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冥界の王  作者: 久土久
間章
13/17

冥王の目覚め(前)


 目を開けば闇だった。冥王はその時点ではそれが闇ということも、そもそも自分が目を開いたことも、目を持っているということすらも認識していなかった。

 ただそこに在るだけの物体。いや、世界だった。冥王は己を認識せぬまま腕を広げた。彼の広げた腕にはいくつもの山脈が連なっていた。彼の存在はあまりにも巨大であった。宇宙に浮かぶ星と彼は同等の大きさを備えていたのだ。

 彼は口を開いた。何か無数の霧のようなものが彼の口の中に吸い込まれていく。一つ一つが薄く発光した霧の正体は人魂であった。ぼんやりと生前の姿を模ったまま、何処からともなく現れては冥王の腹の中へと収まっていく。彼らは冥王の腹の中で冥王に一度吸収されてから、全く別の存在として彼の体より発芽した。

 そうして冥王の体の山脈から無数の亡者が沸き起こった。彼らは冥王の体の一部とも言える存在ながら、独自の意思を持って活動を始めた。やがて彼らは冥王の体の上に都市を築き国家を建設した。彼らは彼ら自身の母体でもあり生活の土台である冥王を神として崇め、同時に権益を持たぬ王として定めた。実質の王には彼らの中で最も力を持つ亡者が選ばれた。

 その人物の名はヘレ。彼女は彼、世界たる冥王、すなわち冥界における至高の存在であった。

 彼女は自ら冥王の妻と名乗り、冥界における祭司と政治の長、二つの立場を手にした。


「陛下、御前に」


 国の首都、その中心にそびえ立つ城砦。いくつかの建物の集合体であるこの城の最奥に位置するのは神殿である。王が宗教の長をも兼任するが故に城の内部に祭壇を要した。彼女は祭司の長として日々足しげく祭壇へと通っていた。

 祭壇はむき出しとなった地面の上に直接置かれている。ヘレは纏っていた衣を全て脱ぎ捨てると躊躇いなく地面へと、冥王の肌の上に身を横たえた。彼女の持つ乳房がその身の重さで潰れる。胸元で首から下げられた鈴が擦れて音を立てた。服を脱ぎ捨てたのは彼らが定めた宗教的な意味合いがある。大地そのものである彼らの神と交わる為には、一糸纏わぬ姿で地へ身を捧げねばならないのだ。しかし彼女が鈴を外さないのは一つ訳があった。これこそが彼女の本体であるためだ。

 本体を失くしては偽りの体も動かせない。しかし、偽りとはいえ体は体である。触れれば大地の感触も土の冷たさもまざまざと彼女には感じられた。


「陛下……ああ、妾の旦那様。愛しい愛しいお前様」


 ヘレは祭壇の前で配下の者との距離が離れた途端、表情を崩した。大地に対して囁き恍惚と愛をそそぐ。彼女の目は常軌を逸していた。神に対しての信仰でも、恵みをもたらす土地に対しての愛情とも異なる。純粋な性的興奮。儀式としての形式を良いことに彼女は思う存分愛しい相手との交感を試みた。

 ヘレには冥王の魂が目に見えていた。冥王にとっては一瞬で、しかし彼らにとっては気が遠くなるほどの歳月が流れた今、冥王という存在をただの概念か何かだと思っている輩は多い。しかし彼女にとって冥王とは確かにそこに在るものだった。冥王の魂は未だ彼ら全てと繋がっている。こうして大地と密着していればより一層その存在が感じられた。彼女が熱をもってその魂の繋がりにエネルギーを注ぎ込めば、貪欲にこれを受け入れる存在がそこにあったのだ。そればかりでなく、押し込んだ熱が空になった体へと、代わりにより強いエネルギーが注ぎ返されるのだ。

 彼女はふるりと身を震わせた。彼女は他の亡者と比べると群を抜いてエネルギー容量を持っている。しかしそんな彼女の器など簡単に超えるほど途方もない波動が彼女の魂へと注がれた。


「は……ぁ、お前様、ああ、もっと、より深く、そなたを感じられたら」


 頬を赤く染め、目を潤ませながら彼女は呟く。人であれば吐息も漏らしただろうが、生憎と生まれながらの死者は呼吸を知らない。

 彼女のこの呟きは既に何千何万と繰り返されていた。だが彼女の仕える神は自我のない大地だ。人の形を持ちながらあまりに巨大で、小さな亡者達には逆に認識できないほどだ。大地に干渉すれば反応をいくらか返してくれるもののそれだけだ。彼女を強く抱きしめ返してくれることも耳元で愛を囁くこともない。


 ……もし、彼を人に出来たならば。

 その考えは自ら本体とは別の体を持つ彼女ならではの発想であった。自我なき大地に自我を与えたら。本体とは別の肉体を与えたら。彼は自分と並び立ち、真の冥王としてこの世界に君臨するだろう。その暁には彼に、この身を……。

 彼女は自身の考えに酔いしれた。意識なき存在に恋する異常な女は、ただ己の欲望の為だけにこの世界に手を入れようと考えた。あまりにも異様な動機であったが、女性体としてはごく自然の欲望だったかもしれない。自分よりも強く逞しい腕に抱かれたいという感情は、より動物的な雌としての(サガ)だ。そしてこの世界には彼女より強い雄が存在しなかった。望めるのは立場として娶られたこの世界そのものしかなかった。

 全ては女の欲望故の過ちだ。


「いかにしてそなたを人に成らしめようか。そう容易くはない。しかし不可能ではない」


 彼女は身を起こし、起き上がる際に大地に口付けた。頬を摺り寄せ愛しい夫にそうするように甘えて縋る。


「配下の者共をたき付けるのは容易かろう。あやつらは生を欲しておる。そなたに取り込まれる前の記憶を朧気ながらに覚えておるのだ。今は全くの別物、所詮ただの亡者でしかないというに、愚かなことよの」


 くすくすとこの場にはいない者ら全てを彼女は嘲弄する。彼女にとっては自分が生きているかどうかなど些末なことであった。彼女にはただ彼さえあればそれで良かった。この時の彼女は知らない。そう嘲る己が最も愚かであることを。

 彼女が立ち上がると周囲に散っていた従僕が新たな衣を持って彼女に着せていく。彼女は衣を翻して神殿を後にした。

 彼女が立ち去った後の大地は、ただひたすらに静けさを保っていた。







   〇






 知的生命体のいる世界は一つだけではない。冥界を含めて全部で三つだ。天界、地上界、冥界。三つの世界は完全に切り離されたものではなく、薄くそれぞれ道が繋がっており行き交うことが可能だ。ただし、ごく限定的な条件の上であるが。

 地上界においては他の世界への移動を転移と呼んでいた。そして他の世界の存在を地上に呼び寄せることを召喚と呼び、強い力を持つ他世界の存在を呼び寄せることは権力者によって奨励されていた。

 地上界には冥界と異なり数多くの国が興っていた。そして多くの国が興った世の習いとして、その国々の多くが争っていた。小さな国は倒されより強大な国に吸収される。強い国と強い国も相争いより強い方が生き残る。群雄割拠の時代であった。


 この時代にあってより強い力を得ることは最重要事項の一つであった。各国はそれぞれ武器を鍛え技を磨き、その過程で超自然的な技、つまり魔術超能力召喚術呪術精霊術、あらゆる力が磨かれていった。

 魔術とは今更説明するまでもない。己の中に在る熱エネルギーを超常的に変換し、何もない場所から炎や水、あるいは雷や突風を巻き起こす恐ろしい技だ。威力は強く扱いも容易いことから、多くの人々がこれを極めた。

 精霊術と召喚術は魔術とは異なり他のエネルギーを借りて魔術と同等の力を作り上げる技だ。他者の力に依存する分扱いが難しく、扱える術者は希少であった。しかし力を借りれる存在によっては単純な魔術よりも強大な威力を誇るため、権力者はとりわけ彼らを重宝した。


 超能力についてはあまりパッとせず、魔法よりも高い燃費性能を持ちながらも出来ることが人力で行える範囲を超えなかった為、あまり重要視されることはなかった。そして呪術に至ってはその術の性能上後ろ暗いことにばかり使われたせいで多くの人間から後ろ指をさされた。

 呪術は主に人知れず人を呪い殺す暗殺術として用いられていた。殺したい相手の体の一部を盗み取り、生贄を捧げて密かに殺すのだ。殺したい相手がいる者にとっては重宝もされたが、同時に自身が呪術と関わったことが知れると他者からの嫌疑が避けられない為、恩恵を受けた者にすら疎まれた。


 この現状を一人憂える男がいた。とある国に仕える呪術師である。彼は呪術こそ至高の術だと信じきっていた。なにせ呪術は一切のエネルギーを必要としないのだ。正確に言えば、自身であれ他者であれその内的エネルギーをほとんど必要としないのだ。呪術の多くは外的エネルギー、生贄を捧げることで成立する。つまり術者のエネルギー内蔵量に依存しない。正しく術式さえ扱えれば誰でも一定の威力を放つことができる。どの超常能力よりも安定した力なのである。


 この長所は特に戦争において有効活用されるべきであった。しかし時の権力者は派手で見目の良い魔法ばかり使いたがる。だが全ての兵が、レベルの低い威力の弱い魔術しか使えぬ多くの兵が呪術に鞍替えし、その神髄を思う存分発揮できればこの群雄割拠の時代などそれを最速で成し遂げた国一国の手によって終わるのだ。

 彼は大変な夢想家であり、戦争を求めながらも同時に平和を愛していた。平民の出である彼は戦が無くなることで民の暮らしが安定することをよく知っていた。戦は人を殺す。辺境地から駆り出された男も減る。戦がなくなれば単純に田畑に人手が増え、余裕が生まれるのだ。穀物は国に行き渡り餓死による死者も減るだろう。


 全ては呪術を国に認めさせることが出来るかどうかにかかっていた。だが男はすでにあらゆる手を使っていた。すでに魔術と同等の力があることを見せつけ、内的エネルギーを必要としない長所も懇々と説いた。しかし多くの高官は彼に良い顔をしなかった。唯一王だけは興味を示したが、他の官が興味を示さない上では、王の独裁を示す程の有用性までは理解されなかった。

 かくなる上は、魔術以上の有用性を示すしかない。彼はかなり追い詰められていた。焦ってもいた。呪術の有用性を彼一人が気付いたとは考えにくい。刻一刻と他国もこれを活用し始めるかもしれない、その瞬間が近づいている気がして凄まじい焦燥感に駆られていた。彼は追い詰められた末に、呪術の中でも禁術と定められた力に手を出した。

 その術とは、召喚術と類似する力だ。ただし他世界の存在を召喚するのではない。他世界の存在と同化する術だ。己の体を捨て他世界の体を乗っ取る。そして他世界の超常的存在の力を己の思うままに振るう。

 最終的に内的エネルギーに頼ることになるが、弱い兵を強化する目的は達せられる。同化の術は呪術にしかない以上、呪術も見直されるだろう。男はもはや手段を選んでいられなかった。彼に残された道はこれしかない、そう思い込んでいた。

 

 そんな彼の様子を、暗闇はニヤニヤと笑いながら眺めていた。


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