレは歓喜した。こうしてようやく己の伴侶と対峙できる時が来ようとは、真実この瞬間まで信じきれていなかった。

 

「ああ……お前様、この時をどれだけ待ちわびたか。どうか二度と妾を離さないでたもれ」


 ヘレが男の首に巻きついてくる合間、男は、冥王はぼんやりと手に入れたばかりの自我を働かせていた。冥王は薄っすらと目の前の自身に絡みついてくる女の記憶を持っていた。自我を得る以前も意識はないながら記憶は蓄積させていたのだ。その中で甘く自分の名を呼んで求めてくる女の記憶が呼び起された。だが、すぐに冥王はその記憶を否定する。あの女は己より遥かに小さかった筈だ。どの程度の大きさだったかは忘れてしまったが、己と同じ大きさではなかった。この時自我を持ったばかりの冥王は、女と触れた時の己の大きさ等まったく意識に入れていなかった。そのせいで自分を求めた女の甘い記憶と目の前にいるヘレと記憶が繋がりあわなかった。


 代わりに、目の前の女が何者か教える記憶が蘇った。その記憶は冥王が所持するものではなかった。この体の元々の持ち主のものだった。彼は既に魂を消失してしまっていたが、身体には彼の記憶が残されていた。

 彼の目を通して、ヘレが彼に何をしたのか冥王は知ってしまった。出会った儀式と、同時に与えられた苦痛。更には苦しみに悶える彼の姿を心底楽しそうに日々眺めていた女。それが彼にとってのヘレであった。


「……お前様?」


 冥王は肩に回されたヘレの腕を外し、軽く押して彼女の身体を引き離した。ヘレが彼の意図を理解出来ず目を瞬かせる。分からないでいる彼女に冥王はごく簡潔に意図を告げた。


「触るな」


 分かりやすいほどの、拒絶。冥王の目は冷たく凍てついており、ヘレへの愛情など微塵も感じられない。冷たく拒絶されてヘレが驚愕し固まった。彼女にとって冥王は唯一愛する存在で、この世界における至高の女である彼女を拒否する男など未だかつて存在しなかった。

 拒絶されるという事態すら彼女は知らずにいた。そして、今初めて拒絶されたのだ。それも最も拒絶されたくない愛する男に。


 冥王は彼女を無視して祭壇を振り返った。祭壇は冥王の元の身体の心臓の上に設置されていた。冥王は自身の身体から別の身体へ魂が入れ替えられたことを理解した。そして今まで繋がっていた数多の魂とも繋がりが切れてしまっていることも察知した。冥界は完全にただの大地と変わり、彼とは異なる存在と成り果ててしまっていた。


「陛下、皇后陛下、お祝い申し上げます」


 見知らぬ第三者が声をかけてきた。ヘレの配下の者だった。ヘレの配下は場の空気も読まずに、ただただ儀式の成功を喜んでいた。配下は目を輝かせて、ヘレから聞かされていた次なる計画を口にした。


「冥王陛下が大地を踏みしめた今こそ地上に打って出ましょう。かつて失ってしまった我々の生きた肉体。こうして陛下と切り離され独立した今なれば、確固が地に出て人の身体を奪うことが叶いましょう。どうぞご命令を、陛下」


 ヘレが己の欲望を叶える為、配下をそう言ってたき付けたのだ。ヘレにして見れば彼らのことなどどうでもいい。彼らと冥王との魂の繋がりを切り離したのは単純に嫉妬が故だ。愛しい男と心身共に繋がっているのは己だけでいいと。だが配下の者にとっては切なる願いであった。自我を持った以上は自由な存在で在りたい。そして記憶の彼方にある生身の身体を取り戻し、もう一度生を謳歌するのだ。

 死者は生者に憧れていた。その強さはヘレが冥王を求めるほど強いものだった。発芽した瞬間から冥王の魂と繋がっていた彼らにしてみれば、冥王から分離されるのは非常な恐怖を伴う行為であった。しかしそれ以上に生者の身体は魅力的であった。

 自分は冥王から離れ、新たに人間の身体へと着床するのだ。そして再び失った人生を取り戻す。


「人の身体を……奪う、だと?」


 だが冥王は配下のそのうかつな進言を聞いて眉間の皺を険しくさせた。彼の中の感情を伴う記憶は、当然ながら自我を持たない前の身体の時よりも今の身体の元の持ち主の物のほうが多い。従って彼の感情は元の身体の男に支配されていた。男は義憤の人であった。もとより儀式に手を出したのも自分の仕える国を思ってのことだ。人に災難が及ぶと聞いて、黙っていられるわけがなかった。

 

「はい陛下、ヘレ様は我らにお約束くださいました。地上界を我らの新たな楽園にすると。……陛下?」


 その配下はそれ以上言葉を続けられなかった。冥王が手を振るった瞬間、目に見えぬ巨大な腕によってその配下がいた場所がごっそりと削り取られていた。


「……うん?」


 冥王は目に見えぬ腕を振るった後、予想以上の威力に目をみはった。世界すべてを統べる力はあまりにも大きすぎた。ならばと、彼は自身の力の一部を体外に排出した。それに伴って新たな存在が発芽する。気付けば巨大な狼が冥王の前に首を垂れていた。彼は狼の頭を撫でた。狼に多くの力を与えたが、それでも尚この身体に宿った力は強大であった。


「馬鹿なことを考えたもんだ。人を滅ぼすつもりならば、俺がお前らを滅ぼそう」


 その宣言は誰ともなく告げられたものだった。冥王はヘレを置いてその場を後にした。見逃された訳ではない。全てを滅ぼすと決めた瞬間、彼女はその他大勢とまとめて滅ぼすものと、その程度の存在として捨て置かれたのだ。冥王がその場を後にしてすぐ、凄まじい轟音が鳴り響いた。


 残されたヘレはひたすら凝固して、彼女を無視した冥王の背中を見開いた目で見つめ続けていた。やがて彼女の口元が歪み、次第に笑みを浮かべ、そして狂ったように高らかに笑い始めた。


「ああ、お前様、そのように猛り狂ってどうなさる。自らの帰る場所を壊してどうなさる」


 彼女は愚かであったが、愚鈍ではなかった。自分が何を間違えてしまったのかをすぐさま理解した。そして次にどうすればこの過ちを繰り返さないかも理解した。彼女は今一度やり直す必要があった。今世界が崩壊する最中に在っても、彼女はやり直す術を見つけ出していた。

 彼女が見上げた先に彼女の愛しい夫が浮かんでいた。彼女が愛し、彼女を裏切った憎くて愛しい最愛の夫。


「覚えていなされお前様。妾は決して諦めはせぬ」


 にこやかに告げた後、彼女は躊躇うことなく自らの本体である鈴を投げ捨てた。鈴は闇の中に消え、残された彼女の身体は砂となって消えた。

 冥王の放った炎が祭壇に投下される。世界の心臓部分を炎が貫き、冥界は根底から完全に消滅した。後の空間には彼のかつての身体の残骸と、散り散りとなった死者の怨念が僅かに残った。

 冥王は自らの巨大すぎる力に呑まれて死にかけていた。だが、かろうじて生きた彼は地上へと逃げた。そこで彼は妖精と出会い恋に落ちた。かつて彼に愛を囁いた者と同じく自分より遥かに小さな彼女と出会い、彼は名乗る。

 この身体の元も持ち主であった呪術師の名を借りて、レーヴと。


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