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冥界の王  作者: 久土久
2、夢の中
11/17


 レーヴが術の仕上げにかかった、その直後である。シルヴィアが崩壊するカノン目がけて駆け寄り手を伸ばした。彼女の行動にレーヴは驚き、敵相手だというのに思わず声を上げてしまう。


「今そいつに触るなっ、あんたも道連れにされるぞ!」

「そんなことは百も承知!」


 シルヴィアがカノンに触れた途端、共に収縮していた文様が空中にあふれ出した。赤い文字がシルヴィアの肌の上を走る。カノンが受けたものと同等の苦痛がシルヴィアにも襲い掛かったが、シルヴィアはそのまま崩れなかった。

 

「おおおおおおおおおおああああっ!」


 叫びと共にシルヴィアはカノンだったものに掌底を浴びせた。シルヴィアの手の平からはレーヴの描き出した赤い文字とは異なる文様が浮かび上がった。


「私は決して諦めないっ、誰が、何と言おうとも! そのためならば悪魔にでもなってやるっ!」


 シルヴィアの文様が赤を打ち消すほど白く光り輝いた時、彼女の腕が分裂した。縦に裂けた腕がカノンの残骸を吞み込んだ。二つに分かれた腕は再び閉じて、醜く変形していた。もはや人の腕の形を留めず、奇妙に捻じれて異形と化していた。紫色に変色し泡が噴き出て、煙をまき散らす。もはやカノンとも似ても似つかない人間の顔が浮かび上がり、虚ろな目を向けていた。


「なんて……ことを、シルヴィア」

「あ、おいっ!」


 融合に全ての力を使い果たしたのだろう、シルヴィアはそのまま襲い掛かることはせず離脱を優先させた。茫然としていたレーヴと痛みで動けないでいたゲートルリヒを残して空間に亀裂を入れて、この夢の世界から完全に姿を消してしまった。

 残された者はただ、彼女が消えた後の何もない空間を見つめるしかない。レーヴは彼女の捕縛も全て不可能となったことを知ると、さっさと見切りをつけて物陰に隠していたリリィを迎えに行った。

 案の定抗議されたが、ボロボロになった彼を見てリリィは目に涙を浮かべていた。






   〇






 ふと静かになった景色へ視線を向ければ、田園風景の空が朝から夜へ、そして夜から朝へとありえない速さで繰り返し切り替わるところであった。そして夕暮れで一度太陽が止まった。

 散らばった兵は気絶したまま起きる気配はないが、レーヴの傍で転がったままのゲートルリヒはこの異様な景色の切り替えにただ慄いていた。いつのまにか風景にあった小屋も林も何もかもが消え失せて、黒い大地が広がっていた。

 

「あれは……エリーゼ様っ!?」


 黒い大地の地平線から少女がこちらに向かって歩いてくる。少女には手も足も胴体もある、現実そのものの姿をしていた。うっすらと体が透けて見える他は本人と相違がない。ゲートルリヒは腕の痛みも忘れて彼女に駆け寄ろうとしたが、しかしいくら走っても何故か彼女には近づけない。レーヴはあいつ死ぬんじゃないかと傍らでゲートルリヒの行動を見ていた。彼の手には夢魔とリリィが抱えられている。

 エリーゼは目を閉じていた。瞼を下したまま歩みを進めてレーヴの元へ、正確には彼の抱える彼女の友人の元へと近づいた。


「約束だよ。絶対に守ってね」

「もちろん、お任せください」


 その約束は二つしたどちらもなのか、それとも、どちらかのことなのか。少女の閉じられた瞳からは視線が読み取れない。

 だがレーヴには分かっていた。レーヴにとって叶えられる約束の範疇は決まっている。彼に彼女にとっての『大人の社会』を変える力はない。それを彼女が気付いていたかいないか、レーヴには定かではないが。


「そうだお嬢様、一つお聞きしてもいいですか?」

「なぁに?」

「こいつの名前はなんと申します? お嬢様、お名前つけておいででしたか?」

「そんなの知らない。だってその子はその子だもん。友達同士に名前なんていらない」

「左様でしたか、愚問でした。お忘れください」

「うん、でも」

「はい?」

「貴方の名前は聞いてみたい。貴方お名前なんていうの?」


 名前を問われてレーヴはやや驚いた様子だった。彼はすぐには答えず、腕に抱いた夢魔を一撫でし、何やら考える素振りを見せる。眉間に皺を寄せて考えの纏まらないまま、彼は普段名乗る名を告げる。


「レーヴ、と申します。しがない旅の呪術師ですよ」


 少女は呟くように彼の名前を復唱した。それは他の大人に対しては行わなかった行為である。しかし、これから少女は多くの大人に囲まれて、彼らの名を呼ぶことになるのだろう。対人関係を繰り返していずれ彼女も大人になる。名前のいらぬ友達と、夢の中で遊ぶ時間は終わってしまった。


「ありがとう、レーヴさん。その子のこと、お願い」


 少女の瞼が開かれる。瞼の下に隠された瞳が日の光を反射して明るく照った。夕焼けだった空が夜を飛び越えて再び朝日を迎えていた。そして地平線から潮騒の音が聞こえてきた。


「エリーゼ様っ、お待ちをっ、エリーゼ様! ……ぶわっ!?」


 なんとかエリーゼの傍へ寄ろうと必死に走っていたゲートルリヒの元に、唐突に巨大な波が襲い掛かった。いつのまにか景色が海に沈んでいる。海流に流され揉まれて、ゲートルリヒも他の兵士も何処かへ消えていく。レーヴもしばらくして海に沈んだ。誰もいなくなった景色で一人少女は朝日を背にして佇んで、流れていった人々を見送った。


「バイバイ」


 少女が手を振る中海は渦を巻いて飲み込んだ人々を海底に沈めた。これに眠っていたもの全てがたたき起こされた。人々は溺れまいと必死で泳ぎ、もがき、手をばたつかせ、気が付いたら元来た場所、領主の館の一室に倒れていた。


「あ、あれ……?」


 誰ともなく呟き視線をきょろつかせた。誰しも自分が現実に戻ったことを認識していなかった。涼しい顔をして立っていたのはレーヴ一人で、他の人物は、ゲートルリも兵士も、あまつさえ元から部屋にいて兵士らの帰還を待ちかねていた領主もそろってぽかんと驚き目を見開いていた。


「おや? そちらの方はもしや」


 部屋には領主の他にもう一人いた。少女ではない。少女はどうやら別室で寝かされているようだ。おそらく夢魔の殻も取れて今頃起き上がっていることだろう。

 部屋にいたのは年老いた貴族であった。鋭く尖った鷲鼻に厳つい眼光。だが口元に浮かぶ笑みのいやらしさが人格を如実に表している。


「貴様らっ、どこから沸いたっ! 大公閣下の御前であるっ、控えるがよい!」


 はっと我に返った領主がゲートルリヒを含めた兵らを叱りつけた。叱られた彼らは慌てて平伏するが、レーヴだけは飄々とした態度で姿勢を正さない。兵は見るからに満身創痍である。その大部分は彼らの仲間割れのせいではあるが、今にも倒れそうな配下に対する領主の態度を見て、レーヴは僅かに眉をひそめた。


「貴様もひれ伏せ! 無礼討ちにされたいか!」

「いいぇえ、もちろんそんなつもりはございません。ただ大公閣下がおいでということは、一刻も早いご報告をしたほうがいいのではと愚行致しまして、はい」


 へらへらと揉み手をするレーヴに領主は苛立ったが、大公は気に留めなかった。大公は「ほう、」と感心した素振りを見せると、レーヴに先を言うよう促した。


「報告とは我が妻となる娘のことか。構わん、申してみせよ」

「へっへっへっ、さすが大公様、お心がお広くいらっしゃる。あ、ところで俺の言葉が嘘か真か不安じゃありませんか?」

「それは当然そうなるが、そもそも話半分で聞いておる故構わん」

「か~、手厳しい! しかしご安心を、こんな場合の発言の信憑性を上げるとっておきの物がございましてね」


 レーヴが懐よりぺらりと取り出したのは、平面に切り取られた唇であった。材質が不明だが紙よりも植物に近く見えるそれを彼は、その場の全員がよく見えるように高く掲げてみせた。


「し~んじつの唇~。この唇をつけると誰しも本当のことしか言わなくなります」

「……なんだその、胡散臭い代物は」

「そうおっしゃいますな。これ、本当に素晴らしいんですよ? なにせ言わないことまで口に……おおぉっと、手が滑ったぁああ!」


 あからさまに大げさな挙動で足を滑らせレーヴは転倒してみせる。この場にいる兵士は皆、不可思議な現象の余韻のせいで咄嗟に動くことができなかった。レーヴの手から離れた唇は、ぺたっと領主の頭頂部に貼りついた。


「無礼者! 何をするかっ! 貴様など『あ~、あの幼女趣味の変態大公のおかげで、中央への顔繋ぎも完璧だと思ったというのに』……な、なに?」


 領主はレーヴの無礼を咎めただけで、それ以上のことは言っていなかった。だが、他ならぬ領主の声で喋る者がある。領主の頭頂部に貼られた唇は一人でに動き出し、領主の意思に反して彼の考えを喋りだす。


『領民にたまたま大公好みの娘がいるとは運が良い。あの変態はやけに注文が細かくて敵わん。しかし最大の条件である貴族であるかどうかを誤魔化せればどうとでもなる。これでわしも大公と遠戚だ。ハッハッハッ』


 唇が喋る度に領主の顔色がサーっと青ざめる。一方で彼の頭の発言を聞いていた大公はみるみる顔を真っ赤に染めていた。


「ジスタ領の主よ、これはどういったことか。説明してもらおうか」

「いえっ、これはっ、そのっ、……そやつの陰謀です! その怪しげな男が私を破滅させようとしているのです!」

「いや~、それは違いますよ。その唇は真実しか語らない。第一、ちゃんと調べたら分かるんじゃないですか? 偽物貴族が貴族じゃないことぐらいは。あ、これも貼っておきますね」


 悪びれずレーヴはもう一枚別の何か紙のようなものを領主に投げつけた。ぺたりともう一枚貼られたそれには、「人を呪えど穴一つ」と書かれていた。


「自分の悪事が自分にだけ返るおまじないです。良かったですね~、これで領民もご家族もみ~んな無事ですよ。……あんた以外は」


 度重なる無礼とそれ以上のものに、領主の顔は青から赤へ一気に様変わりする。頭から湯気が噴き出て、眉間には皺が寄り額には青筋が浮かんだ。


「つ、つ、捕まえよ~!! 誰ぞその無礼者を捕えよっ!」


 怒声と同時にやっと仕事を思い出した兵達によって、あっという間にレーヴは捕えられた。しかし彼の口元には嘲笑が浮かんだまま消えることがない。兵らに部屋から引きずり出される間、大公と領主の会話が聞こえていた。


「ああ、大公閣下、違います。私は嵌められたのです! 私は嵌められたのです!」

「……なるほど、話は分かった。一度城に戻り仔細を調べねばなるまい。このことは陛下にもよく申し上げておこう」

「あああっ、閣下! 何卒っ! 何卒ご慈悲を! ご温情を閣下!」


 混乱を極めた室内で、大公の冷たい声が響いた。結果がどうなろうと、あの領主の首はそう長くない。

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